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そうして二分後、ようやく智将は覚醒した。
「ん……黒姐………!?」グイッ。「後少しだろう。私などに構わず読め」
強引に俯かされた末妹は、済まない、小声で詫びてから読書を再開。だが捲る左手の速度が尋常ではなかったので、下手な気を遣うな、再度注意を飛ばす。
「?―――ああ、問題無いさ。小さい頃、父から速読の訓練を受けて以来、ずっとこのスピードだ」パラッ。「今はまだ眠気が残っているから、寧ろ遅い位だ」
フッ、と息を吐く。
「兄長が覗き込んでいる時は流石に合わせるが―――研究熱心、とは少し違うな。私はただ、知識欲が人より旺盛なだけで」
ペラッ。
「現にこの小説も、凡そ策を編む役には立たない」
そう弁解する智将の静かな蒼目に、死者で埋もれたこの都は映っていない。遥か遠くの地、光輝ける未来を見据えていた。と、パタン。本が閉じられる。
「待たせて済まない。早く中へ入ろう」
起立した彼に引かれる腕は、雨滴を受け若干冷えていた。床を汚す程ではないが、僧服も全体にぐっしょり濡れている。
窓辺で私を解放した青龍は、急ぎ足で風呂場へ。バスタオルを抱え戻る様は、まるで童のよう。
「一先ずこれで拭いていてくれ。浴槽に湯を張ってくる」
「必要無い」
肌に張り付く僧服の上半分を脱ぎ、受け取った布で頭から順番に拭う。
「風邪を引くのはお前の仕事だ」
「しかし」
ゴシゴシ。
「ところでそれは何の本だ?」
「弁護士が主人公の法廷フィクションだが……」フィッ、背を向けつつ頭を下げる。「……済まない。唐突過ぎてつい反応が遅れてしまった」
うっすら頬を染めての弁解。数瞬思案した後、はっははは!!私は噴き出した。
「??」
「ふふ……無性の裸体で赤面とは。青龍、お前は実に愉快な娘だな」
膨らむ気配すら無い胸を張り、一頻り笑う。
「そこまで可笑しがらなくてもいいだろう。精神的にはどうあれ、少なくとも私はあなたを男性であり女性でもあると認識している。だから」
「自分の病気治癒より先に、私へ両性の儀式を、と?」
つくづく酔狂な参謀だ。
「当然だ。混血児の私などより、黒姐の方が純粋に戦闘能力が高いのだ。全く、あの人は長として正しく優先順位をだな……」ブツブツ。
粗方清拭を終え、服を纏い直す。着替えたいのは山々だが、生憎まだこの健気な妹との会話を終える気にはなれなかった。
「では青龍。その弁護士とは何だ?」
標的の職業として、二、三度耳にした事はある。しかし法律関係者と言う以外無知に等しい。
すると彼女は口元を綻ばせ、仕事内容は多岐に亘るが、そう前置きした。
「一般的なイメージは法廷弁護士、つまりは正義の味方だ。実情は財産管理等に携わる事務弁護士の方が多いのだが、矢張り弁護士の花形と言えば裁判だからな」
「ふむ。その正義、我等“龍家”とどちらが強い?」
「ふむ……一概に比較は出来ないな。何せ弁護士の武器は弁論と証拠、どちらも人を殺めない物だ。そもそも戦うフィールドが違う」
「成程。何となしにだが、お前が憧れる理由が理解出来た気がする」
「おかしいか?」
「いや。寧ろこの都は、聡明なお前には狭過ぎる」
幾分体温を取り戻した右手を差し伸べ、はち切れんばかりに知識の詰まった頭蓋を撫でる。
「良し。もし、お前がその弁護士とやらになれたなら―――私が記念すべき最初の客になってやろう。どうだ、不服か?」
暗殺者らしからぬ申し出に、いいや、私で良ければ喜んで。首肯した家族は、何処か辛そうに睫毛を伏せた。