二人の距離⑤
「最初話を聞いた時はどんな女が来るのかと思ったが・・・・兄さんは当たりを引いたみたいだな」
難なくダンスを踊りながら開口一番人を景品扱いしたこの失礼な男は悪びれる様子もなくロゼを見下ろしている。美しい金色の髪がターンするたびに目の前で揺れるそれを目で追いながら金色の髪を持つと皆口が悪くなるのか?なんて事を考える。
「あら?貴方も充分当たりを引いていると思うけれど?」
ロゼの嫌味にベルグレドは顔をしかめる。これは本気で嫌そうだとロゼは感じた。
「俺はハズレだ」
「どこがよ。力もお金にも困らない最高の相手よ?しかもとても可愛い」
「そんなもの今更興味無いね」
「あら?欲がなければ出世できないわよ?」
更に嫌味を重ねるとベルグレドは歪んだ笑みを浮かべながら信じられない言葉を吐いてきた。
「出世したがっているのは兄さんだよ。ロゼ」
青い瞳がロゼを見つめる。
「エレナと変わってあげたら?」
その瞬間ロゼの中で自分でも驚くほどの激情が駆け抜けた。顔は変わらず笑みを浮かべていたが添えられていたロゼの右手に力が入りベルグレドの肩に爪が食い込む。
「・・・・っ!」
ベルグレドは驚いてロゼを睨んだがその瞳の異様な色に気がつき思わず目を見開いた。
「ベルグレド・・・一ついい事を教えてあげるわ」
まるで地を這うようなその声音に自分は確かに相手を怒らせる事に成功した筈なのにやってはいけないことをしてしまったのではと思わず身構える。
「貴方はエルグレドと自分が対等だと思っているのかもしれないけど実際は違うわ。あの人は自分の力であの地位まで上り詰めた」
遠くから見つめているエレナはそんな二人の異変にいち早く気がついた。心配そうにこちらを見つめている。
「貴方はあの人の弟だというだけで私と踊っているのよ。
勘違いしないで」
そうでなければ誰がお前なんぞと踊るものかと口の端を上げる。ベルグレドの眉に皺が寄った。
「そんな貴方がどうして、エルグレドから私を奪えるというのかしら?」
二人はじっと睨み合う。側から見たら見つめ合っているだけにしか見えなかったが。
何か言い返して来るかと思ったが何も言わないベルグレドにロゼはふと優しい笑みに戻り優雅に礼を取る。
「とても楽しいダンスでした。ベルグレド」
そのまま離れて行くロゼを目で追いながらジクジク痛む肩をつかむ。
ベルグレドは奥歯を噛み締めながら自分の失敗を悔いていた。
(そんな事は分かっている。だから腹が立つんじゃないか)
ベルグレドはロゼを警戒していた。バルドの手のかかった者ではないかと。しかし何故かそうじゃないとベルグレドは確信めいたものを感じていた。
(あの人は本当に望めばもっと上に行ける筈なのに!!)
しかし現実は家督さえエルグレドが与えられることはない。
その訳をベルグレドは知っているが故に何も出来ない。
思うようにならない現実を子供の様にエルグレドにぶつけてしまう自分自身に更に自己嫌悪に陥ってしまう。
そんな時ロゼがエルグレドの前に現れたのだ。
そして今のやり取りでロゼはエルグレドにとって有益な存在かもしれないと感じられた。
「ロゼ!」
ロゼは未だに落ち着かない心を持て余しながらも呼び止められ何とか微笑んで振り返った。
そこには見覚えのある男性が立っていた。
「ゼイル様」
エルグレドに密かに認められた男ゼイルである。
「普段も素敵だけれど今日の美しさは女神をも嫉妬させるほどの神々しさだね」
なんて過剰な褒め言葉だろうと呆れたが同時に吹き出してしまった。あまりの毒気の無さに気が抜けてしまったのだ。
「お許し頂けるならぜひ私と一曲。女神様」
スマートに手を出されてロゼはその手を素直にとった。
「そんなに褒められれば悪い気はしないわね」
初めて会った時は話が通じない馬鹿な貴族かと思ったのだがこうして二人だけで向き合っていると全然そんな感じを受けなかった。
悪戯に成功した子供の様な顔をされてまた吹き出してしまう。
一方エルグレド達はそんな二人を遠くから見ていた。
「エルグレド様すみません私少し離れてもよろしいですか?」
恐らくベルグレドを追いかけて行くのだろうと了承する。
「お一人で大丈夫ですか?」
「ええ、遠くには行きませんので」
慌ててベルグレドの元へ向かうエレナを見送って視線をロゼに移す。
目線の先でゼイルとロゼが楽しそうに踊っている。
先程ベルグレドと踊っていた時はまるで敵を見るようなギスギスとした空気を放っていたのに今はそれがない。
ゼイルのダンスは下手ではないがベルグレド程上手くはない。
その上ゼイルと踊っていることが気に入らないのかさり気なく周りの令嬢達にダンスを妨害され所々で躓きそうになっている。
そして明らかにロゼはそれを楽しんでいた。
今も謝っているゼイルに楽しそうに微笑んでいる。
「・・・・・・」
なんだか気分が悪くなっている自分にエルグレドは酷く困惑した。足がそのまま二人の元へ向かっている。もうすぐ曲が終わる。次の曲が始まる前にロゼを回収しなければまた他の男に捕まりそうだ。
「きゃっ!」
丁度二人の元へたどり着いた瞬間ゼイルが足をかけられロゼに覆い被さりそうになりエルグレドはロゼを背後から抱きしめゼイルの額を思いっきり手で押し返した。
その勢いでゼイルは転ぶ事は免れたものの無理矢理引き剥がされた様な形になりその様子に思わず周りの人々が足を止めてしまう。
「ファ、ファイズ騎士団長」
エルグレドはこの瞬間色々諦めた。
「ダンス中に倒れかかるな。危ないだろう」
「・・・・すみません」
しかし何故かそのままロゼの手を取ろうとするゼイルにエルグレドは追い討ちをかけた。
「随分と足腰が鈍っているようだな。鍛え直してやろう」
ピリピリとした空気を感じとったゼイルは渋々諦め出していた手を引っ込めた。
「せっかくですがご遠慮いたしますよ。かっこ悪い所をお見せして申し訳ない。ロゼ様、また機会がありましたらお付き合い下さい」
「こちらこそ。次はダンスもリードして下さいね」
ロゼにもトドメを刺されゼイルは泣く泣く下がっていく。
「随分早かったのね。エレナ様はよかったの?」
ロゼが小声で問うとエルグレドはあきれて溜息を吐いた。
「まぁな。それより怪我はないか?」
「それが・・・・」
ロゼの視線を追うとドレスから出している足の踵から血が出ているのが見えた。
エルグレドは何も言わずにロゼを抱き上げる。
「!」
その瞬間周りから奇声が上がる。女性達は皆顔を赤らめながらも羨ましそうな表情をしていた。
男性達も何か言いたそうにしている。
「これではまともに歩けないからな。このまま帰るぞ」
人垣に構わずスタスタと去って行くエルグレドに誰も声をかけず避けていく。その様子を見て小声でロゼに耳打ちする。
「これだけ目立てば皆お前が婚約者だとわかるだろう」
だからもう帰って大丈夫だと聞いてロゼは安心からか一気に疲労が押し寄せてきた。
「なーんだ。早く帰る口実に私は利用されただけか」
「そんなつもりは・・・・」
その時ロゼがいきなり腕をエルグレドの首に巻き付けてきた。ギュッと力を入れられ思わず鼓動が速くなる。
「まぁいいよ。屋敷に戻ったら寝室に転がしといてくれる?私ちょっと疲れた・・・・」
そんなエルグレドを他所にロゼは言いたい事だけ言って寝てしまう。
「・・・おい」
(転がしとけって何だ。お前の中で俺はどんな鬼畜なんだ)
確かに最初こそ疑い失礼な態度をとったがそれ以降ロゼに対して傷つけるような態度は取っていないと思う。貴族の態度が気に入らないと言われればそれまでだが。
最近ロゼとの距離感が分からなくなっている自分がいる。
そもそも最初がいけなかったのだ。エルグレドはロゼを正式に自分の婚約者になる者として扱わなかった。
何故なら必ず裏があると思っていたからだ。しかしもし万が一にも本当にバルドがロゼを気に入りエルグレドへ婚約者として紹介したのであればエルグレドはロゼにしてはならないことをしてしまったのである。
「やはり、俺が原因か・・・。」
いつか婚約は解消される。そう思っていた。彼女もそれを望んでいると。
あの時エルグレドは必要ない時は自分の元へ来なくていいと伝えた。しかしロゼは用事を済ませると真っ直ぐにエルグレドの所へ帰ってくるのだ。まるで自分の帰る場所は此処だと示すように。
エルグレドは屋敷に戻ると止めるクライスに手当と着替えの指示を出しロゼを部屋のベットへそっと降ろした。
腕を解きロゼの乱れた髪を優しく撫でて直してやりそっとベッドから離れた時、ロゼは苦しそうに呟いた。
「・・・行かないで」
驚いて振り返るがロゼは目を閉じたままベットに横たわっている。
寝言かと何故か高鳴る鼓動を抑えつつロゼに近づくと今度はその鼓動が止まりそうになった。
「アーシェ」
それはまるで自分の愛する者を呼ぶようなそんな声音を含んでいた。
エルグレドは動揺している自分に激しく動揺した。
ロゼの心の中に自分以外に自分以上に思われている者がいる。そのことが何故か受け入れられなかった。
呆けているとまたロゼが何か呟いた。
「・・・・・エル、グレド?」
「っどうした?俺はここにいる」
返事を返してしまい思わずロゼの様子を伺うが起きる気配がなくエルグレドは迷ったがベットの近くに腰掛けた。
「・・・エル・・グレド」
「俺が側にいる」
だから・・・と続きを言いかけてエルグレドは固まった。
「ふふ、エル、グレ・・ド」
その声はとても小さく聞き取りずらかったが確かにエルグレドを呼んでいた。そしてその表情は満面の笑みだった。
(・・・・・うっ!何故このタイミングでそんな顔をっ!)
エルグレドはあまりの動機にロゼの顔を見ていることが出来なくなり慌てて立ち上がりその部屋を出て行った。
****
柔らかい日差しが部屋の中に入って来たと同時にロゼは目を開いた。
(ここは、屋敷の部屋?)
柔らかいベットがいまひとつ現実と結びつかない。
(あれはきっと、私の記憶の一部)
ロゼは目を閉じて今さっき思い出した事を何度も繰り返し思い出した。
(もう決して忘れない。どんなに辛い思い出だとしても・・・あの子一人に背負わしたりしない)
6年前ロゼが暮らしていた小さな集落は壊滅した。その時の記憶をロゼは失っていた。
(アーシェ・・・そして彼を殺したあの女が鍵を握っているはず。私とファイがかけられた誓約とこの能力の謎を)
記憶はほんの一部しか思い出せなかった。しかも何故急に思い出したのかも分からない。もしかしたら時間が経てば自然に思い出すのかもしれない。
息苦しい悪夢の中でふとエルグレドが現れた事を思い出し思わず苦笑いする。
(嫌だわこんな形で自覚するなんて。私、自分が思ってる以上に・・・)
それ以上は考えることを放棄した。その先を認めてしまえば苦渋の決断を迫られることになる。
(・・・・まだ今は考えたくない)
その時ドアを叩く音がした。クライスだ。
「お目覚めになられましたか?」
そう言われやっと自分がしっかり手当され着替えさせられていることに気がつき礼を言う。
「ええ、ありがとう。着替えまでしてくれたのね。エルグレドは?」
エルグレドの名前が出てクライスは片方だけ眉を上げたがちゃんと答えてくれた。
「今日は休みですのでお部屋でくつろいでおります」
「そう。悪いけどすぐ呼んできてもらえる?」
そう言って近くにいるメイドに着替えを頼む。
「私この後すぐ出発しないといけないの。急いで支度するから・・・食事もいらないわ」
近くに置いてあるバッグを手繰り寄せ準備を始めるロゼにクライスはそんなに急がなくてもと言うとロゼはケラケラ笑って言った。
「用事が済んだのにいつまでもこの屋敷にいるわけにはいかないわよ」
そう言われクライスは言葉を飲み込んだ。そうだ。そう言われ渋々ロゼを迎え入れたのは自分だった。
「なんだ、起きたのか」
そんな会話をしてるうちにエルグレドが部屋に着いてしまった。仕方なくロゼは寝巻きのままエルグレドを迎え入れる。
「二人で話しがあるから暫く外してくれる?」
そう言われクライス達は部屋を出る。クライスは歩きながら自分が無意識にロゼを屋敷の一員として迎え入れていたことに驚いた。そして同時にロゼのことを考えて胸が痛んだ。
「話とは何だ」
気のせいだろうか?いつもよりエルグレドの声が優しい気がする。
「私次はちょっと長い旅になりそうなの」
そう言ってダンスを踊る前の礼をする。
エルグレドはその手を取るとそのまま自分に引き寄せた。
「まさか。曲もなしに踊るのか?」
「そうよ。貴方と踊るために練習したんだもの」
お互い普段着と寝巻きというなんとも様にならない格好であるが二人きりなので気にするなとロゼに言われエルグレドはまたしても諦めた。
「そうねぇじゃあゼイルと踊った曲にしましょ!」
ロゼが曲を口ずさんむ。そのリズムに乗って二人は踊り出した。驚くほど踊りやすい。ロゼは思わず笑い出した。
「ちょっと早い!」
「足腰が弱ってる様だから鍛え直してやろう」
そのセリフに又ロゼは吹き出してしまう。
「本当にエルグレドって飽きないわ。」
「そんな事を言う物好きはお前くらいだ。」
部屋の中から二人の笑い声が聞こえる。その声にファイズ家の使用人達は気が付かないフリをしつつ皆ほほえんでいた。