エピソード27:1つの紐がほどかれた瞬間
「脳にも身体にも異常なし……調べてみた限りでは正常です」
「頭の割れるような頭痛があったのにも関わらずですか?」
「うーん、異常は見られないな。MRIで検査を掛けても良いけど、余り意味があるとは……」
結局、僕の容態に問題はないとの事で総合的に様子見という形で終わってしまった。
一応頭の突発的な痛みを抑える薬は容易されたけど、これを使う機会はあんまりなさそうだし何より病院代を払って貰った神宮さんには申し訳ない気持ちで一杯だ。
「君の身体が手遅れになる前に連れてきたの私だ。何も謝る必要はない」
「代金はいつか必ずお返しします」
幾ら良いとは言え、それでは僕の心が納得しない。今の将来、全くビジョンが見えていないけど今度返せる機会があったら返さなくちゃ。
「ははっ、なら返せる時に返してくれ。無論ゆっくりでも構わないから」
「はい。そうさせて貰います」
おっと、帰り際にラインが。どれどれ……
[こっちの用事は済ませた。翔大は今病院に居るのか? 終わりそうだったら返事をプリーズ。俺はバス待ちで辛い、、]
「さて……病院で検査をしている内にお腹が空いてきてはいないか?」
お腹か。そう言えば何か腹に食べておきたいな。時間帯にしてお昼真っ盛りだし。
かと言って、これ以上神宮さんのお世話になるのは気が引けるから駅前で降ろして貰ってお別れという形で。
「もうちょっとで家に到着するから、冷蔵庫にある食材で料理を作る。それまでは堪えてくれ」
「そ、そこまでして頂かなくても」
「いいや、させてくれ。折角久しぶりに出会った君と少し雑談を交わしておきたい気分だからね」
とても断る雰囲気じゃない! ううむ、ここはお引き取りに願うように書いておくか。
「もしかして友達を待たせているのか?」
「えっ……あぁ、はい待たせています」
「そうか、だったらその子も家に連れていくとしよう。但し、君の友達にはスケジュールを聞いておいて欲しい。余り無理強いは出来ないしな」
僕にもスケジュールはないから良かったけど、あったらどうなっていたのやら。
取り敢えず、明も巻き込んでみるか。この人から話を聞ける日なんて思わなかったし、何より僕が一人で居るよりいつも安心していられる明が居るのであれば余計な緊張をせずに済むしで至れり尽くせり。
「僕の友達が希の墓参りを終えてバス停に居るので、そこで拾って頂ければ」
「分かった。急いで行くとしよう」
今から向かうと30分以内か。いつまでもバス待ちされていたら可愛そうだし、早くメッセージを送ろう。
[お待たせ。僕は急遽希の父さんの計らいで昼御飯を御馳走して貰える事になった。予定があいてもなくても今から車で拾ってくれるようだけど、明も御馳走になる?]
「これで送……早っ!」
送って間もないのにすぐにメッセージ。しかも、オーケーと来た。
「どうだったかな?」
「大丈夫そうです」
「今日は大盤振る舞いになりそうだ」
その微笑みは無理して笑っているのが分かる。どう笑おうが、僕からしてみれば愛想笑いを浮かべているようで。
希と遊んでいた時期。彼女からの話では大変仕事に一筋だとか。
だけど、仕事の関係上一日中家を空けている事については全くと言って良い程気にも留めていない。
寧ろ、希は自分が父親のお陰で今があるという状況に感謝していた。
本心が聞けたのは、彼女が亡くなる一年前。答えが分からなくて宿題を教えて貰うという理由で初めて家に上がり込んだ時だったか。
勿論、僕が進んで女の子の家に上がり込むような真似は断じてしない。
幼稚園の頃から知り合いだったとはいえ……それはやっていけない事だって分かっているから!
「父さんは帰ってこないから、ゆっくり教えられる。さーて、今日は私がビシバシと叩き込んで上げるから覚悟なさい! 終わるまで決して帰さないから!」
「ほ、程々にしてくれ」
希の部屋じゃないにしろ女の子の住んでいる部屋に上がるのは何とも緊張する。
落ち着かない足取りでテーブルの座敷に座ろうとした時にふと視線が移る。
それは彼女によくに似ている女性で唯一の違いは黒の髪を一つに纏めている事。
僕の足は仏壇の方へ。母になって数ヵ月でこの世を旅立ってしまった希の母さんには幸あれと。
「ありがとう。母さんも喜んでいる」
「うん。どういたしまして」
「これ、前から作っていたの。良かったら食べて」
さりげなくテーブルの上に置かれた紅茶とやけに形が凝っているクッキー。
希が食べて欲しいという目線を送っている。取り敢えず一口……うーん、旨い!! 甘過ぎず苦すぎず程よいサクサク加減が口の中に入り込んでいる!
「でも、こんな夕方の時間帯に上がり込んで良かったの? 下手したら父親が帰って来たりとか」
「あり得ないわね。父さんはまず早くても夜11時で、遅ければ深夜に帰ってくる。少なくとも貴方が家に上がり込んだ位では見つからない。まぁ、それでも私の父さんに挨拶したいのなら……一つ方法があるよ?」
「それって?」
「貴方の小説をここで執筆し続ける。朝方になるまで、ずっと。勿論睡魔が襲って、眠たくなってきたら私が特別に膝枕をして上げる。そう特別に」
膝枕。想像しただけで興……いやいや! それは何か度が過ぎているぞ!
と言うか、人の家にずっと上がり込むなんて父親にもしも見付かったら問い質される事は間違いない!
「分からない問題を教えてくれたら、すぐに帰るから」
「あら、そう」
何故か残念そうな表情を浮かべているのが分からない。こういうのは普通用事を済ませたら、早く家から出るべき案件なのでは?
万が一にでも希の父親に顔を会わせてしまったら、かなり気まずい事この上ないし。
「父親は仕事に熱心で早くに帰る事はないの。だから基本的には大丈夫なんだけど」
「それでも……」
「分かってる。貴方のその生真面目な所、私好きよ」
綺麗な艶のある黒髪から漂う甘い香りが鼻孔をくすぐる。気を保っていないと危うく引っ張られそうになる。
「……父さんには感謝しているの。例え仕事一筋で家事も何もしなくとも父親の財力で私は今も翔大と一緒に登校したり遊んだり出来る。だから、母を早くに失い顔さえ写真でしか見れない私は母の役割を全うに担うの。それで仕事に疲れている父さんが少しでも安らいでくれたらこれ以上の幸せはない」
希は父さんを決して悪く思ってはいない。しかし当の本人はと言うと希を亡くして数ヵ月で体調が悪化。
日に日に悪くなる身体が影響して、遂には大企業を自己退職。
一回目に会った時は普通の顔をしていたのに今では痩せ細った感じになっており、とても痛々しい。
加藤さんにとって希は母が残した最後の宝。それが突如失う事はどれだけ苦しいのか……想像するだけでも気分が悪くなる。
「よっと! 今日は本当に何か申し訳ないです。拾って頂いて、ありがとうございます」
「いやいや、気にしないでくれ」
「明。予定とかは?」
「うん? あぁ、今日はアルバイトがあったけど早退という形で決着をつけた。だから墓参りに遅れてしまったってのが実に面目ない」
「そうか、君が翔大君の知り合いであり希の知り合いでもあったか。性格には少々難ありだと思っていたが、彼女は彼女で友達を作っていて何よりだ」
「いーや、生前彼女から随分とやられました影野明と申します。隣の翔大とは小さい頃からのダチのようなもんです」
「私は加藤晴彦だ。以後宜しく」
「あれ? 名字が……」
違和感を持つのは僕も同じだ。希は小さい頃から中学の時まで神宮を名乗っていたのに対して、目の前で運転している彼の名字は加藤。疑問を抱くのは無理もない。
「もう1つの名字の事なら妻が亡くなってからは使っていない。ただ、あの子は妙に神宮という名字に拘っていてので好きにさせていた。私は元来妻の婿養子に入る形で神宮を名乗ってた。使えたのも、あっという間だったが」
「そうだったんですか」
話し掛けると気まずくなるとはこの事か。車内の沈黙に耐えきるのも中々にしんどい。
到着してもなお、暗い雰囲気。立派な一軒家の中にお邪魔しても、その雰囲気が更に窺える。
「すまない。散らかっている所もあるが、座れそうな場所があるからそこでゆっくりしていってくれ」
室内は結構乱雑。何かに当たり散らしている箇所もちはほらと。
彼女を失って、気をおかしくているのは僕だけではないようだ。
今の加藤さんは至って普通だけど、あの日の事を思い出す度に苦しくなる。
あの瞬間に助けられなかった自分が憎い。今更希の仏壇に向かって謝った所でこの傷は一生癒えやしないんだ。
「お待たせ」
「うわっ、旨そうだ」
「レシピ本を買って、内容通りに作ってみたが……不味かったら遠慮なく言って欲しい」
肉の野菜炒めやほうれん草のお浸しなど御馳走して貰える身としてはとても申し訳ない気分。
味なんてとんでもなく美味しい。不味いも糞もあるものか。
「希は私が多忙な時からずっと料理を机の上に置いていた。突然上司や取引先との関係で食事に連れていかれて寝てしまった時も。仕事に溺れていた私は希を幸せにさせる為にあらゆる物を犠牲にしてきたが、希が事故で亡くなったと聞かされて以来あの時の私は完全に消え去った。もはやプライドなんて遥か遠くに行ったとしても、なんの躊躇いもなかったよ。」
「一緒かもしれません。希を失ってから、ただ、流されているよう生きてしまっている僕と」
「そうか」
「けど……ある日を境にして、突然起こった出来事が僕を大きく変えました」
夢物語でもなんでも馬鹿にしてくれても構わない。この人には僕が体験してきた現状を話そう。
異世界で体験してきた大まかな出来事を明に話していたように語り尽くす。
最初は怪訝な表情で聞いていた加藤さんも次第にのめり込んでいき最終的には何か考え込んでいた。
隣に座っている明は僕の取った行動に口をパクパクしているが放っておこう。
「ここではない世界で冒険か。にわかには信じがたい……話を聞く限り、前の私だったら馬鹿げていると一喝している所だが今の私ならそれが信じられそうだ」
「ほ、本当ですか!」
「希は事ある事に自分には全てを見通す力があるなどとオカルトまっしぐらだった。付き合っていた時も妻と一緒にデートをしている最中に不思議な発言をされて、内心困った時もあった。だから君が突拍子のない戯言を話されたとしても何ら馬鹿にはしない」
良かった。明に続いて、僕の話を真摯に受け止めてくれる人が居てくれて。
「しかし、1つだけ何かが引っ掛かる」
「どこか問題でも?」
「希が中学の時……君の話に出てきた剣について話を聞いていたの妙に気になってな」
蒼剣。あの剣は僕がピンチに陥った時に現れた不可思議な剣。
最初から馴染んでいた剣は僕からしてみれば最高の得物。それが一体どうしたと言うのか。
「朧気だったが、確か剣をモデルにするなら母さんが貢いでいた神社に奉納されている立派な奴があるからそれを参考にするんだとか何とか……具体的な内容は聞いてはいないが、最後に剣の名前をぼやいていた。名前は蒼天神村雲というのは今でもはっきりと覚えている。あれだけは頭から離れなくてな」
剣にしては細い形状をしていて、どちらかと言うと刀のような感じだなと思っていたけど、そうか……日本の神社に奉納されている物をモデルにされていたからだったのか。
「奉納されている場所はどこに?」
「神宮神社。そこにある祠に奉られているかもしれん」
「分かりました」
まだ異世界へ移動しないのであれば急いで済ませるとしよう。
いつ、急に移動されるかわかった物ではないし。
「行くつもりか?」
「えぇ。実はこの頃異世界で何かに反応している蒼剣が気になっていまして」
意味はないとは思うが、実物があるのならどうにかして手に取っておきたい。
もしかしたら、そこで何かが起きる可能性があるかも。
「では、これを食べたら行くとしよう」
「僕一人だけも行けますので、これ以上の迷惑はーー」
「君が一人行った所で、神社の神主に追い出されるのが目に見えている。私も神主に仲介して協力を仰ぐのを手伝おうではないか」
「へへっ、そう言うのは俺も混ぜてくれよ」
どうやら二人は僕を一人で行かせるつもりはないらしい。
ここは彼等のご好意に甘えて、蒼天神村雲が奉られている神宮神社へ駆け込もう。
「加藤さん、明。僕の迷惑に付き合ってくれてありがとう」
「どういたしまして」
「おうよ!」