新たな婚約者
「相手はね、ダミアン・ハイトマンだ」
「ハイトマン……」
ハイトマン子爵は母の従兄弟だ。
幼い頃、母が亡くなったため交流はすっかりなくなっていたが、母方の祖父母の家に行った際に、何度か顔を合わせたことがあった。
ダミアンはリーゼと同い年。
最後に会ったのは、祖母が亡くなったとき。三年ほど前になる。
「ダミアンがね。君と結婚したいって」
ダミアンは王立学校を卒業し、今は兄の手伝いをしているらしい。
真面目な青年で、縁戚からの評判もよいという。
「なぜ私に? あちらの家の都合?」
伯爵位に興味があったなら、ディータとの婚約が駄目になった時に申し入れがあっただろう。
様子を見ていたのか、それとも家を継げない次男のことを案じているうちに、ふとリーゼの存在を思い出したのか。
リーゼが問うと、父は待ってましたとばかりに口を開いた。
「君のことがずっと好きだったみたいなんだ!」
「…………誰が?」
「ダミアンが! その話を聞いて、嬉しくてね。あの成金男爵子息のせいで、君の心は傷ついた。その傷を癒やすのは、本物の愛なんだよ」
目をキラキラさせ、いつになく父が興奮して言う。
しかし、リーゼの心は浮き立ったりはしない。
「好きって……ダミアンと会ったのは三年前よ」
それも挨拶だけだ。世間話すらしていない。
「きっと、どこかで見初められたんだよ」
マーサは膝が悪く、遠出がなかなかできない。そのため買い出しは家令が行ってくれているのだが、彼にも仕事がある。週の半分は、リーゼが買い出しの担当になっていた。
街へ行くこともあれば、王立図書館に出入りすることもある。
けれど――。
リーゼは自身の容姿を卑下はしていないが、自惚れてもいなかった。
ラウラならともかく、自分に一目惚れする者はいないと思う。
「いまいち……信用できないのだけれど……」
「君が人間不信になっているのはわかるけれど、弱気になっていたら、幸せは逃げていくからね。ダミアンの方がリーゼと結婚したい、って言ってるのは間違いないんだ。決して、悪い話ではないと私は思う」
親戚にあたるし、ハイトマン子爵家もバッヘム家ほどではないが、古くからある家柄だ。
婚約者として申し分はない。
それに……と、リーゼは三年前、会った少年のことを思い出す。
ダミアンは、がっしりとした体格で、優しげな面立ちをしていた。
見栄えがよく、人当たりのよいディータとは真逆な感じだった。
「それにね……姉である君が先に結婚相手を決めないと、ラウラも気をつかうだろう? そうだ! ラウラのデビュタントのエスコート役は、姉の婚約者ダミアンに任せるといい!」
「……勝手に決めないでったら」
はしゃいでいる父を呆れた目で見ながらも、確かに、父の言うことも一理あると思う。
リーゼが結婚相手を決めない限り、もし良縁に恵まれても、ラウラは頑なに断り続けそうな気がしていた。
二年前の出来事はリーゼだけでなく、ラウラにも傷を残していた。
***
父のしつこい勧めに根負けしたのもあるけれど――リーゼはダミアン・ハイトマンとの婚約を前向きに考えるようになった。
ディータとのことで面倒くさくはなっているものの、結婚願望も一応はあるのだ。……僅かだけれど。
それに、やはりラウラのことが気がかりだった。
もともと聞き分けのよい子だったけれど、時々は、無邪気な我が侭を言うこともあった。それが、あの事件以降、我が侭が全くなくなり、リーゼの言いつけに反抗することはもちろんのこと、何かを欲しがることすらなくなってしまった。
時折、リーゼに気をつかい、無理に明るく振る舞っているように見えることもある。
(……あの子のせいじゃないのに)
婚約破棄の件は気にしなくてもいいのよ、と何度がラウラに言ってはいる。
しかし、いくら言葉を重ねても、妹の態度は変わらなかった。
(私が婚約すれば、ラウラの気持ちも楽になるのかもしれない)
しかし、婚約するにしても、三年前に会ったときの印象だけで決めるのは軽率だ。
三年間で人が変わり、ディータのようになっている可能性もある。
リーゼは正式な婚約を結ぶ前に、一度、ダミアンと会うことにした。
いつにしようか考えていた頃――。
王宮で盛大な夜会が開かれることが決まった。
とある事情から、多くの未婚の令嬢、デビュタント達が参加するという。
「ラウラ。十日後にある王宮の夜会に、デビュタントとして参加しましょう」
リーゼの誘いに、ラウラは戸惑うような顔をする。
「……でも」
「私も一緒に行くから」
「お姉様が、エスコートしてくれるの?」
妹の無邪気な問いかけに、リーゼは微笑んだ。
「あなたのエスコート役は、私の婚約者に頼もうと思っているの」
「婚約者? お姉様の?」
「婚約者候補だけれどね。彼があなたの義兄として相応しいか、見極めてくれる?」
リーゼが頼むと、ラウラのエメラルドの双眸がぱっと明るく輝いた。
「もちろんよ! お姉様を幸せにしてくれる方なのかどうか、しっかり見極めるわ!」
このときを待ってました、とばかりに喜ばれ、リーゼは心の中で小さく息を吐く。
(やっぱり……ずっと、気にしていたのね)
リーゼはこの二年間、新たな出会いを求めるどころか、社交界から逃げていた。
そんな姉を、ラウラは案じていたのだろう。
ダミアンとの婚約は、姉妹にとって前に進む大事な一歩となる。
婚約を前向きに考えてよかった、とリーゼは思った。
そして後は……ダミアンが優しい人だったら、きっと上手くいく。
「ねえ、どんな方? どこで知り合ったの? お父様の紹介?」
矢継ぎ早に訊ねてくる妹に、リーゼはダミアンのことを話した。
よかった――、と。
そう呟いた妹の顔が一瞬、曇ったことに、リーゼは気づけなかった。