27. 和平会談という名の戦場 前編
あれは私にとって何もかもが初めてだった。
巨大な潜水艦に乗った事、人民共和国の首都、そしてこの世界で最も平等で平和な国の大都市。
でも、そこで待ち受けていたのは奴らだった。
結局、私がしたことはいつもと何も変わらない。
銃を持って襲い掛かる白い肌のガーゴイル共を殺しただけ。
深い闇が片田舎の地方都市の小さな港を覆っている。
その闇の中で、褐色肌の精悍な顔つきをした大勢の男女が「待ち人」を待っていた。
彼らはダニーク人。
ここファーンデディアと呼ばれる肥沃な大地と地下資源に恵まれた「祝福の大地」に、古の時代から暮らす原住民たち。
しかしこの大地の支配者は彼らでは無かった。
支配者の名はノルトスタントール連合王国。
強大な工業力と軍事力を有する超大国。
先日、交戦中の敵対国家への核攻撃を実施した核保有国でもある。
今、闇に沈む港で「待ち人」を待つ彼らは、そんなスタントールの支配に抗うことを決めたダニーク人武装組織・ダニーク解放戦線のメンバーである。
そろそろ時間だ。
若いダニーク人戦士の男性が、ハンドライトを漆黒の海に向かって照らす。
ライトの点滅を繰り返し、海中からその様を覗いているであろう「待ち人」に合図を送る。
すると海中から何かが浮上してきた。
全長100メートルを超す巨大な潜水艦だ。
艦橋にあしらわれた赤い星が、この潜水艦が「労働者の国」からやって来たことを示していた。
アーガン人民共和国人民海軍所属、新型長距離大型多目的潜水艦「海狼105号」である。
日付が変わった深夜、ファーンデディア南部オーレン県県庁所在地の地方都市・オラン市の港湾区画にその巨体を滑り込ませる。
敵対国家・ノルトスタントール王国軍による監視の目を盗む為、人民共和国の巨大潜水艦はこのように深夜ファーンデディアに出現しては、現地の「人民細胞」こと解放戦線への軍事物資を届けていた。
だが、今回は物資を送り届けるだけでは無かった。
「無事に辿り着いたようで良かった。ここ最近、スタトリアの対潜哨戒が厳しいから心配していたが。」
カリスマ性を帯びた精悍な顔つきの褐色肌の男が、傍らに居る愛娘にして最も信頼する女性戦士に話しかける。
男の名はゲイル・ベルカセム。
ダニーク解放戦線の確固たる信念を持つ頼れる指導者である。
彼の娘である褐色の美少女の名はサーラ・ベルカセム。
誰よりもスタントール人を憎み、まだ10歳の少女ながらもダニーク民族の独立を勝ち取る為に銃を手に取り激しく戦っている。
そんな2人だが、今は普段とは異なる装いであった。
ゲイルは黒を基調とした人民服の正装姿。首元までしっかりとボタンを閉め、左右に胸ポケットを配置した上着と黒のスラックスという出で立ちは、簡素ながらも威厳漂う佇まいを見せていた。
サーラも普段の野戦服を脱ぎ、年相応の少女の服装をしている。
白いシャツに紺色のサスペンダースカートを着て、まるで今から社交パーティーにでも参加するかのような格好であった。
「はい、同志書記長。ですが、港に着いたからと言っても油断は出来ません。
奴らはレーダーに映らない戦闘機を実戦配備していると聞きました。戦士たちには対空警戒を厳とするよう申し伝えてあります。」
「そうだな。支援物資を降ろし、我々が乗り込むまで油断は禁物だな。」
優しき父ゲイルは、決して油断せず緊張感を崩さない戦士に微笑みを向ける。
今からこの父娘は、この潜水艦に乗り込み、一路「解放戦線支援国」であるアーガン人民共和国を目指す。
そして、そこから「大戦和平会談」が開かれるロングニル連合王国の超巨大都市・ヴォーレンクラッツェへと向かうことになっている。
……※この物語における現在の世界情勢解説です。冗長な内容に注意!※……
エルエナル民主統合共和国を盟主とする共和国陣営諸国による、ロングニルやスタントールと言った王国陣営諸国への突然の軍事侵攻で始まった「大戦」は、開戦から1年と8ヶ月を経て、ようやく終結の兆しを見せ始めていた。
エルエナルは交戦国であるベルベキア連邦による「新型エネルギー爆弾」7発の攻撃を受け、主要7大都市が消滅。さらにスタントールのエルエナル遠征軍による徹底した殺戮と空爆は、彼の国の国家インフラを壊滅状態に追い込んだ。今やエルエナル首都・ブルドヴェルにはベ連軍とスタントール軍が殺到し、破滅的な首都攻防戦が繰り広げられている。
これ以外にも、スタントール領ファーンデディアに攻め込んだイェルレイム民主共和国は、首都・エイラートが陥落して無条件降伏。
スタントール本国に攻め込んだ勇敢なるオークの国・ディメンジア国家社会主義国も、スタントール軍による苛烈極まる大反攻と核攻撃により、総人口の2割にあたる2000万人を喪失。近代国家としての継戦能力もほぼ失われた状態にある。にもかかわらずディメンジアは、尚も国家滅亡を覚悟で壮絶な本土防衛戦を戦っているが、ロングニルにより核攻撃を封じられたスタントール側も、いたずらに増大する軍の死傷者数に嫌気がさしている。
一方、共和国陣営のもう一つの雄であるアーガン人民共和国は、見事な本土防衛戦を展開。
自国のみならず周辺衛星国にさえも王国陣営側の軍勢を寄せ付けず、一部戦線では反撃に打って出たりもした。
加えて人民共和国も、「新型エネルギー爆弾」の開発成功を宣言。
現在、人民共和国方面の戦線は完全に膠着状態となり、アーガン・ロングニル双方で休戦に向けた調整が水面下で進行していた。
そんな世界情勢を鑑みて、ロングニル国王エルンスト・フリーデライツ4世王は、国家壊滅状態にあるエルエナルを除く全ての大戦関係国首脳を自国に呼び寄せ、大戦の包括的終結を目指した「大戦和平会談」を提案。
これに、人民共和国などの王国陣営の交戦相手である共和国陣営残存国の全てが同意したことで、この度、史上初となる三大陸主要国が一同に会する史上最大規模の国際会議が開催されることとなったのである。
……※世界情勢解説、終了※……
サーラとゲイルは、人民共和国より「スタントール圧政からの独立を求める被支配民族代表」として招かれていた。
いよいよダニーク解放戦線が国際政治の場に華々しく登場する最大の好機である。
解放戦線の誰もが、この和平会談に多大なる期待を寄せていた。
もし、国際的な同情が集まれば、スタントールも解放戦線を無視できなくなる。
それどころか、暫定的にせよダニーク人による独立国家を認めてくれるかもしれない。
特にゲイルの妻アスリをはじめとする解放戦線「和平派」と称される面々は、この会談への出席を熱望していたが、それはゲイル本人と人民共和国側から拒絶されていた。
会談に出席できるのは、飽く迄解放戦線の指導者と同行者一名のみとされたのである。
そしてゲイルはその同行者にサーラを指名したのであった。
人民海軍の巨大潜水艦は、無事オランの港に着岸した。
船体上部のハッチが開き、満載された軍事物資の積み下ろしが始まる。
それと同時に艦橋の扉が開かれ、タラップが設けられると海狼105号の勇敢な乗組員を束ねる艦長と副長がゲイルとサーラの前に現われた。
「同志ベルカセム。改めまして艦長のクラゲナンです。」
茶色の将校用ジャケットを身に纏った老獪な印象を受けるアーガン人中年男性が、友好的な笑みと共にゲイルに見事な敬礼を示した。
「副長のチシダクラです。長旅になりますが、どうかよろしくお願いします。」
潜水艦乗りとは思えない溌剌として清潔感ある印象の若手将校も同様に敬礼する。
「ありがとうございます。ゲイル・ベルカセムです。
この度は、私たち解放戦線に得難き機会をお与えいただき、同志アクラコンをはじめとする人民共和国の皆様に深く感謝申し上げます。」
ここでゲイルは人民共和国の名ばかりの最高指導者であるキムケグァン書記長の名を出さずに、今や実質的な人民共和国最高権力者となった内務人民委員長のカレン・アクラコンの名前を出した。
その意図を、聡明な艦長と副長は直ぐに見抜いた。
それと同時に、この褐色肌の原住民の男がかなり頭が切れる人物であることにも気が付いた。
なるほど、あの「冷血女」が気に入っているわけだ。
この瞬間、ゲイルは海狼105号が運搬する単なる「荷物」では無く、重要な「客人」となった。
正直に言って、クラゲナン艦長も副長もわざわざダニーク人のリーダーを母国まで危険を冒してまで連れてくることに疑問を感じていた。
満足に教育が行き渡っていない原住民の男を連れて来たところで、国際政治の大舞台で何が出来るのだろうか?
そう思っていた。
だが、今ゲイル・ベルカセムなる男を前にして、ようやくその意味が理解できた。
彼なら、あるいは和平会談という大舞台で憎きスタントールに、大目玉を喰らわせてやれるかもしれない。
一方のサーラについては、もはや説明不要だ。
クラゲナン艦長も副長も、以前、彼女が祖国が生み出した強力な自動小銃を、見事に使いこなした様を直接見ていた。
その後の各種報道でも、この少女が只者ではないことは見聞きしていた。
彼女は本物の戦士だ。
もし彼女がその気になれば、この巨大潜水艦の乗組員全員を始末することも容易いだろう。
さらに言えば、彼女は「冷血女」が特に気に入っている人物でもある。
もし、この航海の途中で敵の攻撃など何らかのアクシデントにより彼女を死なせるようなことがあれば、その時は艦長も副長ももれなく人民共和国が世界に誇る超巨大ダムの底へ転属する羽目になるだろう。
そういう意味では、サーラはゲイルよりも重要な「客人」であった。
クラゲナン艦長と副長は互いに視線を交わし、一度頷くと改めてゲイルとサーラを艦内へと丁重に案内した。
艦長がゲイルを案内し、副長がサーラを案内する。
それぞれ別行動を取り、ゲイルは戦闘指揮所の見学、サーラは艦内の軽い散策を行った。
サーラは、初めて見る潜水艦の艦内に目を輝かせていた。
巨大な人民共和国製潜水艦の艦内は通路が狭く窮屈な感はあるものの、照明は艦内を十分に満たし、全体的に整然としていて乗組員たちの動きにも無駄が無く洗練されていた。
「……わぁ、スゴイ……」
「気に入ってもらえたかな?同志サーラ。」
案内役の副長のチシダクラが、笑顔でサーラに話しかける。
「はい、同志チシダクラ副艦長殿。私、潜水艦の中を見るのは初めてですから……」
「まぁ、ゆっくりしていってよ。スタントールのマヌケ共に、この艦はそう簡単に見つからないからさ。」
「そうなんですか?」
サーラは副長に疑問を呈する。
事実、スタントール海軍は世界屈指の実力と技術力を持っている。
ベルベキアを除けば世界最大の規模を誇るロングニル王国海軍に次ぐ程で、大規模な空母機動艦隊を4個有し、対潜哨戒能力も世界トップレベルである。
しかし、同志チシダクラは少し自慢げにその疑問に答えた。
「この潜水艦の推進機関はとても特殊で、発生する音がすごく小さいんだ。潜水艦ってのは、静かであればあるほど敵に察知されにくくなる。それに、こういっちゃなんだが、俺たち105号の潜水艦乗りはベテラン揃いだ。お陰で、これまで何十回もファーンデディアと人民共和国を行き来しているが、スタントールのマヌケ共に見つかったことは今迄一度も無い。だから、大船に乗った気でいてくれよ。」
「わかりました。同志チシダクラ。」
褐色肌の美少女は素直に笑顔で答える。
それに副長の男は年相応の可愛さを感じざるを得なかった。
「何か必要な物があれば言ってくれ。
これから窮屈な艦の中でちょっと長い船旅になるだろうが、宜しく!」
そう言うと副長は、サーラに割り当てられた部屋を案内してから艦橋の戦闘指揮所へと戻って行った。
部屋はゲイルと共同で使う将校用個室だった。
既にゲイルは部屋に居て、約1ヶ月後に開かれる会談に向けた準備を始めていた。
どのような会談になるか入念にシミュレーションを行い、演説の機会が与えられた場合を想定した原稿の草案を考えていた。
「父さん。」
サーラが愛する父の背中に声を掛ける。
「おお、サーラ。潜水艦の中はどうだった?」
「凄かった……私たちにもこんな艦が造れるかな?」
「造れるさ。自分たちの国を手に入れて、皆に教育が行き届くようになれば、俺たちダニーク人にだってアーガンやスタントールのような物が造れるようになるさ。」
ゲイルは笑顔だが、確固たる決意を込めて愛娘の問いに答えた。
「そうだね。絶対に勝ち取らなきゃ。私たちの国を。」
「あぁ。この会談は、いわば最初の大舞台だ。
……世界の人々に教えてやろう。ダニーク人が味わった苦痛を。スタトリアの非道さを。そして、俺たちの決意を。」
父の緋色の瞳が緋く燃え盛っていた。
サーラはそんな父の姿を見て、大いに頼もしさを感じていた。
「父さんなら絶対にできる。
私は、そんな父さんを必ず守って見せる。スタトリアのクズ共から。」
「……ありがとう、サーラ。」
会談に際し、人民共和国が提案したダニーク解放戦線関係者の同席を、スタントールは断固として反対していた。
彼の王国は声明を出し、「彼らは重大な犯罪テロ集団であり、即刻身柄をスタントール当局に引き渡せ。もし会談の場に姿を現わしたら、スタントールは然るべき対応を取る」とし、ゲイルはスタントールによる身柄拘束あるいは暗殺の危機という大きなリスクを抱えていた。
無論、そのようなことをすればロングニルもアーガンも黙ってはいない。
特にロングニルとスタントールの軋轢は深まるばかりで、もしロングニルが音頭を取って開催する和平会談の場で、出席者の身柄を拘束あるいは殺害する等の実力行使に及べば、両国は最悪の場合、国交断絶の可能性さえ危惧されていた。
故に、流石のスタントールも今回ばかりは強硬手段に打って出ないだろう、というのが大方の見方だが、怒りに燃えるスタントールの女王が如何なる行動に出るか、実際のところ誰にもわからない。
そんなリスクを冒してでも、ゲイルは何としてもこの会談に出席する覚悟でいた。
そしてサーラは、そんな愛する父を何が何でも守る意思を固めていた。
特別に持ち込みが認められた愛用の共和国製自動拳銃を点検する少女。
銀色に輝くスライドを解放し、内部の簡単な清掃を行う。
ダニーク人の戦いが始まった日、父から貰ったこの銃で、少女は何人もの敵を殺してきた。
それはこれからも変わらない。民族の自由を勝ち取るその日まで。
全ての物資積み下ろしが完了した潜水艦は、ゆっくりとオランの港を離れ、海中にその姿を没した。
艦はおよそ1ヶ月近い航海の中、特に大きな波乱も無く、無事に人民共和国首都・カムラクの地に辿り着いた。
そこは人民海軍の一大本拠地である絶対首都カムラク・コリドー人民海軍中央作戦基地。
サーラたちを乗せた巨大潜水艦は、広大な人民海軍基地の一角にある切り立った断崖をくり抜いて建設された潜水艦基地に到着。人民海軍潜水艦部隊の主力である「海狼級」の現在就役中12隻全てを収容し、尚且つ修理・改修用の大型乾ドックさえ備えた巨大基地。
断崖の厚い岩盤とドック全体を覆う強化コンクリートの天井は、敵国空軍の空爆を物ともしない極めて頑丈な防空要塞となっていた。
労働者の国の巨大潜水艦は、その巨体を105号専用ドックへと寄せてタラップと艦橋出入口を繋ぐ。
サーラとゲイルは、高いコンクリートの天井に等間隔で配置された強力なハロゲンライトがもたらす明るい照明の中、初めて異国の地に降り立った。
ドックには、一人の女が部下の政治将校数名を従えて待っていた。
閉じているかのように細い瞳をした、やや黄色味を帯びた白い肌の冷徹な雰囲気を纏う美女。
人民共和国の実質的最高権力者、カレン・アクラコンその人であった。
「ようこそ、我らが人民主義者の母国・アーガンへ。同志ベルカセム、あなた方御二人を、我が国は歓迎致します。」
カレンは友好的な笑みと共に、仰々しくも大きなお辞儀をして2人を出迎えた。
「この度は、私たち親子を大戦和平会談にご招待いただき、心よりお礼申し上げます。全ての自由を求めるダニーク人労働者を代表して感謝いたします。」
ゲイルも深々と頭を下げた。
サーラも父に倣う。
カレンはゲイルと握手を交わすと、サーラにも握手を求めた。
それに応じながらサーラは凍った血が流れる女に、自分からも改めて感謝を伝える。
「ありがとうございます。同志アクラコン。」
「ようこそ、サーラさん。私は貴方のことが気に入っているの。カレン、と呼んで構わないわ。」
「……光栄です。同志カレン。」
「ふふっ……あまり長居は出来ないけど、私の妹のシクラが、あなたたち2人を市内へ案内するわ。聞きたいことがあったら、なんでも彼女に聞いてちょうだい。」
「はい、ありがとうございます。」
カレンは一通り2人を歓待すると、部下数名を残して先にその場を去った。
後頭部できめ細かな黒髪を三つ編みにしたカレンと同じような細い目の若い女が、2人を市内へと案内する。
「シクラです。お姉様より、御二人の案内役を仰せつかりました。よろしく。」
カレンと同じような冷徹な空気を纏う。
顔は全くの無表情で、ベルカセム親子に何ら興味を持っていないような印象さえ受けた。
だが、サーラの戦士の嗅覚は感じ取った。
このシクラという女は、自分よりもはるかに強い。
そして……
「……あなたが、サーラ・ベルカセムか?」
シクラは視線をサーラへと向ける。
顔はまるで人形のように無表情だが、そこには僅かに殺意が滲んでいる。
思わず無言で後ずさり警戒するサーラ。
すると、それを見たシクラはそれまでの無表情が嘘のように、突然無邪気な笑顔を見せた。
「ふふふ!気が付いた?
お姉様が気に入っているというから、どれほどの力量を持っているのか興味があったので、ちょっと試してみたけど……合格です。シクラの放った僅かな殺気に、見事に気付かれましたね。」
キョトンとするサーラ。
どうやら、この女は「お姉様」であるカレンが気に入っているサーラという少女を試す為、鎌をかけたようである。
「……あ、はい……失礼しました。同志アクラコン……」
「いえ、改めてようこそ、アーガンへ。歓迎しますよ、同志サーラ。」
緊張した面持ちを貼り付かせていたゲイルも、ホッと胸を撫で下ろした。
他の政治将校たちも、先程までの鉄仮面のような無表情から友好的な笑みへと変わる。
どうやらベルカセム親子は最初の試練を乗り越えたようだ。
上機嫌となったシクラの案内で、黒塗りの幹部用高級セダンの後部座席に座るベルカセム親子。
その2人の姿を、笑みを見せる人民共和国政治将校の面々が略式の敬礼を持って見送った。
高級セダンの車内は高級素材を用いた落ち着いた内装となっており、座席の上質な革張りシートは見事な座り心地を提供してくれた。
このアーガンに住むほとんどの人民が、決して得られない高級車の空間。
シクラは助手席に座り、若い男性政治将校が運転を担当する。
車は潜水艦基地のバンカーを出て、昼の眩い太陽の光が降り注ぐ人民共和国絶対首都へと入り込んだ。
車窓から見える無数の高層ビルの木立。
どれも無機質の極みのような何の装飾も煌びやかさも無い、無表情な街並みが広がっていた。
王国陣営諸国の大都市に見られるような輝くネオンも、目が痛くなるような広告の海も、このカムラクには存在しない。
その代わりに得体の知れないモニュメントのようなものが、ビルの屋上や街の広場に点在している。
それらを珍しそうに眺めるサーラ。
そんなサーラの姿をバックミラーで確認した助手席のシクラが、モニュメントについて解説する。
「あのモニュメント群は、我が人民共和国が世界に誇る前衛芸術の作品たちです。
そこのビルの屋上に聳えるむき出しの螺旋階段のような赤い鉄塔は「天を貫く人民の力」を表し、あの交差点中央に鎮座する赤い星をいただく傾いた長方形の立方体は「あらゆる妨害にビクともしない人民主義の不滅さ」を表しています。」
「そうなんですか……とても不思議な像ですね……」
「王制主義者はその愚昧さ故に理解しやすいリアリズムを好みますが、我々のような崇高な理想を持つ人民主義者はこのような共産主義的アヴァンギャルドの可能性を信じています。
あなたにもいずれわかりますよ、同志サーラ。」
笑顔で解説を締めくくるシクラ。
彼女はどうやら芸術方面の造詣も深いようだ。
サーラは、自分よりもはるかに高度な戦闘技能を有するであろう女性が、このように幅広い豊かな知識を持つことに驚きを隠せないでいた。
真の戦士とは、ただ敵を殺すことが出来ればいいだけではない。
確実に敵を打ち倒すには、あらゆる知識と教養もまた必要不可欠である。
そのことに、サーラはシクラとのこの僅かな会話を通じて気付き始めていた。
もっと、色々なことを学ばなければ。
褐色肌の少女に新たな方針が生まれた。
一方の父ゲイルは、シクラから貰った大戦和平会談に関する資料を熱心に読んでいた。
式次第や出席者のリストを入念に確認する。
スタントール側の出席者リストには、あの女王は当然としてその腹心の部下である陸海空軍の総司令、外務大臣に加えて各方面軍の指揮官まで名前が載っていた。
その中には、「ダニーク人問題に関する最終的解決」の立案者の一人であるファーンデディア駐留軍司令官、ダリル・マッコイ准将の名もあった。
ベルカセム親子が率いる解放戦線にとって、この男は今や最優先抹殺目標でもある。
ゲイルの緋色の瞳が、怒りで仄暗く緋い光を輝かせる。
この男も女王も、絶対に許さない。
お前たちを倒し、必ず「祖国」を手に入れる。
ダニーク解放戦線最高指導者の変わらぬ決意が、その胸中に改めて湧き立つ。
それぞれ強い思いを抱える革命家親子を乗せた高級セダンは、カムラクで最高級のホテルに辿り着いた。
周囲の無機質な街並みとは異なり、控え目ながらも上品な各種装飾をあしらった外装に、巨大なシャンデリアがぶら下がる高級感溢れるエントランス空間。
そんな煌びやかなホテルの光景に、ベルカセム親子は少し気が引ける思いを感じた。
「それでは明日の朝、お迎えに上がります。
明日は最寄りの人民空軍の基地から、軍専用機で会談が開かれるロングニルの港湾都市へと直行致します。
それまで、ごゆっくりとお過ごしください……失礼します。」
シクラが満面の笑みでベルカセム親子を見送る。
ゲイルはシクラに手短に礼を述べると、ホテル係員の若い女性に丁重に案内されながら受付へと向かった。
サーラもまた、シクラに向き直り礼を言う。
「わざわざ送っていただき、ありがとうございます。同志アクラコン。」
「私のことはシクラ、と呼んでちょうだい。サーラさん。いつか、一緒に遊びましょう?」
笑みのまま顔を横に傾けつつシクラは言った。
サーラは深々と頭を下げ、父の後を追った。
ホテルエントランスの自動ドアの向こうへと去っていくサーラの後ろ姿を、不気味な笑顔で見つめる氷の女。
……あなたと命をかけたお遊びをするのが待ち遠しいわ……
姉であるカレンに匹敵するような絶対零度のオーラが、人民共和国最強の兵士から迸る。
傍らに控える若い政治将校は、思わずビクリと肩を震わさずにはいられなかった。
ベルカセム親子が案内された客室は、このホテルで最上級のスイートルームだった。
綺麗に洗濯されたフカフカのダブルベッドが二つ並び、落ち着いた照明と高級家具で彩られた天井の高い広い客間。
ピカピカに磨かれたステンレス製のバスタブと、最新型の三方向ノズル式シャワールーム。
思わず目を見開いてしまう褐色肌の原住民親子。
普段、自分たちが寝泊まりしている湿気の多い天然洞窟を拡張して設けられた解放戦線地下拠点や、大都市の見捨てられた地下構造物に築かれた質素な作戦本部とは雲泥の差である。
サーラは余りの煌びやかさに戸惑い、落ち着かなくなってしまう。
一方の父ゲイルは、入室当初こそ初めて目の当たりにした高級ホテルの最上級客室に気圧されたものの、やがて落ち着きを取り戻して、明日に迫った和平会談に向けた準備を再開する。
客間に置かれた高級書斎机の感触を確かめるように座ったゲイルは、田舎から出てきた素朴な少女のように高級スイートの室内を落ち着きなくウロウロしたり、フカフカのベッドにダイブしたりを繰り返す愛する娘サーラの姿を、微笑みながら見守りつつ会談での演説案を練った。
ベッドにダイブしたサーラに、人生初となる長距離の移動で溜まった疲れからか強烈な眠気の大攻勢が襲い掛かる。
「父さん……ベッドって、こんなにフカフカしてるんだね……」
「そうだよ、サーラ……今はよく寝なさい。おやすみ。」
「…………おやすみ、父さん……」
少女はその空前の大攻勢に屈した。
やがて静かな寝息を立てて眠りにつくサーラ。
ゲイルは書斎机の椅子から立ち上がり、ベッドにダイブしたまま眠る娘を抱きかかえると、居住まいを正し、頭をそっと枕に乗せてから掛布団を身体にかける。
深い眠りに落ちた愛する娘の額を、数回愛でる様に優しく撫でながら穏やかな笑顔を向ける。
この娘の為にも、今回の和平会談でダニーク人の存在感を示さなければ。
たとえそこで敵に命を狙われようとも、屈したりはしない。
必ず、民族の自由を手に入れて見せる。
カリスマ性溢れる精悍な顔つきをした褐色肌の男は、揺るぎない誓いを愛する娘の寝顔に立てた。
人民共和国首都に、朝の訪れを告げる幾千もの閃光のような旭日が差し込んでくる。
あらゆる状況を想定した何通りものシミュレーションを繰り返し、演説の際の原稿も仕上がった。
ダニーク解放戦線の最高指導者の準備は万端整った。
いよいよ今日が運命の日。
遍く全世界に、ダニーク人の苦境を訴え、憎きスタントールを糾弾するのだ。
その最高指導者の娘である歴戦の褐色少女も、久方ぶりに味わった深い眠りから心地よい目覚めと共に起き上がった。
彼らが向かうは史上空前の大戦争の終結を目指し、世界の国々が和平を話し合う場。
大戦関係国は元より世界主要国全ての首脳陣が一堂に会する国際政治の大舞台。
しかしこの時、ベルカセム親子に知る由も無かった。
彼らの敵……スタントール……が、どれほど自分たちと人民主義者を憎んでいたかを。
そして彼らの容赦なさを。
後の世に言う「ヴォーレンクラッツェ和平会談事件」の発生は、もう目前に迫っていた。




