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 走馬灯めいた墜落は、不意に終焉を告げた。


 ずるっ!「わっ!!?」バタンッ!!


 どうやら私ともあろう者が、ついうたた寝していたらしい。何故か未だ常人より老化は遅いものの、相変わらず緊張感の無い肉体だ。

 左に傾く首を戻し、凭れていたソファから背を離す。そうしてから後方を確認すると、フローリング上で毛布が丸く蠢いていた。

「……一体何をやっているんだ、月」

 苦笑しつつ歩み寄り、顔を覆う布を取ってやる。妹は悪戯が見つかった童のように目を伏せながら、ありがとう、助かった、そう頭を下げた。

「私はただ、黒姐が風邪を引かないようにと思っただけなのだが……結局起こしてしまったな。済まない」

 右肩と顎で以って不器用に挟む様を想像し、私は堪らず噴き出した。

「何もそう笑う事は無いだろう?自分でも無様だとは重々承知して」

「そのような労を掛けずとも、普通に声を掛ければ済む話だろう」

 ぐにゃりと人形めいた左腕を掴み、反対の手で腰を支えて引き起こす。

「私はお前の両腕であり、忠実な道具なのだからな」

「……二度と口にするなと頼んだ筈だ」

 近年稀に見る程眉を顰め、目を伏せる。

「仮令過去がどうあれ、あなたはれっきとした人間だ。私の付属物でも、ましてや所有物でもない。自由意志を持った一個人、少なくとも私はそう認識」

「ほう。以前もそうやって正論を振り翳し、勝手に転んだ挙句手首を捻挫したのは、さて。一体何処の誰だったか」

「ぐっ!」

 李の如く膨れ上がる患部。そして成人済みの双子が引く程狼狽した挙句、わんわん大泣きし始めた義息を思い出したのだろう。いい気味だ。

「余りミトを悲しませてやるな。あと、引退しろとは言わないが、お前も今年で七十五。仕事熱心も程々に、おや」

 肌色の長毛に埋もれる老眼鏡を拾い上げ、レンズに罅が入っていないか確認。ぺたんと座り込む持ち主の両耳へ掛けてやる。が、


 かちゃっ、ずるっ。かちゃっ……ずるっ。「こ、これは……ふふふ」


 目視では確認出来なかったが、どうやら落下の衝撃でフレームが若干歪んでいるらしい。何度か試行錯誤するも、手を離した途端左側が外れてしまう。

「頼むから遊ばないでくれ。ああ、だから形状記憶合金にしてくれとあれ程」

「諦めろ。あ奴等は揃って審美眼の厳しい頑固者だ。初印税の祝いに妥協などするものか」

 諭しつつ老眼鏡を畳み、卓上の眼鏡入れへ。ついでに隣に広げられた弁護士協会月報も閉じ、仮置き用の書棚へと仕舞った。

 ダイニングテーブルの片付けを終え、再度妹の下へ。両腕を毛布の下へ差し入れ、下半身へ巻き付くそれごと抱え上げる。

「下ろしてくれ!自分で歩ける」

「こんな昼寝日和にまで仕事するものではない、老人め」欠伸。「どの道そのショボついた眼では、小難しい文章などロクに読めまい」

 そう言って運びつつ、転倒の際打ち付けたと思しき臀部を擦る。果たしてうっ、漏れ出る控えめな呻き。やれやれ、この分だと青痣になっているやもしれぬ。後で湿布を貼ってやるとするか。

 ギシッ。ソファに妹の身体を横たえ、横向けに寝かせる。流石に観念したらしく、月はされるがままに私の肩口へと顔を埋めた。

「仕方ない。今日だけは大人しく休もう。但し、明日は朝一で修理に行くからな」

「ああ、分かった分かった」

 ぽんぽん。同居当初より薄くなった背を叩き、私も瞼を閉じた。何時か皆で帰る、我等が永遠の夜都へと想いを馳せながら。

(しまった、夕食の支度……まぁ良い、直にミト達が帰宅する。三人共料理は得意だし、今日は彼等に任せてしまおう……)

 私が作るとついつい“龍家”の味、脂質過多な料理になってしまうのだ。まだまだ健啖家だが、偶には健康的な食事も悪くはない。 

 結論付けたと同時に覚える、強烈な睡魔。最愛の者と逸れぬよう手を繋ぎ、夢路へ続く闇へと意識を溶かしていった。

  





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