二人の距離②
「はぁ・・・」
ある日の昼下がり、ロゼはガルドエルムから少し離れた町の宿屋の食堂で、出来立てのパンとポタージュをボンヤリと眺めながら溜息を吐いていた。
「なんだ溜息なんかついて。目的の物は手に入らなかったのか?」
「ギルドに頼まれた品はちゃんと届けたわよ。じゃなきゃ今こんな所でのんびりしてるわけないでしょ。」
返答が分かっていたのか右の口の端をあげて笑っているその男はロゼの対面に腰かけた。
「ラウルはどうした?」
ラウルとはロゼの冒険パーティの仲間の一人である。
冒険者は基本誰かとパーティを組み行動する。
ラウルはロゼの信頼する仲間の内の一人だ。
そして今、目の前に現れた男とも長い付き合いである。
「他にも収穫があったから換金して武器を修繕しに朝早く出てったわよ。そのまま解散にしたから、どこへ向かうかは聞いてないけど。何か急ぎの用事だった?」
「いや、急ぎじゃないから構わない。それよりもお前・・・婚約者殿の所に行かなくていいのか?」
ロゼはチッと内心舌打ちをした。目の前のこの男は絶対にこの状況を楽しんでいる。
「行くわよ。今日あたり寄ろうかと思ってたの。ただ色々処理が遅れただけで・・・」
「しかしお前が黙って貴族の婚約者になるとはなぁ。聞いた時は本当に驚いたわ」
「あのねぇ元はと言えば、あんたが私に学院へ行けなんて言い出すから、こんな事に巻き込まれる羽目になったんだからね?」
「それは言いがかりじゃないか?それに、行ってみて身になった事も多かっただろ?お前頭いいんだからもったいねぇよ」
「確かにね。劣等感の塊みたいな連中に囲まれた生活は人間社会で生きていく上で必要なスキルを私に学ばせてくれたわ。対して努力もせず無駄にプライドが高いだけの無能な奴等の相手を二年間耐えた私のこの忍耐力!賞賛に値すると思わない?」
「・・・・忍耐力がある奴がキレて塔を破壊するか?」
「確かにアレは余計だったわね。でも、あれのお陰であの後誰も私に舐めた態度を取らなくなったわ。ただ毎日の様に各方面からの勧誘が押し寄せてきたけれど」
「まぁ、正直喉から手が出るほど欲しいだろうな。お前程の能力があれば・・・」
「だからこそ、私は誰のものにもなってはいけない。
この力が何なのか・・・私は何者なのかをハッキリさせるまでは。今回の婚約を受けたのもそれが関係してるからよ。」
「そういえば、婚約自体は相手に悟られず側にいる為のバルドの嘘だったな・・・しかし何故護衛の話を受けた?お前ならリスクがあったとしても断りそうなもんなのに。」
「・・・・イントレンス」
「!?」
ロゼがつぶやいた言葉に男は驚愕の表情を向ける。
「私とエルグレドの事をイントレンスの巫女が予言したと言われた」
「まさか・・・彼奴らは滅多に地上に降りてこないし予言を簡単に教えることなどない筈だか?」
「そうなのよね。ただ嘘を言っているようにも思えない。貴方のよくご存知の通り彼等の予言は良くも悪くもよく当たるから・・・・」
その言葉を聞いて僅かに男の表情が硬くなる。
「ルシフェル、大丈夫よ。ただ、放置は危険だと判断して自分で決めた事だから・・・」
「わかった・・・だが危険だと思ったら直ぐに身を引くんだぞ? 俺も万が一に備えておく」
「ルシフェルは、この後どうするの?」
「一度ラーズレイに戻る。ついでに情報収集もしてくる。お前はガルドエルムへ向かうのか?」
「そうね。次の出発予定まで、まだ余裕があるからゆっくりしてくるわ」
「じゃあ飯食ったら後で落合おう。新しい[道]を作ってやる」
「それは助かるわ。じゃあさっさと食べないとね」
そう言って食事を始めるロゼをルシフェルと呼ばれた男は盗み見る。
(本当に大丈夫なのかね。変に相手に感情移入しなければいいが・・・)
ルシフェルとロゼの付き合いは結構長い。正確にはルシフェルはロゼの保護者の立ち位置に近いが、彼女は幼くして冒険者になったのでルシフェルと暮らした期間はとても短い。
(コイツ一旦自分の懐に入れちまうと底無しだからなぁ)
元は心の優しい愛情深い少女だったのではと思う。
もし何事もなく両親に愛され普通の平民の女の子として育っていたらきっと今、先も見えない冒険者として生きてはいなかっただろう。
(コイツもファイもエライもん抱えて生きてるからなぁ)
そう思考しながらも、もう一人の少女のことを思い出しルシフェルは心の中で溜息を吐く。
(あの馬鹿は今頃どうしてるのか・・・前会った時から一年。いまだ消息不明だが。あいつが少しでも顔だしてやればロゼの心も落ち着くと思うんだがなぁ)
しかしルシフェルは余計なことは言わずその場を後にした。
* * * *
「婚約パーティーのドレス?」
「ああ、もう時期開かれるからな。ロゼにも貴族の作法など学んで貰わなければならない」
「私ドレスなんて持ってないけど?」
「それはこちらで用意する。うちの執事に何着か用意させてあるからその中から選んでくれ」
「・・・そういえば、エルグレドのお屋敷に行くのは初めてね」
「・・・・・・そうだな」
妙な間ができた。ロゼは首を傾げる。
「別に嫌ならドレスだけ貸してくれればいいわよ?私、装飾技師だからドレスの着方も学んできてるわよ?」
装飾技師とは身につける物にまじないや魔力を付加させることが出来るものである。アクセサリーから小物。服や武器まで様々で退魔のお守りなどは中々重宝されている。
「お前が装飾技師?それなら何故冒険者などしているんだ?それだけで生活できるだろう?」
「作れても素材が無ければ何も作れないでしょう?
買うにしても売値が高くなりすぎてしまうし。ちょっとした物なら平民でも手が出るくらいの価格に抑えたいのよ」
これは表向きな理由である。
ロゼの本当の目的は他にあるからだ。
「お前それは俺以外に喋るなよ。面倒な奴等が増える」
「了解であります!騎士団長様」
戯けて笑うロゼには構わずエルグレドは話を進める。
「うちの屋敷の者は優秀だが、やや個性的すぎるところがある。ロゼならまぁ大丈夫だと思うが・・・」
「それ、明らかに褒めてないわね」
「いつ頃なら屋敷に来れる?時間がかかるので屋敷に泊まることになると思うが」
「え?貴方の屋敷に泊まるの?」
驚くロゼに些かムッとした顔でエルグレドが答える。
「なんだ、何か不都合でもあるのか?」
「不都合って言うか・・・う〜ん。それってエルグレドとは別の部屋に泊まるってことよね?」
一応確認した方がいいかと聞いてみたが、エルグレドはその問いに一瞬固まった。ほんの一瞬だが。
「当たり前だ。何故そんな事を聞く」
「いや、既成事実を作るみたいなことが起こるのかしらと・・・・」
「・・・・そんな風に思われていたとは心外だな。しかし無用な心配だ!24時間うちのメイドや執事が監視しているからな!」
ロゼはちょっとした軽口にそんなムキにならなくてもいいのにと口を膨らませる。
こんな事で怒る事ないと思う。
「なによぉう、私が淑女としての常識を逸脱してないかの心配をしてあげたのに、その態度。か弱い女の子が身一つで男性の家に行くんだから不安になって当たり前だと思うんだけど?」
確かにそうだろうがエルグレドはこの複雑な気持ちをどう収めればいいのか分からなかった。否定するのも肯定するのも微妙な気分だ。
「そもそも既成事実を作って誰が得をする。俺の屋敷の者が強者揃いなのは誰もが知っている。無駄な心配をしなくていい」
事実なのだが言っててエルグレドは虚しくなってくる。
ロゼはああ言っているが多分エルグレドは男性としてあまり意識されていない気がするのだ。今までエルグレドは色々な女性から言い寄られているが大抵は怯えるか愛想を尽かして離れて行った。しかし彼を男性として意識しない者はいなかったと思う。容姿にはそれなりに恵まれている為、遠巻きに眺められることは良くある。ただ近くに来ると皆決まってその瞳に恐怖心を滲ませた。
「え?うっかりがあるかも知れないじゃない」
(うっかりとはなんだ!うっかりとは!)
思わずロゼを睨むが彼女はケロっとしている。
エルグレドにこれほど馴れ馴れしく接してくる者はバルド以外ロゼが初めてだった。始めて会った時から感じた違和感。
彼女はエルグレドを全く怖がらないのだ。
「・・・・・エルグレドって、私の事女性として認識してないのでは?」
ジト目で見つめてくるロゼに思わず、それはお前の方だろ!と怒鳴りたくなる気持ちを必死で抑える。
「・・・とにかく。時間を作っておいてくれ。話は以上だ」
この距離は危険だと自分の中の警報が鳴っている。
「そうなの?じゃあ次は私の番ね。エルグレド利き手は右?」
「そうだが・・・・なんだ急に」
「左手見せてくれる?」
突然の要求に訝しげに左手を見せた。
ロゼがエルグレドの近くまで近寄って来る。
「なんなんだ?とくに何もないが」
ロゼは、意図が分からず手をかざしているエルグレドの左手を流れるような素早さで撫でた。突然の接触にエルグレドが息を呑んでいると、カチンと金属音がして途端に先程までなかった薬指に違和感を感じた。
「!?なっなんだこれは!」
そこには先程まではなかった銀細工の指輪がはまっている。ロゼはニッコリと笑って手を離した。
「ただのお守りよ。装飾技師だと言ったでしょう?」
「指輪など付けない。それに身につけていれば傷がつくだろう?」
「大丈夫よ普通の指輪じゃないから、邪魔になったりしないし傷もつかないわ。っていうかそれ役目を終えるまで外れないから!」
その言葉に驚愕する。
(今、外れないと言わなかったか?)
「冗談はよせ!外せ!」
「今は無理よ。でもそれ貴方を守るものだから近いうちに外れるんじゃないかしら?なんて言ったって騎士団を纏める騎士団長だからね。命の危機なんてしょっ中でしょ?」
「いいから今外せ!」
ロゼは捕まりそうになり慌ててヒラリと身を翻して扉に手をかける。
「ロゼ!」
振り向いたロゼは今まで見たこと無い悪戯に成功して喜ぶ少女の様な顔で笑っていた。
エルグレドは思わずその顔に見入ってしまう。
「また明日!エルグレド!」
そのまま閉じられた扉を呆然と眺めながら、エルグレドは明日も彼女は来るのかと、安心した自分に気づかないフリをした。