エピソード49:その男。真理を求めて
横殴りに降り注ぐ容赦なき豪雨。黒い雲の下、とある森林の奥で一人の人物が静かにただ静かにその時を待つ。
「来るか」
黒を基調としたコート。どこか影の匂う人相を放つ銀髪の男は来るべき時を図る為に自らの身を隠し、ひたすらに時期を見計らっていた。
沈黙を守る中である日豪雨の最中に聞こえる僅かな足音。男は小さな洞窟で待機していたが、古来から所持する手の紋章を要して空中を優雅に飛び交う一体の小さきモンスターを見張りとして使役した。
長らくはそれで周囲を観察していたが、気配は突然に察知される。
豪雨の止まない空の上から淡々と周辺を旋回しながら泣き叫ぶモンスターからの伝達。
男はその伝達内容に従って、長きに渡り活動を停止していた歩みを再び始める。
「絶望の極致。常の闇にて円転を図るか」
前回利害の一致として協力関係に築かれたオウジャが死去してから一ヶ月。
月日はあっという間に早く流れる物であり、それでいて男が未だに求める真理には程遠い毎日が過ぎ去った。
そんな無に帰される日が今宵開かれると予測した男の表情は少しばかり上に向く。
ぐしゃぐしゃに濡れきった水溜まりを踏みつけ、使役したモンスターが察知したとされる場所へ赴くと。
「貴方が……かのモンスターを使役し、尚且つ自分が生まれた理由を探る為に以前傲慢王と協力関係にあったアビスさんですか?」
「何者だ?」
アビスは身構えた。自分の正体を事前に知る紫髪の男性から纏うオーラは人の持つそれとは大分違う。
この男にはそれなりの理由を持って、この場所に足を踏み入れているのだと。
「失礼……俺はミゾノグウジン教の宗主アルカディアに仕えるサイガ・アルフォース。貴方とは良き関係を結ぶ為にこうして身を乗り出しました」
「何故、この場所が分かった? ここは普段歩みを止める者が大き迷いの森。わざわざどう察知した?」
「感覚いや緻密な調査を重ねた結果とだけ言い残しておきましょう」
「目的を聞こう」
「単刀直入に言ってしまえば……先程も言いました通り、貴方には是非とも宗主アルカディアの傘下に入って頂きたいのです。素晴らしき世界を作る為にも」
突然告げられた誘い。サイガは身を低くして、アビスの反応を窺う。
しかし、返ってくる言葉は無情なる一言。
「断る」
「何故?」
「お前達と手を結んだ所で自分に返る利得は無きに等しい。理由はただそれだけだ」
戯れ言には興味がないと解を得たアビスは元に居た場所へと歩み出す。
とぼとぼと歩くアビスの背中にサイガの歯軋りは今に止まらない。
本来なら、言葉だけで説得を済ませてスムーズに宗主アルカディアの元へお招きをすればそれで良かった。
だが、この男は一言告げれば用はないと切り離した。
このままでは宗主アルカディアに顔向けが出来ない上に、モンスターを使役させる力を遺憾なく使いこなす重要な戦力に相当するアビスをみすみす見逃していまいかねない。
焦燥に刈られたサイガは覚悟を持って、月の色を匂わさせる黄色の鞘から同色の剣を引き抜いて距離を狭めると静かに振り下ろす。
「何の真似だ? もう話は済んだ筈だぞ」
「まだ終われない。貴方を……いや、お前の首が縦に頷くまでは」
「強行か。ならば抗わせて貰おう」
条件反射で腕先から伸ばした剣で対応するアビス。戦意の程を確認すると、咄嗟に反撃の構えに入る。
一切の機会すら与えない容赦のない追撃に対して直撃を受けまいと応戦するも否応なしにじりじりと足が後に下がっていくサイガ。
苦渋の表情を浮かべながらも決死の行動で応戦を開始するもアビスは冷静に事を対処する。
彼の類いまれなる身のこなしに翻弄されるサイガ。
豪雨の止まない悪天候の状況下で戦闘は激化していく中で互いに服はボトボトと水の重さも相まって動きは重くなる。
「まだ続けるか?」
「悪いが、俺には意地でも引けない理由が明確に存在する! こうなったら実力で物を分からせるだけだ」
「お前が目指す理由は何処にある?」
「神を蘇らせ、もう一度この汚れきった世界を零から再生する。それこそが宗主アルカディアの目指す偉大なる計画……俺はこの救いなき世界をもう一度新たに作り替えるんだ!」
理想に共感したサイガは数年前にある出来事をして深く絶望した。
組織に塗り固められた自分以外の仲間が惨殺同然の殺しを受け、命からがら逃げ延びたある日。ある場所で白いローブを着こなした上に優雅に語りかける宗主アルカディアに自らの絶望をみやぶられ、そして時期が来れば開始する偉大なる計画の戦力として部下に入るよう命じられた。
始めは無論怪しい者として認識し、宗主アルカディアの話を無視して帰ろうとした。
しかし、彼は非常に強情であり尚且つサイガに振り撒く表情は自信満々に満ち溢れていた。
去り際に見せたその顔が気に止まると、話をうやむやにして途中で逃げるように帰ったサイガは再び宗主アルカディアの元へ舞い戻り今の自分が収まる器はここであると決意した時から宗主として崇め、今日まで生きてきた。
悪天候のフィールドを駆使して接戦を繰り広げる二人の男。
互いにすれ違う剣は一振り下ろせばけたましい金属音が咆哮する。
「私は自分の存在を知れれば、それで良い。他の事など微塵にも興味はない」
「だったら! 俺達に協力するメリットは充分にある!」
引き分けの状況で空高く指を弾くアビスの元に集まりしは人をも噛み砕きかねない強固なる歯を備えた肉食のモンスター。
それらがぞろぞろと気が付いた頃にはターゲットの駒にされているであろうサイガを取り囲む。
四方八方抜け出すには難関な状況下でサイガは微動だにせずモンスター達を睨むようにして牽制を図る。
「この襲撃にどう抗うか見物だな」
「俺を舐めるな」
歯を剥き出しにして獲物を喰らうかの如く、奇声を上げて一斉に襲い掛かる。
それらに対してサイガは着実に始末を付けていく。流れる動作で身をかわし、その上で胴体を切り裂き背後から奇襲するモンスターを簡単にあしらった後に周囲のモンスターを嵐のように次々と葬り去る光景にアビスは眉を潜める。
「残りはお前だぁぁ!」
豪雨に打たれた影響で泥々と地面に転がるモンスターを全て始末し終えた頃には、激しい形相で切りかかる。
一気に近付いてきたサイガに対し、アビスは咄嗟に防御の構えに入るも最初に増して強さが段違いだった。
反応が少し遅れた結果、片方の頬に剣のかすり傷を請け負う致命傷を招く。
片方の頬から流れる血は首に垂れ、形勢はややサイガの方に優勢となる。
途端に劣勢に回りつつあるアビス。豪雨の威力は更に倍増し、激しい動きが身体に響いて息を切らせるサイガ。
あともう少しで追い詰められると悟り、自分の身体を震え立たせながら再度アビスに猛攻を仕掛けると何度か切られ状況は一変。
その圧倒的な攻勢からサイガは勝利を確信した。
だが、このほんの僅かな油断が死を招くという恐れに立たされる事を知らずに……
「さあ、敗けを認めろ!!」
「愚かな」
優勢に入ったサイガの気は緩んだ。その隙を付いたアビスはキリの良い所で足の付け根を足で払い除けて、まんまと引っ掛かりずぶ濡れの地面に手が付いたと同時に黒のコートの腕から飛び出した剣を背中の首筋にピタリと当ててみせる。
最後の最後に油断が招いた敗北の結果がここにあった。
優勢から劣勢にそして敗北を許したサイガの末路。
この次の瞬間に首元を貫いてしまえば、アビスは勝利する。だが、それを決行しないのは彼の持ち掛けてきた話に僅かながら興味を持った事そして彼の持つ本質と野望にも興味を引かれたからだ。
「どうした? 俺をこの場で貫けば……お前は勝てるんだぞ? 死ねば、お前を追う事も出来なくなる」
「ここで殺すのは簡単だ。しかし、それを許せば戻れなくなる」
ほんの少しで貫かれる首と剣の距離。腕型の剣を離して瞬時に戻したアビスの戦意が消え失せたとサイガの戦意も消える。
互いに向き合う両者。サイガは負けた事実を受け止め、無言で背中を向けて帰っていこうとした。
「待て」
「俺は負けた。敗者になった今、潔く帰らせて貰う……もうお前と会う機会はないから安心しろ」
「主に会わせろ。それからお前達の元に付くかを判断する」
「お前……」
「サイガ・アルフォース。お前の私に対する執着心とその熱意に免じて、取り引きに興じよう。但し……お前を仕える主に直接機会を果たし、利がないと判断すればその座から退かせて貰うが」
最初は断固として拒否の構えに入っていたアビス。しかしながらサイガとの死闘を繰り広げ、その強固な考えは和らいでいった。
この大陸を零から作り上げた創造神ミゾノグウジンを布教する宗主アルカディア。
自分が目覚めて、何故モンスターを従えさせる術と生まれた理由を探っていた頃から一度たりとも会う機会が恵まれなかった彼とお話をするチャンスがここに今到来したと考えるとあながち拒否する理由は見当たらない。
サイガと一度剣を交えた事が決定打となり、落ちぶれるサイガに対して誘いを容認するアビス。
当然ながら、サイガの曇った心は一気に晴れ上がった。内心喜びが押さえきれない程にまで。
「そうかそうか。そうだったのか! なら……今からでも良いか? 早い内に宗主アルカディアの元へお連れしたい」
「構わない」
「ここから少し離れているが拠点まで瞬時に移動が可能な魔法陣を敷いている。俺の後に続けて付いてきてくれ」
「承知した」
「あと……関係ないが、お前を説得するがゆえに顔に傷を塗ってしまった事に対しては申し訳なかったと思っている。謝った所で許されるとは思っていないが」
「戦闘に感情の持ち越しは不要だ。お前はお前のやり尽くした使命に誇りを持て。決して、個人の感情を持ち出すな」
両者は互いに和解した。アビスはサイガの仕出かした罪を赦し、ただ黙々と歩く。
一方でサイガはアビスの発した言葉に縦に頷きつつも、宗主アルカディアの元へご紹介する為に早足で悪天候に晒された森を後にしていくのであった。
「ありがとう。お陰で心が少し晴れた」
「指摘をしただけに過ぎない。私がお前に感謝される覚えはない」
「それでもだ」
「…………勝手にしろ」