6. 空から降ってくる共和国
「お願いだ。妻と息子の命だけは……殺さないでくれ。お願いだ!」
銃声が響く。
30代白人男性の頭部に9mm弾がめり込み、彼の命を奪った。
銃を撃ったのは褐色肌の若い男。
手にしたスタントール製の警察用自動拳銃の銃口から硝煙が立ち昇る。
その表情は険しく、緋色の瞳は怒りで紅く輝いていた。
もう、自分を抑えることが出来ない。
物言わぬ人の形をした肉袋となった男に、小さな男の子が縋り付き大声で泣き出す。
「おとうさん!!おとうさん!おきてよ、おとうさん!!
う、うわああぁぁーん!!」
……うるさい。
その傍では、20代後半の金髪碧眼の白人女性が全裸にされ、褐色肌の男女から激しい暴行を受けていた。
性的なものではない。もっと酷い、激しい憎悪の発露としての物理的な殴る蹴るの暴行。
女性の端整な顔は原型を留めない程腫れ上がって血だらけになり、内臓も大きく損傷していた。
もう彼女の命もそう長くはない。
今しがた、白人男性を射殺した褐色肌の青年・ダニーク人革命戦士の彼に、そんな死の間際にある若いスタントール人女性への同情の念はただの一片足りとも沸いては来なかった。
青年の母親は、まだ彼が6歳の頃に農園経営者の男に凌辱され、それを苦に自殺した。
彼は、愛する母親が白肌のスタントール人の男にレイプされる様を目の前で見せつけられた。
母親を助ける為、懸命に男に取り付こうとしたが、その男の手下に阻まれ、何度も殴られた。
やがて男が手下を連れて去った後、母親は我が子に家から出ていくよう告げ、息子が家から出て行ったのを見計らって首を吊り自殺した。
足元には、愛する息子と夫への懺悔の気持ちを記した短い遺書が残されていた。
青年の余りにも苦く辛い思い出が、今、ありありと彼の脳裏に浮かぶ。
こいつらスタントール人は生きるに値しない。
俺たちダニークを家畜のように扱い、自身の性欲発散や暇つぶしの為に嬲り、尊厳を踏みにじる。
今度は、俺たちが連中を踏み潰す番だ!
彼だけではない。今、山間の盆地に位置する小規模都市・ティアレの街の支配者に成り代わった褐色肌の原住民・ダニーク人は、誰もが大なり小なり、自分たちが古の時代より暮らすこの大地・ファーンデディアを支配する白人種・スタントール人への激しい憎しみを抱いていた。
「おかあさん!!おねがい、やめて!!
おかあさんをいじめないで!おかあさんをけらないで!!」
あの白人の少年が、彼の母親に憎しみの限りを叩き付けるダニーク人の男の足にしがみ付く。
「うるせぇ!このクソガキが!そこで黙って見てろ!」
男は、少年の襟首を掴んで足から引き剥がすと、そのまま父親の亡骸の方へ放り投げた。
少年は、再度父親の亡骸に縋り付いて大声で泣き出した。
「うわああぁぁーーん!おとうさん!おかあさん!わああぁー!!」
……本当にうるさいぞ!
仄暗い殺意が沸き立つ。
いっそのこと殺してしまおうか……青年がそう思った時だった。
銃声。
スタントール人の少年の頭部から肉片が飛び散る。
額に一発。正確な射撃だ。
青年は思わずぎょっとする。
少年の母親に暴行を加えていた数名のダニーク人男女も、突然の銃声に驚愕し、暴行する手を止めた。
発砲したのは彼らの指導者であるゲイル・ベルカセムの長女、サーラであった。
まだ8歳の女の子。だが、そんな年齢的ハンデを一切感じさせない程の獅子奮迅の如き戦い振りは、別働部隊に参加した「革命親衛隊」の戦士たちから聞かされ、革命戦士全員の間で話題となっていた。
ティアレ市攻略にあたり、武装警察を真正面から相手にしてこれを迎撃するという最大級の戦功を積んだ、ダニーク革命軍で最も実戦経験豊富で勇敢な別働部隊は、ゲイルによって「革命親衛隊」の異名を授かっていたのである。
その「革命親衛隊」筆頭とも言うべきサーラが突然姿を現し、容赦なくスタントール人の幼い男児を射殺したのだ。
さらにサーラは瀕死の状態にある少年の母親にも銃弾を叩き込んだ。
これも額に一発。即死である。
「あなたたちは何をしているの?」
サーラが彼らに問う。
どこか寒気すら感じる程の冷徹さと圧力を、この場に居るダニーク人戦士全員が感じた。
すると、この中で最年長の30代元工場労働者の男が「同志」の問いに答える。
「……同志ベルカセム。我らの同行指示に従わず、抵抗を示したのでこいつらを痛めつけてました。」
「同志……我らが指導者ベルカセム同志は『追放に抵抗する者は速やかに射殺せよ』と命じたはずです。
このように時間をかけて殺せ、とは言ってません。この街にはまだスタントール人がうじゃうじゃと残っているのです。“排除”を速やかに完遂してください。」
「……いや、でも、こいつらには恨みがいっぱいあるんだ。この程度じゃとても発散しきれないよ。」
「……ストレス発散は他所でやれ。今は、指導者の命令を最優先にしろ、同志。
早急に市内を掃討し、スタントール人を全員追い出して守りを固め、戦力を増強しなければならない。ストレス発散の為に遊んでていい戦士は一人もいない。わかったか?」
サーラの刺すような眼光が最年長の同志に突き刺さる。
「……ッチ、なんだよ、ガキのくせに生意気だ!ぶっ飛ばすぞ!」
男は逆上した。それを周囲の仲間が宥めようとする。
「おい、よせ!彼女は同志ベルカセムの娘のサーラさんだぞ。」
「今の容赦ない処刑を見たでしょ?彼女こそ、真の戦士よ?馬鹿なこと言わないで、ダートン!」
女性戦士から「ダートン」と言われたその男は、生来の短気さをサーラ相手に発揮してしまった。
周囲が制止する声も届いていない。
実際には戦闘を経験して無いにもかかわらず、すっかり自分が勝者としてのぼせ上っているようだ。
サーラの眼光は鋭さを増す。
「もう一度言うぞ、同志。さっさと仕事に戻れ。抵抗するスタトリアはすぐに射殺しろ。
指導者の命令に逆らうことは、ダニーク人民全体を裏切るのと同義だ。」
「黙れ!このガキが!」
ダートンは仲間の制止を振り切って、サーラに突進する
だがサーラの方が早い。男の突進を横に飛んで避け、自動拳銃を向ける。
発砲。
男の右足を撃ち抜いた。
たまらずダートンなる無様な男はその場に転がるように倒れた。
「痛てぇ!!……クソ!なにしやがる!仲間を撃ちやがったな!?」
撃たれた足を抱え、悶えながらサーラに尚も怒鳴る。
なぜ自分が右足を撃たれたのか、どうやら理解出来ていないようだ。
サーラがその気なら、男の頭部を撃ち抜く等造作もないことだったが、僅かでも戦力が低下することを危惧したからこそ足を撃ったというのに。
他の戦士たちにはそれが理解できた。
あの青年も、サーラの容赦なさと冷徹さに大いなる畏怖を感じ始めていた。
だが、肝心の撃たれた本人たるダートンは、それに気づいていないようだ。
「ぶっ殺す!このクソガキ!殺す!」
地面を足の傷を押さえつつ転がるダートンは、腰のホルスターから白人警官の死体から奪ったリボルバー拳銃を抜こうとしていた。
「ダ、ダートンさん!やめるんだ!」
青年が男の所業を制止しようとする。
サーラは短くため息をつき、無様を晒す男に宣告した。
「……もういい。どうやら貴様は同志では無く、ただのチンピラだったようだ。」
サーラは拳銃の銃口をダートンの頭部に向ける。
発砲。
闇に包まれ始めたティアレの街中の空気を切り裂き、9mm弾がダートンなるチンピラ男の額を直撃した。
その弾丸の運動エネルギーは、まるで発砲者たるサーラの怒りの念で強まったかのようにダートンの後頭部を叩き割り、そのシナプス接続数が致命的に少ない脳細胞を地面に叩き付けた。
……殺した……
その場にいたダニーク人戦士たちは一様に戦慄した。
この少女は、容赦なく同胞さえも撃ち殺した。
今日の昼、共にこの盆地の街・ティアレを解放する為に戦った同志を、命令に従わず反抗したことで、殺した。
「他に指導者の命令に不満がある者はいるか?」
サーラが他の戦士たちに問う。
皆、全力で首を横に振り、命令に従う意思を示した。
「では、直ちに市内残留スタントール人の一掃に取り掛かってください。
1分の遅れが、同志1人の命を奪うことになりかねませんので。」
「……はいっ!同志ベルカセム!」
この一件は、すぐさまダニーク革命軍全体に知れ渡ることになり、ティアレ市のスタントール人約5万人の「排除」は急ピッチで進められることになった。
略奪やスタントール人への嬲るような暴行は鳴りを潜め、ダニーク人戦士たちは規律を取り戻した。
スタントール人たちも、最初は激しく抵抗して何人も殺害されたが、やがて多くがダニーク戦士の追放命令に大人しく従うようになり、街を追われていった。
すると、入れ替わるように周囲の村落からダニーク人たちが訪れるようになる。
ゲイルたち「革命軍」なるものの存在が、ティアレ市で暮らしていた少数のダニーク人らによって噂が広まり、さらにゲイルの元で「ダニーク自由民権運動」に携わっていた活動家らも、そのネットワークを使ってファーンデディア中の同胞に情報を拡散させた。
日を追うごとに革命軍への参加者が増えていく。
彼らに与える銃火器は、共和国から提供された蜂起前から備蓄していた分に加え、ティアレ警察署や武装警察基地から押収したスタントール製の新型火器もあり、十分に足りていた。
弾薬や手榴弾等の爆発物も、まだ大量に残っている。
さらに、革命軍戦士や政治将校はティアレ市周辺のダニーク人町村落を訪れては協力を申し出、多くの村々から快諾を勝ち取り、着実に勢力を拡大していった。
中には、村長自らが職員を伴ってティアレを訪れ、ゲイルに直接支持を表明する事さえあった。
そんなダニーク解放革命の中心地となったティアレ市役所は、今や「ダニーク自由民権運動活動本部」となり、同じく警察署は「民権運動・革命軍司令部」となった。
市の郊外には民家を利用した防衛陣地と、廃車や建材を利用した強力なバリケードが設けられ、スタントール軍・警察の反撃に備えている。しかし、いよいよ本格化した北部における「共和国」との戦争への対応で手一杯となっているスタントール当局に、オーレン県という南部の辺境で発生したダニーク人の武装蜂起に構っている暇は無かった。
ゲイルたち「ダニーク自由民権運動」は、戦力を増強し、勢力を拡大する貴重な時間を得ることが出来た。
ゲイルがティアレの街を制圧して1ヶ月が過ぎようとしていた頃。
市長室改め、「革命指導者執務室」となった旧ティアレ市役所市長室にて、今後の軍の編成と拡大する「解放区」における運営方針をラルビやベン、その他多数の民権運動活動家メンバーや政治将校らと共に打合せをしていたゲイルの元に、一人の訪問客が現れた。
「共和国関係者」を名乗る男だ。
ゲイルたちに旧式ながらも共和国製軍用装備類を提供した男。
武装蜂起の前夜に姿を消し、音信を絶っていた彼が、突如再びゲイルの前に現われたのである。
「お久しぶりです。ミスターD。」
ゲイルはその訪問者に応対する。
「ゲイル、元気そうだな。君の活躍は、大統領の耳にも入っているよ。
……悪いが、少し話せるかね?」
ミスターDとゲイルに呼ばれた「共和国関係者」の男が温和な笑顔を見せてゲイルに言う。
黒のノーネクタイのスーツ姿。やや茶色が濃い地味目のサングラスをかけている。一見すると、大きな都市ならどこにでもいそうな大人しい風の中年男性で、印象に残らないタイプの男である。
「ええ、もちろん構いませんよ。どうぞ、ミスターD。」
ゲイルは会議机の一角に座る様促す。
だが、ミスターDは難色を示した。
「2人きりで話したい。ちょっと外に出ないか?」
「ここにいるのは信頼できる同志ばかりです。」
「ゲイル。頼むよ。」
ミスターDの意向は固い様だ。
ゲイルは仕方なく、幹部たちに離席する旨を伝えて執務室を出た。
活動本部となった旧市役所では、ダニーク人の男女が慌ただしく働いていた。
乗っ取ったティアレの街の運営に関する様々な雑務に加え、革命を手助けしてくれるダニーク人たちの管理・運営、戸籍管理にインフラ整備とやらねばならない仕事は山積みである。
ただ革命に参加した者全員が銃を手に取り戦えば良いわけではない。
これから自分たちの国を作るのだ。国を守る戦力も重要だが、それ以上に国の運営・管理も非常に重要なのである。今まで抑圧され続け、権利は無いも同然で社会インフラに携わる役人経験がある者はもちろんゼロ。文字の読み書きすら満足に出来ない者が多いダニーク人にとって、こんな小さな街の運営一つも民族の存亡を賭けた大事業と言っても過言ではないのだ。
ゲイルはそれを考慮し、民権運動の活動ではボランティア学校での教育にも重点を置き、来たるべき日に備えて国の運営を任せられる人材の育成を図ってきた。
そのことは、今隣にいるミスターDには巧妙に秘匿してきた。
活動本部建物を出て、役場前広場に辿り着く。
大きな針葉樹が一本、アスファルトのロータリーの中心部に聳え、その針葉樹の周りに木製のベンチが設けられていた。
ミスターDとゲイルは、そのベンチの一角に腰掛けた。
「それで、ご用件は?」
早速本題を切り出すゲイル。
ミスターDは、ゲイルのこういう性格を実は気に入っている。
無駄が無く、理性的。自分が利用されていることを知った上で協力してくれる。
油断ならないが当面は信用できる。
「明日、我が共和国はファーンデディア全域への大規模空挺攻撃を敢行する。
君たちダニーク軍には、我が軍の攻勢支援をお願いしたい。」
「具体的には?」
ミスターDは胸ポケットに仕舞ったポケット地図を取り出し、攻撃予定地点の一つをゲイルに示した。
「この街、ティアレにも共和国空挺兵団の一個中隊が先行して降下する。
降下予定時間は明日未明。日付が変わるのとほぼ同時だ。
まずは彼らの降下地点の確保、その後は中隊の指揮下に入れ。」
早速来たか。
ゲイルはそう思った。
着実に勢力を拡大し、独自の戦力を拡張しつつあるゲイルの軍を無理矢理傘下に置くことで、その動きを統制するつもりのようだ。
「……もし、お断りすれば?」
「ダニーク人による“独立”や“自由”なんぞ、永遠に訪れないだろうな。」
友好的な笑みを浮かべつつミスターDは答えた。
声は穏やかそのものだが、その言葉には有無を言わせぬ圧迫感があった。
「そうですよね……わかりました。今のは冗談です。
くれぐれも、大統領には内密にお願いします。」
「ハハッ!もちろん冗談だとわかっているよ、ゲイル。
私は個人的にも君が気に入っている。戦争が終わったら、共和国首都のエイラートにある私の家に招待するよ。妻が作るヒヨマメのパンとマーメイドサラダは絶品さ。あの可愛らしい娘さんと一緒に是非来てくれ。」
「ありがとうございます!それを食べるまでは死ねませんね。」
ミスターDとゲイルはひとしきり笑い合った。
その後、ミスターDは念を押すように降下予定座標をゲイルに伝え、中隊と接触する際の合言葉や中隊長の名前などを教えて去って行った。
ゲイルは降下予定座標と接触時の合言葉だけをしっかり頭に叩き込み、それ以外のことは綺麗に忘れ去った。
彼は執務室へ戻ると、そこで彼を待っていたラルビとベン、それに政治将校数名にある指示を出した。
その後、執務室の電話を取る。コール音2回で相手に繋がった。
「やぁ、同志ベルカセム。少しお願いしたいことがあるんだ。」
……
その日の深夜。革命親衛隊の全員と、選別された革命軍戦士たちはティアレ市郊外の草原地帯に展開していた。全員完全武装。スタントール製の軍用自動小銃や新型短機関銃、さらには武装警察の基地に残っていた装甲バスの銃座から取り外した機関銃も装備している。
彼らは上を見上げていた。
待ち人は「空」からやって来る。
満点の星空。無数の星々が降り注いてくるかのようだ。
南の方角には、双子の衛星もハッキリと見えた。
そろそろ時間だ。
サーラは父から貰った腕時計に目を凝らす。星々の輝きが、時刻を読むのを手助けしてくれる。
北の方角からプロペラ機のうねり声が聞こえてきた。
次第にその声が大きくなる。
来た!
その場にいたダニーク人戦士たちの上空に大型の軍用輸送機の一団が現れた。
直後、輸送機の腸から次々と丸い花が飛び出し、ファーンデディアの大地に降りようとしてくる。
空挺降下を開始したイェルレイム共和国の最精鋭部隊、共和国空挺兵団の兵士たちである。
その中にはパラシュートを複数展開した巨大な影も幾つかあった。
空挺兵団用の装甲車両だ。
共和国が空から降ってきた。
開戦から約1ヶ月。ノルトスタントール王国とのファーンデディアにおける戦争の優勢を絶対のものとすべく、イェルレイム共和国軍は持てるカードの全てを切ってきたのだ。
サーラは信号弾を打ち上げた。
赤く輝く光が天空に伸び、星々や衛星の僅かな明かりを頼りに降下してくる共和国軍人に目印を与える。
サーラたちがいる草原地帯に、大柄なイェルレイムの軍人が降り立った。
手早くパラシュートを切り離し、すぐさま体勢を整える。
それに続くかのように、続々と共和国軍人がファーンデディアの大地に降ってきた。
複数のパラシュートを付けた装甲車も草原に音を立てて着地する。
サーラたちダニーク人戦士たちが恐る恐る近付く。
「ドラゴン!」
空挺降下した共和国軍の兵士が、近付いてきたダニーク人戦士らに向かって銃を構えつつ、合言葉を発する。
「ケルベロス!」
すぐにサーラは合言葉で返す。
共和国軍兵士たちが警戒を解き、サーラは最初に着地した大柄な共和国軍兵士に近付いた。
「うん?なんだ、ガキか?小娘がこんなところで何をやっている?」
「お父さんから、あなたたちをお出迎えするように言われたんです。」
サーラがやけに幼さを強調した声色で答えた。
「お父さんから?なんだそれは?馬鹿にしてるのか、ダニークの小娘。」
「馬鹿にしてないです……ごめんなさい……でも、私たちみんな、共和国の兵隊さんを待ってたんです。」
怯えたような口調。許しを請う様に両手を合わせるサーラ。
それを見たイェルレイムの空挺兵団中隊指揮官のこの大男は、サーラに対して見下すような目を向ける。
「ふん。お前らダニークがどの程度使い物になるかわからないが、まさか迎えにこんな小娘を寄越すとはな。どうせなら巨乳の褐色美女が良かったがな!」
隊長の軽口を聞いた周囲の共和国軍兵士が笑い出す。
明らかにダニーク人を蔑み、馬鹿にしている。
その態度を隠そうともしない。
1500年前、スタントール人が来る前、彼らイェルレイム人がファーンデディアの支配者であった。
その時代もダニーク人はイェルレイム人によって奴隷として酷使され、蔑まれており、その差別感情は1000年以上経った今も消えてはいない。
言うなれば彼ら共和国の人間も、ダニーク人からしてみたらスタントール人と同じ穴の狢である。
クソ野郎どもが。
サーラは心の中で呟いた。
イェルレイム人の「クソ野郎」こと中隊長の大男は、尊大な態度で言葉を続ける。
「お前の“お父さん”とやらにさっさと会わせろ。これからは、俺がお前たちのボスだ。俺の言うことは絶対だ。ダニークは全て、俺の命令に従うんだ。いいな?」
これにサーラは怒りを抑えて幼い子供を演じたまま「父」の伝言を伝えようとする。
「わかりました。
あ、でもでも、その前にお父さんからイェルレイムの軍人さんたちに伝言があるの。」
「伝言?何をほざいてやがる。俺は『会わせろ』と言ったんだ。
言いたいことがあるなら、直接言え。“ダニ虫”め。」
大男の言葉に、遂にサーラは「演技」をやめて緋色の瞳を鋭く尖らせた。
「……いいから黙って聞け、共和国の豚野郎。
同志ベルカセムの伝言はこうだ。
『ようこそファーンデディアへ。そして、永遠にさようなら』
以上だ。」
直後、サーラは目にも止まらぬ速さでベルトに刺した背中の自動拳銃を引き抜くと、共和国軍隊長の大男の頭部に狙いを定めた。
二発連続発砲。
ファーンデディアに降り立った共和国軍人は、僅か数分間しかこの大地で生存できなかった。
間髪を入れずに、周囲の共和国軍兵士にも銃弾が飛んできた。
銃声は聞こえない。
いや、耳を澄ませば、くぐもった銃声のようなものが聞こえる。
消音器を取り付けた銃火器による正確な一斉射撃だ。
警戒を解いた共和国軍兵士たちは、自分たちに何が起こったのか理解する間も無く死んでいった。
さらに、まだ空挺降下中だった無防備な兵士たちにも容赦ない銃撃が浴びせられる。
イェルレイム共和国軍の精鋭・共和国空挺兵団のティアレ市攻略部隊は、降下からものの数分で全滅した。
「お見事です。同志ベルカセム。」
暗闇から一人の女性が姿を現した。
褐色肌のダニーク人ではない。もちろん白い肌に金髪碧眼が特徴的なスタントール人でも、赤みがかった白肌と茶髪をしたイェルレイム人でもない。やや黄色味が強い白肌に艶やかな黒髪のすらりとした美しい女性。目はかなりの切れ長で、一見すると目を瞑っているようだ。
明るい茶色が特徴的な軍服に身を包み、肩章と襟元には赤い星が取り付けてある。
どこか冷徹な雰囲気があり、近寄りがたいと言った印象を受ける。
その彼女の後ろには、ギリースーツを着込んだ多数の兵士の姿があった。
消音器と赤外線スコープを取り付けたスタントール製の自動小銃を手にしていた。
「ありがとうございます。同志アクラコン。」
「これであなた方ダニーク人民は、あらゆる軛から解放されました。
忌まわしきブルジョワからの支援を断ち切ったのは、まさに父君の御英断と言えるでしょう。」
友好的な笑みを見せるアクラコンと呼ばれた女。
サーラは、父ゲイルの電話を貰ってから今まで堪えてきた疑問を、思い切ってぶつけることにした。
「……あの、同志アクラコン?」
「なんでしょう?同志ベルカセム。」
「私や仲間たちも、まだ指導者ベルカセムから“あなた方”について詳しく聞いておりません。
もし差し支えなければ、お教えいただけないでしょうか。」
アクラコンは笑顔のままサーラの問いに答えた。
彼女にとって、自分たちの正体を答えることは、明日の天気を教えるくらい軽いものだった。
「これはとんだ失礼を。
改めまして、同志サーラ・ベルカセム。私は、カレン・アクラコン。
全ての労働者の地上の楽園、人民主義発祥の国にして世界人民革命達成を目指す強盛大国・アーガン人民共和国は内務人民委員所属の対外工作労働者戦隊の者にございます。
以後、どうかお見知りおきを。」
そう言うと、アクラコンはサーラに向かって仰々しくお辞儀をした。
海を二つ超えた先にある「共和国陣営」二大巨頭の一つ、アーガン人民共和国がダニーク人たちへの本格的な支援に乗り出したのは、まさにこの時からだった。
※この後書きは本編とほとんど関係ありません※
【新暦1924年10月5日付 ロングニル・ワールド・トゥデイ社
(王国陣営最大の超大国・ロングニル王国連合の代表的メディア企業)
戦時特別報道番組 戦況報道より抜粋】
●国内避難命令発令対象地域定期報道及び王国同盟諸国戦況報道●
(前略)
・アナウンサー(ハイエルフ女性)
「……以上が、ロングニル国内における避難命令発令対象地域となります。
繰り返しお伝えします。9月1日に発生しました、アーガン人民共和国及びエルエナル民主統合共和国を中心とした共和国陣営諸国による王国陣営主要国への突然の軍事侵攻による有事事態は、未だ終結の見込みが立っておりません。既に我が国ロングニルの王都・ヴェンデンゲンは、アーガン人民軍より何重にも包囲され、新市街はほぼ陥落。王宮を中心とした旧市街でも激しい戦闘が続いており、戦況は予断を許さない情勢です。
先程お伝えしました、避難命令発令対象地域にお住いの全てのロングニル国民の皆様は、軍・警察の指示に従い、速やかに避難してください。また、対象地域は今後拡大する恐れがあります。対象地域の近隣地区にお住まいの方も、いつでも避難できるよう準備を進めてください。」
・アナウンサー(キャットピープル男性)
「続いての報道は、王国陣営同盟各国の戦況報道ニャ。
東の同盟国・ノルトスタントール連合王国も、ニャーたちの国と同じくらい苦戦してるニャ。
本国5大州のうち、中核州であるフェターニャ州では、北の隣国・ディメンジア軍による猛攻撃が続き、スタントール軍主力は撤退を繰り返してるニャ。
その海を挟んだ隣のファーンデディニャ州でも、イェルニェイム軍が大攻勢を仕掛け、広大な州全域が空挺攻撃を受けてるニャ。原住民のニャニーク人も武装蜂起していて、現地は大混乱となってるみたいニャ。続いて……ウンニャ?なんニャ?この音?」
(遠くからけたたましいサイレンの音が響いてくる)
(スタジオスタッフらのどよめき声)
(スタッフの一人が、アナウンサーに原稿を渡す)
・アナウンサー(ハイエルフ女性)
「……はい……今、私たちが居るここヴォーレンクラッツェ市に、空襲警報が発令された模様です……はい、空襲警報です。空襲警報発令です。所属不明の爆撃機多数が上空に飛来しています。
繰り返します。空襲警報です。空襲警報発令です。
……ねぇ、所属は?どこの国の爆撃機?アーガン?…………わからないじゃないわよ……とにかく落ち着いて。」
(スタッフらが慌ただしく原稿をアナウンサーに渡す)
(スタジオ全体が更に騒がしくなる)
・アナウンサー(キャットピープル男性)
「ニャー……大分、爆撃機の音が近付いてきてるみたいニャ。これは、避難した方がいいニャ。」
・アナウンサー(ハイエルフ女性)
「はい……繰り返しお伝えします。ヴォーレンクラッツェ市全域に空襲警報発令です。
市内在住の全ての民間人の方は、直ちに地下鉄へ避難してください。
接近中の爆撃機の数はおよそ100機。北方向から市内中心部へ向け接近中。
所属は不明。方角から、アーガン人民空軍のものと見られます。
決して慌てず騒がず、軍や警察の誘導に従ってください。無用の混乱は二次被害を引き起こす危険があります。急いで駆け出したりせず、列を守って速やかに避難してください。
……なに?…………わかったわ……
はい……私たちも一時的に避難いたします。これを持ちまして、一時的に放送は中断します。今後はラジオ放送、または市内公共スピーカーからの自治体放送を聞き、適切な行動を心がけてください。」
(サイレンが更に大きくなる。遠くで爆発音が聞こえ、振動がスタジオに伝わる)
・アナウンサー(キャットピープル男性)
「まずいニャ……局の地下フロアに急ぐニャ!この放送を見てるみんなも、早く避難するニャ!」
・アナウンサー(ハイエルフ女性)
「皆さん、身の安全を最優先にしてください。
地下鉄への避難が間に合わない場合は、無理に行動せず、近くの頑丈な建物に退避を。至急、避難してください。
……私たちも逃げるわよ……いいから落ち着いて。まずは放送中断……今すぐ!」
(「しばらく、このままお待ちください」の文字表記)
(その後、カラーバー画面に切り替わる)
(放送終了)