反省会
広間の隣にある休憩室の椅子に座り、リーゼはふぅと大きく息を吐いた。
「どうぞ」
斜め前の長椅子に座っているアルフレートが、手にしていたグラスをリーゼに差し出す。
「アルコールは入ってません」
「ありがとうございます」
リーゼは彼からグラスを受け取った。
「少し無理があるかなとも思ったのですが、上手くいってよかった」
「……上手くいきましたか?」
「ええ。たぶん。我が国は他国ほど女性の地位は低くありませんが、夫や婚約者の言葉には従うべき、という考えを持つ男性も少なくありません。そのことに対し、不満を抱いている女性が少なからずいると耳にしたので……きっとああ言えば、あなたに同調する声が上がるだろうと思いました」
アルフレートは朗らかに言って、微笑む。
確かにその点は、上手くいったのだろう。けれど。
「ですが、アルフレート殿下のセンスが悪いということに……」
彼のおかげでリーゼの評価は上がったかもしれない。しかしアルフレートの評価は下がった。
「女性に理解のある男性だと思われるほうが重要だと思います。それに……僕のセンスが悪いから、贈ったドレスを着ていただけなかったのでしょう?」
リーゼは慌てて、首を振った。
「違います。貸衣装屋でこのドレスを見て、一目惚れしました。けれど、殿下の贈ってくださったドレスは、そのときの気持ちがかすむくらい……素敵でした」
「なら、どうして着て貰えなかったのでしょう……?」
アルフレートの表情や口調には、嫌味はない。
純粋な疑問をぶつけられ、リーゼは自分をよく見せようと取り繕うのをやめた。
「……すでにご存じかもしれませんが、バッヘム家が誇れるのは家柄だけで、父は王立図書館に勤めるしがない学者ですし……そのあまり裕福ではないのです」
「……ええ」
「初めてお目にかかったときのドレス……あれも貸衣装でした。ラウラ……妹はデビュタントだったので、新品のドレスを買わなくてはならなくて、自分のドレスにお金を回す余裕がなかったのです。……バッヘム家には家令と、侍女一人しかいません。なので私が家事や、買い出しを受け持つこともあります」
「……苦労をされているのですね」
「違うのです。苦労とかではなく……そもそも、二年前、婚約を破棄されてからは夜会に行くこともなかったですし……殿下も仰ってくれましたが、貸衣装屋といえどもこのドレスも素敵です。家事も買い出しも、やりがいはありますし、億劫だと思うことはありますが、嫌いではないのです」
家長として頼りない父に腹が立つときもあるが、いくら立派でも威張り倒し、娘の行動を監視するような父親のほうが嫌だ。
貧しくはあったけれど、家令や侍女との距離が近く、家の中はのんびりとしていて、穏やかだった。
けれど、それでも――。
「殿下……私は、殿下からドレスを贈られて……卑屈な気持ちになってしまいました」
「……卑屈?」
「貧乏伯爵令嬢だから、ドレスも用意できないと思われているのかと」
「リーゼ。僕は」
「わかっています。偽装といえども、婚約で……婚約者ならドレスを贈るのは普通のことです……。それに……私は二年前、婚約を破棄されています。先日も殿下のおかげで、騒動にならずにすみましたが、二度も男性から拒否されてしまって……」
ダミアンがラウラにドレスを贈ってきたこと。
二年前、てっきり自分への贈り物だと思っていた深紅の薔薇の花束が、ラウラへの贈り物だったこと。
気にしていないつもりだったけれど、心の底には残っていて、『どうせ自分には』と思ってしまった。
「いじけていたんです。いじけていて……殿下の婚約者を演じるということがどういうことか、わかっているつもりだったのに、自分の感情を優先してしまいました」
一国の王太子の婚約者を演じるのだ。
わかって引き受けたつもりだったけれど、全然わかっていなかった。
軽はずみな行動や、みっともない格好をすれば、アルフレートの恥になってしまうというのに。
「殿下。本当に、申し訳ありませんでした」
グラスをテーブルに置き、リーゼは深々と頭を下げた。
「やめてください。リーゼ。今回のことは、僕にも責任があります。僕たちはまだ出会ったばかりで、お互いのことを何も知らない。だというのに、ドレスを贈れば、それですむと思っていた。もっときちんとあなたの気持ちを聞くべきでしたし、僕の思いを伝えるべきでした」
アルフレートはそう言うと、はっとしたように瞬いた。
「きっと……もっと……話し合うべきだったのです」
呟くように言った言葉は、リーゼではなく、別の誰かに向けているかのようだった。
どこか物憂げな表情を浮かべる彼を見つめていると、視線に気づきアルフレートは穏やかな笑みを浮かべた。
「本音を言うと……今夜は婚約のお披露目でもありましたし、僕の婚約者に相応しい装いをして欲しい……そう思いドレスを贈ったのは事実です。バッヘム伯爵家の内情を詳しくは知らなかったけれど、偽装婚約であなたや、あなたの家に負担をかけたくなかったという気持ちもありました。けれど、それはあなたを哀れんだわけではなく」
「わかっています」
リーゼが卑屈に受け止めていただけの話だ。
「僕の婚約者を演じることが嫌になったら言ってください。無理強いはしません」
「殿下こそ……私でよいのですか? また失敗をしてしまうかもしれません」
「失敗をしないよう、今度からはきちんと話し合いましょう。それで、もしまた間違ったら……今日のように反省会をしましょう」
「……はい」
(殿下の婚約者を演じると決めたのだ。もう次は、間違えない)
リーゼは噛みしめるような思いで返事をした。
「もう少し、休憩したら戻りましょう。……あのドレス、あなたの好みじゃなかったのかと思っていたので、ほっとしました」
「色合いもですけど、刺繍に品があって。とても素敵でした」
「次の夜会では着て貰えますか?」
「着ても……いいのでしょうか」
一度、着るのを断ったのに。
本当はもっとあのドレスを着るに相応しい女性がいるのでは――と、相変わらず、卑屈なことを思ってしまった。
「当然です。あなたに似合うだろうと思って、選んだドレスですから」
にっこりと、アルフレートが微笑んで言う。
その笑みに、いじけた気持ちは消えた。
代わりに、ふわりと体が上昇するような……なんだかすごく恥ずかしい気持ちになった。