Ⅲ.侵略
軈て、大和と伊勢の国境が曖昧になり、天照が我が物顔で大和を出入する様になった頃。宮で彼女が帰って来るのを待っていると、ばたばたと騒がしい音が聞え、春日丸は襖に駆け寄った。
霊力を弱める事で“ともだち”が出来るのかといえば、そうではなかった。久久に外へ出て大和の地を歩いてみると、殆どの子が天照の“ともだち”で、彼女と同じ程度の力を持つかれを子供達は較べるのである。溌溂として手品の様に力を披露する天照の虜になり、他者を如何しても信ずる事の出来ない春日丸は彼女の様に振舞う事は叶わなかった。かれはまさに天照の影になったのだ。
太陽の如くきらきらと耀く天照は、今日も変らず己と接して呉れる。日光を渇望する植物の様に、春日丸は彼女の帰りを待っていた。
『天照?』
相変らずおきゃんで賑やかな娘だなぁ。そう思いつつ襖を開くと
『・・・・・・!?』
―――廊下の真中に、見慣れぬ小さな子供がうずくまっている。
『・・・・・・』
・・・・・・子供は、泣きもせず喚きもしないで、身体を起し、ぼぅと此方を見つめた。人形みたいに精巧で整った貌は良い意味でも悪い意味でも生きている様には感じられない。子供は大きい頭を斜めに大きく傾ける。真直ぐな長い髪が胸の前に落ちてきて床を滑った。
『こんにちは』
ゆっくり、はきはき、丁寧に造り物の様なその子供は春日丸に挨拶をする。
春日丸が何も反応できず立ち尽していると、廊下の向うが叉騒がしくなり、軈て天照の姿が視界に入った。
『月夜見!』
天照は子供の名らしき言葉を叫んで滑る様に走って来る。あねうえ。子供は天照の方を見、冷静だが舌足らずな口調で返した。
『いやーん!待たせてごめんね、月夜見!』
天照は足を止める気配も無く子供の許へ飛び込み、頬を寄せてぎゅうぎゅうと抱しめる。子供はおとなしく抱かれているが、表情は子供らしくない迷惑極り無さそうな感情が滲み出ている。
『ただいま、春日丸!』
天照は子供を抱え立ち上がる。状況がいまいち呑み込めていずに呆然としている春日丸に、構わず子供を擦り寄せると
『紹介するわね。之が私の弟・月夜見。女の子みたいに可愛らしいでしょう。でも、男の子なの。将来が楽しみよね♪』
と云って、一回転して嬉しそうに春日丸に見せびらかした。
『・・・お、弟?』
『そう。―――こっちに来て、春日丸』
天照は片手で春日丸の手を引き、回廊から見える外の景色をその指で差した。指で導かれる侭に、春日丸は奈良の北東の方を見る。
『―――宮―――・・・?』
春日丸は怪訝に訊いた。この板蓋宮と同じ造りの宮が、山代の方面に出来ている。
『新しくつくっちゃった、お宮。あの宮を月夜見にプレゼントしようと思って』
『ぷれぜんとって・・・』
春日丸は声を詰らせた。あの地域は互いの陣地を決定する時に対象としていない場処だ。詰り、どちらの土地でもないのである。
『今日、月夜見の誕生日なの。春日丸からも、何かプレゼントしてあげて呉れない?』
天照が期待を込めた視線で春日丸を見る。春日丸は彼女の視線を努めて無視し、漸く口を開いた。新しい宮の経つ地域―――現在で謂う処の京都府南部は、他に誰かが治めているのではないかと。
『・・・・・・僕等の陣地、大和と伊勢の二つじゃなかったかい?』
『・・・ええ、でも其はだいぶ昔の話よ。私も畿内へ来てだいぶ経つから、お友達も沢山できて宮も置かせて貰える様になったの』
―――おともだち?春日丸はよく理解できず首を傾げた。ならば、京都の者達も伊勢へ出入しているという事だろうか。
抑抑、ともだちとはそういうものなのか?
『私も月夜見の姉だから―――・・・月夜見を近くに住まわせたいな、って思って』
そうしみじみと語り、天照はにっこりと両瞼を閉じて微笑む。(しか)併し、すぐ再び開いた眼で視る春日丸への眼差しは、とても冷酷だった。
『良いわよね?―――カスガマル』
―――・・・っ!?今回は明瞭と感じた。名を呼ばれた途端、ドクッと心の臓が高鳴り、胸が苦しくなる。手足の自由が利かなくなり、抗う事が出来ない。之迄も名を呼ばれる度、似た様な感覚を受けていたが、その比ではない苦痛とむず痒さ、そして、衝動。
手が勝手に己が白無垢の胸倉をまさぐる。
『・・・・・っ・君・は・・・・・・っ!』
ぐぐっ・・・―――胸倉を分け入って、指が、未だ中性的な胸を抉る。痛みに春日丸は顔を歪めるも、己が手は動きを止めて呉れない。春日丸は漸く悟った。己が今迄感じていたもの。天照に逆らえない理由。天照が霊力を受け取った所以と、霊力を譲渡した事に因る世界の均衡の崩れを。
―――春日丸(地球)は今、天照(火星)の力に遙か及ばない。
『―――月夜見はその諱の通り、夜の食国を知らせる神。要らないのだったら、貴方の“月を随える力”を、月夜見に総て頂戴』
太陽を取り込み土地を支配する力と、月を随え刻を操る力。そのどちらも、元来は地球の守護神が有していた力であった。
ここにて陽と陰とに別け、昼と夜に別れ、そして―――太陽と月・我等が地球は火星から来た植民者の手に渡る。
『・・・・・・・・・っ』
急激な霊力の搾取に因って気を失っていた春日丸が目覚めた時、畿内は見渡す限り宮が建ち、あらゆる処から煙が揚り、豊かであった緑は凡て燃え尽され、代りに白く焼かれた炭の把が高高を積み重ねられて、其を、手枷足枷首枷を嵌められた天照の“おともだち”がたどたどしい足取で持ち運んでいた。
『―――!?』
春日丸は眼を見開いて、その場に立ち尽した。激しい後悔が春日丸の心を襲う。―――今になって漸く、春日丸は己が産れた使命と、己が其を果せなかった大きな代償を知った。
『次は筑紫島にしようと思うの』
春日丸はいつの間にか背後に佇んでいる天照を振り返った。筑紫島は九州の事である。天照は無邪気とは程遠い妖艶で邪悪な笑みを浮べ、植民計画の新たな候補地の話を春日丸に行なう。
『筑紫島は秦が眼をつけているとの話も聞くし、既に可也の文明が築かれている様よ。秦からの使者が拠点に固めて仕舞う前に、私達も早く筑紫島まで範囲を拡大しないと』
畿内は侵略されて仕舞った。守護神が余りに愚かで、幼かったが故に。諱を他者に知られる事の危険を知った時、抗う程の霊力を疾うに奪われていた春日丸は、天照の完全なる隷属となっていた。
『之からも宜しくね。―――カスガマル』




