エピソード56:憎しみすら近き存在
風すら恋しい猛暑の昼間。スクラッシュとオルディネとゲネシスの三ヶ国が会議を始めるとの情報を事前にキャッチしていた治安団団長イクモは新たなる敵を迎え撃つ準備として、時間の合間を縫って総合的な訓練を団員の一部に命令していた。
「くそ、あちぃ」
団員の一部は不満を漏らしていたが、誰一人その場でリタイヤしようとする者は皆無。
それは誰もが悪は許さないという不屈の意思であるが所以であった。
「てめえはもっと身体を動かせ。喋ってばかりだと足が腐るぞ」
「は、はい!!」
後ろでややバテている団員に叱責しながら、ぼさついた茶髪を揺らすザットは悠々と敷地の回りを周回していく。
爽快と駆け抜けるザットに皆が尊敬の眼差しを向けようとも自分は自分であると、ただ目の前にある地面を走り抜ける。
そうした中で追い付く者が一人。黙々と集中しているザットに話し掛ける。
「もう少し部下は労った方が良いぞ?」
「兄貴、こればっかりは俺のペースでやらせてください」
「そうは言っても……この組織は一人一人が団結して、ようやく始めて力を発揮出来る。独りよがりをしていては真の力は生み出せないぞ」
ザット・ディスパイヤーは過去、自分を生んでくれた母とどんなにわがままでも願いを叶えてくれた父。
そして一番に接してくれた優しき姉をたったの一日で失った地獄の日を味わって以来、彼にあった優しさという感情はバラバラに砕け散った。
昔は誰ふり構わず態度が横暴であったが、現在は少し口が悪くなっただけ済んでいるのでかなりマシにはなっている。
それもこれも村と家族を失った時期から加入してきたザットに対して、なるべく時間を作ったホープ・ライアンのお陰でもあったが。
「……俺には部下の接し方なんて分かりやせん」
「まずはその粗暴な態度から直さないとどうにかならないな」
「直すつもりはありません」
「いつまでも、副隊長なんて呼ばれるのは嫌だろ?」
別に上に目指そうとしたつもりは全く持ってなかった。ただ目の前にいる敵と兄貴の期待に応えようとする両者の想いが、偶々功績を遂げて昇格しただけの事で。
本人にとっては、この組織に雇われているだけでも充分だったのだ。
「いえ。俺は全然気にしていません」
「そうだったとしても……今後、アルカディアがいつまたどこであのような大規模な計画を移すか分かった物ではないからな。一応、念には念をいれて私が直接叩き込んでやるとしよう」
「兄貴が?」
「私相手では弱すぎて、逆に不満か?」
ホープ・ライアンとの直接対決。それはザットからしてみれば願ってもいない絶好の機会であった。
身分も力も、あの頃から遥かに向上した自分に敗北はないと。自信だけが溢れていき、戦意の炎が燃え上がる。
「いいえ。逆にうずうずしてきましたよ!」
敷地の真ん中へ。腰の隣に備え付けていた得物をゆっくりと引き抜く事で、剣の刀身は持ち手と同様に全く錆のない灰色を見せ付ける。
気合いは充分。戦意に溢れたザットにライアンは同じく武器を引き抜いた。
この蒸し暑い空の下で敷地を走り回る団員が何事かと集まるのに掛かった時間はそう長くはなく。
余りにも異様な光景に団員達の目は意識的に止まる。
「さあ……久々にやりあいましょうや!」
「言っておくが、情けは一切しない。但し訓練の都合上、本気で殺るのは禁じ手とする」
合意を承諾して真っ先に掛け走るはザット。ライアンに提示されたルールすらも無視するか如く、急激にそして乱暴に振り下ろす姿に皆は目が点となる。
「あれが……灰色の副隊長か。呼び名は伊達じゃねえな」
「それにしても、それすら安易にかわす隊長もやべえぞ」
咄嗟の動きも目で判断しながら、いつ仕掛けようかと頭の思考を張り巡らせるライアン。
どちらかが負けを認めるかケリを付けない限り、終わりは見えない激闘に敷地の回りで始めは呆然と眺めていた団員達から熱いエールが飛び交う。
「もっと押し込め!」
「隊長! ザット副隊長なんかに負けないで下さい!!」
剣と剣がぶつかり合い、地面に火花が撒き散らす中で互いに負けは譲れまいと意地でも張り合う両者の戦闘はかつてなき攻防戦と移り会場はヒートアップ。
もはや訓練ですらない何かが……蠢いていた。
「兄貴。こういうのは普通、部下に勝ちを譲るもんですぜ?」
「やる時は徹底的に集中して取り組みたいからな。悪いが……部下に言われても勝ちを渡す訳にはいかない。特に昔から手塩に掛けた育てた君には!」
「へっ! だったら俺は兄貴を越えてやります!」
「出来る物なら……やってみろ!」
過剰に燃える団員の声援。次第にヒートアップする魂の戦闘。
時にどんな様子でやっているのかと団員達の頑張りを見学する為にイグモ団長は足を運ぶ。
だが……遠くから見えた異様過ぎる光景に目を疑っていた。
「な、な、なにやってんだぁぁぁぁ!?」
「イグモ団長!?」
驚いている団員に事の顛末を聞いて、非常に呆れ果てるイグモ。
組織の中の模範となるべく選定したライアン・ホープ隊長からまさか試合の申し込みを仕掛けてくるとは。
あの戦闘マシーンと化したザットにした物だから、こればっかりは安易に収拾が出来ない。
事情を知ったイグモはすぐさま遠くで声援を送る団員達を収拾して、指示があるまで待機するように命令。
治安団のトップの命令には逆らえまいと皆は残念そうな表情でその場を後にしていく。
こうして残るのはまだ戦闘を続けながらもいがみ合う二人。
訓練の意味を履き違えている事に多少の怒りすらあるイクモは頃合いを図って、張り叫ぶ。
「この野郎!! 皆の規範となる存在が思いっきり脱線してどうすんだ!! 即刻手を止めろ!!」
年齢にしては頑張って叫んだ方だと思い込むも、誠に残念な事に二人は今ある状況に必死だったのか治安団の団長の声が全く聞こえていないという無慈悲。
「おいおい。俺の言葉すら無視かよ! どうやら痛い目に合わないと修正が効かないようだなぁ!」
この間違った状況は一刻も早く修正しなければ収まりがつかないと。
手持ちの剣を携えて、良い年をこいた年齢でありながら地面を大きく蹴り上げる。
無我夢中のザットとライアン。距離を詰めた頃には戦闘は完全にイクモの流れで勝ち進んでいた。
豪快な技が交わった技量と体術。武器だけに頼ろうとしない強力なそれでいて圧倒的な力に両者はなすすべもなく戦意を失う。
この直後、我に帰ったライアンは自分の犯した行為に猛省していた。
対して……ザットは平然とした顔付きで立ち上がる。
「おい、こら。今回ばっかりは許さねえぞ」
「……兄貴が吹っ掛けたんで、受けただけーー」
「あぁん?」
「申し訳ありませんでした。自分の犯した行いは到底許される物ではありません」
普段どこにでも居そうなおっさんがこうまでキレてしまうとは。
よもや収拾が付かなくなると見込んだザットが即座に移した行動は謝罪であった。
ライアンも痛め付けられた身体をゆっくりと起こしてから、言い訳もせずに頭を下げた。
「全て私の責任です。治安団の隊長でありながら、模範となるべき存在がこうも逸脱したのは不徳の致す所でございます」
「だろうな。まさか……訓練の最中に隊長クラスが勝手にコロシアムごっこをしているなんて、俺の中では前代未聞だよ」
「いかなる処分も受けます」
「そうやって、すぐ処分に逃げ込む癖を直せ。お前のその何でも丸め込もうとする習性は時にうざったくなる」
「じゃあ、俺がーー」
地面に力強く投げた剣はザットとライアンの前で横に通じて広がる。
ひび割れた地面に両者が固く口を結んだ瞬間でもあった。
「処分はしない。今、こんな状況下で出勤停止の命令を下したら戦力面に大きな穴が開かねないからなぁ。まぁ、精々今後は勝手な行動で俺を困らせるなよ。次こそはきちんとやれ!」
「寛大な処置。ありがとうございます」
「はあぁ。折角の訓練が一気に台無しなっちまった……こうなったからには部下に謝罪ぐらいはしとけよ?」
怒りが静まり返ったイクモは今回起きてしまった件について、全団員に謝罪を告げる事をライアンとザットに義務付けた。
これにて、ひとまずは一件落着。収まりがついた騒動にホッとした思いで胸を撫で下ろすイクモ。
ライアンとザットは互いに向き合い、謝罪の言葉を口にする。
「すまない、どうやら頭に血が昇っていたようだ。これでは隊長失格物だな」
「安易に喧嘩を買っちまった俺の方に責任はあります。兄貴は何も悪くないので、自分をどうか責めないで下さい」
「うーん、よしよし。それじゃあ、団員を呼び戻して訓練を再開するぞ。今後来る敵に備えなきゃならねえからな」
ザットはご機嫌が良くなったイクモにやや呆れた表情を浮かべた。
まさか、あんなにもキレていた団長が……状況が元通りになっただけでここまでケロリと戻ってくるとはと。
苦笑いを浮かべるライアン。ちょっとのトラブルはあれど、またいつもと変わらぬ景色が一気に変化したのは……数分後に起きた悲鳴であった。
「聞こえたか?」
「嫌な感じがします」
「……おいおい、まさか」
気楽な雰囲気から一変して緊迫とした状況に早変わり。誰かの悲鳴から良くない状況下にあるのをすぐさま感じ取ったイクモ。
二人を置いて、猛ダッシュで訓練場を後にした。
残されたライアンとザットは横目にずらして、小さく首を縦に。
互いに思っている事は一緒で。この後どうするかは両者共に通じあっているので不要であった。
「敵襲って奴ですかね?」
「かもしれん……それにしても、本部アークスに襲撃を決行するとは。これは随分とおぞましい状況になってしまった」
「そんな状況すら、俺が叩き潰してやりますよ」
「頼んだぞ。敵の殲滅はザットに一任する」
「了解、任されました」
本部アークスの敷地から、顔を出せば見える目にも疑う光景が襲い掛かる。
それは黒いローブをした魔法使いのような者がぞろぞろ歩くという余りにも不気味過ぎる光景で。
無言でこちらに向かってくる白いローブを着飾った謎の集団のど真ん中で、ライアンにとっては以前見掛けた事のある人物がこちらを覗いていた。
「見つけたぞ。俺の光を奪った糞野郎を」
「標的は私のようだ」
「まさかの兄貴狙いかよ」
「どうも、目を奪われたお陰で奴は私に夢中になったらしいな」
突然の奇襲もこれで読めた。追い返すには力で押し倒すしか方法がないと悟ったライアンは武器をしっかりと力に込めて。
「気を付けろよ。これでも監視役のあいつがコロッと殺されている」
「イクモ団長、余裕があればフォローを。こいつを一人で静める自信はありません」
「言われんでもリーダー格の相手はしてやる。見た感じ、そんな簡単にやられてくれると思えないしな」
真顔でいて、接近してくるリーダー格の相手に張り詰めた顔を浮かべるイクモ。
ザットもすかさず灰色の剣を構えて、気合いは充分。もう戦闘状態に移行するのも時間の問題であった。
「左目を奪った罪。死を持って償って貰う」
こちらから見て、右目がすっかりなくなったサイガの顔は以前と比べて怨念を持っている。
ぞろぞろとゆっくり近づきながらも、月に照らせばよく光る黄色の剣を片手にぶら下げつつ。
「宗主も使命も今は捨てる。この瞬間は全て!! お前を殺す!! 故に……覚悟しろぉぉ!!」
執念に燃えたサイガの咆哮はどこまでも空高く。怒りに震える刃は持ち主に応えるが如く、強烈な一閃を解き放った。