眼を閉じた二人
その日の夜。
その報せはエルグレドの屋敷に届いた。
「リュカ様の屋敷に火が放たれただと!」
あの後パラドレアの軍を追い返し。報せを聞いて戻って来た軍師達と、とりあえずはすぐ攻め込まれることはないだろうと判断して一度屋敷に戻ってきていたエルグレドはその報せを聞いて思わず聞き返した。
「ゼイルはどうしている?」
リュカの護衛で屋敷にも出入りしているはずだ。
「それが・・・・・姿が見当たらないのです」
頭の中に最も悪い考えがよぎって額を手で押さえる。
(冷静になれ。動揺して何になる)
今姿が見当たらないという事は恐らくリュカと行動を共にしているのだ。または既に敵の手にかけられたか。
(誰かがバードル家に手を出すなど考えられない。もし益がある者となると限られるが)
今までの一連の出来事がエルグレドの頭の中で整理される。
あのエレナとベルグレドの婚約パーティー。全てそこから始まった気がする。
つまり。やはりきっかけはロゼだ。
ロゼを見た何者かがこの一連の騒動を引き起こしているような気がしてならなかった。
リュカがロゼに接触して来たのもそのすぐ後だ。
そしてダンゲの一件。普通なら見つける事も入る事もかなわないはずの部屋。しかもその秘密まで知っていた者。
エルグレドは外した剣を装備しなおし、隣で控えたクライスに指示をした。
「また暫く帰らないかも知れない。万が一ロゼが来たらすぐにこの国から出るように伝えてくれ。俺にもしもの事があれば手筈通りに」
「かしこまりました」
エルグレドはそのまま足早に宮廷へ向かう。
その入り口付近で人々が慌てふためいている。
エルグレドの歩みが速くなる。
中に入ると兵士がエルグレドの下へ走ってきた。
「エルグレド様大変です!」
兵士の顔は最早、色が無いほど真っ青だった。
「魔物が空から現れました!我々には全く歯がたたず、ベルグレド様が加勢してくださったのですが・・」
ベルグレドはまだ領地に居たはずだ。何故こんな所にいるのだと身を案じた思考は、兵士が放った言葉にかき消された。
「エレナ様が、姫様がその魔物に連れ去られてしまったのです!!」
何という事だ。
今まで現れた事のない魔物が宮廷に現れしかもエレナを攫うなど・・・・・・。
こう立て続けに騒動が起きては処理しきれない。
「ベルグレドはその後どうした?」
「そのまま姿を消してしまわれました。後を追ったのですが突然消えてしまったのです!」
恐らく魔法だろう。追いかけて行ってしまったのか。
「・・・・陛下に会う。緊急事態だ」
「陛下ですが、既に謁見室にいらっしゃいます。他の方達もお集まりの様です」
陛下は倒れたと聞いていた。大丈夫なのか。
エルグレドは急ぎで謁見室に向かう途中人にぶつかった。
「きゃ!」
「申し訳ありません。急いでおりますので謝罪は後ほど」
エルグレドは相手を確認し軽く会釈をするとその場から足早に立ち去った。今は足を止めている場合ではない。
ぶつかった人物はボンヤリとエルグレドが去って行った方向を見ていた。そして口元に弧を描きウットリと呟いた。
「ええ、後ほど。お約束ですわよエルグレド様」
その声は宮廷で狼狽える人々の声にかき消された。
****
エルグレドが部屋に入るとそこは異様な空気だった。
思わず足を止め中を伺う。
そこにはアストラ、宰相、執務士官長、騎士団以外の兵士を纏める軍士官長もいた。エルグレドは意を決して部屋に入っていく。
「遅くなって申し訳ありません。陛下」
礼をとり頭を下げると上から声が降ってくる。
「かまわぬ。此度の戦ご苦労であった」
そのバルドの声音に微かに違和感を感じる。
「バードル家三男の家に賊が入り火が放たれた様だ。聞いたか?」
「はい。あともう一つお耳に入れなければならない事がございます」
皆一斉にエルグレドを見た。恐らくまだ知らされていないのだ。
「先程宮廷に魔物が現れその魔物にエレナ様が拐われたようです」
「「な!?」」
皆が驚愕しアストラを見た。アストラは激しく首を横に振った。
「私は知らない!!何もしていない!」
それは悲鳴を上げている様だった。エルグレドは訳がわからず周りをみる。
皆がアストラを侮蔑の眼差しで見ていた。
「しかしリュカを殺したのはお前であろう?捕まえた賊が全て吐いたぞ?」
「確かに・・・確かに私は奴の首を狙いましたが。断じてエレナ様にまで手を出すなど!信じて下さい!」
バルドはそれを聞き、くっと笑った。
え?と皆が信じられない者を見るかの様に眼を向ける。
「バルド様急ぎエレナ様の救出に向かうことをお許しください」
エルグレドがバルドに申し出ると面白そうに見つめ、とんでもない言葉を吐き出した。
「追う必要は無い。捨て置け」
「バルド様!?」
「奴はこの国の王妃にはならない。そう自分で決めたのだ。それならばこの国に必要ない」
「・・・・そうだとしてもあの方は尊き方です。どうか」
エルグレドが何とか食い下がろうとすると、バルドはさらにとんでもない言葉を吐きかけてきた。
「そこまでして助けたいのは奴がお前の妹だからか?」
エルグレドは絶句した。
こんな形でバルドはエルグレドを自分の息子だと認めてしまったのだ。みな身動きが取れず固まっている。
「あれも聡い。すぐに気が付いておったな。そんなに仲良くなるのならもっと早くに教えるべきだったか?」
バルドはゆっくり立ち上がって皆を見下ろす。
その顔はやはり笑っていた。バルドはスラリと剣を抜き、その笑みのままエルグレドに問うた。
「ロゼは今どこにいる?」
エルグレドの身体から血の気が一気に引いていく。
「今は・・・・分かりません」
「すぐ連れ戻し此処へ連れて来るのだ」
エルグレドは心の底から懇願した。それ以上言わないでくれ、と。
「連れ戻してどうするのです?」
宰相が動揺しながらいつものバルドの面影を探っている。
この場の誰もが思った。これは誰だと。
「・・・・そうだな。彼女は私に重大な事を隠していた。エルグレド、お前がロゼを探さないというなら私が見つけ私の妃に迎えよう」
エルグレドはその言葉に視界が激しく揺れ動いた。
心臓が激しく鼓動し、身体の奥から黒いモヤが溢れて来る様なそんな感覚だった。
「なりません!!」
宰相が慌てて声を上げる。
「陛下自ら施した"祝福"を貴方が穢すなど!あってはなりません!」
「そ、そうです。この国で最も重視されるべき儀式です。
お考え直し下さい」
アストラも慌てて願いでる。バードル家はその為にあるのだ。
「ふっ・・・・ふはははははははははは!!」
それを聞いてバルドは突然大声で笑い出した。
皆ただその様子を眺めていた。
「聞いたか?エルグレド!この国で最も重要なのは人ではなく"祝福"なのだそうだ!それはいい!まぁそれはそうだろうとも。でなければ私が此処に立っている筈がないのだから」
「何を仰います!貴方は立派に・・・・」
「立派?バードル家や前王に謀られ私が王になった後どれほど苦しみ後悔したか。お前達には想像もつかないであろう?」
分からない。バルドが何を言っているのか。彼は自分の意思で王になったのではないのか。
「エレナの顔を見るたび吐き気がする。あの女の面影がチラついて堪らなくなるのだ」
バルドは自分の胸を鷲掴み、苦しそうにそれでも笑みを浮かべていた。
「ああ、だがそれももう終わる・・・私は彼女に会いに行くのだ・・・もうずっとずっとそれだけが私の望みだったのだから・・・・」
陛下が狂った。
軍士官は動こうとした。
しかしエルグレドがそれを阻んだ。
「陛下に手を出すことは許されません」
そう言いつつ目線で執務士官にこの異常を知らせる様目配せする。彼は頷くと素早く部屋から出ようとした。
「お前達に一つ良いことを教えてやろう」
その声に皆足を止める。
「私は人間ではない」
カンッとバルドの剣が床に当てられた。
皆は今度こそ耳を疑った。
ここは人間族の国だ。それを他種族人が治めるなど聞いたこともない。
「だが前王も私の妃も私が何であるか知った上で王にした。己の欲望を叶える為に」
「それが本当であれば国を揺るがす大問題となりましょう」
軍士官は柄を握った。
バルドは楽しそうに階段を下りてくる。
一段、一段ゆっくりと。宰相はバルドの前へ周り込んだ。
「どうか!どうかバルド様お考え直し下さい!!」
次の瞬間。宰相の身体はバルドの方へ崩れ落ちた。
その下は彼の血だまりが出来ている。
「宰相様!!」
彼がバルドに斬られたのだと気付くのにしばし時間がかかった。次の瞬間。バルドはエルグレドに向かって駆け出しその首を掴み剣を構えた。
「陛下!!おやめください!」
しかし周りは動けない。
血まみれでエルグレドを掴んでいるバルドをただ見ることしか出来ない。
「エルグレド・・・」
バルドが呼ぶ声が、ふといつもの様な響きになった。
エルグレドは抵抗せず為すがままになっている。
「私は呪われている。私の愛しいお前の母に」
嫌だ。聞きたくない。
エルグレドは苦悶の表情でバルドを見つめた。
「私を殺せ。今此処で」
嫌だ。嫌だ!!
「エル・・・グレ、ど。わた、しは・・ははははははわたしは、お前が愛おしい」
この手で殺すくらいなら殺される方がマシだ。
ずっとエルグレドは彼の為に生きてきた。
目の前でバルドが涙を流して笑っている。
周りの雑音すらエルグレドには届かなかった。
嘘でもよかった。自分を愛おしいと言ったこの人の手で自分は殺される。
(ロゼ。約束を破ってしまうな)
きっと彼女の事だから上手く逃げ果せるに違いない。
エルグレドはその時確かに笑った。
バルドの剣がエルグレドの身体を突き抜ける。それと同時。
「な・・・・・・んで・・・・・」
エルグレドは何も出来なかった。
その剣はバルドの手から消え去り何故かエルグレドではなくバルドの身体に突き刺さっていた。
カランッとエルグレドの左手から砕けた指輪が崩れて落ちた。
「・・・・ロ、ゼか・・・・・」
その指輪は随分前に無理やりエルグレドに付けられた物だ。彼の命を守るお守り。
「・・・・あ、あぁ」
エルグレドの口から言葉ではない声が発せられた。
バルドは自らその剣を抜くとエルグレドを抱きしめた。そしてそのまま後ろへ倒れていく。
その時、バルドの身体から黒い痣がエルグレドの方へ移動した。
それはほんの僅かであったが、エルグレドの身体の中の黒い感情が一気に膨れ上がりエルグレドを支配しようと暴れ回った。
その衝撃で彼の意識は遠ざかっていく。
バルドはエルグレドに謝罪した。
「すまない。エルグレド」
その声はいつものバルドの声だったと思う。
「いつまでも。お前達を愛している」
エルグレドはその声を霞む意識の中で確かに聞いた。
エルグレドの瞳から僅かに涙が溢れ落ちた。
そしてそのまま意識を失った。
息を引き取る瞬間初めて愛しい我が子を抱きしめることが叶ったバルドの顔はとても穏やかだった。
(ありがとう・・・ロゼ)
そして彼は永遠に眼を開けなかった。




