長い夜とシングルベッド
降り続ける雪は小さな結晶が重なり、結び付いて、やがて大きな結晶になっていく。それは美しく、冷たく、そして重い。
白須の傘を持つ右手に力が入る。
「あい」とは互いの家の中間地点であるマクドナルドの前で待ち合わせをした。寒い中待たせてはいけないと早く家を出た分余裕はあるが、早く会ってみたいという好奇心と期待感が足を急がせる。
「あい」とはどんな子なのだろうか。プロフィールの写真はどこかの寺を背景にして背中が写っている写真だったため顔は分からない。しかし、着ていた服は白須に清楚な印象を与えた。
清楚な子ほど内に秘めている性欲はすごいと聞く。「あい」もおそらくそうなのだろう。そうでなければ白須は今日そのまま寝ていたはずである。
会う前のこの緊張感は心臓に悪いと白須は思った。
マクドナルドには、やはり予定より早く着いた。周囲を見渡すが「あい」らしき人物はまだ来ていない。
スマホの時刻は22時53分、待ち合わせの23時まであと7分ある。会ってからの一言目、雰囲気作り、家に誘うタイミングなど、考えるには十分な時間だった。
「あい」を見つけたのは待ち合わせ時刻を3分ほど過ぎた時だった。
ベージュのロングコートに奇抜過ぎない花柄模様が描かれた白のスカート。ショートボブの髪を夜風に触れられながら小走りでこちらに来る。
「しらすさんですか?遅くなっちゃってすいません!」
顔は芸能人で言うと生田絵梨花に似ていてとても可愛く、そして小さい。こんな子がアプリで夜な夜な知らない男と、と想像するのはとても難しかった。それほど白須は「あい」から写真以上の清楚な印象を受けた。
「大丈夫!待ってないよ。じゃあちょっと歩こうか」
二人並んで大通り沿いを歩き始める。
「今日寒いね。雪も降ってるし、こんな時間から散歩って面白いね」
「たしかに〜、私家出る時に降ってるの気付いて七階までまた傘を取りに帰ったんです」
「七階は大変だね〜。マンション?」
「そーです!一人暮らしなんですけど夜になったら寂しくなるんですよね、、」
「あーそれ分かる!昼間は一人で家いても何も思わないのに夜になったら誰かと外出たくなるっていうか、なんなんだろうね」
「似たもの同士ですね!」
慣れているのか、「あい」の距離の詰め方は上手い。会話していて落ち着く。
「その服可愛いね、清楚って感じが更に良い(笑)」
「これお気に入りなんです〜、嬉しいな(笑)」
「呼び方はあいちゃんでいいかな?」
「あ、あいかでいいですよ〜、本名これなんで。しらすさんは?」
「僕は下の名前がれんだしれんくんとかれんとか、言いやすいやつでいいよ〜」
「れんって名前なんですか!しらすれん、かっこいい(笑)」
あいかは白須の目を見て言う。それは少し照れているようで可愛かった。
たわいもない会話の中に安らぎを感じる。子供の頃から狭いところが好きで、よく押し入れの中に基地を作っていたが、その時のように、型の中に自身の体がスポッと綺麗にハマるような感覚に似ている。
しかし、今の彼女は知らない男と横で歩くように作られたキャラクターなのだろう。一夜の関係なのだからそれで十分だと思う反面、本当の彼女を知りたいと心が疼く自分もいた。
「明日もバイトですか?もし良かったら一緒にお酒飲みたいんですけど、、」
よく行くコンビニが近くなった時、あいかから切り出してきた。もちろん飲むに決まっている。
「そうだね、家ここから近いし、コンビニで買ってから行こうか」
「なんか慣れてますね(笑)」
「それはこっちのセリフ(笑)」
この後の展開は、二人とも分かっている。散歩という名目の演技を続けるのはこれ以上必要ない。
コンビニで5%と3%のチューハイを計四本買った。支払いはもちろん白須だ。
気持ちが焦るせいか、いつも歩いているコンビニから家への道が今日は長く感じた。
「お邪魔しまーす」
いつもは冷め切った室内だが今日は暖房を付けて出たため暖かい。
「お手洗いお借りしてもいいですか?」
「あー、どうぞ(笑)」
律儀に聞くところがやはり可愛い。
ここまでは予定通りだ。ここから先は考えなくても流れでベッドまでいける。白須の性欲の発散は確定していた。
トイレから戻ったあいかはカーペットの端に小さく座った。
「そんな気遣わなくてもいいよ(笑)」
「ありがとうございます(笑)」
「あと、一つしか違わないしタメ口でいい」
「分かった!」
「じゃあ飲もっか」
互いに選んだチューハイを開け乾杯する。あいかは女の子らしく両手で持った缶を口に運んだ後、一口飲んでテーブルに置いた。
「お酒弱いの?」
「普段あまり飲まないかな〜、飲んだとしても3%のチューハイで顔赤くなる」
「そっか、てか正直可愛すぎてびっくりした」
「ほんと?嬉しいな(笑)れんくんもかっこいい!多分モテてたんだろうな〜」
「いやそんなことない(笑)高校3年間彼女いなかったし」
「えー意外、社会人になってからは?」
「一人いたけどこないだ別れた」
「そーなんだ、なんで?」
「遠距離であまり会えなかったし、仕方ないかな(笑)」
「だからアプリ入れて毎晩女の子と遊んでんだ〜」
「いやアプリはさっき入れたんだよ」
「え!じゃあ私が始めて会う人?えー嬉しい〜」
「まさか今日会えるとは思わなかった(笑)」
敬語をやめて距離感が近くなったあいかは白須の隣に座る。会話中にあいかが飲むチューハイは、少しペースが早い気がした。
お酒の進むあいかは次第に頬を赤らめてニヤけるようになってきた。話していく中であいかがどんな子なのか少しずつ分かってきた。
田舎で育った彼女は勉強が苦手だった。大学受験は実家近くの大学を受けたが落ちてしまい、滑り止めで受けていた今の大学に受かったため実家を離れて来た。家族構成は、両親と弟が一人、弟は一つ下で来年同じ大学に通う予定らしい。かなりのブラコンで、写真フォルダには弟とのツーショットの思い出がぎっしり詰まっていた。弟とのシェアハウスを提案したが、アプリで人と会えなくなるから嫌だと言って拒否された。
そんな話をしていると二人とも一缶飲み干していた。新しいチューハイを取りに行こうと立つ時、あいかが先に「冷蔵庫開けまーす」と言って席を立ち取ってくれた。
酔いが回っているのか、一時間ほど前の彼女より大胆になっている気がする。白須は少し嬉しかった。
「かんぱ〜い」
あいかの音頭でもう一度缶を合わせる。
そろそろか、白須もほろ酔いになり、あいかに体を寄せる。
互いに見つめ合い室内は静寂、二人の息遣いだけが聞こえてくる。あいかはとろんとした目をしてこちらを見ている。
白須が顔を近付けるとあいかは目を瞑って待った。そのまま一度キスをして少し離す。あいかは抵抗しない。白須はもう止まらなかった。
あいかをカーペットに倒し、上になる状態で深いキスをする。白須は何も考えず、ただただその時性に身を委ねていた。
そこから数分間、二人は唇を重ね続けた。
あいかをカーペットからベッドへ導こうと体を離すと、あいかは白須の手を掴みそれを拒んだ。あいかは掴んだ白須の手を自身の首へと導き、目を瞑りながら言う。
「首絞めて」
予想していなかったあいかの言葉に白須は動揺する。
今、首絞めてって言ったのか?なんで。
白須はあいかの言葉を理解できなかった。
白須が何もしないでいると、あいかはこちらを見て、早くしてと催促してくる。
今は性行為よりも考える時間が欲しかった白須は、あいかの手を優しく解いて元の位置に座り直した。
「首絞められるのが好きなん?」
行為の途中で止められて焦ったそうな顔をしたあいかは、白須にもたれるようにして横に座る。
「うん、あと喉の奥まで無理矢理入れられるのも好きだな〜、あとおしっこかけられるのも好きだよ!」
白須の問いに対するあいかの回答は予想を遥かに超えていた。「あいか」という人物の本性が少しずつ分かってきた気がする。
「昨日も実は二十八歳の人と会ってたんだけど、その人は煙草吸いながら喉の奥まで入れてきて、ほんとに興奮したな〜(笑)なんか放置されてる感が好きなんだよね〜」
酔いが回ってきたあいかは、明らかに会った時より本性が出てきている。思えば最初からおかしかった。
少ししかメッセージのやり取りをしていない男とあの時間から会うなんて。今夜飲むのも彼女から誘ってきた。怖くなかったのだろうか。
思い返したあいかの行動や言葉が白須をある一つの事実に近付けていく。
「もしかして、あいかってドM?」
「うーん、それはよく言われるな(笑)」
白須は確信した。
こいつドMだ。それもここまで芯の通ったドMは初めてだ。こいつはただヤりたくて夜遅くに誘ってきたんじゃない。ヤりたいだけでも、相手がどんな男かある程度分からないうちは警戒して誘ってこないはずだ。こいつは、あいかは相手が何をしてきても、その状況に身を置いている自分に興奮するドMなんだ。なんて危なっかしい女なんだ。
「ねぇ、続きしようよ〜」
状況を整理し、「あいか」について分析し終えた白須はここからどうしようか迷った。相手が生粋のドM性癖を持っていることは分かった。問題はその上で白須があいかの要望に応えられるかどうかだ。これまで相手にしたことのないタイプの女にどう立ち回るのが正解なのか、白須は考えようとした。
しかし、あいかはその隙を与えようとしない。両手で白須の顔を自分に向けさせ、半ば強引にキスをしてくる。その唇とあいか自身から漂う甘い香りに白須の思考は停止し、下半身も反応した。
どうにでもなれ。
あいかをベッドに乗せ、マウントポジションを取り、キスを交わしながら陰部に触れる。興奮していたあいかは既に濡れていた。
先程と同様に、あいかは白須の空いた片手を取り自身の首へ差し向ける。白須がそっと力を込めると、あいかは全身で感じ始める。電気を流されたように細かく痙攣しているその姿に白須は少しの興奮と不安を覚えた。
互いに服を脱がせ合い、またキスをする。そして首を絞める。料理の過程の中に、いつもとは違う異物が混ざるような感覚になる。
あいかは白須の首絞めが物足りないのか、白須の手から更に自身の手を被せて力を込める。その強さに白須は思わず強引に手を離した。
「なんで、もっと絞めて」
やはり最初にやめておくべきだった。性を感じるためなのか、人を殺めるためなのか力の境目が分からない。不安要素しかないのだ。
考えている間に、あいかは自分で首を絞め始めた。あいかが自慰で感じている姿を目の前にして白須は戸惑う。
「殺して、嫌だ」
ドM性癖もここまでくれば怖い。何か、白須のまだ知り得ていない「あいか」がいるのか。
「ごめん、トイレ行ってくる。」
一度離れたかった白須は部屋を出た。
トイレでこの後の正解を考える。しかし、何も思いつかない。
なんで自分は深夜にこんな悩んでいるんだ。下半身は既に萎えているし、戻っても続きはできそうにない。まず会った時点で間違っていたのか。
考えているこの間にも、あいかは自分のベッドで自慰をしていると考えると少し腹が立ってきた。
そう、あいかは自分のドM性癖で今夜の性欲を満たそうとしている。ならば自分のしたいことをしよう。自分も自分のことだけを考えよう。
白須は結論を出し、トイレからスッキリした顔で出た。
白須が部屋へ戻ると、あいかはベッド上でスマホを触っていた。ブルーライトに照らされて見えるその横顔はやはり可愛かった。
白須がベッドの端に座ると、あいかはスマホを置いてこちらに寄ってきた。
「さっき嫌だとか言ってたのは、なんかあったの?」
「いや、れんくんのことじゃなくて、別に大したことないんだけど、、」
「いいよ、聞きたい」
白須がしたいこと、それはあいかと話すことだった。性欲が無くなり、「あいか」という人物についてただ知りたくなった。
「んー、。」
あいかは少し悩んでいたが、白須の目を見て少し真面目な顔つきになり話し始めた。
「れんくん、アプリ入れたの今日でしょ?実は私もアプリ入れてそんなに経ってないんだ。最初はなんとなく夜寂しいなって思って入れたんだけど、最初に会った人が29歳の人ですごいS気質持ってたの。それで色々されるうちに自分が興奮してるのに気付いて、それで自分ってドMなんだって自覚した(笑)けど今までずっとそれなりに真面目なキャラで生きてきて今も大学ではそうで、それで夜になったら反動でこんなになっちゃうんだよね〜。なんか夜の間は非日常でいれるっていうか、すごく居心地いいんだよね。」
「確かに居心地良さそうな顔はしてた(笑)」
「もー恥ずかしい(笑)最近自分がどうなっていくのか分かんなくて悩むっていうか、昼と夜どっちの自分がいいんだろうって思ってて。でも大学の友達にはこんな悩み話せないし、かと言ってアプリで会う人にも悩んでること話したら冷めちゃうだろうなって思って言えなくて、、。なんか、自分の生き方が分かんない。好きなことして生きればいいって誰か言ってたけど、好きってなんなんだろうね(笑)色んな事とか人に対する好きが分からないんだ〜」
あいかの悩みを白須は黙って、時々相槌を打ちながら聞いていた。
好きってなんなんだろう。それは白須がいつも考えていた事だ。好きなことをして生きていこうと警察を辞めたが、一年経っても自分の好きなことが分からない。子供は好きでもそこから好きな職業に結び付かない。好きだけでは生きていけない。元カノには、そんな事を考えている時に振られたからすぐに受け入れたし、その後も悲しくはなかった。だから本当に自分が好きだったのかも分からない。
「僕も分かんないな〜、確かに好きってなんなんだろうね。ずっと考えても思い付かない(笑)そもそも好きなことって思いつく事なのかな。好きって、一緒にいたりずっと一つのことをしていてだんだん芽生えてくるものなのか、それとも突然好きって思ってしまう事なのか、考えても分かんないんだ。だから好きとは何かっていう事に対して僕は何も言えない(笑)けど、さっきあいかが言ってたどっちの自分がいいんだろうってのは、昼も夜もどっちもあいかじゃんって思った(笑)誰でも隠してる事とか言いたくないことはあるだろうし、真面目なあいかもドM気質のあいかもどっちもあいかなんだからさ、無理に一つに絞って生きていこうとしたらすごいしんどくなると思う。僕も他の人も裏表はあるし、一つにすることなんてできないよ(笑)ごめん、なんか真面目ぶって言ってた(笑)」
白須の言葉を、あいかも時々相槌を打ちながら聞いている。白須はあいかに聞いて欲しかったわけではなく、単純に思った事を言った。
「れんくんって何か不思議だね(笑)さっきまで他のアプリの人と変わらない人だと思ってたら私の話ちゃんと聞いてくれるし、それがれんくんの裏と表ってこと?」
「不思議は初めて言われた(笑)裏と表っていうか、あいか見てたらヤりたいよりも話したいの方が強くなったかな。あとドM過ぎて正直手に負えない(笑)」
「それ失礼じゃない?(笑)良い人なんだね」
「いや騙されるな(笑)実はそんな深いこと考えずにまたヤる方向に持っていこうとしてるだけかもしれんぞ(笑)」
「でも勃ってないじゃん(笑)」
「あ、(笑)」
話していて居心地が良い。
あいかも白須も、最初に作ったキャラクターの着ぐるみはどこかで脱いで捨てていた。
「ていうかもう三時じゃん!明日バイトだるいな〜」
「え、もうそんな時間、?ヤらずにこの時間まで起きてるの初めてだよ(笑)」
「そんなこといいからこれ着な、今日泊まるでしょ?」
「ありがとう!この服かわいいね!れんくん匂いする」
「あんま嗅ぐな恥ずかしい(笑)」
あいかに服を着せ、白須もベッドに入る。
男女が横になるのに、シングルベッドは少し小さく感じた。
「ベッド小さいな」と白須が笑うと、「こうすればいいんだよ」とあいかが白須の上に乗ってハグをする。
「私、ハグが好きなんだよね〜、ハグしてる時心臓の音聞いてすごく落ち着く」
また新しいあいかを知れた。
あいかにも自分を知って欲しくて、もっとこの音を聞いて欲しくて、白須はあいかの背中に回した手に優しく力を入れて抱いた。
その夜、二人は抱き合って眠った。互いが抱える「何か」を互いで支え合うように、傷を舐め合うように。
雪は明け方には降り止んでいたが、凍結した道路は昨日より滑りやすく、酷くなっていた。
結局その日、白須は二十分の遅刻をした。二日連続ということもあり館長にはそれなりに怒られたが、昨日の夜を思い出すと満たされた感覚になり、叱責は右耳から左耳へ流れていった。




