忠告
***
「よく似合っています」
アルフレートを出迎えたリーゼは、クリーム色の生地に金と赤の糸で刺繍が施されたドレスをまとっていた。
先日の夜会で着ていたラベンダーのドレスもよく似合っていたけれど、こちらも彼女のすらりとした姿態と、品の良さを際立たせてていた。
「ありがとうございます」
リーゼはそう言って、微笑んだ。
編み込んでひとつに纏められた赤い髪にはリボン状の髪飾りが揺れていた。ドレスと同色の生地に、金と赤の糸で刺繍がある。
アルフレートは髪飾りは贈っていない。
「これは……?」
「私が作りました」
「上手ですね」
緻密な刺繍が丁寧に施されていて、ドレスに合わせ職人が作ったようだ。
アルフレートが感嘆すると、「ありがとうございます!」と、先ほど彼女自身を褒めたときよりも嬉しげな声音が返ってきた。
馬車に並んで座り、夜会の会場へと向かう。
今夜は王家と関わりが深い侯爵家の夜会だった。
侯爵と侯爵夫人の人柄や、気をつけることを教えたあと、先日の夜会後の出来事もリーゼに話した。
リーゼがこの二年全く社交界に姿を見せていないこともあり、『ポイ捨て令嬢』と蔑んでいる者たちの中には、彼女と会ったことのない者もいた。
実際の発言や態度から、彼女を見直す声が上がり、社交界での彼女の評判は、あれ以来かなり改善されている。
『失礼で傲慢』と彼女を評価する者もいるにはいたが、ごく少数だ。
――男女不平等。
あの日、一部の女性たちの不満をローレンツから聞いていて、アルフレートは咄嗟に言いつくろった。
女性の受けはよくとも、男性からは反発されるかもという不安もあったのだが、意外にも男性からも高評価を得ていた。
「あれ以来、貸衣装を利用する淑女が増えたそうです」
新しくドレスを仕立てたり、既製品を購入するより、貸衣装のほうが安くつく。
出費を抑えられたと感謝する紳士も少なくないという。
貸衣装屋が賑わっているのはリーゼも知っていた。
ドレスを返しに行った際、店主から感謝され、店の宣伝を兼ねて、しばらくドレスを無料で貸すと言われたらしい。
「ですからその……次に夜会があるときは、貸衣装屋を利用したいと思うので、殿下はお気遣いなさらなくとも大丈夫です」
「なら、今度、一緒に貸衣装屋に行きましょうか」
「え? でも……お忙しいでしょう?」
「少しくらいなら、時間を取れます」
「殿下が来店されるなら、お店の方々がとても喜ぶと思います」
彼女の予定を聞き、いつにするか話しているうちに、目的地へ着いた。
***
「殿下。少し、よろしいでしょうか」
会場に到着し少しして、アルフレートは見知った男に声をかけられた。
「フロビア侯爵」
アルフレートの元婚約者ナディアの恋人である。
金髪の色男なのだが、以前よりやつれているように見えた。
アルフレートが『寝取られ王太子』とごく一部の者たちから嘲笑されるように、彼もまた『寝取り侯爵』と蔑まれているのかもしれない。
アルフレートは彼に対し、特に何の感情も抱いていなかったが、王太子の婚約者と関係を持ったのだ。周囲からの風当たりは強いだろう。
(そういえば……ナディアと婚約を解消してから、彼の姿を見ていなかった……)
社交界で顔を合わせるのは、ずいぶん久しぶりであった。
「お話ししたいことがあるのですが」
侯爵は周囲をチラチラと窺いながら言う。
興味津々と言った視線を向けてくる者たちがいるので、ここでは話し辛いのであろう。
(フロビア侯爵とは、蟠りがないことを見せておいたほうがよいかもしれない)
「わかりました。リーゼ」
「私は大丈夫です」
先日のように彼女に絡む者はいないとは思うが――。
案じながら見下ろすと、リーゼはアルフレートを安心されるようにしっかりと頷いた。
リーゼと別れ広間を後にしたアルフレートは、侯爵に誘導され、休憩室に足を踏み入れる。
奥にいた人影を見て、心の中で重い溜め息を吐いた。
「……フロビア侯爵」
「申し訳ありません。彼女がどうしてもと言うので」
「アル。彼を責めないで。わたくしが会いたいと言っても、会ってくれないから」
部屋の中には、アルフレートの元婚約者、ナディア・ヘンゲルがいた。
「あなたが婚約をしたと聞いて……どうしても会って話したかったの」
「ナディア……話があるなら手短にすませて欲しい。婚約者を待たせているんだ」
「彼女はあなたの婚約者に相応しくないわ」
ナディアが近づいて来たので、アルフレートはいつでも部屋から出られるように身構える。
会う機会をつくりはしたが、侯爵も流石に二人きりにはしたくないのだろう。彼も部屋にて、成り行きを見守っている。
そのため誰かに見られても醜聞にはなりはしないだろうが、状況が状況なだけに、おかしな詮索はされそうだ。
「君には関係のない話だよ、ナディア」
「アル……わたくしはあなたのためを思って言っているの。彼女があなたに近づいたのは、お金のためよ。彼女のことをよく知る人が言っていたの。無慈悲で強欲な女だって」
リーゼから、アルフレートに近づいてきたわけではない……上から落ちてはきたが……。
とにかく、偽装婚約を持ちかけたのはアルフレートで、彼女は乗り気ではなかった。
それに、出会って間もないが、リーゼが無慈悲で強欲な女性だとは、思えない。
「彼女がどのような人であっても、君には関係がない」
「……アル」
同じ言葉を繰り返すと、ナディアは悲しげに顔を歪めた。そういう仕草ですら、彼女は美しい。
鮮やかな青いドレス。耳元にはアルフレートが以前贈ったイヤリングをつけていた。
アルフレートはその姿に、先日の夜会のあと、反省会でリーゼとした会話を思い出す。
――きっと……もっと……話し合うべきだったのです。
目の前にいるのはリーゼだったが、それはナディアに向けての言葉であった。
振り返ってみれば、幼い頃から婚約者として過ごしてきたというのに、彼女に本心を語ることはなかった気がする。
丁重に接していたが、どこか義務的で、必要以上に着飾る彼女を見て違和感を抱いていたというのに、口を出すことはしなかった。
アルフレートの婚約者として恥じないよう、彼女なりの懸命さだったかもしれないのに。
心を明かし、不満を口にして。彼女の思いをきちんと聞いて。
話し合ってさえいれば、もしかしたらナディアと婚約を解消することはなかったのかもしれない。そう思った。
(もう……遅いけれど)
過去の行動の反省はする。しかし、やり直すことはできない。
正式に婚約を解消し、何の関係もなくなったのだ。
失敗を糧にして、お互いに新たな道を歩いたほうがよい。
それがナディアにとっても最良の道だと思うのだが、彼女は未だに納得がいっていないようだった。
「わたくしと別れて自暴自棄になっているのはわかるけれど……。相手はきちんと選ぶべきだわ」
「ナディア。君には関係ない。何度も言わせないで欲しい。話はそれだけ? なら僕は戻るよ」
部屋を出ようとすると、腕を掴まれた。
「アル。彼女、元婚約者の男と、まだ関係を持っているみたいなのよ。貞淑さが求められるのでしょう? 彼女は貞淑とはほど遠いわ」
「……そう。でも、やはり君には関係がない話だ。フロビア侯爵。今後、このようなことはないようにしてください。ナディア。君もお父上の顔を潰すような真似はやめたほうがいい」
アルフレートはいつになく厳しい口調で言うと、彼女の腕を振り払い、部屋を出る。
「アル!」
「ナディア。やめるんだ」
アルフレートの怒りを感じ、ここで騒ぎを起こすのは困ると思ったのだろう。
追いかけてこようとするのを、制止する侯爵の声が聞こえた。