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メアちゃん家は、あたしの実家から二十分ほどの場所にある。でも、元陸上部のあたしにかかれば、ひとっ走りの十分そこらでたどり着く。
大通りを駆け抜けて、レコード屋の角を曲がり、ハンバーガーショップを横切ったあたりで、メアちゃんのお家の外観が見えてきた。築八十年、木造建築丸出しのあたしの実家と違って、彼女のおうちはとっても可愛らしい。表面が波打つように削られた石材の壁に四方を囲まれた、二階建ての近代住宅だ。このあたりを埋める住宅街の中でも、やや小高く突き出た紫色の平屋根が、遠方からでもすぐわかる。
「結城」と書かれた表札の前に、お目当ての彼女、メアちゃんが立っているのが見えた。
「あ、メアちゃーん! ……うわっ!?」
嬉しくなって、すぐに駆け寄ろうとすると、閑静な一帯を横切る生活道路から、荷台を満載にした軽トラックがぬっと顔を出して、あたしの鼻先を通り抜けていった。危ないなぁもう。
今度はよく注意して、細い道路を手を挙げて進む。危うくここを横断する前に、三途の川を渡るところだった。新年から幸先不安な展開だけど、道路を無事に渡りきり、目的地に着いてみれば、そこには天使が待っていた。
外界と家との境界、西洋風の黒い正面ゲートを背負って、結城芽亜里ちゃんは待っていた。くるぶしすら見えないロングスカートに、ブーツを履いて足元を固め、真っ白な厚手セーターの上からカーディガンを羽織っている。軒先だというのに、防寒ぶりにスキはなく、しっかりと巻き付けた紫紺のマフラーの向こうに、彼女のトレードマークである、二つにより分けたおさげ髪の房が揺れているのが見えた。
「よく来たわね、ゆめ」
小ぶりな口元から発せられる言葉は、やや上空から聞こえてくる。あたしの背が低いということを差し引いても、彼女はかなり長身の部類に入る。こちらを見下ろす毅然とした眼差しを浴びているだけで、呪文にかけられたようにうっとりしてしまう。
メアちゃんは、脇腹に差し入れて温めていた細腕を取り出して、こちらを手招きする。
「ぼーっとしてないで、さっさとこっちに来なさいよ」
「あ、そうだね。お邪魔します」
うっすら積もった雪を踏みしめながら、小上がりになった段差を上がっていくと、メアちゃんが後ろ手にゲートを開いてくれた。
「いらっしゃいませ」
「来るの久しぶりだから、なんか背筋が伸びちゃうなぁ」
「恋人の実家じゃあるまいし、何を緊張してるのよ」
「え、あたしたちって、その……〝あま~い〟関係だよね?」
「うふふ、お生憎さま。私と〝あま~く〟なれるのは、あたしを見下ろせるくらい『大きな』紳士淑女の方のみよ……おチビさん?」
「正月早々にフられたぁ!」
あたしは崖から滑落したような気分になった。
実は、メアちゃんには、大きな物を偏愛し、蒐集するのが趣味という尖りすぎた特徴がある。そのため彼女を知る人からは、畏怖を込めて『ビッグ・マニア』と呼ばれている。
肩を落とすあたしを後目に、メアちゃんはどこからか、大きな布を取り出してきて、ばっと左右に広げて見せた。
『大漁』
丈夫そうな布の中央には、力強い二文字が印刷され、鯛や鰹が怖いくらいギョロギョロの目を光らせながら、海面に跳ねている絵が描かれていた。
「何これ……?」
「何って、私がマフラーにしていた大漁旗よ。あんたにはこれくらい、衝撃的で存在感のある人間になって欲しいと思って、見せてあげたの」
「うん、マフラーの件は聞かなかったことにするよ。でも、いつもいつも、一体どこからこんなもの入手してくるの?」
「こういう巨大なグッズは、全て父から譲ってもらっているわ。私の父、貿易業やってるから」
「説明になってないよ! 貿易やってるから何? 取引相手に貰ったってこと? 取引先って漁師さん? 大漁旗を取引する貿易業って何!?!?」
「勝手にわめいてなさいな」
玄関口で金切り声を上げるあたしを見事に無視して、メアちゃんは大漁旗を小脇に抱え、入り口のゲートを閉ざしに行った。ガチャンと音がした。
「――まぁ、とにかく私は、こうして大きな物を愛しているのだけれど」
あたしの方へ振り向きながら、脈略もなくメアちゃんが口を開く。
「今日あんたを呼んだのはね、そのあたしからしても大き過ぎる『難題』を、一つ解決して欲しいと思ったからなのよ」
結城家の玄関口をくぐると、中はえらく大騒動だった。家中の窓や戸が全開にされ、肌寒い冷気が通行する真っ只中を、メアちゃんのお父さんとお母さんが「忙しい、忙しい」とつぶやきながら、駆け回っていた。
「メアちゃん、この騒ぎは一体……?」
「大掃除よ」
「もう年明けたよ」
「あたしの一家、みーんな後回しにする性格なのよ。……私も含めてだけど」
恥ずかしそうにつぶやいてから、メアちゃんはずんずん家の奥へとあたしを導いた。途中で何度かご両親にすれ違って、「あけまして……」とくり出したあたしだが、「……おめでとうございます」まで言う暇もなく、二人ともダッシュで走り去ってしまった。
「二人とも、午後から普通に仕事で、それからは来週までみっちりなのよ。だからこの午前中に大掃除が終わらなければ、うちはゴミ屋敷になることが決定するの」
メアちゃんは他人事のように解説した。
最終的に、あたしが連れ出されたのは、結城家の裏庭だった。リビングを抜けた先に裏口があり、そこから開けた庭に出られるようになっていた。
ここ最近の寒気にすっかり試されてしまって、広々とした裏庭には雑草一つすら生えておらず、ただの空き地といった感じだった。
しかし一点、裏庭の奥に、大きな木製の物置が鎮座していた。やたらと木目の主張が強い素材で組まれた、シンプルな構造の物置だった。
メアちゃんは、裏庭に出ると、真っ直ぐそちらの方へと歩いていった。
「この物置はね、うちができた当時からあったらしいの。立派で、力強くて、惚れ惚れするでしょう?」
「うん、ところどころ木目が浮き出てて、盆栽みたい」
「あんたらしい稚拙な表現ね、そういうところは好きよ。確か材質は……杉、だったかしら。――でね、私たちズボラ家族が、総出になってゴミを溜め込んでは、こちらの立派な物置に〝投げ込んで〟いった結果、ついに大容量も限界を迎えたらしいわ」
「前に来たときも、メアちゃん家、家の中はゴミ一つなかったもんね。そっか、だから今になって、物置の在庫処分してるってことか」
「ええ、知り合いの粗大ごみ処理業者を呼んで、早朝から軽トラックで運び出してもらっているところよ」
「あ『軽トラ』って、あたしが轢かれかけたやつそれかぁ!」
思わぬところで点と点が繋がった。さっき出会った荷物満載の軽トラは、どうやらこの物置からやってきたらしい。
謎が一つほどけたところで、あたしは本題に移る。
「もしかして、この物置が、メアちゃんが言ってた『難題』ってやつ?」
「違うわ。問題はこの物置の、中身のほうなのよ」
メアちゃんは物置に近寄っていくと、両開きになっている引き戸の片方に手をかける。分厚い衣服の内側から、雪のように白い指先がちょこんと飛び出て、焦げ茶色のいい色合いになった木戸の取っ手を開け放つ。
開放された物置の中から、ふわっと、香ばしい木の香りがした。中は影になっていた。
「入ってみて」
言われるがままにすると、すぐに膝頭が何かにぶつかった。
「イテ」
「だいぶ片したけれど、中はいまだ無政府状態だから気をつけてね、ゆめ」
「暗くてなんも見えませぇん」
「安心して、〝ブツ〟は一番手近なところにあるわ」
メアちゃんはあたしのために、引き戸をさらに開いてくれた。じりじりと、外から差し込む光線の帯が広がって、電灯のように内部を照らし出す。
こりゃありがたいと、さっそく正面を確かめてみたあたしは、ちょっと息を飲んだ。
「うわぁ、キレイな『戸棚』……」
他にもたくさん物があったけど、一目でそれが、この空間の「主役」だとわかった。
足元にあったのは、木製の戸棚だった。西洋風に言うなら『キャビネット』というやつだろうか。四本の飾り足のついた、長方形に直立した戸棚であった。下から三分の二ほどまでが、縦長のガラス戸がついた収納で、上部は正方形の木戸がついた物入れになっている。
相当な年代物と見えて、あたしのセンスからすると少々デザインが野暮ったく見えるし、埃も被っていたけれど、それでも本来の良さは失われない。
「すごいよメアちゃん、今までこんな高級そうな戸棚を置きっぱなしにしてたなんて。材質だって、相当いいやつでしょ。この木、バーナーで炙ったみたいに、いい色出てますよぉ!」
「どこ目線よあんた。それに私にだって、その戸棚の価値くらいわかるわ。親に『物置を整理するから、粗大ごみを運び出しなさい』と押し付けられて、さっき初めて見た瞬間からメロメロよ。――たくましい立脚、浅黒い作り、まるでアフリカ先住民の戦士といったところね。愛せるわ~」
「うわあ、いつになく饒舌だぁ」
戸棚の存在感にラブがほとばしるメアちゃんを見て、相手は物言わぬ家財道具だというのに、なんだか対抗心が湧いてきた。悔しい。
だがあたしは、メアちゃんのセリフに気になるところを発見する。
「あれ、でも『さっき初めて見た』ってことは、今日までこれがあること知らなかったんだね。ビッグ・マニアのメアちゃんにしては珍しい」
「そうなのよねぇ」
あたしの指摘に、物置の外に立っていたメアちゃんがうなずく。それだけでなく、寒気に白けた唇の端を上げて、にやりと、意味有りげな表情を滲ませる。
「その戸棚、ろくに教養のないあんたでもわかるくらい、素晴らしい逸品でしょう」
「一言余計だけど、そうだね。家具屋さんにあったら、きっと目玉が飛び出ちゃうような値札がかかってるだろうね」
「ええ、その通り。でもその戸棚……〝身元不明の棚〟なのよ」
「へぇっ?」
自分でも驚くくらい、間抜けな音が口から飛び出た。
「〝身元不明の棚〟って、どういう意味?」
「ふふ、実はその棚の存在を、私も、私の両親も、今日この日まで『知らなかった』のよ。不思議でしょう?」
「ええ!?」
これにはかなり面食らった。鏡で見たら、きっとあたしは鳩が豆鉄砲くらったような表情をしていただろう。
「この家って、メアちゃんと、お父さんと、お母さんの、三人暮らしだよね?」
「そうね」
「なら、この物置にある物っていうのは……」
「当然、家の誰かが持ち込んだ物、ということになるわ。もし仮に、祖父母の実家から持ち込んだ家具があったとしても、両親のどちらかは知っているはず」
「なのに、この戸棚のことだけは、誰も知らなかったの?」
「そうよ。だからその棚は、いつの間にかうちの物置に『紛れ込んだ』ということになる。途中で買ったということもなく、祖父母から受け継いだということもなく、まったく別のルートから、この戸棚はやって来た」
澄ました顔で、メアちゃんは息をつく。それは白い煙となって、物置の天井に吸い込まれていく。
あたしはやっと、ここに呼び出された目的が見えてきた。これより彼女の口から発せられる言葉こそが、あたしに解決して欲しいらしい「難題」ということになるんだろう。
結城芽亜里は、あたしの瞳を、試すように覗き込んだ。
「あんたの、ときどき妙に鋭い一面を見込んで、お願いしたいのよ。……この〝身元不明の戸棚〟の正体を、解き明かしてくれないかしら?」
……あーあ、やっぱりそうきたか。こうやってメアちゃんに上目遣いで頼まれたら、どんな難題でも、あたしが断れるはずがない。それを、この娘はわかってやっている。
でもね、あたしだって知っている。ずるくて、計算高くて、大きいものが大好きで、そして口が裂けてでも「ゆめにしか頼れないの」なんて、素直に白状できないのがこのカワイ子ちゃんなんですよ。そうなんですよ。
あたしは理解ある親友として、彼女の依頼にうなずいてみせた。
「よーし、わかった。一緒に考えてしんぜよう! あたしが一緒に、この〝身元不明棚〟の出どころを、推理してあげちゃうよ」
「ふふ、本当にありがとうね、ゆめ。私が頼れるのって、結局あんただけだから」
――えーっと。彼女、こういう素直な日もあります。稀に。