婚約発表の夜会2
(私はともかく……アルフレート殿下だけは……)
素敵なドレスを贈ってくれたというのに、つまらない感情に囚われて、ドレスを着るのを躊躇った。
今は、それが間違いだったと理解している。
だからこそ、自分の失敗で彼が悪く言われるのは我慢がならなかった。
「アルフレート殿下は、ドレスを贈ってくださいました。ただ……私がそのドレスを着なかっただけです」
リーゼの発言に、真っ先に反応したのは、胸の大きな――さきほどまで涙ぐんでいたアルフレートの婚約者候補であった令嬢だった。
「殿下からの贈っていたただいたドレスを、着なかったということですか? それはあまりにも失礼なのでは?」
「……ええ。私が」
「僕の贈ったドレスが気に入らなかったんですよね。リーゼ」
私が考えなしだったから――。
そう言おうとすると、柔らかだけれどよく通る声が割って入った。
飲み物を取りに行っていたアルフレートがグラスを手に戻ってきていた。
穏やかな笑みを浮かべ、ゆったりとした足取りでリーゼの隣に並ぶ。
「……気に入らなかった? どういうことですか、殿下」
婚約者候補であった令嬢が、恐る恐るといった風に訊ねる。
「言ったとおりですよ。ドレスを贈ったのですが……彼女は僕が贈ったドレスよりも、このラベンダーのドレスを着たかったようです」
(……なんてことを言うのだろう……いえ、その通りなのだけれど……)
リーゼは心の中で、青ざめる。
仮にも王太子である婚約者からの贈り物を拒否するなど、リーゼはとんでもないマナーのない、失礼で我が儘な令嬢だ。
まさにその通りのことをしてしまっていたので、反論するつもりはない。
しかし、彼はずっと優しげな態度をしていたので、掌を返された気がした。
本当ははらわたが煮えくり返るほど怒っていて、みなの前で報復するつもりだったのか。
隣にいるアルフレートのことが怖ろしくなった。けれど……。
「殿下に……失礼過ぎます!」
「僕も最初、あまり良い気持ちはしなかったのですが、いざドレスを着ているのを見たら、確かに僕が贈ったドレスより、彼女が着ている、このラベンダーのドレスのほうがずっと素敵でしたし、彼女によく似合っていました。それで……僕は、彼女のそういう部分に惹かれたのだと、改めて気づきました」
「そういう……部分……?」
「押しつけられた似合わないドレスを着るよりも、きちんと自分に似合うドレスを選ぶところをです。僕の意見に左右されず、自分の意思を持っている。きちんと嫌なことは嫌だと言ってくれる。そういう彼女とならば、上手くやっていけるだろうと思ったのです。殿方にただ合わせるだけの考え方は古い。みな、自分の着たいものを着るべきだ。いや、着たいものを贈ってもらうよう、話し合うべきだ、と彼女は言っていました」
言っていない。言っていないし、考えてもいない。
「話し合う中で、信頼も深まると。ねえ? リーゼ」
ヒクヒクと頬を引きつらせているリーゼを、アルフレートが見つめる。
青い瞳に射貫かれ、リーゼは覚悟を決め、口を開いた。
「ええ……。わたくし、今夜は、ラベンダーのドレスを着たかったのです。なぜなら……、なぜなら光の加減で、ときおり、時々ですが、わたくしの目には、殿下の瞳がラベンダー色に見えることがあるのです」
見えたことなどない。
見えないだろうと、みなの頭に疑問符が浮かんだであろうが、咄嗟のことで他にうまい言い訳が思いつかないのだから仕方がない。
リーゼは構わず、たたみかけるように言う。
「わたくしだけの、わたくしだけに見せる殿下の色を着る。殿下の贈ってくださったドレスを着るよりも、そのほうがよいと思ったのです」
「そうだったのですね。ありがとうリーゼ。あなたの気持ち、受け取りました。偶然ですね……僕が今夜、黒の夜会服を着ているのも、夜の闇の中では、あなたの瞳が黒いからなのです」
リーゼの瞳は茶色だ。夜だと黒く見えることはあるだろう。
しかし女性のドレスとは違い、男性の夜会服の色は限られている。
それはいくら何でもこじつけが酷すぎる、と思ったのだが……やけに熱っぽい視線で見つめられ、もしかしたら本当なのだろうかと、勘違いしてしまそうになった。
見つめ合い、リーゼは頬を赤らめた。
その二人の姿が、周囲には謎の説得力があったのだろう。
「ハハハ。アツアツじゃないか! あてられてしまったな!」
「殿下にそこまで想われるなんて、羨ましいですわ」
「話し合うことで信頼が深まる。当たり前のことだけれど、忘れがちですものね」
ローレンツの若干わざとらしい煽りを皮切りに、それぞれが思いを口にしていく。
「殿方に合わせるだけの考え方は古い……まさにその通りね。殿方の趣味に合わせて、似合わないドレスを着るのは苦痛ですもの」
「そうそう殿方の中には、自分好みの肌の露出の多いものを送ってくる方もいらっしゃるし」
「流行遅れのドレスを贈ってくる方も……」
女性陣のひそひそ話に、男性陣が気まずそうな表情を浮かべる。
「みな、心の中では同じようなことを思っていらしたようだ。僕だけがセンスが悪いわけではなかったので、ホッとしました。愛する婚約者のため、頑張りましょう」
アルフレートが冗談めかして言うと、場が和んだ。
「……殿下がリーゼ様を選ばれた理由、理解できました。大変な失礼をしてしまいました。申し訳ございません」
アルフレートの婚約者候補であった令嬢が、今までの態度をころりと変え、謝罪してくる。
感情的だけれど、素直な性格でもあるのだろう。
「わかってもらえればよいのです」
もともと彼女を責めるつもりはなかったのだが、あえて寛大な風を装って言う。
「でもっ、でもぉ~、貸衣装なのは、貧乏だからよねぇ~」
彼女以上に、感情的であろうコリンナが、リーゼがみなに認められるのが許せないのか、焦った様子で口を挟んだ。
「最近の貸衣装屋はとても品揃えが豊富です。気軽にいろいろなドレスを試すのは、楽しいですし。気に入ったら購入もできるので、とても便利なのです」
貸衣装なのは、貧乏だから。それ以外の理由などないが、リーゼは適当に誤魔化す。
そして――ずっとコリンナのドレスに対し抱いていた違和感にふと気づいた。
――そのドレスと色違いのものを貸衣装屋で見かけたのよ。
彼女の言葉も思い出す。
なぜコリンナが貸衣装を馬鹿にするのかがわからない。
何か深い思惑でもあるのか。単にリーゼを嘲りたいだけで、愚かなだけなのか。
今までの彼女の態度からして、たぶん、後者だ。
「それに……あなたのその衣装も貸衣装ですよね?」
「……っ! どうしてそれをっ……!」
コリンナがリーゼのドレスと色違いのドレスを見かけたように。リーゼもまた貸衣装屋でコリンナの着ているドレスを見ていた。
普通の思考をしていれば気づきそうなものだが、コリンナは思い至らなかったらしい。
自身が貸衣装だと知られたことがよほど恥ずかしいのか、目を見開き、耳まで真っ赤にさせ、動揺していた。
「お金がないからではなく……気軽に、いろいろなドレスを着たかったのですよね。よく、お似合いです、コリンナさん」
「そっ、そうよ……お金がないからではないわ! あなたの言うとおりよっ」
悔しそうな顔をして、コリンナがリーゼの発言を認めた。
煽りでもなく、嫌味でもなく。やり返したいという気持ちでもなく、慌てふためく姿があまりにも可哀想になり言っただけであった。
けれどもこのリーゼの発言は、ある者には寛大に、またある者の目には『したたかな女性』に映ったという。
この日を境に、リーゼは社交界で一目置かれるようになるのだが……今はまだそれを知らない。
「リーゼ。少し休憩しましょう」
「ええ」
アルフレートに言われ、この場から逃げ出したかったリーゼは救われた気持ちで頷いた。