ポイ捨て令嬢になるまで1
あれは忘れもしない。十六歳の誕生日のことだった。
「すまない……リーゼ。君との婚約を解消したい」
同い年の婚約者、ディータ・メルクルが二人きりになるなり、真剣な顔をして言った。
ディータは男爵家の嫡男だ。
貴族としての爵位はそう高くはなかったが、彼の祖父は王都ロザで知らぬ者がいないほど、有名な実業家であった。
対するリーゼは、バッヘム伯爵家の長女。
バッヘム家といえば、ファラリズ王国の建国時から続く由緒正しい家柄で……いや、今となっては家柄しか誇るものがない平凡な……落ちぶれる一歩手前、首の皮一枚でぎりぎり繋がっている貧乏貴族であった。
メルクル家は由緒ある家柄のバッヘム家と縁戚になることを。
バッヘム家はメルクル家の支援、つまりはお金目当てに、結ばれた婚約であった。
婚約をしたのは四年前。
互いの家のためだけの婚約であったが、家の事情や思惑は別として、リーゼとディータの関係は良好であった。
少なくともリーゼは、彼の口から婚約の解消を告げられる瞬間まではそう思っていた。
誕生日には互いにプレゼントを贈りあったし、手紙も頻繁にやり取りをしていた。
メルクル家の主催するお茶会に参加したあとは、二人でデートすることもあったし、デビュタントのお披露目の時には、ディータのエスコートで出席した。
ディータは背が高く、顔立ちも整っていた。
少々短絡的なところがあるものの、人当たりもよく、婚約者として申し分なかった。
彼もリーゼのことを、『君といると落ち着く』『信頼できる女性だ』と――そう言ってくれていた。
身を焦がすような激しい情はなくとも、互いを穏やかに敬うような。そんな夫婦になれるだろう。
リーゼは婚約者とともにある未来を疑いもしていなかったので、誕生日に、婚約を解消をしたいと突然言われ、驚いてしまった。
「私、何かあなたの気に障るようなことしてしまったかしら」
(それとも、うちが貧乏だから。もっとよい家柄の令嬢へ、乗り換えることにしたのかしら)
訊ねながら、リーゼはこの四年間のことを思い返す。
実のところ、ディータとの関係は良好であったが、彼の家族からは、なんとなく嫌がられているのをヒシヒシと感じていた。
今から思えば、婚約を解消される予兆は、あったように思う。
リーゼの着ているドレスが流行遅れだと、彼の母である男爵夫人に遠回しに指摘をされたこともあったし、彼のひとつ歳下の妹からは、はっきりと『あんたみたいな赤髪のダサ女、お兄様に相応しくない』と言われたりもした。
あの姑や小姑と、はたして仲良くできるのか。
不安に感じてもいたので、これからは彼女たちと関わらずにすむのだと、少しだけほっとしている自分もいた。
けれども婚約の解消は、バッヘム家にとっては痛手であるし、リーゼもまた『婚約を解消された令嬢』という曰くが付いて回ることになる。決して喜ばしいことではないのだけれど。
「いや、君は悪くはない……好きな人ができたんだ」
ディータが首をゆるく振って、言う。
婚約解消は家族から言われたわけではなく、彼自身の意思らしい。
「好きな人?」
「ああ。俺は恋をした」
最近、王都では恋愛小説が流行していた。
それと同時に『自由恋愛』が賞賛されるようになったが、平民はともかく貴族にとって結婚は家と家との結びつきの意味合いの方が大きい。
恋を理由に婚約を解消を願い出るディータの姿が、リーゼには新鮮に感じられた。
「そう……なら仕方がないわね」
「許してくれるのか」
「許すもなにも……他に好きな人ができたのなら仕方がないのだろうし……。うちの父には、私から一応言ってはおくわ。けれど、あなたの家からも、正式に婚約解消の報せをしてくれる?」
ディータの都合での婚約解消だ。こちらに責任はない。そこのところは、はっきりしておいた方がよい。
(彼の都合なのだから、慰謝料……いや迷惑料が出たりしないかしら……)
父に相談してみよう。そう思っていたのだけれど――。
「いや、その必要はない。俺が好きなのはラウラなんだ」
ディータがさらりと言った。
「ラウラって…………え? ラウラ?」
「ラウラだ」
「私の妹のラウラ?」
「それ以外のラウラがどこにいるんだ?」
ラウラという名の人は、妹以外にもいるだろう。
妹のラウラが好きだと言う、その言葉が信じられない。どこかの知らないラウラであって欲しかった。
「ディータ……あの子、まだ十三歳よ」
「俺と君が婚約したのは十二歳の時だ。別におかしくはない」
ファラリズ王国では十七歳になれば婚姻が許されるし、貴族間では、それこそ生まれた時、性別がわかりしだい婚約をしていたりもする。
三歳の年の差も珍しくなどない。むしろちょうどよい年の差である。
しかし。
「私と婚約を解消をして、まだ十三歳の妹と婚約をするの? いくら何でも、外聞が悪いと思うのだけれど」
ディータとリーゼは、すでに二人揃って社交界に顔を出していた。
婚約の解消だけでもいろいろと詮索されるというのに、デビュタント前の妹に乗り換えたなど、醜聞間違いなしである。
「君はいつもそうだな。そうやって、理性的に。上から目線で、俺を窘めてばかりだ」
鼻を鳴らし、ディータが不快げにリーゼを見る。
(……理性的なところが、尊敬できる……そう言ってたくせに)
彼の言いように苛立つが、リーゼは黙った。
リーゼは自分が感情的な性格ではないという自覚があった。
幼い頃に母を亡くし、頼りない父と三歳年下の妹、そして貧しい家計を支えるため、どんなときも冷静でいるよう心がけてきたからだ。
「だがラウラは違う! 今まで母上たちに君のことで忠告を受けても、俺は君を庇っていた。だが、俺はようやく間違いに気づいたんだ。彼女は君のように素っ気なくないし、明るく無邪気で、なにより美しく可憐だ!」
確かに妹のラウラは、透けるような白い肌に金髪碧眼。姉であるリーゼが自慢するくらい、可憐な美少女であった。
それに性格も明るく朗らかだ。
なぜならリーゼがそうあって欲しいと、母がいなくてお金がなくとも、卑屈にならず、育って欲しい。そう願い接してきたからでもある。
「君からラウラに、婚約者を変えるだけだ。何の問題もない」
家同士の婚約だ。
手続き的には確かに、問題はないのかもしれない。
「……わかったわ。父と……それからラウラに言ってみる。返事は後日でいいわよね」
「ああ。あとこれをラウラに、渡して欲しい」
深紅の薔薇の花束と、手紙を渡される。
てっきり自分への誕生日プレゼントだとばかり思っていたが違ったらしい。
もしかしなくとも、今日がリーゼの誕生日ということも忘れているのだろう。
心変わりし、気持ちがなくなると『どうでもよいこと』して、ディータの記憶から消去されてしまったのだろうか。
胸が痛いとか悲しいを通り越し、空しい気持ちになりながら、リーゼはラウラへのプレゼントを預かった。




