ふたりの事情
(諦めないって……)
いったいどういう意味なのか。
リーゼのことをしつこく想っていたというのも信じがたい。
ディータは短絡的なところがある。単に他の令嬢と上手くいかなくて、リーゼを思い出しただけのような気がする。
それともリーゼと婚約破棄したものの、バッヘム家との繋がりが惜しくなったのか。
そういえば前に父が、メルクル家が事業拡大で失敗したらしいなどと話をしていた。興味がなかったので聞き流していたが、その辺りのこともリーゼと復縁したい理由なのかもしれない。
ディータや彼の家の思惑はわからないが、ダミアンとの婚約を進めておいて正解だった。
正式に婚約をして早めに結婚すれば、ディータや彼の家が何を考えていようがどうしようもできない。
ディータが部屋から出て行き、かなりの時間が過ぎた。
そろそろ大広間に戻らなくてはと思うのだが、リーゼは躊躇う。
ディータやコリンナと顔を合わしたくないし、彼らとのやり取りを見ていた者たちの好奇の目も嫌だった。
(だからといって、ラウラたちを置いて帰るわけにはいかないし……)
リーゼはとりあえず、憂鬱な気分を晴らすため風にあたることにした。
揺れているレースのカーテンを開け、バルコニーへ出る。
白い満月が空に浮かんでいて、夜だというが仄かに明るい。
バルコニー近くにある大木の葉が、柔らかな風が吹くたび、ざわめいていた。
手すりに手をかけ、ぼんやりと夜風にあたっていると、誰かが入ってくる気配がした。
ディータが戻ってきたのかと焦るが、現れたのは別の見知った者たちだった。
「あの男、嘘を吐いたのかしら。お姉様、いないわ」
「入れ違いで、広間に戻ったんだろう」
ラウラとダミアンである。
どうやらリーゼを探しに来てくれたらしい。
リーゼは二人に声をかけようとしたのだが……。
「広間に戻るわ。……離して」
「ラウラ。話をさせてくれ」
「話すことなんてなにもないわ」
「誤解なんだ。だから説明させて欲しい」
カーテン越しにダミアンがラウラの腕を掴んでいるのが見えた。
二人は何やら揉めているのだが、よそよそしさがない。少なくとも今日初めて会ったとは思えない気安い様子だった。
王宮へ向かう馬車の中とは明らかに違う二人の態度に、リーゼは驚く。
「誤解?」
「俺は君と婚約したいと伝えたんだ。なのにうちから君の家にうまく伝わってなかったみたいで。一週間くらい前になって、ようやく君ではなくお姉さんとの婚約が進んでいることを知ったんだ」
「……」
「違うと言ったんだが……相手にも失礼だし、どうしようもないと」
(ああ……そういうことだったのね)
数年前に会ったきりのリーゼと婚約したいなど、おかしな話だと思っていた。
ラウラとダミアンは親交があって、本来望んでいた相手は自分ではなく妹だった。
「お姉さんが二年前婚約破棄されたことを、気にしているんだ。婚約の話がきて喜んでいるのに、今更違いましたなんて、可哀想だと」
ダミアンが心苦しそうに言う。
――可哀想。
その言葉に反論したくなる。
婚約話をリーゼは喜んでいたわけではない。ラウラのことを考え、婚約をしてもよいと思っただけだ。
行き遅れぎみなのも、別に気にしてはいない。
リーゼはむしゃくしゃした気持ちになり、手すりをきつく握りしめた。
「今更だし、どうしようもないのでしょう? なら話すことはないわ」
「ラウラ。俺が結婚したいのは……愛しているのは君だ」
「……やめて」
「このまま、お姉さんと結婚なんてできるわけがない」
「ダミアン、あなたはわたしにもう一度、お姉様から婚約者を取れって言うの? 」
ラウラの声は、今にも泣き出しそうに震えていた。
「お姉さんから断ってもらうよう、今夜お願いするつもりなんだ。それならお姉さんの面子も守られる」
「やめて! お姉様を傷つけたくないの」
「なら君は俺がこのままお姉さんと結婚してもいいというのか」
「ええ。あなたのことは忘れる。だからあなたもわたしのことは忘れて」
「ラウラ。そんなの無理だ」
「わたし……お姉様に幸せになって欲しいの。もう二度とわたしのせいで傷ついて欲しくない」
リーゼは何とも言いがたい気持ちになった。
ラウラが二年前のことを気にしていたのは知っている。自分のせいだと責めていることも。
けれど同情的な感情で婚約されても不愉快だし、妹を愛している男性と結婚したところで幸せになれるわけがない。
結婚後、ダミアンを信頼したときに真実を知ったとしたら、そっちのほうが傷つくに決まっている。
ラウラはリーゼが社交界でポイ捨て令嬢と馬鹿にされている原因が自分にあると……そう思い詰めてしまっているのだろうが、考えが足りない。
ラウラもだけれど、いくら他人から言われたとしても、間違いを正さなかったダミアンにも苛立つ。
リーゼを哀れむ彼の家の人にも、行き違いがあったのか知らないが、確認もせず浮かれているだけで、全く役に立たない父にも腹が立ってくる。
「ラウラ、お願いだ。話し合おう」
「いくら話し合っても答えは決まってるわ。あなたよりも、お姉さまのほうが大事なんだもの」
ラウラは姉想いの妹ではあるのだ――方向性を間違えているだけで。
間違いを正すため修羅場に割って入ろうかと思うが、リーゼが隠していた事実を知ったと知れば、ラウラは動揺しそうだ。ディータのときのように自分を責め、ダミアンとの仲も終わりにしてしまう気がした。
腹は立つけれど、ラウラはやはりリーゼにとってたった一人の可愛い妹なのだ。
正直ダミアンに対しては、好きでもないのにふられてしまったような釈然としない想いしかないけれど。
(会ってはみたけれど、好みではなかった。ずんぐりしてるし、頼りなげだし、顔も冴えない。そう言って断ってしまおうかしら)
ようはリーゼから断ればよいのだ。
そんなことを思っていると、夜風が強く吹き、リーゼのドレスの裾をはためかせた。
「どうかした?」
「いや……今、ドレスが」
(ま、まずいわ……)
ダミアンがバルコニーの人影に気づいたようだ。
ここで見つかってしまうわけにはいかない。
バルコニーなので、偶然通りかかっただけで先ほどの会話は聞いていません、などの嘘も通らない。
リーゼが盗み聞きしていたことを知り、愕然とし号泣するラウラ。平謝りしそうなダミアン。
想像して、ゾッとした。
(なんとしても、見つからないようにしないと)
こちらに寄ってくる気配を感じ焦ったリーゼは周囲を見回した。
そして、目の前あるよく生い茂った大木に目が止まる。
リーゼは手すりによじ登り、足をかけ……大木の枝を両手で掴み、飛び移った。
しばらくして、近くで話し声が聞こえてくる。
「ダミアン?」
「気のせいかな……」
大木の枝に座り、生い茂った葉の中に顔と体を隠すようにして、息を潜めた。
月夜で明るくはあったが、ドレスが濃緑だったのと、まさかそんなところにいるとは思わなかったからだろう。見つかることはなかった。
「お姉様を探さないと」
「ラウラ、待ってくれ」
ドアを閉める音が聞こえ、静寂が戻ってくる。
二人は部屋から出ていったらしい。
枝にしがみついたまま、リーゼはほっと息をついた。
(私のほうから婚約を断るとして……ラウラはダミアンと婚約するかしら)
リーゼの婚約者候補だった相手と婚約するだろうか。ダミアンのことが好きなら尚更……姉より先に幸せになってはならないと思い、断ってしまいそうだ。
(もうこの際、誰でもいいわ。婚約してくれる人いないかしら)
流石にディータは問題外だけれど。
しばらく考え込んでいると、リーゼの鼻を風に揺れた葉がさわっと触れた。
リーゼは小さなくしゃみをする。
いつまでも木にしがみついているわけにはいかない。
バルコニーに戻ろうと、手すりに手をかけようとした時だった。
「あ……」
枝から足を滑らしたリーゼは、慌てて手すりを掴もうとしたのだが間に合わず、バサドサッと盛大な音をたてながら木から落ちてしまった――。