いまさら
コリンナだけでなく、ディータと会うのも二年ぶりだった。
少年らしさが消え、二年前より顔つきが引き締まったように見える。
リーゼは元婚約者から視線を逸らした。
そしてコリンナに軽く頭を下げ、立ち去ろうとしたのだが。
「リーゼ」
ディータに呼び止められる。
無視したかったが、周囲の目もある。聞こえないフリをして、大声で呼び直されるのも嫌だった。
「話がしたい」
不機嫌な顔で言われ、リーゼは困惑する。
(……もしかして、ラウラのことだろうか)
社交界デビューしたラウラに、改めて婚約を申し込もうとでもいうのか。
流石にそれは虫がよすぎるし、頭も悪すぎる。
「……何でしょう?」
「……ここでは話せない。外で話そう」
「お兄様ったらぁ、壁の花どころか壁と一体化してそうな女を相手にしてあげるなんて、お優しいわぁ~」
「行こう」
腕を掴まれそうになり、リーゼは慌ててディータから距離を取った。
「話があるなら、ついて行きますから。触らないでください」
「あ、ああ」
冷たく言うとディータはたじろぐように視線を揺らした。
「ポイ捨て令嬢のくせにぃ~、なまいきな言い方ねえ~」
「コリンナ。あまりウロウロするなよ。すぐに戻ってくるから」
「はぁ~い。お兄様~」
口を尖らせ不満げな顔をしながらも、コリンナはひらひらと兄に手を振った。
ディータが入り口の方を目線で示し、歩き出す。
リーゼは鬱陶しく思いながらも、表情には出さず、ディータの後を追った。
ダンス会場になっている大広間以外の部屋は、待合室や休憩室として利用されていた。
そういう部屋は恋人達が密会に使ったりもするというが、今夜は王家が仕切っている夜会だ。いたるところに警備として騎士が配置されているので、不埒な行いはできないだろう。
逆上したディータに殴られそうになっても、大声をあげればすぐに駆けつけてくれるはずである。
二階の一室が、空いていたのでそこに入る。
もちろん密室に二人きりはありえないので、ドアは開けたままだ。
ソファとテーブルがあるだけの簡素な部屋だったが、壁にはファラリズ王国の国旗が掲げてあった。
――リーゼはあまり自国の国旗が好きではなかった。
紫は女神、白は神話の時代、青はラスター王家をあらわしているという三色の国旗。その中央には、緑の蛙がいる。
建国の英雄アバートが蛙が好きだったから……と言われていたが、好きだからという理由で蛙を国旗に据える意味がわからない。
リーゼは動物は好きだし、虫も平気だ。ただ唯一苦手なのが蛙で……妙に精緻に描かれた国旗の蛙を見ると、つい顔を顰めてしまう。
「カエル嫌いなのは変わっていないな」
リーゼが国旗を見て、表情を変えたことに気づいたのだろう。
ディータが苦笑しながら、リーゼを見つめていた。
婚約者だったとき。
庭のベンチに座っていると、蛙がぴょんとリーゼの膝の上に乗ってきたことがあった。
悲鳴すらあげられず青ざめていると、ひょいとディータがつまんで、取ってくれた。
こんな小さなカエルが怖いのか、と苦笑しながら……。
ディータはあの頃のような。
まるで婚約者だった頃のような声と眼差しをしていて、リーゼは懐かしさを覚える。
「……話というのは、何でしょう?」
けれど、それはすぐに、ジクリとした痛みに変わる。
低い声で問うと、ディータは溜め息を吐いた。
「そんな冷たい言い方をしなくてもいいだろう?……俺はずっと君に会って、話をしたいって思っていたんだ。今夜ここで会えたのも運命だと思う」
今夜は多くの紳士淑女が参加していた。
年齢的にラウラは社交界デビューの時期だし、付き添いでリーゼが参加するのも、自然な流れだ。
運命でも偶然でもなく、ほぼ必然である。
「……話すことなどありません。二年前にもお断りしましたけれど、ラウラのことは諦めてください」
二年前よりさらに美しくなったラウラを見て、想いが募ったのだろうか。
しつこく言い寄り、犯罪じみたことをされても困る。
しばらくラウラを一人にさせない、と心の中で誓いながら厳しい口調で言うと、ディータは首を振った。
「違う。ラウラのことはもういいんだ」
「……本当ですか?」
油断させる罠だろうか、と思惑を探るように見つめると、ディータはなぜか微笑んだ。
「本当だ。彼女のことは気の迷いだった。気づいたんだ……俺が本当に必要としていたのは、リーゼ、君なんだと」
「…………は?」
「別れて気づいたんだ。俺は素っ気なくてつれない君に腹を立てていただけなんだ。君に愛されていない気がして、だからあんな真似をした。君の気持ちを試したかっただけなんだと」
気持ちを試すために、ラウラを好きだと言ったのか。
あげくの果てにはみなの前で『婚約破棄宣言』だ。
それに――。
「この二年間、ポイ捨て令嬢って……私のこと散々、嘲っていたって聞いているけれど」
あれも気持ちを試す一環だったというのか。
「あれは……実は、君とやり直したいと父に相談したんだが……すぐには無理だと言われたんで、仕方なくだ」
「……仕方なく……」
「君の悪い噂が広まれば、いくらバッヘム家の令嬢といえど、結婚を申し込むヤツはいないだろう? まあ……実をいうと最初の頃は純粋に君のことが腹立たしくて、広めていたんだが。それについては、すまないと思っている。だが、俺と結婚すれば、ポイ捨て令嬢など、誰も言わなくなるから、安心してくれ」
腹は立たない。苛立ちもしない。
リーゼはただ……呆れていた。
「リーゼ。俺と結婚して欲しい」
ディータが真面目な顔で、リーゼを見下ろす。
ディータは二年前より精悍な顔つきになっていた。背も少し伸びた気がする。
すらりと背が高く、顔立ちが整った男に告白され、ときめく乙女はたくさんいるだろう。
リーゼも二年前なら、嬉しかったり、ドキドキしていたかもしれない。
「……ディータ。私、婚約するの」
まだお互いのことを何もしらないけれど、婚約するなら目の前の男より、ダミアンの方がよい。
いや、ディータと結婚するくらいなら一生、独り身でよい。
「ああ、すぐに結婚は無理だな。婚約からはじめよう」
何を勘違いしたのか、ディータが嬉しそうに頷いた。
「違うわ。あなたと婚約も結婚もしない。別の方と婚約するの」
「……な、なんだと?嘘はやめてくれ」
「本当よ」
「君のような女と婚約したい男などいるものか! どうせラウラ目当てに決まっている。それこそポイっと捨てられて終わりだぞ」
「だとしても。あなたには関係がないでしょう?」
「リーゼ」
「ディータ。常識的に考えて。あなた、自分から私との婚約を破棄したのよ? やり直せるわけないじゃない。うちの父だって認めないし、あなたの家だって」
「父も祖父も、今は……君との復縁を賛成してくれている。だから、君次第だ」
ディータがリーゼに近づき、腰に手を回そうとした。
二年前とは違う。手慣れた仕草だ。
リーゼは思いっきり、ディータのつま先を踏んづける。
「……っ!」
「ディータ、それ以上近づいたら、大声をあげるわよ」
「……こういうとき困るのは、女の方だぞ」
婚前交渉を堅く禁じられている他国に比べれば、ファラリズ王国は寛大だ。
しかしそれでも――男性に襲われた場合、被害者であったとしても、淑女としての評判は下がってしまう。
評判を気にし、泣き寝入りする令嬢もいるという話を耳にしたことがあった。
「ポイ捨て令嬢って散々嘲られているのに、今更、社交界での評判なんて気にしないわ。それに大広間で、あなたが私に声をかけているのを見ている人もいたわ。捨てた女に今更何の用が、ってみんな不思議に思っているはずよ」
「リーゼ」
「王家主催の夜会で、騒ぎを起こしたくないのはあなただって同じでしょう?」
コリンナが王太子妃の座を本気で狙っているとは考えにくいが、王家に悪い印象を持たれたくはないだろう。
リーゼが脅すように言うと、ディータは考え込むように眉を寄せた。
「……俺は諦めないからな」
しばらくリーゼを睨み下ろしたあと、小さく舌打ちをする。
そして、捨て台詞を残し、ディータは部屋から出て行った。