エピソード103:標は既に存在を得たり
「失敗作として主が消したとか聞いてはいたが……ばっちり生きてるようだな」
「世界の終焉を見果てるまで、死ぬつもりは毛頭ない」
ミゾノグウジン。この女は世界の森羅万象に干渉する能力を保有している。
それ故に左手に奇妙な形を剥き出しにしているバルフレードすらも知らずに生み出された可能性は非常に高い。
歩み寄って来たのは向こうから。短い赤髪が風と共に少し揺れて、同様の色を宿した左腕が攻撃体制に入ろうとしていた。
そしてミゾノグウジン教という今や沈んだ組織もなお続けて歩み寄る。
アビスは静かにそこに立ち尽くす。一時も恐れず、時が訪れようとするまで利き手の反対側にある左手は鞘を掴んでいた。
「さぁ、最後の遺言は決まったか?」
「己が天命。使命を為す日まで、天へと召される時はない」
「そう言っていられるのも最後かもかな!!」
赤い腕が真っ直ぐに凄まじき速度で手元が接近。間一髪の所で回避するアビス。
バルフレードの一撃はとんでもない性能をもたらしている。まともに受けるのはかなりの致命傷を背負いかねない。
鞘から黒く美しい長刀を取り出し、武器としてではなくあくまでも身体の一部のようにしなやかに退ける。
長刀の形状は細長くいて凄まじい切れ味を誇る。バルフレードとアビスは互いに掛けた使命を抱き、熾烈な戦闘を繰り広げる。
「俺に勝ちを譲るつもりはねえようだな?」
「闇の奈落に鎮まるのは私ではない。この先の末路へ向かうのはお前だ」
「へぇ? つまり何が言いたいんだ?」
隙を与えぬ攻防。バルフレードの強烈な一撃を手前に距離を離すアビス。
そこに叩き込むチャンスと睨んだ黒いローブを羽織る宗教団体が背中に目掛けて迫り来る。
しかし、気配をすぐに察知したアビスは瞬時に後方の敵を木っ端微塵に切り刻む。
バタバタと倒れる遺体。既に地面は赤に広がり、息は途絶えた。
奇襲に意味はない。侮れない強さにバルフレードは賛美を送りそうになるが同時に闘志を燃やした。
こいつはかつてない程に盛り上がらせてくれる強者であると。
「私は勝利を刻む。代わりにお前には死の敗北へと淘汰せん」
「ははっ、俺が負け? 随分と自分を高く見積もっているなあ」
攻撃の速度は始めの頃より加速する。バルフレードの右腕は異常な程に血管が流れ、表情もなお血走っている。
目にも止まらぬスピードで。音速の間の中でアビスはいかにして仕留めるかを模索していく。
息を殺し、振り払う斬撃を何ヵ所も飛ばす事でバルフレードは右腕を受け身の体勢へ。
そこを一点に狙いを定めて何度も何度も切り裂く。しかし、右腕に傷は一つ足りとも付かない。
「たかだかお前の剣ごときで腕に傷が付くと思ってのか?」
「どうだろうな? そろそろ、腕も限界を迎えたかもしれんぞ?」
「はっ? ……おいおい!?」
赤の腕は始めこそ、傷が付かなかった。だが剣の速度を上げつつ、致命的なポイントをしつこく直撃させればいずれにせよ輪転は突破しかねない。
悠々と浮かべていた表情は焦りに変わり、その傷を痛めてしまった右腕を左手で少し抑えながらも再び猛威を振るい始めた。
回避に身をあてがえ、機会があれば斬撃を飛ばす。黒い長刀の実力は確かな物で、アビスは偶々巡り合わせたこの長刀に敬意を改めて払う。
「心臓はもがれ、肉体は滅びの道へと迎えていこうとしている」
「腕を一本取ったからって良い気になってんじゃねえぞ!!」
「いや……お前の場合はその腕こそが強力な武器であると同時に一番の中核を担っている。それ故に最大の弱点となる箇所は」
得物として扱う腕を取れれば、バルフレードの攻略は容易い。後はいかにして最小限の被害で食い止めるか。
既に勝利の確信を得つつあったアビスに敗北という二文字はもがれつつあった。
「主から与えられた……ヘルハンドは滅茶苦茶強えんだ! バグ野郎に一本取られるなんてあってはならねえんだ! うぉぉぉらぁぁぁぁ!」
半ばやけくそかと思われる状況下でバルフレードは己の切り口が広がりつつある右腕を思いっきり地面に乗せる。
すると、何も地面から触手が次々と生え上がり的をアビスに定めて飛んでくる。
異常な速度と異常な量。このどちらをも武器で弾いたり、回避に専念を取る事にした。
「己の全てを剥き出しにしたか。これでは……下手に近寄れないか」
先ほど刀を振り払える程の距離が一気に離される。ここでバルフレードにもう一撃加えるとすれば、命の危険とやらは多少覚悟の上で突き進む他ない。
何故なら、対象の相手に無限の触手と限界を引き出したバルフレードが遠くでこちらを窺っているからだ。
「どうした? こっちに来ないのなら俺が直々に来てやるぞ?」
「安い挑発に乗るつもりはない」
「だったら……俺の方から来てやるよ!!」
互いに遠くに居た二人。完全に本気を出したバルフレードが足を一度蹴るだけで、遠くの間合いが一気に近距離に。
握り締めつつ、容赦ないパンチが顔面に。瞬時に彼方に飛ばされたアビスはどうにか意識を保ちつつ立ち上がる。
「限界の果てに。お前の道はどこに向かおうとしている?」
「黙れ。世界の反乱分子ごときで俺は遅れを取るつもりはない」
ヘルハンドを大きく広げて剥き出しに。勢いのある猛突進で振り回す凶器はもはや手が付けづらい物に変貌していった。
力の差はあと少しで上回る。決着を付けるとしたら早期に解決を図るしかない。
アビスの心は既に決まるもバルフレードは当然それを許すつもりはない。
どのタイミングでどう付け入るか? 全てが己のさじ加減で決まる戦闘。
一秒も油断ならない激闘の状況に置いて、終わりのない戦がアビスに焦りを生ませる。
「時間の最優先を。それしか、こいつを食い止められないか」
「はははっ! さあさあ……死ぬ準備は出来てるか!」
「命の賭けか……だが、これも悪くはない」
世界の終わりを最後まで見据える。それこそが自らが罪を抱いてもなお選び抜いた修羅の道。
己が犯した全てを今更清算されるなど考えられない。自分が世界に……神であるミゾノグウジンに抗おうとも突き進む道を引き返す事などあってはならない。
「死してなお這い上がる。私の道は運命の終局すらもねじ伏せてみせよう」
あの頃の己は死んだ。今そこに存在するのは、犯した罪を持ちながら味方にも敵にも許されるつもりはない道で。
息を押し殺して、人間とは程遠くなったバルフレードを相手に向かい長刀を携える。
徐々に加速しながら、懐に飛び込む。その間に無数の傷を絶え間無く受け続けた。
耐え忍ぶ身体。痛みの表情を殺して、アビスは決死の覚悟で。
「バルフレード……お前の刻は私が制裁する」
「がぁぁぁぁ! 制裁されるのは貴様だぁぁ!」
研ぎ澄まされた長刀。流れるような自然な速度で胴体の全てを裂く。
黒い斬撃が容赦ない傷を抉り込む。それでいてもなお叫び声を上げようとしないバルフレード。
ヘルハンドという武器に依存した結果、人の心に感情という存在が失われた瞬間であった。
「奥義・黒の終焉」
心を落ち着かせ、叩き込める肉体に傷を注ぐ。数ヵ所に抉り込まれた傷から次第に鮮明な血が溢れ出す。
悲鳴は皆無。バルフレードの動きはピタリとブレもなく静止する。
バッサリと振り下ろして、綺麗かつ無駄のない動きで血の付いた刀を地面に落としてから鞘に納め……バルフレードの主体となるヘルハンドという赤くまみれた腕は転がり落ちる。
振り返るとそこには地面に顔以外は埋め尽くした哀れなるバルフレードの身体。
これから奴は冷たく何も起きない中で永遠の無を体感するのだろう。
乾いた笑いは戦場には虚しく響き渡らない。ただ、朽ち果てた小さき声が辛うじて耳に入るだけである。
「なぁ? 俺はこれからどうなっていくんだ?」
「無の闇へ、永劫の時をさ迷い続ける。それが敗者のみに与えられし定めとなりえん」
「ずっと真っ暗か。想像は安易だが、実際そうなると暇で暇で仕方がねえ…………な」
バルフレードの口は唐突にそこで途絶える。語らう言葉はまだ尽くしていないかもしれないが、あの肝心の右腕が彼の生命線となるのなら。
その命はもう吹き返さない。死者の止まった時間は何をしようと進まない。
どれだけ手を尽くそうと……魂は戻ろうとはしない。
「山は崩れた。それでもお前達は、私に挑もうとするのか?」
「当然だ。お前は宗主の期待に応えられず、あまつさえ我等の敵に成り果てたのだからな」
腕が動かない。あの一瞬で一部の生き残りが抵抗として地面から鎖を発生させ、両腕を拘束。
それを良い機会であると、得物となる短剣をちらつかせて飛び込む三人。
どうやら、体力が消耗しきっていると踏まえて立ち上がったようだ。
敢えて邪魔だと分かり、相手にしないように務めていた物を。
「アルカディアは己の野望に尽くし、ショウタに沈められた。結果による結果にお前達は意見をするのか?」
「なんだと?」
「ミゾノグウジン教はあの地で死んだ。それを未だに根に持つのか? ならば、私の制する行動は!」
腕を固定し獲物は右手に固定されている。何をしようがどうにも出来まいと睨んだ者達の傲慢。
実に思考が浅ましい、それだけで落とせるという虚しさが。
数人の襲撃。正面から刃物を向ける一人を間合いの良い場面で横蹴り。
無理矢理力を込めて片方の鎖をぶち切ってから、背中に襲い掛かる敵の顔面を左肘で成敗した。
よろめく相手に右手にある長刀を抜き取って縦に振り下ろす。
一刀両断に裂かれた敵は見事に真っ二つに分かれ、地面に左右で分かれた死体がのさばる。
「お前達が心から敬愛するミゾノグウジンは今や私達を利用し、あまつさえ弄ぶ神へと変貌した。そんな奴を信仰する理由に値するのか?」
最後の一人は武器を落とした。これで戦意がある者は戦場に存在しない。
「消えろ……既に滅び果てた宗教に存在する居場所はないと知れ」
「俺達は! 信仰する神を捨てられない! 一体、これからどうやって生きれば良いんだ!」
「自分の心のままに。運命に抗い、生き延びてみせよ……それが哀れとなりて朽ちたお前達の結末だ」
横から運ぶ強風。風と共に黒のロングコートをたなびかせてアビスは静かに消えていく。
彼らと程遠き彼方へと。