4. 我らの大地、奴らの血
ここは私たちの大地。
流されるは奴らの血。
私たちの戦争は始まった。
リョーデック農園が灰燼に帰し、かつてこの葡萄畑を支配していた白人種であるスタントール人たちは、物言わぬ骸となって大地に横たわっていた。
褐色肌の原住民たち…ダニーク人たちは、昨日まで自分たちが小作労働者として非情なまでの薄給で酷使されていた葡萄畑を自らの物とし、勝鬨を上げ、手にした武器を天に掲げている。
夜は明け、遥かなる太陽が大地に恵みの光をもたらしていた。
既に近隣の「元」農園労働者も集まり、リョーデック農園一帯には一万を超す褐色肌の老若男女が詰めかけ、農園労働者団地の3階角部屋のベランダから「指導者」が現れるのを今か今かと待ち侘びていた。
「父さん。」
サーラが「指導者」となった父ゲイル・ベルカセムに声を掛ける。
労働者用作業着の上にレザーの弾帯とコンバットハーネスを身に付け、右手には共和国製の短機関銃を持っている。
この3階の角部屋は元々、ゲイルの労働者仲間で親友のベン・ベラクス一家の部屋だ。
この部屋のベランダからは葡萄農園が広く見渡せ、遠く丘の上には未だ黒煙を上げる経営者一家の洋館も見ることが出来ることから、ゲイルの演説場所として選ばれたのだ。
「サーラ……ちょっと行ってくるよ。
そこで母さんと一緒に見ていてくれ。」
ゲイルはそう言うとサーラの頭を優しく一撫でしてベランダへ向かった。
母アスリは夫と軽い抱擁を交わし、その健闘を祈った。
ベランダには共和国製の重機関銃を手にした完全武装の大男ラルビと、小銃を手にした小男のベンが左右に立ち、ゲイルに向かって力強く一礼し、群衆に向き直った。
ゲイルがベランダから姿を現すと、ダニーク人たちは大歓声を上げた。
「ベルカセム!ベルカセム!ベルカセム!」
群衆の歓声が鳴り止むまで、ゲイルは身動ぎ一つせず、眼球の動きだけで周囲を見渡した。
やがて辺りは静かになり、指導者は発言を開始した。
「同胞諸君!黒く輝く褐色の肌の同志たち!熱き緋色の瞳の戦士たち!
白肌の非道なる支配者に虐げられし仲間たちよ!
本日をもって、彼らの支配は終わった!
我らを大地に縛り、足に鎖を繋いでいた連中は、既に骸と化している。
今ここに雄々しく宣言しよう!我らダニークの自由を!独立を!
このファーンデディアの大地は、永遠の昔より我らダニーク人の物である!
我らはこれより進撃の戦士となりて、彼らの街を叩き、同胞たちを解放する!
白肌の支配者きどりの愚か者共は、今や共和国の突然の軍事攻撃で完全に混乱している。
この機を逃さない!
我らダニークが彼らの支配から脱却し、人間となるのは今しかない!
私たちに続け!同志たちよ!
ファーンデディアに我らが旗を掲げよ!
自由を!独立を!勝ち取るのは今だ!」
ゲイルは手にした短機関銃を天に突き出した。左右に立つラルビとベンもそれに続く。
それに呼応するかのように、眼下の同胞たちも銃を掲げて大きく唸る。
大地を震わすかの如き人々の声はどこまでも木霊した。
サーラはそんな父ゲイルの姿を後ろから見ていた。
洋館襲撃の後、母から聞かされた父の話を思い出していた。
…………
ゲイルは、少年時代から自分たちダニーク人の置かれた状況に疑問を抱いていた。
サーラの祖父にあたる人物は、ダニーク人の中でも比較的豊かな「中間層」に位置する小役人であり、幼いゲイルは多くのダニーク人少年少女が行くことさえ叶わない「原住亜人専用特別学校」に通い、勉学に励んでいた。
学校では如何にしてスタントール人が無教養なダニーク人を苦境から救い、文明を与えてくれたかを教えていた。徹底した洗脳教育である。スタントール人と近いところで仕事をし、ある程度の権利も認められた中間層に位置するダニーク人の子供たちは、こうして「スタント―ルのダニーク人」というアイデンティティを植え付けられていた。
だが、やがて聡明なゲイル少年は気が付いたのだ。
余りにも明確かつ露骨で敵対的とも言えるスタントール人とダニーク人の区別に。
そしてその矛盾に。
同時に、その矛盾に抗わず、高慢なスタントール人にひたすら頭を下げ続ける両親ら中間層の大人たちの姿に強い疑問を持つようになった。
疑問は反感となり、やがて青年となったゲイルは家を飛び出し、ファーンデディア各地を放浪する。
そこで目にしたのはスタントール人によって一方的に虐げられる同胞たるダニーク人の哀れな姿だった。
スタントール人の百分の一以下の給料で毎日12時間労働を強いられる炭鉱夫たち。
ムチと銃を手にしたスタントール人管理者によって奴隷のように働かされる農園小作人たち。
安全対策もまともに取られず危険作業をさせられる建設工事作業人夫や港湾労働者たち。
一時の休憩すら許されず、既定の走行距離で厳格に管理・監視されるトラックドライバー。
さらには、時として10代にも満たない少年少女さえも重労働に駆り出される……
具体例を挙げればキリが無い。
激務で身体を壊しても公的保障は一切無く、スタントール人の医者はダニーク人を診ようともしない。
不満を少しでも漏らせば、待っているのは「所有者」たちによる激しい暴力と社会的制裁だ。
ゲイルはそんな現状を何とか改善しようと、放浪先で知り合った有志らと共に「ダニーク自由民権運動」というダニーク人の権利拡大を求める運動を始めた。
サーラの母アスリは、そんな青年ゲイルの活動に理解を示した港湾労働者の娘だった。
年も近かったゲイルとアスリは互いに意気投合し、2人と仲間たちで運動は静かな広がりを見せた。
運動自体は定期的に集会を開いて、パンフレットを作り、自分たちの苦境をスタントール人に理解してもらった上で権利拡大を図るという至極平和的な活動だった。
だが、そんなゲイルの草の根活動のような「ダニーク自由民権運動」を、スタントールは実力を持って容赦なく弾圧した。
所轄警察による活動拠点の強制捜査から始まり、やがて武装警察による警棒を使った物理的弾圧へとエスカレートした。
パンフレットの輪転機を守ろうとしたアスリの父は、武装警察に警棒で滅多打ちにされ死亡し、多くの仲間が身柄を拘束されて収容所送りとなる中、ゲイルは妻アスリと生まれたばかりのサーラを連れて辛くも逃げ出すことに成功する。
その後、本国でのワインブームを受け、無秩序に農園を拡大して深刻な人手不足に陥っていたリョーデック農園での食い扶持を見つけ出し、ここで農園労働者として働くこととした。
まともに労働者管理が行き届いていないリョーデック農園は、ゲイルにとって理想の活動拠点だった。
……仲間や義理の父を暴力で奪われた後に彼に芽生えたのは、「融和」では無く「憎悪」であった。
「ダニーク自由民権運動」はそれまでの平和路線から大きく進路変更。人民主義(この異世界における共産主義)的思想を取り入れ、民衆蜂起による武力革命を志向するようになる。
有志による「ボランティア学校」では、スタントール人の目を盗み、子供や無教養な労働者へのダニーク人の啓蒙と人民主義思想教育が図られ、「革命」に備えて猟銃や刀剣類等の手頃な武器を密かに準備し始める。
そんなある日、「共和国関係者」を名乗る人物が接触してきた。
彼は、これまでゲイルたちが用意してきた武器とは比べ物にならない程強力な銃火器を提供し、労働者たちに限定的ながらも軍事教練を課してくれた。
ゲイルには薄々分かっていた。
この「共和国」の目的が、自分たちを「訓練された暴徒」に仕立て上げ、来たるべき「戦争」の際、敵の後方で盛大に暴れてもらうことだと言うことを。
ほとんど捨て駒同然で、彼らが戦争に勝利した際に生き残っていれば、恐らく始末される。
「共和国」の目的は、1500年前にスタントール建国王に奪われた「自分たちの土地」ファーンデディアを取り戻すこと。ファーンデディアのダニーク人はそのための「便利なツール」に過ぎない。
だが、ゲイルはこれを最大限利用することにした。
「共和国」からの支援を表では喜んで受け入れ、裏では「共和国」が来る前に自力で独立を勝ち取るべく入念に準備を進めてきた。
スタントールも「共和国」も圧倒して見せる。
ダニーク人の強さを、誇りを、見せつけてやるのだ。
そして、それが先程の「労働者団地の9月2日革命宣言」へと繋がったのだ。
…………
短い演説を終えたゲイルは、愛する娘サーラと妻アスリを見て微笑んだ。
「上手く言えたかな。」
「最高だったよ、父さん。」
「あなた……私たち、遂にここまで来たのね……」
サーラは興奮を抑えきれない様子で笑顔を浮かべ、アスリは両目に涙を湛えていた。
「それじゃ、行ってくる。
2人ともここで待っていてくれ。」
ゲイルはラルビとベンに目配りし、次の段階へと進む決意を示した。
2人は一足先に部屋を出て群衆の元へと向かった。
軍隊を編成するためだ。
「待って!父さん、私も行く。」
そう言うとサーラは父の前に進み出た。
「何を言ってるサーラ!これから私たちはスタトリアの街を襲撃しに行くんだ。
いくら北の戦争で留守が疎かになっているとは言え、地元警察との激しい戦闘になるだろう。
危険だ。ここで母さんと待っていてくれ。」
「嫌!絶対に行くわ!ナシカの仇はまだ取れてない!
“ダニークのファーンデディア”を勝ち取ることこそが、
あの子への真の弔いなの!
絶対に足手まといにならないし、もしなるようなら見捨てて構わない!
私は戦える!容赦なくスタトリアの白肌を殺せる!
それはもう証明したでしょう?父さん!」
ゲイルは躊躇った。しかし、もう後の祭りだ。
本当に娘を革命に巻き込みたくなければ、あの時、食堂で銃を渡すべきではなかった。
いや……本当はサーラにこそ、自分の意志を継いでほしかった。
もし万が一、自分が革命半ばで斃れるようなことがあってもサーラさえいれば、ダニーク人民革命の灯は消えない。ゲイルは心の片隅でそう思ったのだ。
あの日、次女ナシカの葬儀で長女サーラの燃え盛るような紅き瞳を見た時に。
だから銃を渡した。そして娘は容赦なく引き金を引いた。
もう彼女は戦士だ。
躊躇いを捨て、ゲイルは愛する娘を戦いの道へ突き落す覚悟を決めた。
「……わかった。だがサーラ、以後は父と娘ではない。
私たちはダニーク人民革命達成を目指す同志だ。
今後公の場では、私のことは“同志”と呼べ。
いいね、同志ベルカセム?」
「はい!同志ベルカセム!」
サーラは力強く返答した。
次の瞬間、アスリはサーラを抱きしめた。
「サーラ……絶対に死なないで……
あなたは最後の希望なの。決して無理はしないで……」
「母さん、私は死なない。死ぬのは奴らよ。」
サーラは母に答える。
その言葉に何の動揺も躊躇もない。
本気でこう思っている。
殺す。一人残らず殺す。
ここファーンデディアは我らダニークの大地。
スタトリアの白いガーゴイル共め。
そんなにこの大地にしがみつきたいのなら、望み通りにしてやる。
死体となって横たわり、汚れた白い血で大地の染みとなれ。
……待っててナシカ、奴らの死体を天国まで積み上げてみせるわ。
本格的な戦争の時間はすぐそこまで迫っていた。
サーラは父から丈夫な革製の肩掛け拳銃ホルスターを貰い、子供用作業服の上に装備する。
8歳の子供に過ぎないサーラには、喧噪渦巻く食堂で父から授かった、この銀色に輝く9mm弾使用の小型自動拳銃しか扱えない。だが、今はこれで十分だ。この銃で人を殺せることは既に証明済みだ。
矮小な脳細胞を大地に散乱させた状態で仰臥する若い白肌豚男の死体が、それを物語っている。
身体を鍛え、人を殺す術を学び、より強力な武器を扱えるようにならなければ。
サーラは更なる誓いを胸に刻む。
父と共に階段を降り、階下の群衆の元へと向かう。
そこには、先程のような無秩序に熱狂する浮かれた群衆の姿は無かった。
短時間の間に、簡易的で粗末ながら装具を整え、各農園の番頭や地元工場の作業リーダー、自由民権運動の地域指導者らの後ろに整然と並ぶ完全武装の革命軍戦士の姿がそこにあった。
今や農園番頭や作業リーダーは「小隊長」であり、自由民権運動の地域指導者は「政治将校」である。
「共和国」から提供された旧式の軍用無線機を背負った者が各々の小隊長のすぐ傍にいる。
約8,000人。
これが、現在ゲイルが持つ全戦力である。
その周囲では、戦いに参加できない数千人の老人や子供たちが、息子や娘、あるいは父母の勇壮な姿を眼に焼き付けていた。
ゲイルは革命の戦士たちを誇らしげに見渡して簡潔に命令を下した。
「戦士諸君!これより、我らの街を奪還する!
目標はオーレン県カビラ郡郡都・ティアレ!
征くぞ!」
「おおぉぉーーーっ!!」
各々が装備する様々な銃火器を天に掲げたダニーク人の男女が、革命指導者の命令に咆哮をもって答える。
目標の郡都・ティアレは、ここリョーデック農園が所在する南部ファーンデディア地方オーレン県の行政区分の一つ、カビラ郡の中心都市である。
郡役場や地元警察署の他、武装警察の駐屯基地も存在する人口約5万人の小規模都市だ。
リョーデック農園からは目と鼻の先の距離にあり、当初からゲイルたち「ダニーク自由民権運動」の武装蜂起計画において第一攻略目標と定められている。
まずはここを押さえ、周囲のダニーク人村落を支配下に置いて戦力を増強。
オーレン県全体の掌握を図るのが「第一段階」だ。
ダニーク人たちの革命軍は徒歩でティアレに向かう。歩きでも3時間程度の距離だ。
ゲイルが先頭に立ち、その傍にはサーラ。
ティアレ手前の山間部で部隊を3つに分け、東と南北から市を攻撃する。
北をラルビが、南をベンが指揮する。東の本隊指揮官は当然ゲイルだ。
真昼の太陽は、周囲を低い山々が連なる山間部の盆地に位置するティアレの街を照らしていた。
市内に住むスタントール人は、誰もが昨日発生した戦争を、まだどこか他人事のように思っていた。
ここは南部ファーンデディア。戦争が始まったのは遥か北の国境地帯。
イェルレイム共和国という北辺の蛮族の弱小国家が、何を血迷ったのか超大国ノルトスタントールに喧嘩を売ってきた。どうせ、王国軍――その中でもファーンデディア駐留軍は精鋭として知られる――がたちまちの内にやっつけてくれるだろう。
早朝、街の武装警察主力部隊が念のため北部へ転進したが、直ぐに帰ってくる筈だ。
そして、その武装警察の警官たちも、ちょっとした出張程度の感覚で街を後にしていた。
……これが愛する家族との永遠の別れになるとも知らずに。
ティアレでは、長閑な日常が続いていた。
ダニーク人たちの銃声が轟くまでは。
※この後書きは本編とほとんど関係ありません※
【新暦1924年9月30日付 フェターナ毎日通信社(左派メディア)
朝刊一面記事より抜粋】
●民主主義の危機 国王暴政を許すな●
今、我が国の民主主義が重大な危機に直面している。
共和国による国境進駐に対する王国軍の過剰反応がもたらした一連の有事事態に関連して、28日、カリーシア・シノーデルⅡ世女王(21)が憲法3条を根拠に文民政府の権限を停止し、「親政」という名の独裁を開始したことが関係者への取材でわかった。これは明らかに立憲君主制から逸脱した行為であり、到底容認することは出来ない。
いくら憲法に明記されているからとは言え、国民不在の王と軍による権力壟断への疑問の声も聞こえてくる。事実、当社が行った緊急世論調査でも、実に28%もの国民が反対しているのだ(賛成は72%)。
王と軍はこのような国民の声を無視するつもりのようだ。
また、最大野党・スタントール人民主義者党は、国内全ての労働組合に対して反戦ストライキを呼び掛けており、既に組合の多くがこれに賛同している(国内労組126団体の内31団体が賛同)。
賛同した団体の一つ、南部ファーンデディア中小企業労働者連絡会の会長であるバフォール・チョムス氏(63)は、有事事態発生の翌日から、有志らと共にファーンデディア最大の駐留軍基地・ベゼラの前で座り込みの反戦デモを展開。軍用車両の出入りを妨害することで、若者が戦争に動員されるのを防いでいる。
チョムス氏は本紙取材にこう答えてくれた。
「私はスタントールの若者たちが、無益な戦争に駆り出されるのを絶対に許しません。まずは、共和国との対話を模索すべきであり、銃弾に銃弾で返すのは理性的な文明人のすることとは言えないでしょう。」
このような動きはファーンデディア州のみならず、フェターナ州でも広がっており、平和を求める国民の運動はもはや無視できないと言えるだろう。
国民の声を頑として無視する王と軍が、その責任を問われるのは時間の問題と言っても過言ではない。
(後略)