1.自閉症と診断されるまで
簡単な記録です。たぶん漏れもありまくりです。
あんまり重くならないようにしたつもりです。こんな子もいるんだなーって思ってもらえればいいかな。
10歳の小さい人(息子さん)、2008年6月生まれ。
予定日の2日前に3460gで夕方に生まれた。
最初の二ヶ月ぐらいはミルクと混合で、その後はおっぱいだけで済んだ。
可愛くて愛しくて、この子を守るんだって思った。
気になったこと。
掃除機の音を異常に嫌がった。
ちょっとそこで引っかかった。
1歳過ぎても小さい人はママしか言わなかった。
おすわりができるようになった8ヶ月頃から人見知り。
生まれてから二ヶ月お世話になっていた実家に預けたら、ぎゃん泣きされてうちの母がショックを受けた。
外で会うのはまだ平気。
家に誰かが来るのはたいへん。
外で会ってからそのままうちに誰かを連れてくるのは大丈夫。
1歳半健診。
ママしか言えないから引っかかった。
相談員さんがついた。
お子さんと一緒に遊べるグループに参加しませんかと言われた。
遠かったけど通った。
小さい人は手が汚れるのをとても嫌がった。
手をつなぐのを嫌がるようになった。
家の前は交通量の多い道路。ベビーカーに乗せて交通量が少ないところまで連れて行ってから歩かせたりしたがどうしても手をつないでくれない。
小さい人の命を守る為だとハーネスを買った。
基本は手をつなぎ、紐も持った。
相変わらずしゃべらないけど、絵本をめくってコップを指さしたり、バナナを指さしたりして要求を伝えることを覚えた。
「なんで口で言わないのよー」と笑った。
言葉をしゃべってほしいからとペンで指せば発音するおもちゃを買った。
「お茶。お茶。お茶」
同じところを指してばかりいる。なんだろうと思ったら小さい人がしきりに振り向いていた。
「だから口で言えっての!」
しゃべってくれさえすれば問題ないと思っていた。
3歳児健診。
やっぱり小さい人はママしか言わない。
やっと向かい合って言葉を言うとオウム返しにするようになった。
言葉の先生がついた。
幼稚園を決めたら、相談員さんに「他の選択肢もあったのに」と言われた。
んなこと聞いてない。
3歳3ヶ月頃「よいしょ」と言い始めた。
そこから少しずつ単語が増えた。
嬉しかった。
幼稚園に通うことになった。
通って4日で、「この子は療育が必要です」と園長先生に言われた。
相談員さんに連絡して、他の療育施設に週一で通うことにした。
小さい姫がおなかにいたから、毎日の送迎は骨が折れた。
まだ小さい人は手をつないでくれなくて、ハーネスは手放せなかった。
小さい人が4歳になって小さい姫が産まれた。
それまで赤ちゃんに興味を持っていた小さい人だったが、姫を拒否した。それから半年は赤ちゃんが嫌いだったと思う。
道を歩いてて自転車に接触。骨折した。
面倒を看てくれた私の両親がたいへんだった。本当にありがとう。
夏休み明けて二学期。
小さい人の語彙は増えていたが、園では毎日のように怒られていた。
療育施設「たらのめ(仮称)」の人に、全日の空きが来年出そうだけど小さい人はどうしますか? と聞かれた。
全日通うことになれば幼稚園は辞めなければいけない。
園に相談したら「そちらの方が……」と言葉を濁された。
園もたいへんだったとは思うけど、もう小さい人をみてくれる気はないのだなと恨んだ。
冬、「たらのめ」の順番(空き)がきたと連絡があった。
次年度は「たらのめ」に通わせることにした。
三学期はなんとか幼稚園に通わせ、「園の籍はどうしますか?」と聞かれたけど断わった。
年中から「たらのめ」に通うことになった。
先生も多くていっぱい褒めてもらえる。
「お母さん、小さい人を褒めてあげようと思って近づくと、怒らないでって言うんです」
そんなに園で怒られていたのかと、かわいそうなことをしたと思った。
小さい人はやっと人の顔を見るようになって、「たらのめ」で元気に過ごしていた。
「ママ、なんで僕もう幼稚園に行かないの?」
涙が出た。
「なんでだろうね」
なんだかとても悲しくて悔しかった。
これからのこともあるから、一応専門の先生にかかったほうがいいですよと言われ、紹介状を持って療育センターに行った。
姫を連れていたのと私がしぶっていたのとで「たらのめ」の先生が付き添ってくれた。
本当にありがたかった。
療育センターの医師はかつてついてくれた言葉の先生で、
「小さい人は自閉症ね」
と診断された。
5歳の冬も近いある日のこと、やっと私は納得した。
思い出したことなど追加できればしていきますねー。