エピソード32:嘆きの懇願は空へ
「奴め。あれを使ったか」
城の揺れる音。そして剥き出しになる景色の中には一人の青年と人間の形からはかけ離れた物体。
アビスは執拗に迫り掛かるザットの攻撃を払い除けて、身近な屋根に飛び移る。
ここから一望出来る景色は一味違った物で上から見る事により遠くにあるぼやけた物や下に居る者達の気配を察知する事がアビスなら可能だった。
その最中で突然発生した城の揺れと崩壊。仕出かした犯人はオウジャ・デッキであろう事は既に読めていた。
その男は準備を進める以前に最悪の場合があれば切り札を呼び寄せると宣言していたからだ。
予め知らされていたアビスには驚きはない。それどころか別の可能性を考えていた。
最悪の場合が起きた時の切り札。これを使ったとなると元のままでは埒が明かないと判断して禁忌を使った可能性が極めて高い。
となるとオウジャの死期はもうまもなくと言った所。彼が死ねば協力する意味は一瞬にしてなくなる。
アビスの求める物はオウジャとはかけ離れているのだから。
「どこに居やがる! こそこそと隠れてんじゃねえぞ!」
「まだ立ち向かうか」
「そこか!」
建物を土台にして屋根まで飛び乗るザット。憎しみの感情が溢れだし、灰色の剣を構えてゆっくりと近付く。
「よもや終局は近い。あの城で起きた現象を考察すれば」
人間の身体を捨てる代わりに人外の力をその身に宿す紋章を与えたアビス。
一時の契約をした時から与えられていたオウジャ。初めの内は力が急激に倍増し、自身の進化に喜びの声を上げる。
しかし、その裏腹とは代償に自分の意思とは別にして徐々に理性が溶け去り最終的には目の前に物体があれば何もかもを食らいつくす化け物と化す。
その事は既にオウジャにとって聞いていた話で、あれを使った時点で人間としての身体は惜しくもなく捨てたと言って良いのだろう。
アグニカ大陸を掌握する為に自らの器さえ捨てたオウジャ・デッキ。
彼の向かう命運は何処に行くのか。
「あっちじゃ、あいつが必ずやってくれる」
「何?」
戦場の中で見た、強力な斬撃。それは通常とはかけ離れた力で常人には到底なし得ない物。
年も変わらぬ青年が手にした武器は異世界ではどこにも存在しない特殊な武具。
前々から不思議に思っていた青年がこうも異常な力を発揮するとは実に驚きである。
無論剣の事も加えて関心は別にあった。
「あの剣の力は相当なもんだ。本人の技量が伴っていなくとも強力な力を宿している。加えて、素人のくせに敵のど真ん中に突っ込もうが堂々とした態度をしている以上メンタルはそれなりにある。まぁ、城に向かったのは白女も合わせてたったの二人だから戦力的に不足しているな」
「命運の扉は開いた。私はこの後に続く選択肢を受け入れる。そして、これからも真理を食らい続ける」
「させるかよ!」
振り下ろした剣を瞳で見切り、数回振り払う剣の動きを見切って蹴りを入れる。
当たるだけで身体が一瞬止まってしまう痛みで。
「手緩い。お前の動きは実に浅はかだ」
腹を抱え込みながらも、ゆらりと立ち上がる。剣を持ち直して進む姿にアビスは心底呆れていた。
劣勢に立たされてもなお、無力に終わる戦いに挑むのかと。
「感情という物は不便だ。身体は別に動いて、心を強制的に縛り上げる」
再び迫り来る狂気に対してアビスはすかさず距離を取る。一方でザットは逃げるアビスを執拗に追う。
「てめえ!」
しつこく追い掛けるザットに反撃を加えて動きを鈍らす。そのタイミングを見計らって、魔法の陣形を周辺に敷いた。
魔法の陣は怪しき光を放つ。よろめいていたザットはさっきの反動で身体が大人しく言うことを効かない。
ザットは自分の犯したミスに苛立っていた。
「奴との契約は切れた。私は今この瞬間闇の狭間となって消え失せよう。真の理が映る日まで」
「お前は……また逃げるのか!」
「私は理から一旦外れる。また、会う機会があれば意思の強さを証明してみせろ」
周辺に出現した黒い靄はザットの視界を遮る。何度も何度も振り下ろして、実体を掴もうと抵抗を働き掛けるがその努力は虚しく靄が晴れると同時にアビスは消え失せた。
「てめえは一体何がしてえんだ。くそがぁぁ!」
もう、ここに留まる理由はなくなったのだろう。何もかも無力に終わったザットはただ一人ポツンと残される。
遠くから見える城の荒れ模様が甲高く反響。虚しく残された青年が吠えるのは救えなかった者達への後悔。
「母さん、父さん、姉さん。この命に代えても絶対にやり遂げる」
荒れ果てた景色に見える姉の姿と両親の姿。それはザットにとって大切な物であり失ってはならぬ物であり、一瞬にして奪い去ったアビスはよもや復讐の塊。
またしても逃してしまった彼に残る感情。それは怒りであった。
「お前の命は何があっても奪う。俺の思い出を消し去った罪……どこまでも付きまとう事を忘れるんじゃねえぞ」
姿を消したアビスに一言恨みを運んで、ザットは屋根を伝って目指す。
「さーて、俺が向かうまで簡単にくたばるんじゃねえぞ」
爆音が響く荒れ果てた城に。願わくば二人が満足に生きていると信じて。
※※※※
相手の動きは人間であった時より凄まじい動きをしている。
人間の姿を捨てたオウジャは自身の居城を躊躇なく破壊し回りにある全ても壊す。
初めの内は彼にも理性らしき所はあった。だが、時間が経過していくにつれて自我の部分は崩れ去ってきている。
そうして最終的に今真正面に立ちはだかるのはオウジャ・デッキという身体を媒介にして動き回るモンスター。
いや、それよりももっと酷い化け物か。
「ハカイスル。ハカイスル……オレサマノジャマヲスルモノスベテヲ」
「これが貴方のやりたい事ですか?」
自身の野望を実現せんとするが為に世界を巻き込む迷惑人が最後に残ったのはただただ破壊だけを実行する理性なき怪物。
「キエロ!!」
「ぐっ!」
足元からうようよと湧いている蛇は馬鹿に出来ない程の力。うじゃうじゃと気持ち悪い動きをする一体の蛇が口を開けば、壁の穴を作ってしまう位に強烈な光線。
迂闊に当たれば命はない。しかし、相手は破壊する為ならあらゆる手を尽くす。
「クチルガヨイ」
数体の蛇が口を開いたのは非常にまずい! 一回でも当たったら完全に致命傷だ……でも、だからと言って先読みの力はこれ以上酷使出来ない。
使えば、僕の瞳に痛みが走る。何とか使わない方向で!
「うわっ!」
「メニミエルモノ。ハイジョハイジョ」
圧倒的な物量。足元に浮かぶ蛇達は標的を捉えると共に真っ先に対象者に向かって光線を放ったり、伸縮して接近してきたりと思い思いの攻撃で苦しめる。
更には意識はもはや蚊帳の外と化したオウジャが自ら飛び込む。
もう、この時点で色々と王座は形をなくして崩壊の一歩を辿っていた。
壁の城壁が消え去り、あと少しでも大きな衝撃を加えれば足元は愚か屋根も崩壊するという危機的な状況下。
最後に託せるのはやはり……この蒼剣か。
「頼むぞ。君だけが僕にとっての希望だ」
蒼剣は僕の意思に準じるように輝きは一定から倍にも増して応える。
真正面で叫ぶ理性なきモンスター。その怪物を凪ぎ払う力を僕に授けてくれ!
「トラエタ」
「こいつでけじめをつけよう!」
祈りは応えて、蒼剣は異常な程の熱を帯びると同時にさっきまで軽く振り払えていた剣が急激に重くなっていく。
油断していたら剣を床に落としてしまいそうな勢い……だが! ここは踏ん張るぞ!
「はぁぁぁ!」
飛び付く蛇には剣でぶったぎり、遠距離から光線を飛ばす蛇に対しては弾き飛ばす。
数体の蛇を所有するオウジャは王座に座ってるが如く高みの見物。
けれど、その余裕ぶった態度も終わりだ。
「ヌゥゥゥ!」
「さあ、ありがたく受け取れ!」
距離を取った時点から胴体を切り裂き、手始めに動きを鈍らせてから何体かの蛇を黙らせた後に頭部を振り下ろしてから何回か切り裂いてから突貫。
それからは何回か往復するようにして行き帰りの振り払いを一度たりとも手を緩めることなく繰り返して最後のとどめに身体の中心地点に剣をぶちこむ。
人間の身体を捨てたオウジャの悲鳴は外にも漏れているだろうが僕は気にしない。
「グォォォ!」
「蒼天の舞・三日月!」
何度か切り裂き、身体の中心をとどめとして差し込む技を僕の技とする。
これが異世界で手に入れた僕なりに考案した最初の奥義だ。
「貴方の野望は打ち消されて、溶けていく。僕に距離を詰められた時点で敗北は決まっていたのです」
崩れ去る巨体。時が経過していく度に砂となって消える蛇とピクピクと震えるオウジャ。
例え、今近づいてみた所でさっきの反動のお陰で最初に出会った頃の覇気はない。
戦意もまるで感じないし、ここで倒れているのが国を束ねる王様なのかすら怪しい。
「野望は潰えたか。俺様の目指す計画がこうも終わるとは」
「どうして、貴方は世界掌握に拘るのですか? 国王なら皆の幸せをより良くする為に率先して動く偉大なる存在でなくてはならない筈です」
「……生まれた時、そして父の背中を見ていた頃から俺様の思うように世界を全て統べたい。ただ、それだけの事よ」
「貴方がやってしまった悲劇はもう巻き戻らない。反省して全てを償って下さい」
「俺様に罪はない。後悔も懺悔も」
ふらふらと立ち上がるオウジャは心を取られた藻抜けの殻。完全に覇気が消え失せているのですが。
「だが……罰はここにあったか」
ガクンと揺れる音と一緒に奈落に落ちたのはオウジャだけ。手を掴もうとするも落ちた先は底でどうにしても助けられそうにない。
もし、ここから飛び降りれば間違いなく死亡する。仕方ないけど回り道を使ってオウジャの無事を確認するべきか?
「くそっ!」
落ちた所に行けば、もしかしたらオウジャはまだ辛うじて生きているかもしれない。
いや、生きている保証は決して高くはないのかもしれないけど……悪い方向で考えてしまうのは良くない。
「僕が行くまで、死ぬなよ」
貴方には償う罪がある。それを償わずして死ぬのは決して許さない。