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最後に戻ってきたのは、やはり全ての始まりの場所、メアちゃん家の裏庭だった。外に吹きすさぶ冷気も、出歩くうちにすっかり慣れていた。
「ここに戻ってきたということはつまり……推理は終わったと見ていいのかしら?」
「推理だなんてとんでもない。確かなことは言えそうにないよ」
「あら、臆することはないのよ、ゆめ。私は純粋に、あんたが今日これまで見てきた景色たちを、どう分析したかに興味があるだけだから」
嬉しい台詞だ。メアちゃんはハードルを低くして、あたしを勇気づけてくれている。きっとそれは「友情」って呼んでもいいもの。
心温かい気持ちになりながら、あたしはメアちゃんに背を向けて、物置の戸を全開にする。寒空の中心で輝く陽の光が、ぱぁっと暗闇に差し込んで、雑然とした物置の中央を今なお陣取る〝身元不明棚〟を照らし出した。
あたしは深呼吸して、寒い空気をたくさん吸い込む。
もとよりあたしは、真実の追及なんかに興味はない。なら、これから話すのは、単に親友を楽しませるためだけの、〝壮大な〟仮説の話であるべきだろう。
「――メアちゃん、結論から言うよ。この戸棚は、この家が建つ前からあったんだ」
口火を切った一言に、メアちゃんは予想通り首をかしげた。
「それは最初に否定したでしょう、家具が家より前にあるなんて間抜けな話よ」
「ごめん、あたしの言い方が悪かったかな。……正確には、この戸棚だけじゃなく、この『物置自体が』この家が建つ前からあったの」
あたしが言い放った大言壮語に、メアちゃんは苦笑する。
「ふふふ、それ、ジョークじゃないのよねぇ? あ、ちなみに言っておくと、ここら辺一帯はもともとただの野原よ。戦後の土地開発で、切り拓いたばかりの土地なのよ」
「その、ただの野原に、何よりも先にこの物置だけがあったんだよ」
「だから、なんでそんなことが起きるのかって、聞いてるんだけれど」
半ば腹を立てて――とまではいかないけど、じれったそうに続きをうながすメアちゃんに対し、あたしはついに決定的なフレーズを口にする。
「それは、『疎開』のため」
「……ゆめ、それは」
疎開。その強烈なワンフレ―ズで、メアちゃんもあたしの推理の背景を読み取ってくれたらしい。顔色が変わった。
物置の中に一歩足を踏み入れたあたしは、戸棚の側面に手をやりながら、物置の外側に立つメアちゃんを振り返る。
「この戸棚は……いや、『ここにあるもの全部』が、四十年前の第二次世界大戦を避けて、都心部からここに運ばれて来たんだよ!」
その声は、高台にある土地から麓に向かって、驚くほどよく響き渡った。あたしの演説を遮る雑音は、今はどこにもなかった。
唖然とした様子のメアちゃんに向かって、あたしは言葉を重ねる。
「戦時中は、攻撃の標的にされやすい都心部から、遠く離れた県に疎開するのが当たり前だった。――でも、あたしは考えた。疎開するのは、本当に『人間だけだったのか』って」
「この物置や戸棚は、都心部から疎開してきた家具だってわけ?」
「その通りだよ。だって大黒さんも言ってたよね? 『こんな立派な家財が、よくもあの大戦を生き残れたな』って」
あたしはさらに、戸棚上段の戸を軽く叩いてみせる。
「メアちゃん、この場所にあった物を思い出してみて? ここに入ってたレコード雑誌、それを収納するアンティークの食器棚、そして何より、この物置自体が、貴重な屋久杉でできたものだった」
「確かに全部、疎開させるだけの価値はある高級品だと言えるかもしれない。……でもゆめ、あんた重要なことを忘れてないかしら。私たちが住んでるのは、一応『都内』なのよ? そりゃあ、東京内では西の端っこだから、都心部よりはマシでしょうが、『疎開』と言うには、避難が甘すぎるんじゃないかしら」
筋の通った反論だったけれど、答えは用意していた。
「きっと、これだけ大物の財産を移動させるには、人手が足りなかったんだよ。あのレコード雑誌、発刊は終戦の二年前だった。その当時は、男子がみんな徴兵されて、爆撃もあって、道路だって破壊されて、すごく大変だった時期」
「そのせいで、ここまで家財を運び出すのが限界だったと?」
「あくまで予想だけどね。だけど当時は、家財を運び出したい人は大勢いただろうし、何より人の移動が優先。どんなお金持ちでも、こういう大物の家具を、はるばる別の県まで運び出すのは、至難の技だったと思うよ」
「なるほど、人手不足、ね」
メアちゃんは一度考え込んでから、また口を開く。
「でも、そこまで人手不足だったと言うのなら、ここまで運ぶのだって大変なんじゃないかしら? 戸棚の一つでさえ、大の大人が何人も必要なのに、いくつも家財を運び出すなんて、何十人と人手が必要でしょうに」
別の切り口の反対意見に、あたしはまた唇を動かす。
「そうだよ、だからスムーズに移動させるための『箱』を作った」
「まさか、それって……」
メアちゃんは両目を広げて、外から物置を見上げた。
「うん、それがこの物置ってわけ。まずは戸棚に雑誌を入れて、次にその戸棚を物置に入れて……って感じで、入れ子構造で全部物置に放り込んでから、『箱』となる物置をトラックで運び出す。こんな風にすれば、何十人といなくても輸送して来られるはずだよ」
「考えたわね。悔しいけど、あんたの言うことを採用すれば、この物置の造りを『雑』だと言った店主の言い分もわかるわね。だってこの物置は、中身を運びやすくするためのただの箱だったんだもの。完成度にこだわるはずがないわ」
「そうそう! それに、材料に屋久杉を使った説明だってつくよ。きっと持ち主さんは、林業か家具屋なんかを営んでいて、もとから高級な木材として屋久杉を持ってたんだ。だから、わざわざそれを使って、箱となる物置を作り上げた」
「貴重な材木も運び出せて、一石二鳥という理屈ね。輸送した後で、バラしてしまえば、再利用できるものね。戦禍が収まるまでは、普通に物置として使えばいいわけだし」
いつしか前のめりになっているメアちゃんを見て、あたしはそろそろ話をまとめにかかる。
「戸棚の持ち主だった誰さんは、そういうわけで、郊外の未開の土地に、ひっそりと物置を……いいや、『宝箱』を置いてきたんだ。いつかその宝箱の中身を、取り戻す日が来ると信じて」
見ず知らずの「誰か」の人生を、あたしは勝手になぞり、追想していく。
「でも、その誰かさんが、戸棚を含めたもろもろを取りに来ることは、結局なかった。そうして戦後、ここら辺一帯は開発で切り開かれて、謎の物置だけが壊されずに残った」
「そこに後から建設されたのが、うちだったというわけね。……便利な物置付きの、新築住宅として」
もちろん、こんなものはただの仮説。確たる証拠もない、妄想だとよくわかっていた。でも話しているうち、あたしは少しだけ、暗い気持ちになってしまう。
「持ち主さんが物置を回収に来なかったのは、たぶん戦争で――」
「忘れてしまったのよ」
「えっ?」
「戦後は動乱期よ、きっとその誰かさんってのは、私や私の家族みたく忘れっぽい性格だったから、時代のうねりの中で物置のことなんて忘れ去ってしまったに違いないわ。それか、『スモール・マニア』にでも転向して、巨大な物置への興味を失ったか」
正月の青空は、雲ひとつない。憎いほどの直射日光が照らす光の世界に、誰よりも優しい彼女が立ってる。
「ありがとうね、ゆめ。これで戸棚の謎は解かれたわ」
「そんな言葉、とても受け取れないよ。これは全部あたしの想像。それに、あたしの予想が全部正しかったとしても、結局持ち主なんてわからないわけだし」
「いいの。それにあんただって、知ってるでしょう?」
お昼の時刻へとなだれ込んで行く、止めることのできない一瞬の中心で、あたしの天使は微笑んでいた。
「私はね、大きい物が好きなのよ。あんたのおかげで、あの戸棚の物語は、もとよりずっと大きく、素敵なものに変わってくれた。だから私は、それで満足。きっと全ての真実を教えられるより、ずっと満足なのよ」
メアちゃんはあたしの手を取って、物置の影から連れ出した。
「さてと、そろそろお昼だから、大掃除も終わっている頃でしょう。というか、そうでなくては困るわ」
「このままだと、ゴミ屋敷へまっしぐらって話だもんね」
「お昼、食べていくでしょう?」
「ぜひともだよ!」
物置の戸を閉めて、あたしはその場を後にする。閉じられていく引き戸の向こうに、確かに実在する、身元ある食器棚の姿を目に焼きつけてから。
あの棚が、これから大掃除に巻き込まれ、粗大ごみにされることは、きっとないだろう。
(終)