ポイ捨て令嬢になるまで3
リーゼは夕方になり帰宅した父と、再び相談する。
ラウラとの婚約は、当然、断ることとなった。
借金の件は、向こうの出方にもよるが、もしものときは家財を売って返すことにする。
『いざとなれば、借金をした原因の古文書を売り払えばいいんだし』
とリーゼが言うと、そうだね、と父は絶望に満ちた悲しい顔をして呟いた。
可哀想だが、仕方がないので諦めて欲しい。
ちょうど明日、二人が懇意にしている子爵家で、お茶会が予定されていた。
ディータもひとつ年下の妹と一緒に出席する予定だった。
そこでラウラのことを話しておき、後から正式に婚約の解消をすればよいだろう。
(この場合も、向こうの事情、になるのよね……もしかして、うちのせいになるのかしら)
明日の準備をしながら、ふと考え、不安になった。
そして――リーゼのこういうところが、ディータは嫌だったのだろう、と思う。
(理性的で。上から目線で窘めてばかり……素っ気ない……だったかしら)
あとは、ラウラの手紙に書いてあっただろう『悪口』だけれど、そちらは読んでいないので知らない。
婚約の解消を告げられたとき、呆然として涙を零し、ディータに縋り付いていたのなら。そんな性格ならば、妹に心が移ろったりは、しなかったのかもしれない。
ディータと婚約をしてからの四年間のことを思い出す。
短絡的なところもあったけれど、優しいところもあった。
彼の母や妹が、リーゼに対し失礼な態度を取ると、俺のリーゼを悪く言うな、と庇ってくれたりもした。
(誕生日には、毎年、プレゼントと一緒に、赤い薔薇の花束をくれていた……)
リーゼの髪の色をした赤い薔薇を……と思っていたのだけれど、ラウラにも同じものを用意していた。ディータにとって花といえば赤い薔薇で、特に深い意味はなかったのだろう。
思い返していると、このままディータと別れてしまってよいのか、と迷いが生じてくる。
やり直せないだろうか、ディータに頼んでみようかと思うけれど……仮にやり直せたところで、うまくはいかない気がした。
――自分、そしてバッヘム家にとって、よい縁組みだから、失うのが惜しい。
そういう打算的な気持ちを抱いてしまうリーゼのことが、ディータは嫌なのだろうから。
***
「ディータ、少しいいかしら」
子爵家に到着し、先に子爵令嬢に挨拶をすませていたリーゼは、門からディータが入ってくるのを見つけ、声をかけた。
隣には彼の妹であるコリンナの姿があった。
長い茶色の髪を綺麗に巻き、大きな青いリボンをつけている。
なぜか曇り空だというのに、レースがふんだんにあしらわれた日傘を手にしていた。
「なあに? お兄様に何かご用~? あなたってもう他人なのでしょう?」
コリンナが首を傾げ、ゆったりと笑んで言う。
二重で大きな瞳が印象的な可愛らしい顔をしているが、ラウラの方が可愛らしいし美しい。
「いや、他人になるわけではない。義姉になるんだ」
「ああ、そうだったわ……残念~。親戚になるのは変わりないのねぇ」
兄妹が見つめ合い、微笑み合っている。しかし残念ながら義姉にも親戚にもならない。
「そのことで……話したいことがあるの。ディータいいかしら」
「仕方ないな。わかった。コリンナ、先に行っていてくれ」
コリンナはリーゼを一瞥すると、つんと顎を上げて、お茶会の用意をしている庭の方へ歩いて行く。
「ラウラに話してくれたのか?」
コリンナの姿が見えなくなると、ディータが嬉しげに訊いてくる。
「……ええ」
「婚約のお祝いに、今度、贈り物をしよう。何がいいか訊ねないとな。お茶会の後に、君の家に行く」
ディータは断られるとは微塵も思っていないようだった。
「ディータ。申し訳ないのだけれど、ラウラとの婚約は無理よ」
「は?……なぜだ」
「……あの子、実は……父がすでに婚約者を決めていたらしいの」
嘘である。
姉の悪口を言う人など嫌。というラウラの言葉を正直に伝えるわけにはいかない。今朝、穏便に断る理由を、父と二人で考えた。
「一体誰だ。その婚約者というのはっ」
「まだ正式ではなくて、内々で決めていることだから。相手もあることだし、言えないの。……ラウラのことを想っているなら、身を引いてあげて」
顔を険しくさせ怒っているディータを、リーゼは宥める。
しかしディータは納得できないようだった。
「君がその相手と婚約すればいいじゃないか」
ディータが忌々しそうにリーゼを見下ろして言う。
「……は」
リーゼは、馬鹿じゃないの、と喉元まで出てきた言葉を呑み込んだ。
「そんな勝手なこと、許されるわけないでしょう」
「うちより金持ちってことはないだろう? ならば、より待遇のよい家に、求める相手を差し出すべきだ。なんで俺が貧乏くじをひかされる」
貧乏くじ扱いされたことよりも、求める相手を差し出せ、という彼の傲慢な言葉にリーゼは腹が立つ。
「ディータ。ラウラはモノではないのよ。お金と引き換えに差し出したりなどしないわ」
「君の家が落ちぶれ伯爵家なのは、みなが知っていることだろう? 金目当ての婚約じゃないか」
リーゼの古めかしいドレスを蔑むように見て、ディータがせせら笑う。
四年間、婚約者だった。
いずれ夫になる人だと信頼していたのに――心の中では、彼の母や妹のように、リーゼのことを見下げていたのだ。
「いくら落ちぶれていても矜持はあります。妹をあなたのような人に差し出すことなどできないわ。婚約解消の具体的な話し合いは、後日、立会人を交えて、父とあなたのご両親ですることにしましょう」
これ以上、ディータと話していても不快になるだけだ。あとは大人達に任せる。
痛い出費になるけれど、父だけでは頼りないので、しっかりした立会人を同席させねばならない。
今後の予定を考えながら、立ち去ろうとすると腕を引っ張られた。
「ディータ。放して」
「……そうか。君は嫉妬しているんだな」
「……は?」
「妹に俺を取られそうになり、嫉妬して、俺とラウラの邪魔か。素っ気ないフリをして、俺の気を引こうとして……そんなに俺のことが好きなのか?」
短絡的な人だとは思っていた。けれど、ただの馬鹿だったのかもしれない。
「放して」
振り払おうとすると、よりキツく腕を掴まれる。
「いいことを思いついた。そうだ! ラウラが結婚できる年齢になるまで、君と婚約を続けてあげよう。それならばいいだろう?」
ラウラが十六歳になれば、婚約を解消をされ、捨てられるのか。
それの何がいいことなのか、リーゼにはさっぱり理解できない。
「ディータ。申し訳ないのだけれど、ラウラだけでなく、私も、あなたと婚約を続けるつもりはないの」
「なんだと……俺との婚約を解消したいというのかっ」
目前で、唾を飛ばす勢いで叫ばれて、リーゼは眉を顰め、顔を背けた。
「先に婚約の解消を望んだのはあなたの方でしょう」
「ラウラと婚約をしたかったんだっ!」
「でも、ラウラは無理なの。聞き分けてちょうだい。ほら、話はこれでおしまい。だから放して」
「っ! 子どもに言い聞かせるように言うなっ!」
リーゼの窘める言葉が気に障ったのだろう。
真っ赤な顔をしたディータは怒鳴り、掴んでいたリーゼの腕を、押しやるように放した。
「……っ」
反動で後ろへとよろけたリーゼは、どすん、と地面に尻餅をつく。
早朝まで雨が降っていたせいで、庭はぬかるんでいた。
泥の水たまりができていた場所に、運悪く転んでしまい、リーゼの古めかしい浅黄色のドレスが、茶色に染まった。
ディータが大声をあげたせいだろう。
子爵家の庭で夜会の準備をしていた令嬢やエスコート役の紳士たちが、興味津々の顔をしながら、こちらに歩み寄って来ていた。
(……こんな場所ではなく、最初から、父や立会人をまじえて、話すべきだった……)
ラウラに真摯な想いを抱いているなら、両親から言われるよりも、リーゼの口から伝えた方が、ディータも傷つかないのではなかろうか。
四年間、婚約者だった。
知らない仲でもないのだ。納得してくれるだろう。
気楽に考えていた自分を激しく後悔するが、もう遅い。
「君のような、貧乏令嬢の意地汚いゴミ屑女! こちらから終わりにしてやる! 婚約は破棄だ!」
曇り空の中、ディータの荒れた声が響いた。
そして――その、ほんの少し前。
ディータの妹、口が空気より軽いコリンナが、令嬢達と挨拶を交わすよりも先に、みなに面白おかしく、
「いっつも安物のドレスばかり着てる、ダサい赤毛女。あの女、妹に婚約者を取られたのよ~。 そうそう、お兄様に捨てられたの~ポイってね! かわいそう~」
と、リーゼのことを言いふらしていた――。
その場に居合わせた貴族達は、お茶会での出来事を、面白おかしく、みなに言い広めた。
ディータの『貧乏令嬢の意地汚いゴミ屑女』と、婚約破棄宣言。
コリンナが、ポイッと捨てられたと吹聴したこと。
建国時から続く、由緒ある伯爵家の令嬢のはずなのに、リーゼの姿が泥水たまりに尻餅をつき、悲惨な状態だったこと。
噂は瞬く間に、醜聞とて社交界に広がった。
そして、リーゼは『ポイ捨て令嬢』という、おかしな名で呼ばれるようになったのだ。