再会
王宮への馬車はハイトマン子爵家が出してくれた。
バッヘム家に迎えに現れたダミアンは、背が高くなり、体つきも以前より一回り大きくなっていたが、面影は三年前とほぼ同じであった。
外見だけでは人となりはわからない。けれど……優しげな面立ちに、リーゼはほっとする。
「今夜はよろしくお願いします」
リーゼが頭を下げると、ダミアンも慌てて頭を下げた。
「あっ、こちらこそ……よろしくお願いします」
「妹のラウラです。はじめまして」
ラウラも丁寧に挨拶をしたのだが……リーゼは首を傾げる。
「ラウラ、あなたダミアンに会ったことあるでしょう?」
三年前会ったとき、ラウラも一緒にいたはずである。
「そうだったかしら。昔のことだから覚えていなくて」
妙に素っ気ない態度でラウラが言う。
「……どうかしたの? ラウラ」
「なんでもないわお姉様。早く行きましょう。夜会に遅れてしまうわ」
ラウラは薄く笑み、リーゼの腕を引っ張った。
馬車の中は、微妙な緊張感に包まれていた。
ラウラは愛想のよい子なのだが、なぜか今夜は不機嫌な雰囲気を醸し出している。
そしてダミアンもそんな妹が気になるのか、チラチラと怯えるようにラウラを見ていた。
以前ラウラには、新たな婚約者の人となりを見極めて欲しいと、お願いしていた。
ダミアンは優しげではあるが頼りなげで……姉の婚約者に相応しくないとでも思っているのだろうか。
確かめたいけれど、本人が目の前にいるのに訊ねるわけにもいかない。
態度の悪さを窘めるにしても、ダミアンと別れてからになるだろう。
このあと、ダミアンにはラウラのエスコートを任せていた。
大丈夫だろうか、と心配して、二人に話しかけてみるものの、成果はまるでなかった。
そうこうしているうちに、馬車は王宮へ着いた。
夜会の会場である大広間は、すでに大勢の紳士淑女で賑わっていた。
「ラウラ……大丈夫?」
「……ええ」
「ダミアン。ラウラのことよろしくお願いします」
「……はい。……行こう……行きましょう」
緊張しているのだろうか。
額に汗をかいているダミアンが、ぎこちなくラウラに手を差し出す。
ラウラは不機嫌顔で、ダミアンの手を取った。
そして歩きかけ、はっとしたように足を止める。
「お姉様はひとりで大丈夫?」
「平気よ。王家主催の夜会だもの」
社交界では未だに『ポイ捨て令嬢』と呼ばれ、嘲られているという。
二年ぶりの夜会である。久々に『ポイ捨て令嬢』を見た、と騒ぎ立てたい者もいるかもしれない。
しかし今夜は王家主催。それも、王太子の婚約者選びを兼ねているという噂もある夜会だ。
騒ぎを起こし、見咎められると王家の心証は悪くなる。
そんな危険性を犯してまで、リーゼに絡んでくる者はいないだろう。
「何かあったら、すぐに呼んでね」
まるで保護者のようなことを言い、ラウラはみなのダンスの輪に加わるため、広間の中心へと消えて行った。
一人取り残されたリーゼは、できるだけ目立たぬように壁際に立った。
他の紳士淑女に紛れてしまい、ラウラたちの姿は見えない。
(……悪い人ではなさそう……。伯爵家を継いでもらうには、少し心許ないけれど)
ガツガツやる気たっぷりな有能そうな男性でも、それはそれで家を乗っ取られそうで不安だ。
頼りないのは、父親で慣れているし、リーゼがしっかりすればよいだけだ。
(何より……優しそうだし)
厳つそうな体つきだけれど、目が細いのもあって、穏やかそうに見えた。
ラウラのことは気になるけれど、リーゼとしてはこのまま婚約し、結婚してもよい気がしてきた。
――つい最近まで、婚約や結婚など面倒だと思っていたのに。
ラウラのために、と婚約話を進めたのだけれど、本当は自分のためだったのだろうか。
強がっていたけれど本心では、誰かに想われたり、慕われたり……愛されたり。人恋しかったのかもしれない。
そんなことを、つらつらと考えていたリーゼは、近寄ってくる人影に気づかなかった。
「あらぁ……あなた。そのみっともない赤毛に、ダサい流行遅れのドレス。誰かと思ったら、リーゼさんではなくてぇ?」
茶色い髪をくるくる巻いて、派手な赤いリボンで装飾している。ドレスも鮮やかな深紅。
真っ赤な唇に、バサバサの睫……つけ睫だろうか。
声のした方を見ると、美人だが派手派手しい令嬢が立っていた。
一瞬誰かわからなかったが、声と内容で、ディータの妹コリンナ・メルクルだと気づく。
「もしかしてぇ~。あなたのような人が王太子殿下の婚約者を狙ってる? なぁ~んてことは、流石にないわよねぇ」
傍まで近づいてきたコリンナは、声を落とし、にんまりと笑んで言う。
――もしかして、あなたのような成金男爵家のご令嬢が、王太子妃になれると? そんな身分不相応なこと、流石に思っていないわよね。
喉元まで出かかった言葉を、リーゼは呑み込む。
それを言ってしまえば、目の前の人物は怒り狂うであろう。
晴れて社交界にデビューした妹の足を引っ張りたくない。
「デビュタントの妹の付き添いで来ただけです」
「ほんとうにぃ~、あなたって家柄だけはいいもの。期待しているんじゃないのぉ~」
コリンナと顔を合わせるのは二年ぶりだ。……こんなに鬱陶しかっただろうか。
以前よりも、鬱陶しくなっている気がする。
「そんなことありませんよ」
リーゼが素っ気なく答えると、コリンナはふんっ、と鼻を鳴らした。
「相変わらず、つまんない女ねぇ~、お兄様も別れて正解ねぇ~。知ってる? あなた未だにポイ捨て令嬢って呼ばれてるのよぉ~、ほら、あそこにいる人達もあなたを見て嗤ってる。よく顔を出せたわねってぇ」
目線で示した先には数人の令嬢がいた。彼女たちはこちらを見ながら、コソコソと話し合っている。
見覚えのある顔もあるが……今更、傷ついたりはしない。二年前、見切りをつけた感情だ。
「それともぉ~、妹さんのおこぼれでも貰うつもりぃ~? でもぉ~、姉の婚約者を寝取る妹なんて、殿下は選んだりなさらないわぁ。だって……自分の婚約者が寝取られたんですもの……」
リーゼの耳元に唇を寄せ、囁くようにコリンナが言った。
ラウラはリーゼの婚約者を寝取ったりなどしていない。
勝手にディータが懸想していただけだ。
流石に黙って聞いてはいられない、と口を開きかけたのだが――。
「コリンナ」
聞き覚えのある声がした。
王家主催で、大々的に開かれている夜会である。
コリンナだけでなく、きっと彼も参加しているだろうとは思っていた。
けれど人数も多いし、できることならば顔を合わせたくなかった。
かつての婚約者が不機嫌な顔をして、リーゼを睨みつけていた。