嵐の予感
前回ガルドエルムを離れてから1ヶ月程たった頃ロゼは調査に一旦区切りをつけ宮殿に来ていた。
(エルグレドどこに居るのかしら?この時間に執務室にいないなんて珍しいわね)
執務室から離れ別棟の方に目を向けると渡り廊下の間にある庭園には綺麗な花が咲き乱れている。
その所々にはテーブルやベンチがセットされておりよく見ると何人かはそこでお茶や会話を楽しんでいた。
(へぇ〜こんな所があるのね。今まで気がつかなかったわ)
興味が湧き下へ降りて行くと庭園の隅の方で優雅にお茶を飲んでいる貴族らしい男性と目が合った。
品の良さそうな色気のある大人の男という印象だ。
(しまった!バッチリ目が合っちゃったわ。)
ロゼは極力控えめに微笑んでお辞儀をした。
それを見た男性はにっこり笑って手招きしている。
(・・・走って逃げ出しては駄目かしら?)
ちらっと盗み見るとやはりロゼを手招きしているようだ。
うーんと考えてから男性の方へ近づいて行く。
「はじめまして。ですよね?」
「ええ。こうしてお会いするのは初めてですね?ファイズ家の婚約者殿」
ロゼは一瞬で頭の中から記憶を引っ張り出す。
ガルドエルムの貴族は主に5つ。
上から
バードル
ファイズ
デュバルエ
レミュー
アンドリュー
この五家を筆頭に枝分かれしている。
城下に住む事を許されているのもこの五家のみだ。
「バードル家の方ですか?」
位が低い貴族が高い家の婚約者を手招きだけで呼んだりはしない。しかもバードル家は王族の血が入っている。
他の貴族と違い王位継承権が唯一発生する一族である。
「リュカ・バードルと申します」
"貴公子"という言葉がこれほど似合う者が居るだろうか。
「私はロゼと申します。貴族の出ではありませんので家名はありません」
「伺っております。陛下自ら貴方を名指しされたと。どうかお気になさらないで下さい」
座るように促され失礼しますと腰掛ける。
「今度よかったら私の執務室をお尋ねください」
「それは、一体どのような・・・」
リュカは終始微笑みを崩さない。
「私は普段から行動範囲を制限されております。ここでのお茶も有意義ですが少々邪魔が入りやすい。貴方とは個人的に仲良くなりたいと思っております」
ロゼが黙っているとそれが正解とばかりにリュカは頷いた。
「貴方はとても賢い方ですね。恐らく常人の3〜4歩先まで読むことが出来る人だ」
侍女らしき女性がティーカップを運んでくる。二人の前にお茶を置くと黙って下がっていく。
「安心してください。恐らく私の部屋に出入りしたとしても誰も騒いだりしません。だだ一人を除いては」
「婚約者がいる女性が未婚の男性と二人きりでいて騒がれないことなどあり得るのでしょうか?」
リュカは頷き「試しに誰かに聞いてごらん」と楽しそうに囁いた。
「そうそう。君はこの国の婚約の儀式の事を知っていますか?」
「結婚の儀式ではなく?」
「ええ。婚約が一年以上続く場合に執り行われる春の行事です。貴方の婚約は春でしたから丁度来年になったら貴方達も出席させられるでしょうね」
これは初耳である。恐らく宮殿内のみで行われる行事なのだろう。
「気になるなら君の婚約者に聞いてみるといい。今、過去最高に王宮内を凍て付かせているから君が会いに行けば皆んな喜ぶと思いますよ?」
思わせぶりなセリフにロゼは首を傾げる。機嫌が悪いということだろうか?
「ではお言葉に甘えてお先に席を立たせていただきます。お誘いいただきありがとうございました」
立ち上がり深々と礼をする。リュカは満足そうに頷いた。
****
「ですから。長期休暇をお取り下さい」
一方ロゼが探していた人物は
執務士官ともめていた。
「休暇など必要ない。騎士たる者いつでも変事に備えていなければならない」
「もしもの時は宮廷魔術師を使ってすぐ知らせますから大丈夫です。とにかくこの宮廷内で働いている中で休みを取っていないのはエルグレド様だけなのですよ?ここで一度休みを消化してください!!」
エルグレドは表情を変えず執務士官を睨みつける。周りで働いてる者たちはどうしたらいいか分からずブルブル震えて縮こまっている。
「今まで働いてきて休みを取れなどと言われた事などない。何故今になってそんなこと言い出すんだ?」
貴方のせいですよ!とその場にいる全員が叫びたかった。
ここ1ヶ月エルグレドの機嫌は最高潮に悪かった。ロゼがエルグレドの元に現れなくなって数日経つとチャンスとばかりに各家の令嬢達からの執拗なアプローチが始まった。
今まで女性に全く興味を示さなかったエルグレドがロゼを婚約者にしたことで自分にもチャンスがあるのではと余計な希望を持った為だ。
その処理に追われている間に今度はロゼには他に想う相手がおり婚約解消間近だという噂まで流れ始めそれは俺だと名乗り出る者まで現れた。
あまりに話が大きくなり形式上事実確認をバルドから求められ最終的にバルドから放っておけと言われなす術なく過ごした1ヶ月間。
自ずと被害は部下に及んだ。
「お願いです!数日だけでいいので団長を休ませて下さい!もうみな限界です!!」
血も涙もない扱きの毎日。それを毎日淡々とやられては肉体的にも精神的にも持たないと泣きつかれ今現在に至る。
執務士官が頭を抱えていると静寂を破るノックの音が聞こえた。
「どうぞ」
とにかくこの中の冷えた空気を変えるべく相手も確認せず部下が中に通す。それを注意しようと執務士官は顔を上げすぐに黙った。
「職務中失礼致します。ファイズ様はいらっしゃいますか?」
その瞬間エルグレドの纏っていた空気がガラッと変わったのをその場に居た全員が目撃した。
「ロゼ?何故こんな所に」
眉間に皺が寄っていたがその顔にはしっかりと感情が現れていた。
「執務室へ伺ったのですがいらっしゃらなかったので。こちらにいると聞いて迎えに来ました。」
「迎え?わざわざ何のために?」
ロゼは執務士官と目を合わせるとにっこりと微笑んだ。
「この度は婚約者の私が体調不良で静養していたせいで不要なご心配を皆様におかけしたこと心からお詫び致します。そしてまだ体調が優れない私の為に私に付き添うよう彼に長期休暇をいただけるというお申し出。有り難く存じます」
ロゼのそのセリフを聞き執務士官はニヤリと笑いそうになり慌ててコホンと口元を隠した。
「いいえ。こちらこそ申し訳なかった。幸い今は情勢が安定していて騎士団の活躍する仕事も落ち着いていますから。この機会にファイズ家の領地に静養がてら足を運んでみてはいかがでしょう?」
「そうですね。いい機会ですし彼に領地を散歩がてら案内してもらいますわ」
「それはいい!あの土地は空気も良いですからきっと貴方の身体の為にもなります。早速休みを申請しておきます」
「ありがとうございます。感謝いたします」
このあっという間の手捌きに最早誰も何も突っ込まなかった。ただロゼの登場で執務士官は厄介な仕事をひとつ処理でき、その部下達はこの空間から解放され、外で成り行きを伺っていたエルグレドの部下達は鬼のような連日のしごきから解放された。
((女神様!!!))
この日からエルグレドは婚約者を溺愛していると新たに噂されるようになる。
****
ガタガタと馬車に揺られながらエルグレドは先日のそんな出来事を思い出していた。
最近自分は一体どうしてしまったのだろうと真剣に考えてみる。
ここ1ヶ月エルグレドは確かに必要以上に気が立っていたと今更ながら思い出す。
(確かに面倒事が増えたというのもあるが確かにアレでは部下に余計な負担になっただろう)
あの時ロゼの話を聞きながらやっと冷静になれた。
確かにあの1ヶ月間の自分の行動は行き過ぎていたと今では少し反省している。
しかしその原因がいまいち分からない。
「景色一面麦畑ね。ここは穀物の生産が盛んなの?」
「そうだな。気候も年中いい。農作物がよく育つし家畜も過ごしやすいから食べる物には困らないな」
エルグレドは外の景色を見つめたままロゼの質問に答える。ロゼも外の景色をずっと見ていた。
「それはいい所ね。領民も領内からでなければ飢えることはないわね」
「そんな事はない。どこに暮らしていても絶対なものは無い。現に昔自然災害で作物が育たなくなり多くの人々が亡くなった歴史がある」
「それってラゴス山の大噴火の事?」
確か50年くらい前の事だそこまで昔の話ではない。
「そうだ。ラゴス山はこの領地から国境を挟んでそこまで離れていない距離に位置しているからな。だいぶ影響があったらしい」
「それでもまた作物が育つようになったのね。ここまで戻すのに相当苦労したでしょうに・・・」
その言葉にエルグレドはチラッとロゼに目線を向ける。ロゼはそれに気が付き苦笑いを浮かべた。
「やっとこっちを見た。怒りは治った?」
ロゼはエルグレドを無理矢理休ませてここまで連れて来た事に腹を立てていると思っているらしい。
「特に怒っていたつもりはないが?」
エルグレドは正直に答えたつもりだったが何故かロゼは納得しなかった。
「勝手に話を進めたのは悪かったと思ってるけど。私があそこで出て行った方が収まりがつくかと思ったのよ」
「わかっている。そもそも怒っていない」
「嘘。じゃあ何でさっきからこっちを見ないのよ」
そう言われてまじまじとロゼを見るとその顔は今まで見たことない複雑な表情をしているように見えた。
エルグレドは内心首を傾げる。それから少し考えて思った事を口に出してみた。
「俺にずっと見ていられたいのか?」
ロゼはそのセリフに絶句した。
しかもエルグレドは至って真剣に聞いて来た。
冗談とかの類ではなく。純粋に問われロゼは明らかに狼狽した。
(え?これは何の拷問なの?)
どう答えたらいいのか分からずエルグレドを見つめていると突然馬車が止まった。
「着いたようだな」
固まっているロゼに構わずエルグレドは先に馬車から降りる。ロゼは深呼吸してとりあえず深く考えるのはよそうと決めた。きっとあの言葉に深い意味は無いはずだ。
馬車の入り口から降りようとするとその傍にエルグレドが立って待っていた。
「手を」
エルグレドが差し出した手に自分の手を乗せると柔らかく握り返されてロゼは思わず下を向いてしまった。
(うぐぅっ!居た堪れない・・・)
人を騙す演技だと思えば平気で出来ることも、その必要がない時までだと話が別である。
(きっとエルグレドは貴族だからこれが普通何だろうけど・・・なんか悔しいわ)
「そ、そういえば。小耳に挟んだんだけど」
気分を変えようと最近聞いた気になる話題を振る事にした。
「春にやる婚約の儀式って具体的には何をするの?」
ロゼが何気なくふったこの話題がとんでもない爆弾だという事にこの時ロゼは気がつかなかった。




