当て馬?
アルフレートが優男風の紳士に呼ばれ、少しして。
一人取り残されたリーゼに、淑女たちが話しかけてきた。
緊張はしたが、初めて顔を合わせる人たちだったこともあり、リーゼはすんなりと談笑の輪に加わることができた。
先日の夜会でのことや、ドレスのことをふられ、微笑みながら返答をする。
今夜のドレスがアルフレートが選んでくれたものだということも、きちんと話しておく。
もともと社交界の駆け引きは苦手なうえに、王太子の婚約者としていつになく気を張っていた。
ひと通り話すと、少し疲れてしまう。
リーゼは会話が途切れたところで、飲み物を取りに行くと言って、淑女たちから離れた。
そして少し休もうと、広間の隅にあった椅子に座ろうとしたのだが――。
「リーゼ」
背後から名を呼ばれる。
聞き覚えのある声に、憂鬱になりながら振り返ると、ディータが立っていた。
「……なんでしょう?」
「話がしたい」
王太子の婚約者になったというのに、まだリーゼに用があるというのか。
それとも、ラウラのことなのか。
「ラウラは……彼女も婚約済みですよ」
「君と話がしたいんだ」
ちらりと周囲を窺うと、こちらを見ている者たちがいた。
おかしな噂を立てられたくない。
以前のように別室とはいえ二人きりになるわけにはいかないし、かといってこの先何を言い出すかわからないディータと、この場で会話を続けるのも怖い。
(あれから時間が経っているし、殿下の用もすんでいるかもしれないわ……)
リーゼはアルフレートを探しに行くことにする。
「私、殿下と一緒に来ているのです」
そう言い残して、リーゼは夜会場になっている広間を抜け出したのだが――ディータもついてくる。
「何の用かは知りませんが……殿下に言いつけますよ」
アルフレートの名を脅しに使うと、ディータは一瞬、怯むような顔を見せる。
けれどすぐに、ニヤりと意地悪そうに笑んだ。
「リーゼ。お前、本気で殿下の婚約者になれたと思っているのか。お前は、利用されてるんだ。当て馬なんだよ……ほら、見てみろ」
「アル、待って」
ディータが顎で示すのと同時に、女性の声がした。
そちらに視線をやると、青いドレスを纏った金髪の女性がいて、隣には先ほどアルフレートを呼び出した優男風の紳士がいた。
彼女の視線の先を追うと、アルフレートの後ろ姿があった。
彼はリーゼには気づかず、別の扉から大広間へと入っていく。
「彼女はナディア・ヘンゲル。アルフレート殿下の婚約者だ」
ディータが言うのと同時に、金髪の女性がスッとこちらに視線を向けた。
碧玉の双眸と目が合う。
綺麗な人だった。
儚げで守ってあげたい印象を抱くラウラとは違い、華やかで、大輪の薔薇のような美しさを持つ女性だった。
彼女はリーゼを睨み付けるように見据えて、一歩、こちらに足を踏み出した。だが――。
何かに気づいたかのように双眸を見開いて、踵を返した。
何なのだろう、と思っていると。
「元婚約者ですよ。ディータ・メルクル君」
斜め後ろから、飄々とした声がした。
見ると、長身でたくましい体つきの、色男風の紳士がこちらを見下ろしていた。
アルフレートの叔父でもあるローレンツ・クリュガー公爵である。
「君もリーゼ嬢の元婚約者だったらしいが……付き纏われると、こちらも対処せざる得なくなる」
「付き纏ってはいません。俺はっ」
ローレンツの顔や、出自を知っていたのだろう。
ディータは青ざめた顔で、焦りはじめた。
「リーゼに、二人で話したいことがあると言われて、仕方なく」
保身なのか、嘘を吐く。
リーゼが反論しようとすると、
「女性に罪をなすりつけるのは、紳士のすることではないな。あんたから彼女に話しかけてるのを、俺は見ていたんだが」
ローレンツが呆れたように言った。
「……俺は、俺はただ……」
「あんたの事情は知らないが、リーゼ嬢に用があるならば、アルフレートか俺を通すように。今度、このようなことがあれば、それなりの処置をメルクル家にさせてもらう」
「……わかりました」
ディータは憎々しげにリーゼを一瞥し、立ち去った。
「あの様子だと、また何かしてきそうだな。あっちもこっちも。……なんかありそうだし、調べておくか」
ローレンツがディータの後ろ姿、そしてアルフレートの元婚約者が消えた方向に視線をやりながら、独り言のように呟く。
「……助かりました。ありがとうございます」
ローレンツには痴女扱いされたのもあり、良い印象はなかった。
しかし頼りがいのある態度で助けてもらい、地に落ちていた好感度が上がる。
「君から目を離さないよう、アルフレートに頼まれていたからな。あの脅しで引き下がってくれればよいが、厄介な感じもする。何かあればアルフレートに相談するように」
「はい」
アルフレートが自分を気にかけてくれたと知り、リーゼは心の中で彼に感謝をする。
(あとでお礼を言おう……)
そう思っていると、じっとローレンツに不躾な視線を向けられていることに気づく。
「ナディアのことが気になるか?」
「……え? いえ……特には……」
――お前、本気で殿下の婚約者になれたと思っているのか。お前は、利用されてるんだ。当て馬なんだよ。
美しい金髪の女性のこと。それからディータに言われたことを思い返す。
本気でアルフレートの婚約者になったとは思っていないし、利用をされているのは事実であった。
『当て馬』というのは、馬の繁殖用語だ。
雌馬の発情をうながすための雄馬、という本来の意味ではなく、それから派生したもうひとつの意味合いで、ディータは使ったのだろう。
ディータの言うとおり――当て馬なのだろうか。
アルフレートはナディアの気持ちを取り戻すため、自分に偽装婚約を持ちかけたのか。
(……たぶん……違う)
アルフレートと出会ってまだ少ししか経っていない。
けれど彼の人となりは、短い付き合いの中で知ることができた。
もしもディータの言うとおりなら、アルフレートは最初の時に、偽装婚約を持ちかけた時に、きちんとそのことをリーゼに話していたはずだ。
リーゼがナディアに対して思うことがあるとすれば、なぜアルフレートのような婚約者がいるのに、別の男性と関係を持ったのか、ということだ。
あんな美形で優しい。完璧な王子様にいったい何の不満があったのか。それとも何か他に事情があったのか。
問えるものなら、問うてみたかった。
(殿下に……なぜ寝取られたんですか……とは流石に聞けないし……)
「……アルフレートが、元婚約者と会っていても、気にならないか……」
訝しむように言われ、リーゼはハッとする。
「いえ。……殿下のことを……信じていますから」
我ながら上手い返答をしたと思ったのだが、ローレンツの疑いの視線は消えない。
「大丈夫。知っているから。君とアルフレートのこと」
そして見据えるような視線のまま、ローレンツはニヤリと笑んだ。
「知っている?」
「ああ。アルフレートから、おおよそのことは聞いている」
「……そうなのですか」
先日の夜会での一件は、ローレンツの助言もあったとアルフレートが言っていた。
その際、この婚約が偽装であることをローレンツに打ち明けたのだろう。
「いろいろ大変だと思うが……」
「いえ……前回のようなことがないように、しっかりと演じますから」
「演じる? 何を?」
「アルフレート殿下の婚約者を……」
「へえ……婚約者を演じるんだな」
ローレンツの笑みが深くなっている。
――察しがよいので。偽装婚約だとバレないように気をつけてください。
以前、アルフレートから忠告を受けていたというのに。
知っていると嘘を吐かれ、誘導されたのだと気づき、リーゼは青ざめた。