43. 暫定的停戦合意
暗く朧げな視界の中を、褐色肌の美しい少女が彷徨っていた。
どこからともなく声が聞こえてくる。
「……まえが……おま……殺した……お前が殺したんだ……」
地獄の底から響いてくるような男の声だ。
すると、少女の前に夥しい死体の山が地面から隆起してきた。
無数の老若男女の無残な死体。
銃殺体や黒焦げの死体、瓦礫に潰されてぐちゃぐちゃになった死体……
死に方は様々だ。
白い肌に茶色い肌の亡骸。それにゴブリンの死体も見え隠れする。
声はその死体の山全体から聞こえる。
「……」
褐色少女は無言でその山を睨み付ける。
「お前が、殺した……お前が、殺した……お前が、殺した。」
次第に声が大きくなる。
すると少女はこう言った。
「そうだ、私がお前たちを殺した。
だから、なんだ?大人しく死んでいろ。」
その声に反応するように、死体が寄り集まり巨人の姿となった。
死者の巨人。
少女に対し、明らかな敵意を向ける。
「お前が、殺した!サーラ・ベルカセム!お前が、殺した!!」
響き渡る怒声。
しかし、サーラは一切動じない。
「誰だ、貴様は!忘れ去られた邪神か!?
それとも私を迎えに来た死神か!?
くだらん……貴様に構っている暇は、私には無い!!」
直後、サーラは背中から共和国製自動拳銃を引き抜くと、死者の巨人の頭部に銃口を向けた。
発砲。
弾丸は赤黒いオーラを纏い、巨人の頭部を破裂させた。
「ギャアアァァーーッ!!
おのれ!おのれ、サーラ・ベルカセム!!
……呪ってやる……呪ってやるぞ……貴様を呪ってやる……」
「黙れ!呪い如きで私を倒せるものか!!
貴様の呪いを上回る憎悪をもって、さらに死体を送り付けてやる!!
死ね!死ね!!」
連続発砲。
8発入りの弾倉が空になり、銀色のスライドがオープン状態で固定される。
赤黒い銃弾を浴びた死者の巨人が、瞬く間にボロボロと崩れていく。
「サー……ラ……べ……ルカ……セム……貴様を……のろ……」
怨嗟の声が残響となって辺りに木霊する。
やがて声が完全に消えると、暗闇がサーラの周囲を包み込んだ。
何も見えない漆黒の闇。
死神か邪神か、正体は不明だがサーラを取り込まんとする何者かの悪あがき。
だがそんなもの、強大な白人国家の軍勢との幾度の激戦を掻い潜ってきた少女に何の恐怖も与えなかった。
サーラは油断なく周囲を警戒し、リロードして次なる「敵」に備える。
すると一筋の光が天から差し込んできた。
褐色少女を優しく包み込むような光。
光の先から、幼い少女のような影が降りてきた。
影が小さな手を、サーラに差し出してくる。
彼女がその手を握ろうと腕を伸ばす。
「……ナシカ?」
サーラがそう呟くと、目の前が真っ白になった。
……
歴戦の少女戦士が目を醒ました。
見慣れない天井がそこにある。
大きなダブルベッドを一人で占有している状態で仰向けに寝かされていた。
地面が一定のリズムで揺れ、エンジンの振動と音が伝わってくる。
どうやらここは何らかの船舶の中のようだ。
足先にある扉が開き、サーラが横になるベッドルームに褐色肌に美しい銀色の髪を靡かせる美女が入って来た。
両手に濡れタオルを持っている褐色美女の顔は、サーラが目を醒ましたことに気付くなり驚愕の表情を浮かべて傍に駆け寄る。
「あっ!同志サーラ!!お目覚めになられたんですね!
……よかった……具合はいかがですか?」
「……同志アネット……痛っ!!」
「だ、ダメですよ!まだ寝てないと……」
起き上がろうとするサーラをアネットが制止した。
ベッドルームの照明に照らされ光沢を放つ銀髪美しい褐色女性の緋色の両目に、安堵の涙が溢れる。
「でも、本当によかった……もし、このままサーラさんが目を醒まさなかったら、私たちは全ての希望を失うところでした……」
アネットはサーラの身体を抱き、ゆっくりとベッドに横たわらせた。
褐色少女が戦友の銀髪美女に状況を尋ねる。
「同志アネット……ありがとう……
それで、私はどれくらい気を失っていたの?」
「……およそ8日です。」
「……そう……そんなに……」
あわせて自身の身体の状態を確認する。
全身包帯でグルグル巻き状態だ。
頭部にも鉢巻のように包帯が巻かれ、銃弾が掠めた左こめかみには厚手のガーゼが当てられている。
少しでも手足を動かそうとすると刺すような痛みが走り、右脇腹からは身動きせずとも鈍い痛みが常に発せられている。
重傷だった。
それだけ、最後に相対した5人の敵王国兵が「手練れ」だったということだろう。
「……それで、戦況はどうなった?何人生き残っている?」
「……」
サーラの問いに、アネットの顔が暗くなる。
若干の沈黙の後、銀髪の褐色美女は重い口を開いた。
「……王都攻撃決死隊、残存63名……
……戦力のほとんどを失いました……
凱旋門、総合病院、市役所を攻撃した部隊は全滅。
王都警察本庁ビルを占拠した同志アスランの部隊も壊滅し、辛うじて同志含む3名が帰還したのみ。
全員重傷です。特に、同志アスランはまだ意識が戻っておりません。
私が指揮したフェリシニア駅攻撃部隊は、何とか敵の追撃を躱して地下の前線司令部まで後退出来ましたが、戦車は3台全て撃破されました。」
「……」
サーラの顔に悔しさが滲む。
だが、これは当初から想定していたことだ。
元より故郷の地を踏まぬ覚悟でアデア海を渡ったのだ。
むしろ、60名以上も生き残ったことは僥倖と言うべきだろう。
しかし、実際に現実として叩き付けられると言い知れない無常さと悔しさがこみ上げてくる。
「天空要塞攻撃班はどうした?
ヤシュクやユーセフは無事か?」
サーラは自身が率いた部隊の安否を尋ねる。
これにアネットはやや笑みを浮かべて答えた。
「はい。同志ヤシュクと同志ユーセフはご無事です。
同志サーラを救ったのは、他ならぬ御二人なんですよ。
女王の専用ヘリを奪ってパラシュートで降下する同志を回収。
それからフェリス郊外の森林地帯まで飛んで私たちと合流し、何とか当局の目を盗んでアデア海の小さな港町まで進んだ後、スタトリアの金持ちからこのクルーズ船を強奪しました。
今は、セティアに向けて航行中です。」
アネットは簡潔にここに至るまでの経緯を説明した。
「……随分と迷惑を掛けたみたいね……
でも、あなたや彼らが無事で、よかった。」
「そんな……勿体無いお言葉です、同志……
どうか、しばらくの間、ゆっくりと休まれてください。」
アネットはそう言うと、サーラの額に当てていたタオルを新しいものと交換。
一礼して部屋を出た。
やがて少女に心地よい眠気が訪れる。
サーラは休息を求める身体の欲求に抗うことなく、再び眠りに落ちた。
……
逞しい褐色肌の大男ヤシュクが操縦する大型クルーズ船が、夜の闇に紛れて彼らの故郷にして「祝福の大地」ファーンデディアに到着したのは、二日後の深夜だった。
事前に連絡を受けていたダニーク解放戦線本部の構成員数名が、クルーズ船が到着する予定の瓦礫が点在する民間埠頭で待機していた。
大戦の最中、彼ら褐色肌のファーンデディア原住民・ダニーク人によって占拠された港湾都市・セティアは、その後に行われた王国軍による奪還作戦により街全体が灰燼に帰していた。
戦後、急ピッチで復興事業が進められていたが、未だに廃墟のまま手つかずとなっている場所も多い。
今回、敵超工業大国・ノルトスタントール連合王国王都・フェリスへのゲリラ攻撃を敢行した同胞たちの生き残りを乗せたクルーズ船が着岸したのも、そんな「復興未施工地域」の一つである富裕層向け民間埠頭の一角だった。
上陸用の可動式舷梯が船と繋げられると、決死隊の勇者たちが降りてきた。
重傷を負った者たちが仲間の肩を借りて故郷の大地を踏む。
サーラも、大男ヤシュクの背中に担がれて愛する「祖国」に帰還を果たした。
彼女の姿を見るなり、出迎えたダニーク戦士の男女たちが取り囲む。
その顔には大きな喜びの表情が浮かび、本来なら大喝采をもって迎えたいところをぐっと堪えて静かに歓迎した。
「……サーラ、おかえり……」
大男の背中に身を預けるサーラの頬を、右足に義足を嵌めた褐色肌の筋肉逞しい40代の美女が愛おしそうに撫でる。
「モルディアナ……ただいま。」
サーラが寝起きのような虚ろな声で答えた。
「よく頑張ったね、サーラ。あなたは凄いわ。」
「……いいえ、女王とデルバータを倒せませんでした……
死んでいった決死隊の同志たちに顔向け出来ません。
……私は……」
強い自責の念にかられ、言葉を詰まらせる決死隊野戦指揮官の少女。
するとモルディアナはサーラを背負うヤシュクに彼女を譲るよう頼んだ。
「ヤシュク、サーラを貰ってもいいかい?」
「あぁ。もちろんさ、姐さん……どうぞ。」
ヤシュクは歴戦の少女戦士をそっと背中から降ろすと、モルディアナがそれを優しく抱きとめた。
褐色美熟女の香水と母性溢れる温もりが、褐色少女を大いに癒す。
「そんなことない。あなたは最高の仕事をした。
……サーラは知らないだろうけど、あなたたちの戦い振りを全世界の連中が見てたんだよ……」
このモルディアナの発言に、サーラだけでなく傍にいたヤシュクはじめとする決死隊の生き残りの面々も疑問符を浮かべた。
スタントール「本国」からの逃避に全力を注いでいた彼らはまだ知らなかったのだ。
「……え?それはどういうこと、モルディアナ?」
サーラの瞳を真っ直ぐ見つめる褐色筋肉女の緋色の瞳。
「ロングニルの綺麗なウサギさんが、あなたたちがエスデナントを倒すまでの有様を、克明に中継してくれたんだ……全世界に向けて……
本当はここにゲイルも来たがってたけど、世界中から殺到する私たちへの支援の申し出に答えるのに忙しくて、どうしても来られなかったんだ。」
モルディアナの言葉を裏付ける様に、決死隊を出迎えた他のダニーク戦士たちも感極まったような表情を浮かべていた。
彼らもまた、その「雄姿」をテレビでリアルタイムで見ていたのだ。
世界第一位の超大国・ロングニル王国連合の代表的マスメディア、ロングニル・ワールド・トゥディが実況中継する王都フェリスにおけるサーラたちの戦い振りを。
その中継映像は、サーラが王国陸軍総司令官であるクルス・エスデナントを「処刑」するまでの有様をほぼ全世界に向けて流していたのであった。
映像は世界に強い衝撃を与えた。
特に、大戦でスタントールと交戦した共和国陣営諸国や亜獣人への極めて抑圧的かつ差別的政策を全く改めようとしない「古き王国」に反発を抱く亜獣人近代国家は、相次いでダニーク解放戦線への各種支援を表明したのである。
例えば、大戦でスタントールと激しい戦火を交えたオークによる近代国家・ディメンジア国家社会主義国は、2000万を超す同胞を失い基幹産業も壊滅状態にもかかわらず、ダニーク解放戦線への強力な支援の意向を明らかにした。
自国領内の軍事施設提供だけでなく、今回の王都攻撃部隊の指揮官であるサーラを「名誉ディメンジア軍人」にするとの発表を、ディメンジアの独裁者「始まりのデニア」こと国家最高執政官自らが行ったのである。
当然、これにスタント―ルは壮絶な怒りを露わにし、国境での小競り合いまで発生している。
ロングニルでは彼の国の首都・ヴェンデンゲンのスタントール大使館前に大勢の民衆が詰め掛けて連日デモが行われているだけでなく、民間企業や有志が中心となって集めた多額の義援金が解放戦線へと送られた。議会でも、スタントールの亜獣人差別政策や「ダニーク問題に関する最終的解決」と称するダニーク人虐殺疑惑に対する非難決議が全会一致で可決される等、もはやロングニル・スタントール関係は過去最悪レベルまで悪化していた。
この他、赤道に点在するトカゲ系獣人の国家連合がサーラに「鱗無き戦士」の称号を授けて物資援助を表明したり、南極のシュミシュカ大陸に存在する黒人諸国家が義勇軍を派遣する用意がある旨を発表する等、衝撃は文字通り全世界に広がっていた。
王都フェリスへの同時多発ゲリラ攻撃からの10日間、世界中から押し寄せる非白人国家・亜獣人国家からの支援の申し出への応対に、解放戦線最高指導者であるゲイル・ベルカセムは忙殺されているのであった。
一方、スタントールと同じ白人国家は相次いでスタントールにテロで犠牲となった人々への哀悼の意を伝え、彼の国への支援を表明しており、非道なテロを受けて王国臣民が団結したことも手伝い、元々強大な工業力を有するスタントールの国力はさらに増大していた。
スタントールとダニーク。その差が縮まることはなく、ダニークが力を蓄えればスタントールがそれを突き放すという絶望的なイタチごっことなっていた。
「そんな……私たちの戦いが、全世界に……」
二の句が継げないサーラ。
モルディアナに肩を借りながら、セティア地下の解放戦線本部へと向かう。
港湾都市地下に広がる白人たちに放棄された広大な治水施設。
そこは今や、ダニーク解放戦線によって褐色肌の人々の為の巨大な「首都」へと生まれ変わっていた。
「ダニーク人民公会議」が開催される調圧水槽は、コンサートホールのように1000近い座席が扇状に据え置かれ、「扇の取手部分」にあたる場所には議長席が設けられている。
その地下公会議議事堂には、王都フェリスから帰還した「決死隊の勇者」たちを一目見ようと大勢の議員や幹部要員、解放戦線人民軍戦士たちが詰め掛けていた。
重厚な鉄製扉が開かれ、人民軍統括軍事局局長を担う褐色筋肉美女と一緒に議事堂を一望する調圧水槽展望通路に姿を現したサーラを見るなり、大地を引き裂かんばかりの大歓声が巻き起こった。
「サーラさん!決死隊の勇者たち!!ありがとう!!」
「同志サーラ!そして、決死隊の同志!!我らダニーク真の戦士!!その名を讃えよ!!」
「あぁ、神様!!同志サーラを無事にファーンデディアにお還しいただき、感謝します!!」
口々に感謝の言葉を述べる褐色肌の男女たち。
老人から10代の少年・少女兵まで。その緋色の瞳には涙すら浮かんでいた。
やがて彼らの歓声は、少女戦士の名を高らかに唱和した。
「サーラ!サーラ!サーラ!!」
猛烈な同胞たちの歓喜の大攻勢に、当の本人はただ立ち尽くす他なかった。
他の決死隊戦士たちも同様だ。
王国軍の鉄の暴風雨さえも吹き飛ばすような仲間たちの熱狂。
サーラは成す術がなかった。
しかしそこに、助け舟を出す者が現れた。
呆気に取られる褐色少女に歩み寄ったその人物は、解放戦線最高指導者にして「ファーンデディア戦争」を引き起こした張本人、父ゲイル・ベルカセムだった。
30代後半の精悍な顔つきをした褐色の優男は、威厳漂うその顔に微笑みを浮かべていた。
「……同志ベルカセム……」
サーラは敬愛する父にそう言った。
ここは「公の場」だ。今、父と娘は、「指導者」と「兵士」という立場にある。
議事堂の群衆も最高指導者の意図せぬ登場に、大歓声に包まれていた議事堂は期待感を膨らませた沈黙に包まれる。
誰もが、ゲイルの言葉を待った。
「同志サーラ。それに、決死隊の同志諸君。
……よく戻って来てくれた……ありがとう。」
ゲイルは、決死隊の面々に頭を下げながら絞り出すように言った。
指導者のこの一言に、ヤシュクやユーセフ、アネット他決死隊残余63名は感激に涙した。
議事堂を埋め尽くす解放戦線構成員たちも、再び大歓声を上げて拍手喝采を浴びせる。
万雷の拍手と逞しき褐色肌の民の声。
ゲイルが眼下の同胞たちに向き直ると、場は静かになった。
そして彼は語りだす。
自由を求める同胞と、その最前線で戦った戦士たちに向けて。
「……同志諸君……
強大なる敵スタトリアの黒き心臓に鉄槌を振り下ろした戦士たちが帰って来た。
彼らは全世界にダニーク人民の勇気を見せつけたのだ。
傲慢を極めた白人たちが、決してこの世界の支配者ではないということを、亜獣人と蔑まれ抑圧される非白人の仲間たちに力強く示したのだ。
今、世界中が我々ダニーク人民の戦いに注目している!
世界が我らを見ているのだ!!
私は、この絶好の機会を逃さない!
闘争を!天をも焦がすような激しい闘争を!
我らが存在をさらに強く世界に示すのだ!
民族の自由を勝ち取る為の、激しい闘争を!!
ダニークのファーンデディア、バンザイ!!」
「ダニークのファーンデディア、バンザイ!!」
ゲイルが言った締めの言葉を、その場の全員で唱和する。
圧倒的なまでの一体感が、セティア地下のダニーク人民公会議議事堂を包んでいた。
だが、その中心人物の下に、数名の民警服姿の部下を伴った中年の大男が駆け寄って来た。
血相を変えた表情から、一大事が起こったことが伺える。
ダニーク人警察の指揮官であるその大男、ラルビはゲイルの直ぐ傍まで近付くと耳打ちした。
「……ゲイル、演説中にすまない。
大変なことが起こった……今すぐ一緒に来てくれ。」
「どうした、ラルビ。何があった?」
ラルビに向き直ったゲイルが問いかける。
しかし、ラルビはここで言うのは憚れるとばかりに、同行を懇願した。
「……すまない、ここでは言えない。
ついてきてくれ……サーラも一緒に……」
ラルビが訝し気な表情を浮かべた歴戦の少女に視線を向ける。
サーラは父や相手に気付かれないように警戒する。
このラルビは、今やサーラやゲイルたちダニーク解放戦線「主戦派」の「敵」とも言うべき「和平派」と繋がっている可能性があるからだ。
ゲイルは、革命闘争最初期から行動を共にし親友でもあるラルビを信頼していたが、サーラは違った。
かつて母と呼んでいた女、アスリ・ベルカセムが率いる「和平派」と密かに接触を続けているのではないか。
明確な証拠があるわけではないが、少女はそう疑っていた。
サーラは父親に介添えしてもらいながら、ラルビと一緒に議事堂を出て解放戦線最高幹部会議室へと向かった。
会議室扉の前でラルビは立ち止まると、ノックして室内で待機する人物に入室の許可を求めた。
「お待たせしました、同志アクラコン。ゲイルを連れて参りました。」
「わかった。入室してよい。」
解放戦線の意志決定を司る幹部会議専用の部屋、その最上座に女が座っていた。
瞑っているかのように細い瞳の、やや黄色味を帯びた美しい白肌の美女。
冷たい氷のような雰囲気を纏うその女の名は、カレン・アクラコン。
ダニーク解放戦線最大の支援国、アーガン人民共和国の実質的最高権力者。
その直ぐ右側には、きめ細かな黒髪を三つ編みにしたカレンの妹にして副官の「人民軍最強の兵士」シクラが立っている。
この他、カレンを守るように屈強な人民共和国政治将校が10名程、彼女の背後や部屋の四隅で待機していた。
「こんにちは、同志ベルカセム。お邪魔しております。
それに同志サーラ。此度のフェリス攻撃はお見事でした。
あなたこそ、本物の人民革命の闘士です。人民共和国を代表して惜しみない賛辞を送ります。」
カレンはベルカセム親子の姿を確認すると、微笑みと共に立ち上がり深々と頭を下げた。
これに父と娘も、最大の支援者であるカレンに深く礼をした。
まず、ゲイルが発言する。
「……同志アクラコン……まさか、同志自らお越しいただけるとは思ってもみませんでした。
こちらこそ、今回の王都攻撃では我らダニークに多大なる支援をいただき、感謝の言葉が見つかりません。
本当にありがとうございます。」
カレンは、「現地人民細胞」司令塔の言葉に笑顔を返した。
続いて、サーラが言う。
「同志カレン。身に余るお言葉です。
……私の刃は、女王の喉元に届きませんでした……
私は、賛辞を受けるに値しません。」
任務を達成できなかった己を深く恥じ、カレンの賛辞を固辞する。
すると、これにシクラが反応した。
「同志サーラ。たしかに今回、女王を始末出来ませんでしたが、それでもあなたが世界に与えた影響は、そんな些末なことを凌駕するほど凄まじいものです。
必要以上に自身を卑下するかの如く恥じ入ることは無意味です。何も生みません。
むしろ誇りなさい。それが、死んでいった同胞たちの為にもなります。」
シクラはサーラを窘めるように言った。
これにサーラはハッとする。
女王を仕留められず、大勢の優秀な戦士たちを失い、自身も重傷を負ってしまってすっかり心が沈んでいたようだ。
父やモルディアナをはじめとする同胞たちは、諸手を挙げて自分を讃えてくれたではないか。
あるいは知らず知らずのうちに、邪神か死神かわからないが何者かが絶望という名の死に至る病に自分を追いやろうとしていたのか。
サーラの顔から暗い自責の影が消え、面を上げるとカレンとシクラを真っ直ぐ見据えた。
「……失礼しました。同志シクラ。
……とんだ無様を晒してしまったようです……
改めまして、同志カレン。身に余るお言葉、ありがとうございます。
死んでいった同胞の為にも、必ずや人民の祖国を勝ち取って見せます。」
もはや反省と嘆きの時は終わった。
少女の緋色の瞳に、決意の炎が灯る。
その姿に、カレンとシクラの「冷血女」姉妹は優し気な笑顔を見せた。
……やはり、この小娘は使える……
…………今は…………
カレンは心の奥底で呟くと隣の妹を見た。
2人は目で会話する。
お姉様、この少女は「時」が来たら私が始末します。
お願いしますね、シクラ。
人民共和国を牛耳る氷点下のオーラを纏う姉妹によるサーラへの「死のカウントダウン」が始まった。
無論、サーラ本人が今この場でそのことを知る由も無かったが。
型通りの儀礼的な会話が終了すると、カレンは早速本題を切り出した。
「さて、同志ベルカセム。
私がこうしてファーンデディアまで来たのには、当然理由があります。
もっとも、賢明なあなたなら既にある程度察しはついていると思いますけど。」
冷血女は微笑みながらゲイルを試す。
これにダニーク解放戦線指導者の男は直ぐに「正解」を寄越した。
「……独立国家調停機構の仲介によるスタトリアとの“停戦”の件……ですか。」
「その通りです。」
カレンは微笑んだままだ。
ゲイルを悩ます目下最大の懸念事項。
それがこの「停戦」である。
サーラの苛烈極まる戦い振りは、この異世界最大の超大国・ロングニル王国連合の議会のみならず国家元首さえも動かした。
大戦を教訓として結成された超国家的紛争調停機構である「独立国家調停機構」において、ロングニル国王エルンスト・フリーデライツⅣ世自らが発起人となり、フェリス同時多発テロの翌日に安全保障常任理事国の緊急理事会が招集された。
その議題こそ「スタントール・ダニーク間の民族紛争、所謂“ファーンデディア戦争”の停戦調停」。
激化の一途を辿るスタントールとダニーク間の戦闘を、一時的にでも早急に「沈静化」させる必要があると強く訴えるロングニル王の言葉に、8ヶ国からなる常任理事国はただ一国を除き全てが賛同の意を示した。
(尚、この独立国家調停機構安保理常任理事国はロングニルを筆頭に、スタントール、大戦で王国陣営側に立って参戦したアペルダ協商連合、神聖アスパニア王国の「4大国」を基幹とし、スタントール友好国のラガール君主国、ロングニル友好国のネアミリス民主王国、東方大陸の瞬国と亜獣人国家代表としてディメンジア国家社会主義国の8ヶ国である。
当初、「大戦戦勝国」の一つであるベルベキア連邦を常任理事国とする案がロングニルから提議されたが、スタントールとラガールの強い反対で否決されオブザーバー扱い。共和国陣営盟主国のアーガン人民共和国も、スタントール、ラガール、アペルダ、アスパニアの反対により理事国として認められなかった。ディメンジアの常任理事国入りにはスタントールが強烈な拒否反応を示したが、友好国ラガールの根強い説得とロングニルの強硬な姿勢、そして高まる世界中の亜獣人国家のスタントールへの批判的世論を背景に押し切られる形となった。)
停戦に強く反対したのは言うまでも無くスタントールである。
古き超工業大国の調停機構代表団は怒り心頭で理事会を退席しようとしたが、ロングニルをはじめとする他の常任理事国の必死の説得で会議は何とか進行した。
その結果、「ダニーク解放戦線側の同意があれば、5年間の期間限定で部分的停戦に応じる」とのスタントール側の意向を確認できたのであった。
これが世界各国メディアによって公表されたのが5日前。
それからというもの、解放戦線内部は紛糾の極みにある。
即時停戦に応じるべきだとする「和平派」と、不断の闘争を貫くべきだとする「主戦派」。
双方は言葉による応酬にとどまらず、一部の解放戦線支配地域では殴り合いの喧嘩さえ起こっていた。
特に「和平派」は自陣営への同胞取り込みに躍起になっており、この数日の間に自前の新聞や雑誌まで発行して「主戦派」への非難宣伝を強めている。
さらには「主戦派」の中にも、「最大の支援国であるアーガン人民共和国の意向を確認すべきだ」として、ゲイルが強く主張する「不断の闘争」に疑念を呈する者も現れ始めており、組織は「揺らめき」を見せていた。
そんな中での、今回の「人民共和国実質的最高権力者」カレン自らの電撃的ファーンデディア訪問。
未だ今回の停戦に関し、沈黙を貫いているアーガン人民共和国。
その指導者たる彼女がどんな言葉を発するかによって、全ては決してしまうだろう。
ラルビが「大変なことが起こった」と言ったのは、まさに正鵠を射ている。
「親愛なる同志ベルカセムへ率直に申し上げます。
我が人民共和国は、今回の停戦にあなた方ダニーク解放戦線が応じてくれることを“期待”します。
あなた方は世界にその雄姿を示した。
フェリス攻撃後、赤道一帯や南極大陸等に未だに残る王制ブルジョワ国家の植民地では、あなた方に触発された“抑圧されし労働者たち”が相次いで暴動を起こしています。
これは大いに喜ぶべきことです。
世界労農人民に革命闘争の意義を示し、その模範たる姿を見せつけたのです。
……しかし同時に、あなた方は大きな痛手を負った。
悪辣な女王による拠点都市への核攻撃と今回の王都攻撃による優秀な人材の損耗は著しく、“組織力の回復”を図る必要があるでしょう。
その為にも、今は憎き敵との“勇気ある停戦”に応じるべきだと我が国は考えます。」
微笑みを湛えた「冷血女」の言い方は、穏やかだったが否とは言わせない「圧」を感じさせた。
人民共和国の意向が、たった今ハッキリと伝えられた。
停戦に応じよ。
「期待する」等という言葉を使っていたが、これはカレンによる「現地人民細胞」への「命令」であった。
ゲイルの額に苦渋の汗が滲む。
彼としては世界中から押し寄せる支援を元に、さらなる攻勢に打って出たいところであったが、カレンの言葉もまた「核心」を突いていた。
確かに、今回の王都攻撃で実戦経験豊富なベテラン戦士を少なからず失ってしまった。
加えてスタントール女王による中核都市・オランへの核攻撃で一瞬にして失われた司法・行政職員候補生たちの補充は現状絶望的で、残された後方支援要員の多くがゲイルが主導する「主戦派」に反対する「和平派」に属しており、ダニーク解放戦線全体として「後方兵站分野」での弱体化は顕著であった。
カレンの言う「組織力の回復」とは、純然たる戦力の回復のみならず「解放戦線が事実上分断状態にあることを何とかしろ」という意味合いも含まれていた。
最愛の娘、サーラが不安気な顔でゲイルを見る。
「……同志ベルカセム……」
娘の動揺する言葉に、父は微笑みを向けた。
「……大丈夫さ。心配いらないよ。」
ゲイルは意を決してカレンに向き直り、真剣な表情で答えた。
「同志アクラコン。本件は非常に重大な案件であり、一度幹部の意見を集約したく思います。
どうか、お時間をいただけませんでしょうか。」
「もちろんです。十分に検討なさってください。
ただ、一日の遅れが百の同胞の命を奪うこととなるでしょう。
可及的速やかなご決断をお願いします。」
カレンは最後まで笑顔だった。
……
その後、人民共和国の恐るべき氷の支配者は、型通りの健闘を祈る言葉を述べてファーンデディアを離れる。
妹のシクラを従え、ダニーク人たちが作り上げた地下連絡通路を通りセティア市郊外の森林地帯に戻ると、そこに秘匿されていた人民共和国最新鋭の秘密兵器、複座式のステルス垂直離着陸(VTOL)戦闘機に乗り込んだ。
操縦するのは「人民軍最強の兵士」シクラだ。
「お姉様。あの男、お姉様の命令に素直に従いませんでした。
シクラ、ちょっと嫌いになりました。
“その時”が来たら、あの男は生きたままダムに沈めることにします。」
戦闘機の離陸準備をしながら、後ろの座席に座る姉に「宣言」するシクラ。
これに「冷血女」が応じる。
「お任せします、シクラ。ただ、彼は最終的には停戦に応じざるを得なくなります。
……もう、あの男の周囲は我が共和国の僕ばかりなのですから……」
氷点下のオーラを放つカレン。
最新鋭戦闘機の精密機器さえ凍結させるような壮絶な笑みが浮かぶ。
その真正面にいるシクラは、姉のオーラにこの上ない頼もしさを感じていた。
「流石です。お姉様!
では、さっさとこんな蛮地を離れましょう。」
「そうね。早くザイツォン様のお傍に戻りたいわ。
超特急でお願いします、シクラ。」
「はい、お姉様!!」
スタントールの技術を盗用して製作された人民共和国の最新鋭ステルスVTOLが、ファーンデディアの夜空に羽ばたく。
次の瞬間、戦闘機は王国軍のレーダーに探知されること無く、「祝福の大地」から海を越えた北の隣国にして「人民共和国友好国」のディメンジアへと音速で飛び去った。
……
翌日、ダニーク人民公会議緊急会合が招集された。
議題は言うまでも無くスタントールとの停戦に関する事。
解放戦線全体の意見統一の為、ゲイル率いる「主戦派」と対立する「和平派」幹部も参加している。
「主戦派」、「和平派」双方に属する戦闘員たちも集まっており、地下ダニーク人民公会議議事堂は一触即発の張りつめた空気に包まれていた。
議長席に座るゲイルが、開会の言葉を述べる。
「同志諸君。昨日、アーガン人民共和国の代表として、同志カレン・アクラコン内務人民委員長自らがファーンデディアに来訪された。
……そこで伝えられた人民共和国の意向は“停戦せよ”である。
これについて、解放戦線としての最終的な意見集約を図りたい。
忌憚なき意見を述べてほしい。」
途端にざわつく議場。
「なんてことだ……やはり共和国は停戦を……」
「あぁ、これはまずいぞ……」
「……停戦に応じなければ……」
特に「人民共和国の意向」がハッキリしたことに、「主戦派」に属している議員や幹部たちの多くに明らかな動揺が広がった。
ゲイルが着席すると、すぐさまモルディアナが発言した。
「何をザワザワしてやがる!?
停戦なんて論外だ!!闘争継続あるのみだよ!
皆も見たろ!?全世界に中継されたサーラと決死隊の同志たちの命を懸けた戦い振りを!!
彼女たちは世界中の連中にとんでもない影響を与えたんだ!
今も、スタントールみたいなクソ白人国家を憎む国々から私たちにどんどん支援が届いてる!
私たちは世界の期待に応えなきゃならないんだ!!
戦うんだよ!スタトリアのクソッタレ共と、戦うんだ!!
ダニークのファーンデディアを勝ち取るために!」
解放戦線「主戦派」最右翼の「強硬派」であるダニーク人民軍最高幹部の言葉に、同じく強硬派の幹部や議員たちから賛同の声が上がる。
「同志モルディアナの言う通りだ!」
「世界が私たちに味方している!戦い続けるべきだ!」
「スタトリアに死を!」
しかし、以前の会合とは決定的な違いが表面化した。
モルディアナに合いの手を入れた者は彼女の周囲に座る議場右端に陣取る一握りのグループだけで、大多数の「主戦派」幹部や議員たちは重苦しい沈黙を保ったままだ。
これに当のモルディアナ本人やサーラはじめとする「主戦派」最右翼は驚きを見せる。
つい昨日まで、この議事堂でサーラたち王都攻撃決死隊の凱旋を歓迎し、ゲイルの「闘争継続」に力強く答えていたというのに、今は水を打ったように静かになっている。
何故だ?
「主戦強硬派」の疑問に、ある男が「答え」を述べた。
ラルビである。
「……同志モルディアナ。
威勢が良いのは結構だが、先程の同志ベルカセムの発言は到底無視できない。
いいか?人民共和国の意思は“停戦”だ。
俺たちの最大の支援国は今も昔もアーガン人民共和国であり、その意向を無視することは解放戦線そのものの破滅を意味するはずだ。
誰のおかげで俺たちはここまで戦ってこられたと思ってる?
人民共和国の多大なる支援のお陰だ!
サーラがファーンデディアに戻ってこられたのも、やはり人民共和国の援助によるものだ!
それを真っ向から無視して良いはずがないだろ?
……なぁ、辛いだろうが今は一度冷静になる時だ。
奴等との停戦に応じて、オラン市への核攻撃で傷ついた組織の回復を図るべきだ。」
諭すようなラルビの言い方。
これに議場にいる大半の幹部や議員たちが口々に賛成の声を上げる。
「同志ラルビの言う通りだ。やはり停戦しなければ。」
「人民共和国の意向は無視できない!」
「そうだ。核攻撃で失われた行政職員の補充が最優先だ。」
これにモルディアナはこみ上げる怒りを抑えて反論する。
「……ラルビ、お前の言いたいことも良く分かる。
だけど、ゲイルは前に言ったはずだ。
“闘争を止めたら奴隷に戻る”と。
それでいいのかよ?たしかに、今回の停戦は5年間の期間限定だろうが、その間にスタトリア連中も態勢を立て直してしまうぞ!?
時間的猶予を与えれば、私たち以上に連中の方がさらに強大になってしまう。
今は畳みかける時だ。違うか?」
しかしその声に、大勢のダニーク人たちは反対の意を示す。
「軍人は大局が見えていない!人民共和国の意向を無視するつもりか?」
「政治に軍人風情が口出しするな!」
「王都攻撃で我々の意志は示された!今は一旦戦火を収めるべきだ!」
反対の声は議場の左側に座る「和平派」だけでなく、「主戦派」の主だった面々からも聞こえてきた。
人民共和国の意向。
それがハッキリした今、解放戦線「主戦派」の過半数を占めるまでに至った「人民主流派」は、こぞって「停戦」を訴え出したのである。
議長席に座るゲイルの眉間の皺が濃くなる。
そして、「和平派」のリーダーである解放戦線最高指導者ゲイル・ベルカセムの「妻」が徐に口を開いた。
「……同志モルディアナ……
そして、同志サーラ。
あなたたちは、まだ本気でスタトリアを倒せると思っているの?
だとしたら、とんだ思い違いよ!!
人口も工業力も、そして軍事力も!何もかもが絶望的なまでに向こうが上なのよ!?
前線でスタトリアと殺しあってただけのあなたたちは知らないでしょうけど、王国は全力で私たちダニーク人を潰しにかかっているわ!
……今、こうして私たちが不毛な議論をしている最中も、スタトリアは同胞の村や町を破壊し、無数の女子供老人が殺されたり収容所送りにされている……
今すぐに停戦を!
これ以上、同胞の命を失うわけにはいかない!
直ちに停戦を!
もう子供を奪われた母親たちの涙を見るのは沢山!
同志ゲイル・ベルカセム!
我らが指導者にして愛するあなた!
聡明なあなたなら、分かるはずよ!
お願いだから、これ以上ダニーク人の子供を殺さないで!
……お願い、子供たちの未来を奪わないで……
……お願い……」
最初は気丈に振る舞いながらも、最後は言葉を詰まらせるように涙を浮かべたゲイルの「妻」アスリ・ベルカセム。
これに「和平派」のみならず「主戦派」に属する女性議員や幹部も釣られて涙を流した。
アスリの「演説」が終了すると、立ち上がりながら拍手する男が現れた。
またしてもラルビだ。
この中年の大男は、アスリのいる議場左側を向きながら、力強い拍手を送った。
これに周囲の議員や幹部たちも続き、気付けば総立ちとなった褐色肌の男女によって地下の公会議議事堂全体を万雷の拍手が包み込んだ。
議場右端に座る「主戦強硬派」に困惑の表情が浮かぶ。
今回の緊急会合への特別参加が許された「王都攻撃決死隊」の主要メンバーであるヤシュクやユーセフ、バシルにアネットも戸惑いを隠せない。
「ヤ、ヤシュクさん……これは一体……」
美青年ユーセフが、共に死線を潜り抜けた大男戦士のヤシュクに震える声で問いかける。
応えるヤシュクの声もまた動揺していた。
「あ、あぁ……やばいぞ、コイツは……完全に停戦ムードだ……」
「でも、どうして!?テレビで私たちの戦いを見てたんでしょ?
……それが、どうして……」
輝く長い銀髪を揺らす褐色美女のアネットも大いに混乱する。
一方、決死隊の前線司令を務めたバシルの顔には戸惑いと共に怒りが表れていた。
「……人民共和国だ……あの国の影響力が、もうこんなにも及んでいたんだ……
こんな有様じゃ、たとえスタントールからの独立を勝ち取っても俺たちは永遠に奴隷のままだぞ。」
「……バシルさん。それはどういうことですか?」
ユーセフが学のあるバシルに尋ねる。
バシルは苦虫を噛み潰したような顔で素朴な青年の問いに答えた。
「つまり、人民共和国に“汚染”された連中が解放戦線の過半数以上を占めてしまえば、スタトリアから独立できたとしても、次は人民共和国の言いなりになるってことだ。
あの国は、そうやって世界中の人民共産主義国家を意のままに操っているんだ。
俺たちも……ファーンデディアも、このままだと人民共和国の衛星国の一つに成り下がってしまう。」
これに決死隊の面々は言葉を失う。
それでは、何のために今まで戦ってきたかわからない。
望むのは飽く迄、民族の自由。完全なる自由だ。
白人たちの奴隷の鎖を断ち切ったところで、また新たな鎖を着けられてしまっては何の意味も無い。
新たなる強大な「敵」の存在に気付いた歴戦の戦士たちの背筋を、冷たい汗が流れる。
そして、それに早くから気付いていた2人のダニーク人女性は壮絶な殺意を放っていた。
モルディアナとサーラの2人は、緋色の瞳を真っ赤に燃え滾らせて睨み付ける。
対象は「和平派」の首魁たるアスリと、主戦・和平のどちらにも属さず「中立」を宣言していたはずのラルビ。
この緊急会合で明白となった。
ラルビ・ビン・ムヒディル。
ゲイル・ベルカセムが最も信頼していたはずの最古参幹部の大男は、「人民共和国の狗」だ。
特にサーラの殺意は激烈であった。
ラルビ、アスリ……お前らは、いずれ殺す……
少女は、かつて「母」と呼んでいた女と身内の様に信頼していた大男の抹殺を誓った。
だが、今この緊急会合の場にて、その誓いは何の力も持たなかった。
結局、モルディアナ率いる「主戦強硬派」の意見は「絶対的少数意見」として無視され、緊急会合は「スタントールとの暫定的停戦の合意」を賛成多数を持って可決し終了した。
この会合でアスリ率いる「和平派」はその存在感を強く内外に示し、それまで過激路線を歩む解放戦線に眉を顰めていたダニーク人「中間層」や「富裕層」を取り込み、その規模を拡大していくことになる。
……
会合終了後、公会議議事堂から地下連絡通路を進むアスリとその「下僕」である小男ベン。
万雷の拍手を一身に受けた30代の熟れた美女は、ベンの他に自身が長を務める内務委員会所属の警備兵数名を従えて悠然と明るい蛍光灯の光に照らされた通路を歩いていた。
「や、やったな、アスリ。見事だよ……」
小男のベンは気味の悪さすら感じる媚びた笑みをアスリに向ける。
これに褐色肌の美しい人妻は一瞥すらくれずに言い放った。
「アンタにもう少し学があれば、私が苦労しなくて済んだのよ。
ほんとに使えないんだから……出来損ないなのは股間にぶら下がってるシロモノだけにしときなさいよ。」
アスリのこのセリフに、付き従う警備兵たちが「プッ」と吹き出し、軽い嘲笑を小男に向ける。
これにベンは申し訳なさそうに肩を落とし、委縮する。
「す、すまない……」
「それはそうと、“王弟”との話はちゃんと進んでるんでしょうね?」
アスリは尚もベンと視線を合わせようともせずに、彼に一任している「スタントール王室関係者」との密約の件について確認をする。
するとベンは顔を明るくして答えた。
「あ、あぁ!もちろんさ!
お、王弟殿下の代理人は、て、停戦終了と同時にベルカセム親子を差し出せば、ダ、ダ、ダニーク人の“自治”について検討すると仰ってくださった。
も、もちろん言質を取ったよ!」
直後、アスリはベンに向き直ると怒りの瞳を浮かべながら小男の胸倉を掴んだ。
「今なんて言った?代理人?何のこと?
私はちゃんと『王弟本人の言質を取れ』って言ったはずよ?
それが代理人ですって!?この馬鹿!それじゃ意味ないじゃない!
アンタみたいなのがいるから、私たち“和平派”は馬鹿の集まりみたいに思われるのよ!?
それがわからないの!?」
アスリの剣幕に、ベンは肉食獣に睨み付けられた小動物の様に震え出す。
「す、すす、すまない、アスリ……で、でも、殿下はフェリスのテロへの対処で忙しいようで……」
「馬鹿!!そんなこと、分かり切ったことじゃない!!
なら、アンタがフェリスに行きなさいよ!!それくらいの頭も回らないの?」
「そ、そ、そんな……どうやってアデア海を渡れと……」
「あのサーラのクソガキが渡って戻って来たのに、大の大人のアンタが出来ないの?」
アスリは放り棄てるように無能男の胸倉を突き飛ばした。
よろめき尻もちをつくベン。
その瞳には恐怖の涙が浮かび、震える口は必死に中身の無い謝罪の言葉を繰り返した。
「ひ、ひいぃっ!!す、すみません、すみません!
アスリ、本当に申し訳ない!申し訳ありません!!申し訳ありません、母さん!!」
土下座までする無様な男。
するとアスリは先程までの剣呑なオーラを消し、妖艶な母性溢れる「偽りの」優しさを湛えた笑顔を見せた。
ベンの頭を撫で、数瞬前とはまるで違う甘い「母親」の声で怯える「年上の下僕」を慰めた。
「……わかればいいのよ、ベン坊や……
坊やが頭悪いのを、お母さん忘れてたわ。でも、坊やはやれば出来る子。
お母さんは信じてます。ベン坊やなら、必ず私の言いつけをちゃんと守るって。
お母さんのお願いをちゃんと果たしたら、また“ご褒美”をあげるから。」
幼児退行した小男は、惨めにぐずりながら詫びつつ使命を果たすことを誓った。
「ぐずっ!うぐっ!うん、僕、わかったよ!!母さん!
直ぐに王弟殿下に会って来る!そんで、殿下にお約束してもらうから!!」
「お願いね、ベン坊や。さぁ、今すぐ行って。」
「うん!!」
ベンは生き生きとした顔つきに戻ると、転がるように通路を駆け出した。
その背中を侮蔑の極みを込めた瞳で見送る「母親」。
周囲に侍る配下の兵士たちも、同様の目で「古参幹部」の男を見つめていた。
「馬鹿な男。」
吐き捨てるようにアスリが呟くと、ベンと入れ替わるように中年の大男が彼女の前に姿を現した。
「あら、同志ラルビ。さっきはありがとう。」
アスリは匂い立つような艶やかな笑みを浮かべると、その大男に短く礼を述べる。
男はアスリの目の前まで無表情で歩み寄ると、書類ケースを突き出した。
「……これは、なに?」
「同志アクラコンからの書簡だ。
お前がスタトリアと密かに行っている“交渉”について、同志からの指示が記されている。
読め、アスリ。」
アスリは書類ケースを受け取ると、中から数枚のA4サイズの書類を取り出しザっと目を通した。
その後、ニヤリと笑みを浮かべる褐色肌の人妻。
「……これ、間違いなく人民共和国からの指示なのね?」
「そうだ、同志アスリ。
……お前が誰が“頭”かを間違えなければ、人民共和国は“味方”だ。」
ラルビは抑揚のない淡々とした声で答えた。
アスリの笑みが性的な妖艶さを増す。
2人の美少女を産み出した熟した褐色美女は、焦らすような手つきで内務委員会幹部用制服の胸元のボタンを数個外して豊満な谷間をラルビに見せつけると、その胸を押し当てるように大男の右腕に縋り付いてきた。
「……ねぇ、ラルビ……最近、私たちちゃんと“お話”してなかったじゃない?
……よかったら、ちょっと“話し合い”をしましょうよ……」
高級売春婦のような怪しげな艶やかさを纏わりつかせた声を出し、腰をくねらせながら褐色の大男を見上げる。
緋色の瞳は媚びるような眼差しとなり、口元は経産婦特有の、男に本能的な劣情を駆り立てる艶を帯びる。
ゴクリと喉を鳴らすラルビ。
平常心を保とうと努めていたが、本能には逆らえそうになかった。
「……わかった……」
「ふふふっ。さ、行きましょう。
……お前たちはここで待機しろ。」
アスリは配下の警備兵に待機を命ずると、ラルビを伴って通路奥の「誰もいない」資材準備室に向かう。
その道すがら、この妖艶なダニーク女はその脳裏にかつて愛した男と娘の姿を思い浮かべながら、心の奥底で彼らに「宣告」した。
……ゲイル……サーラ……
この5年の余生を楽しむといいわ。
停戦が終わる時が、アンタたちが死ぬ時よ。
夫と娘を裏切った女は、壮絶な笑みを浮かべると大男に続いて資材準備室の中へと消えた。
ダニーク解放戦線とノルトスタントール連合王国が、ロングニル王国連合首都にある「国王宮殿」内の特設会場にて全世界のメディアが見守る中、5年間の期間限定で暫定的停戦に合意したのは、それから約1ヶ月後のことだった。




