よろしくお願いします
噂で広まっていたとおり、夜会はアルフレートの新たな婚約者探しのため開催されたらしい。
すでに相手が決まっているという噂もあったが、候補者はいるにいるものの、アルフレートは決めかねているという。
「……婚約を解消したばかりだというのに、まだそういう気持ちになれないというか。時間が欲しいというか」
「……はあ」
「リーゼさんがよければなのですが、僕と婚約をしたふりをして欲しいのです。あなたに結婚したい方ができたなら、すぐに解消します。僕の都合で婚約を終わらせることもあるかもしれませんが、どちらにせよ、あなたの評判に傷がつかないようにします」
正直なところ、リーゼの評判は今の時点でかなり落ちている。
むしろそんなリーゼと偽装といえども婚約して、評判を落とすのはアルフレートのほうではなかろうか。
「私ではなく他の方に頼んだほうが……殿下の頼みなら、みな喜んで引き受けますよ」
「僕の婚約者になりたい方では困るのです。あくまで偽装婚約だから」
確かに――彼の言うとおりだ。
王太子妃の座を狙っている令嬢だと、のちのち婚約を解消するときに揉めてしまうだろう。
「妹さんの件もありますし、僕と婚約することはリーゼさんにとっても悪い話ではないと思います」
王太子はにこやかに言う。
確かに……そちらも彼の言うとおりだった。
王太子に見初められたという理由で、ダミアンとの婚約を『なし』にすれば、すべてがきれいに、あっさりと解決するだろう。
ラウラも姉の婚約者を奪ったとは思わないだろうし、リーゼのささやかな矜持も守られる。
「婚約してすぐに解消とはいかないので、少なくとも半年ぐらいは、偽装婚約に付き合ってもらうようになりますけど」
年頃の乙女にとって、半年は長い。
婚期を完全に逃してしまいそうだ。
「……これはあくまで、断られることを前提とした、僕の身勝手なお願いです。なので、断ったからといって不敬罪だ! などと怒ったりはしません。僕の提案は聞かなかったことにしてくれたら、助かりますけれど」
考え込んだリーゼに、アルフレートは軽い口調で付け足す。
海色の瞳が穏やかにリーゼを見つめていた。
「よろしく、お願いします」
リーゼは少しだけ考え、了承した。
ラウラのこともあるが、バッヘム家にとっても悪い話ではなかった。
偽装婚約で、すぐに解消されたとしても、相手は王太子だ。元王太子の婚約者だった家として、箔が付く。
父も昇進するかもしれない。
演技だとしても、麗しい王子様の婚約者気分を味わえるという乙女心も少しだけあったけれど……ほぼ家と、家族のための打算だった。
「……受けてくれるのですか?」
自分から言い出したのに、あっさり引き受けるとは思っていなかったのか、アルフレートは驚いた表情を浮かべた。
「はい。あ、でも……解消するとき、こちら側の責任にされたりは……しませんよね」
ディータとのことが脳裏をよぎり、リーゼは念を押し、確認する。
「もちろんです。何でしたら、婚約を解消するとき、あなたの次の婚約相手を探す協力もします」
「いえ。それは別に」
ラウラが結婚し家を継いでくれるなら、そこまでして結婚に固執する必要はない。
少し寂しくはあるが、一人気ままに暮らすのも、悪くはない気がしていた。
「夜会に同行してもらうようになりますし、挨拶などのマナーを覚えていただくようになる。できるだけ負担は少なくするつもりですが……その辺りは大丈夫ですか?」
「ええ……。ですが、殿下。私は社交界で、ポイ捨て令嬢と、おかしな呼び名をつけられています。偽装婚約相手が私で、本当によろしいのですか?」
アルフレートもまた念を押して訊いてきたので、リーゼも、もうひとつ気がかりだったことを訊ねた。
「僕が最近、社交界で何と呼ばれているか知っていますか?」
勤勉で優秀で美形と噂されているのは知っている。
リーゼのようなふたつ名があるのだろうか。
リーゼが首を傾げると、アルフレートは唇をふっと緩めた。
「寝取られ王太子です」
「……酷い! それほどまでに不名誉な名で呼ぶ者が! 不敬罪です」
ある意味、『ポイ捨て令嬢』よりも酷い、馬鹿にした名ではなかろうか。
ポイッと捨てられたと嘲られるよりも、他の男に寝取られたと嗤われるほうがずっと悪質で、酷い。
唇を震わせ、なんて酷い! ともう一度叫ぶと、アルフレートは若干顔を引きつらせ、「そこまでではないですけど」と呟いた。
「……ですから、まあ、社交界での評判を、僕は気にしません。それに上手くいけば、僕の評判も、あなたの評判も、よくすることができるかもしれない」
「……そのようなこと……できますか」
「上手くいけば。……たぶんですけど」
社交界での噂など気にしない。
そう虚勢を張るけれど……やはり他者から悪く思われるのはいやだった。
衆目を集め、人気者になりたいとまでは思わないけれど、普通に挨拶くらいは交わしたい。
「至らない点もあるかと思いますが……もし私でよければ、精一杯、偽装婚約者を演じますので、よろしくお願いいたします」
リーゼが頭を下げると、アルフレートも穏やかに笑んだ。
「こちらこそ。よろしくお願いします」
アルフレートが手を差し出してくる。
大きくて、骨張っている男の人の手だ。けれど――白くて、傷ひとつない美しい手だった。
リーゼは彼に気づかれないよう、ドレスで汗を拭ってから、アルフレートの手を握った。