エピソード16:僕の始まり。彼女の終わり
2月23日の土曜。17日から一度も異世界に移動していない僕は朝食を済ませてから未完成の宿題を書き殴って色々と用事を済ませた後に家を飛び出し、快速列車に駆け込む。
今日は約一時間の距離にある思い出が詰まった場所に向かう。
そこには彼女の出会いと永遠の別れであり思い出す度に苦しさが電車の中であろうとも込み上げてくる。
あれから一年以上。早いようで短いようで人生はあっという間に過ぎ去った。
現在二年生になるから来年の春を迎える頃には僕は高校三年生として大学受験のシーズンに備える事になる。
目指す目標は今もなお見つかっていない。
彼女を失って以来、どこかぽっかりと空けられてしまった傷みは早々簡単には修復出来ない。
それが災いになり僕の後ろ向きな態度が進行を加速する。
異世界ではこっちの世界と違ってアグレッシブな体験が多いからついつい興奮しちゃうけど、こっちに戻ると途端に冷静になる。
「次は宮城。お降りの方はお荷物の取り忘れのないようお願い致します」
「そろそろか」
まだ十年も経っていないのに随分と懐かしい気持ちになる。それほど乗客が乗っていない電車から駅の改札ホームを出た僕は一呼吸。
ここは僕が赤ちゃんから中学卒業まで暮らしていた実家のような存在になる筈だった。
あの出来事さえ体験しなければ。
「確か……」
ちょっと落書きの文字が残っている掲示板型の地図。目指す場所は徒歩でも充分歩ける場所にある。
その間はこの街の景色を否応なしに眺める事になるけど。
「よし、行くか」
建物はほぼほぼ同じで街並みは変わらない。しかし、それでも僕の足取りは重い。
このまま歩き続ければいずれあの場所に到着する。僕の人生を大きく歪ませたあの座標に。
「この2月を過ぎたら、いよいよ三年生か。何か緊張してきたよ」
「高校の受験なんて一年先になるのに……緊張するのはまだ早いんじゃない?」
「いーや。受験は一年先だからって油断しちゃいけない。希が僕を強制的に連れ出れ今なおぶらぶら歩いている最中にも戦闘は始まっているんだよ!」
「翔大、それはさすがに早とちりにも程があるよ! あははっ!」
「今の会話でつぼる部分あったかな……」
近付いてきた。確か二年前の記憶では僕が歩いている歩行者道路とは反対方向に当たる場所で希と談笑していた。
この時は三年生になるから気を引き締めていこうとしていたんだっけ?
本心では残り僅かで中学卒業と同時に別れてしまうかもしれない希の事をなるべく考えないように誤魔化すようにして話していた。
妙な所でクスクスと笑い終える頃には雲一つない晴天の空を見上げる。
希はたまに僕が見ていない時に勝手に物思いに耽っている。この時果たして何を思い、何を考えているのか……僕がどうこうしても話す事はない。
「貴方の小説はいつ完成するのかしら?」
「藪から棒につつくね……」
最近筆が乗ってきた小説は滞りなく円滑に進んでいけば数ヵ月でネットの皆に公開出来るかも。
その前に構想の再編成とかキャラクターの書き直しや能力についての追加文とか余計な事を考えていくと半年以上は時間を取られてしまう計算に入るのか。
いや、もっと大きな問題はキャラクターが勝手気ままに動く事になるか。
僕が書いている内に小説の中で生きているキャラクターがまるで自我を持つかのように動く事で想定していた内容が大きく崩れ去る。
そうなると流れをキャラクターに沿わせる必要があるから余計な余力を使いかねない。
全く、書いているのは作者の僕であるのに一体どうして本の中達に振り回されるのか不思議でならない。
だからこそ、小説はそういう点を含めて魅力があるんだと思う。
「貴方のシナリオ構成は良くも悪くも無味無臭。キャラクターに関して言えばエロスが足りない。それでいて、ここぞと言う場面は魅力的な文章を書き記す目下残念タイプね」
ぐさっ! 小説を軽く読ませただけで、ここまで毒舌を吐かれるとは……ただただ苦しい。
そして通行人の視線が僕にちらちらと見ているのが余計に痛い!
「貴方の書いているサイト名は小説家になってやろう。このサイトが注目するポイントは起承転結ではなく、起転起転。近年の読者はゆっくりとした流れを嫌う傾向があるから、貴方の書いている小説は起承転結を守りすぎていてそこがマイナスポイントになっている。本業として目指すなら諦めて就職に力を注ぐ方がまだ未来があるレベルね」
「希……そこまで言われると僕のメンタルが持たないから、もうそれ以上はご勘弁を」
悪い所かニヤッと浮かべる表情に悪意を感じかねないですね、希さん?
「今日行くのは現状底辺小説家の貴方がどうにか有名小説家になれるよう神社に行ってお参りする事が一番の目的よ」
「ふーん。そんな神頼みで効能なんてあるのかな?」
それで楽に売れるのなら全然良いけど。現実という奴はそんな簡単に運ばない。
「ふっ、神頼みもたまには良いんじゃない? 現実を忘れて空想に浸れば違った観点で人生を楽しめるかもしれないよ?」
よりによって雨が降っている土曜日に行かなくても良いのでは? と口が避けても言えそうにない。
本当なら今の僕は小説のネタ切れで布団の中に籠っていた筈だったのに、希がインターホンを押したからこんな目に……
「はぁ~」
「溜め息ばっかりしていると寿命が縮みかねないよ。もっと楽にしていなさい」
家の扉を開けた途端に希が僕を外に連れ出した。何の約束もしていないにも関わらず。
雨が少し降っていたので逃げようとしても希の頑固な意思に折れて僕は泣く泣く連れ出される羽目に。
まぁ、パジャマで連れ出されるよりは遥かに良かったけどさ。
お陰で服を探すにも少々喰わされたけど何とかして服を決めてやった。
お気に入りの鼠色の無地Tシャツと藍色のスプリングコートに下の仕上げは黒色のジーパン。
僕としては完璧の服装にしてみたが……希から返ってきた反応は特になし!
地味に悲しい。
そして希に連れ出された現在、傘を差さなくても全く問題ないレベルの降水量。これについては良しとしよう。
「翔大にはこれを先に渡しておこうかしら」
「うん?」
小包の袋らしき物を渡された。これはどちらかと言うと御守りに見えなくもない。
赤のコートの内ポケットから小包の袋を手渡した希はにこにこした表情で僕の掌を優しく包む。
しばらくしてから額に何やら祈りを始める希。何をしているのかと聞きたかったけど真面目な表情をしていたので、それは憚られた。
「これは絶対にどんな事があっても肌身離さず持っていなさい。それだけは何を持ってしても」
こんな小包の袋に意味なんてあるの? 御守りなんて所詮安心する気持ちになれる一時的な保険でしかないだろうに。
小説では現実の概念をひっくり返して執筆する僕は現実では神というはっきりとしない物を信じていない。
「……っ、風向きが変わった? もう翔大とは遊びないのか。全く神はいつでも気まぐれね」
「ん? これからも遊べるよ、行く高校違っても予定が合えば」
「違う、そうじゃないの。この風向きと私だけに聞こえる声は答えたの……この世界で人の形を宿す貴方の生命はここで潰えるのよと」
それは冗談でもネタでも絶対に笑えない。
「ご利益がありますように。貴方の願う未来が」
彼女の黒髪が風の流れに沿って流される。その瞬間、視界に映した僕を見る表情はどこか悲しい目で……それでいて無理をした笑顔で。
「残念。神はそう簡単に許してくれないようね」
「希!!!」
手を必死に、声も今までにない位に張り裂けんだ。でも、届かない。
交差点で歩いていた僕と希。優先は明らかに青信号を示している僕達が完全有利にも関わらず、どこからともなく不意に出てきた自動車がアクセルを緩めることなく突っ込む。
希の発言に気を取られ過ぎた結果、自動車が突っ込んでくる事に遅れを取ってしまった僕。
それに反して希は晴れやかな表情で僕の背中を強く押した。君だけは逃げてという気持ちの表れとそして最後に残した4文字の言葉は。
さよなら
「希、希、希。なぁ、返事を返事を……返事をしてくれよぉぉ!!」
時間が時の流れが止まった瞬間だった。僕と自動車に吹き飛ばされた神宮希の遺体。それ以外の物は停止している。
抱き抱えた彼女の表情は決して辛そうないやましては痛い顔を浮かべてはいない。
あの魅力的な表情も僕をいつも見てくれる優しい瞳も色白な肌も存在しない。
彼女の顔は血の液体に染まっていて尚且つ身体はあり得ない方向に折れ曲がっている。
「うぅ、どうして僕だけが」
彼女を守れなかった。僕が犠牲になれば助けられる事故だったかもしれないのに!
こんなにも罪悪感に踏み潰されるなんて!
「君、もう少しで救急車が来る! あともう少しの辛抱だ」
辛抱ってなんだよ……明らかに彼女は助からないだろ。こんなにもぐちゃぐちゃで僕の手には赤い液体が付着していて。それに保健の教科書でチラッと見た脈の取り方も実践した所で彼女の脈は皆無。
全てがモノクロになった世界でピーポーピーポーと白い車に赤いサイレンを載せた車が停止した所で僕の思考は上手く回らない。
「あ、あぁ……嘘だ。こ、こんな」
「君、大丈夫か!! 気をしっかりするんだ!」
水色の服装をした人達が一斉に駆け付ける。その慌ただしい中に取り残されていく僕。
その光景が、この交差点を前にすると自然に甦る。今となっては車と通行人が沢山行き交う、ただの交差点に成り果てている。
あの事故を目の当たりしていた彼等はもう何事もないかのように通行しているのだろう。
だけど実際直前に体験した僕にはそれが出来ない。この交差点を見るだけでも激しい頭痛と嗚咽が止まらない。
「おえっ、げほげほ!」
見える。見えるんだ……僕があそこで彼女の遺体を抱き抱えて真っ白になっている姿が。
あれを見るだけでも正常になれない。
「希が死んだ二年が過ぎ去っても君を忘れそうにない……今でも僕はあの過去に苦しんでいるんだ」
頭がふらふらしてきた。目の焦点が余りにも合わない。
「君には生きて欲しかった。将来も何も全部が見出だせていない僕の代わりに」
そこで視界は途切れた。テレビで流れている映像を手持ちのリモコンで切るかのように。
《現実》→→→→《異世界》