8.自分が嫌なことは人にしない
己の欲せざるところ、人に施すこと勿れ。(己所不欲。勿施於人。〔論語、顔淵第十二〕)
当り前の話だと思う。
しかし最近あまり物事を考えないでしている人も多いことから、それができないのはうちの小さい人だけではないとも思うのだ。
小さい人は想像力が足りない。これをしたらどうなるかとか、これを自分がされたらどうなのかとかいちいち諭す必要がある。
ただ自閉の場合自分の感情に疎い人も少なくない。それが好きか嫌いかわからないという人がいるらしい。そういう子どもにはこれは「していいこと」これは「してはいけないこと」と教えていく必要があるだろう。
さてうちの小さい人はどうかというと、やはり自分の感情などを理解・表すことは苦手と言っていい。
小さい人がスイミングに通っていることは前述した。
一応スイミングスクールに自閉であることは伝えているが先生が変わったりすると通じないかもしれない。そこらへんの危惧もあり定期的に「スイミング楽しい?」と確認するようにはしていた。
ある時何気なく「スイミング楽しい?」と聞いたら、
「んー……スイミングは楽しいけどバスの中が楽しくない」
と言う。
詳しく聞くと、送迎バス内で他の小学生にからかわれたりしているようだ。小さい人はどう返したらいいかわからなくてへらへらしていたせいか少しエスカレートしているらしい。
急いでスイミングスクールに連絡し対応してもらったが、大人からすればじゃれているようにしか見えないようだった。
でも本人が嫌だというのだ。それを我慢してまで通わせる気は全くない。
小さい人も自分の感情がよくわからなかったから、他の子たちが調子に乗ったということはわかる。
しかし「やめて!」と何度も言っている相手に、嫌がることをするというのはどうかと思う。
小さい人には何かあれば言うようには言った。
結局通っていた曜日は六時間目授業が入るようになり曜日を変えることになったのでその子たちには会わなくなったようだが、「いじめ」のような状況にはいつ誰が遭遇してもおかしくはない。
小さい人が嫌がっているのだから、それは「いじめ」なのだということだけは忘れないようにしていこうと思った。
「人が嫌がることはするな」
というのはわからないし全く心に響かない。人が何を嫌がるのか小さい人には見当もつかない。
これをしてはいけないと具体的に言い、その理由も詳しく説明しなければいけない。知らないことが多い人にわかりやすく説明するのは骨が折れる。そして人は往々にして自分の感情に振り回される。
それは法律によって決まっていることだと言っても、「自分がしたい」のに何が駄目なのかという。
子どもにとっては自分が法律だ。何故「自分が」「自分が」なのだ。それも普通の子ならだんだん周りの目や話を聞きなんとなく学習していくことである。小さい人は「自分がしたいからする」なのだ。正直とても頭が痛い。
「自分が嫌なことは人にしない」
これを誰かにしたら、ではない、これを自分がされたらどうかを話し合う。「別に……」ということならまた改めて話し合う必要がある。
これらは全て一つ一つ向き合う作業だ。
せめて自分がされて嫌なことは人にしないようにしてほしい。
できるだけ時間をとって話を聞くことが考え方を擦り合わせる近道だ。
「我慢」という話ならば小さい姫がいることで「我慢」はしているだろう。
一人で遊びたいと思っても小さい姫が一緒に遊びたがる。これは相当なストレスだろうと思う。
ただ逆に姫が遊びたくなくても小さい人が姫と一緒に遊びたいこともある。違う人が一緒に暮らしているわけだからうまくいかないこともある。
ただ小さい人には女の子には決して暴力をふるわないこと、決して押しのけたりしないことだけは言い含めた。どんなに小さい姫に対して腹が立っても手を出してはいけない。これだけは厳しく言っている。
小さい人は小さい姫が大好きなようだ。家で「かわいいかわいい」と言っているのは私が喜ぶからかなと思ったこともあるが、小学校でも姫の話をするらしい。
「小さい人、本当に姫ちゃんのこと好きなんですね」
先生にしみじみ言われたから好きなのだなと安心している。
もちろん姫も小さい人が大好きだ。一緒にくっついていることもある。
うちの小さい人にとっても小さい姫がいることはよいことのようだ。
「お兄ちゃん大好きー」
「僕もー」
いろいろあるけど相思相愛のようです。