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色とモチーフは祝福の日に

オレンジ色の子育て

作者: キホ☆



 本当の母子じゃないけど、それでも俺にとっては生みの親よりずっと「母さん」の呼び名が相応しい女性だ。

 そう、それは間違いなく俺の気持ち、なのだけど。


「俺ちょっと出かけてくるよ」

 台所と居間が一緒になった部屋の、隅にあるコート掛けから薄手のジャケットを手に取りながら、窓辺の花に水をやる母さんに声をかけた。手を止め軽く振り返った彼女は、昔、華やかな世界にいただけあって身内の贔屓目ながらなかなか綺麗だと思った。

「今日って予定無いんじゃなかったっけ?」

 化粧っ気のない柔らかい表情で、母さんはちょっとだけ不思議そうにそう訊いた。

「仕事の予定は、ね。今度、取引先に良い酒でも持って行こうかと思って」

 あぁそうなの、と頷き、母さんはいってらっしゃいと手を振りながら花へ向き直った。俺も適当にじゃあ行ってくる、と扉に手をかけた後で、遅くなるつもりはないし、夕方までなら寒く無いだろうとやっぱりジャケットを一番近くの椅子の背にかけた。そしてもう一度母さんの背中を見つめることなく、家を後にした。


 実の母親の記憶はほとんどなく、覚えている記憶の始まりは父さんと母さんと3人で平日の昼飯を取ってる時。母さんは有名な舞台のバックダンサーとしてほとんど毎晩踊っていて、父さんは近くの漁師たちと街の商人のための市場を近くで経営していた。だから、家族3人が揃うには昼間が一番都合が良かった。朝遅く起きて上手くはないが愛情のこもった料理を作る母さんと、昼飯を食べに少し戻ってくる父さんは、なかなかよくお似合いだったと思う。幸せな家族の思い出だ。俺も幼い頃から母さんが実の母親ではないことを知っていて、でもだからと言って気にしたことはなかった。

 ……気になりだしたのは、父さんが死んでから。その頃、俺はこの辺りの魚介類を国の山側の街へ売る事業を立ち上げたばかりだった。事業を成功させるために奔走していた俺は、父の死のタイミングの悪さに正直気が滅入った。なぜ今、どうして、と何度も叫んだ。その時、母さんに言われてしまったのだ。「父さんより仕事なの?」と。


 考え事をしながら歩くと、意外とすぐ目的地に着くものだ。木製の洒落た形のドアノブに手をかけ、一気に引いた。

「こんにちは」

 小屋と言っても差し支えない小さな木製の室内だが、両脇に天井まで伸びるこれまた木製の棚。そこには瓶が大量に並んでいた。ここはいわゆる地元住民御用達の個人経営の酒屋。所狭しと壁に詰められた瓶はもちろん酒だが、中には変わったジュースやドレッシング、ピクルスなんかも置いてある。入れられるだけ瓶を入れているため室内は薄暗く、しかも日光はおろか、電球も申し分程度の光しかなかった。まぁ、これはこの店の常であり、どこか怪しげな雰囲気が俺は嫌いではない。

「あぁ、あんただったのか。いらっしゃい」

 入り口と反対側にある扉から出てきたショートカットの女がそう言って微笑んだ。そのよく見知った相手であるだけに、客とはいえ遠慮のない口調も、俺は嫌いではない。

「この間の地酒が美味しくて、また取引先に持って行こうかと思ってるんだけど、今日もある?」

 母さんより一回り下くらいの女性に対し、この距離感で話せるのも、彼女とは小さい頃から付き合いがあるからで。

「奥にあるから取ってくるよ。一本でいい?」

「二本で」

「了解」

 ブロンドの髪をなびかせて、紺のエプロンの埃を払いながら彼女は店の奥に入っていた。


 俺はもちろん、父さんを愛していたし、死は悲しかった。事業が軌道に乗り始めた最近は、冷静に振り返ることが増えた。あの時俺は、父さんよりも仕事を優先してしまっていたのだろうか。父さんが市場を動かす姿を近くで見てきたからこそ、もっとこの地のものを多くの人に知って欲しかっただけなのに。そのために全て自分から立ち上げ、目標を成し遂げようと努力していたのに。死のタイミングなんか選べやしないけど、それでもあの時じゃなくたってよかったじゃないかと思わずにはいられない。父さんが死んだのは、3日後に現地の最初の大きい取引先候補と流通関係の打ち合わせをする予定で、それがうまくまとまれば成功の一歩は間違いないと思った。だから俺は、なぜ今、どうして、と亡骸に叫んだ後、すぐに市場へ向かい仕事をした。翌日の葬儀はずっと参加し母さんといたが、その次の日にはまた仕事へ走った。そして言われた。―――「父さんより仕事なの?」

 そこには、実の息子なのに、というニュアンスが含まれている気がして。普段は明るい母さんの、今まで見たことのない悲しげで虚ろな表情がそう思わせたのかもしれない。泣き腫らした目が見ていたのは、俺ではなくて、「再婚相手の子供」なのだと感じてしまって。


「ちょっと、大丈夫かい?」

 ぐいっと、下から覗き込まれて、心配そうに怪訝な色素の薄い瞳が目に入った。

「あ……平気、ごめん」

 俺は左手で顔を押さえた。わずかにじめっと肌が嫌な湿り方をしているのを感じる。まただ。父さんが死んでから3年。母さんとは、あの言葉の後、すぐに話し合った。とりあえずはお互いの考えを受け入れたし、仕事も家族も大切だと口を揃えた。それは嘘ではない。でも、一旦意識してしまった実の母子ではないという事実が、あれ以来たまに俺を蝕む。最近は特にひどい。仕事が軌道に乗り、考える時間が増えたからだけではない。

 目の前の彼女は、ふぅんと息を軽く吐き出すと、ポツリと言った。

「お母さん、あんまり調子良くないらしいね」

「……うん」

 そう、考える時間が増えたからだけではない。……母さんの病気が、発覚したからだ。家で寝ることも増えた。塞がないようにダンサーのアドバイザーを続けているが、それでも身体の調子は目に見えて落ちてきている。

「……飲みな」

「え?」

 また俯きかけた俺に差し出されたグラス。中にはオレンジ色の液体が入っている。爪の短い手がグイっとまた俺にグラスを近づける。

「何、酒?」

「ばーか、アルコールの匂いはしないだろ。ただのジュース。私の新作」

 俺はグラスを受け取った。彼女は暇があると新しい味を探して様々な飲み物を開発する。材料はなんでもアリ。美味しくできたら商品化して、この店に並ぶ瓶の一つになる。が。

「…………」

「……知ってたけどそんな微妙そうな顔すんなよ。不味いからこれはボツ作。残ってる分は飲みきれないから廃棄の予定」

「正解。これ売れない」

 後味を感じながら大げさに顔をしかめて見せる。見た目通りオレンジが強いのだが……このなんとも言えない中途半端な苦さ。これは苦味成分を含むフルーツと野菜のバランスを完全に間違えている。どっちつかずの苦味は酸味より口の中に残る。

「わかってるからその分析、口に出さないで」

 彼女はちょっとだけ怒ったように言った。良くない意見を聞きたくない時の言い方だった。ハイハイ、言われなくても言いません。

「……お母さん、そんなによくないの」

「…………」

「ちょっと、マジで……?」

「そこまでじゃない……けど」

 どう見ても落ち込んでいた俺に、わざと不味いジュースを飲ませた彼女。わかってる。優しいのはわかってるよ。両手を腰に当てながらも、今度こそ心配そうにそう聞かれると、何も答えないと勘違いさせてしまうと思った。観念して続けた。この話は、誰にもにしたことがない。

「母さんの体調は確かに良くはないけど、まだ心配するほどでもない。しばらくは大丈夫」

「じゃあなんでそんな」

「最近はよく悩むんだ。……実母じゃないことに」

 その言葉に、彼女は何も言わなかった。俺も、目を合わせられなかった。彼女は俺を幼い頃から知っている。今さら何を、と思われるのが怖かった。

「父さんが死んだ時、母さんは俺が仕事を優先したがったのを責めた。あの時のことが忘れられないんだ。……実の息子なのに、ってそんな気持ちが込められていた気がして……」

「……それで、実の母じゃないならいいのか、って?」

「……え?」

 思ってもいなかった返事が来た。腑抜けた声と、視線を返す。まっすぐ見つめ返す彼女の視線は、俺を通り抜けて、別のものさえ見ているようだった。

「実の息子なら父を優先すべきだという非難の裏に、実の母ではない自分とあんたとの関係を感じた。だからあんたは初めてはっきり浮き出た関係性にビビってる。そうじゃないのかい」

 拳をきつく握る。それだけしかできなかった。

 ―――だって怖いだろ。

 ずっとずっと慕ってきた相手が、実は自分が思っていたよりも遠くにいたなんて。非難の色。その裏に、俺は確かに感じてた。俺が気にしていなかったことを、もしかしたら母さんは気にしていて、それが誰よりも母さん自身を哀しくさせていたかもなんて、そんなこと。

 彼女はふっと気が抜けたように笑った。眉尻が下がり、化粧で整えられた顔がなんだか寂しそうに見える。

「ホント馬鹿だねぇ、あんたたちは」

 はい?失礼な。目線だけで訴える。彼女は両手を上げて、少しばかりオーバーなリアクションで肩をすくめた。

「私の夫。職業は?」

「学者?」

「そ。哺乳類、特に小動物の出産・飼育が環境とどう関連してるか、なーんてのを研究してるらしいけど。リスの子育て、聞いたことは?」

 この人は突然何を言ってるんだと正直思ったが、こういうときの彼女は、大概何を言っても自分の話が優先だ。不満には蓋をして答える。

「知らない」

「私も知らなかった。……あの可愛い見た目で産後直後から育児放棄することもあるらしくて」

「うん、それで」

 だからどうしたとやっぱり思う。彼女は意味深な視線を一瞬送ったけどすぐに続けた。声のトーンが少しだけ柔らかくなった気がした。

「子は母を求める。これはリスもヒトも当然として……お母さんは、放棄しなかっただろ。お父さんが亡くなった時はあんたはもう大人で、それに二人の間に溝ができてたとしても」

「……確かに、最悪縁を切ったっていいんだ」

 だって、もともとは他人なのだから。父さんという存在で繋がっていた家族。

「でも、しなかった。……あんたはあの人にとってまだ子供なんだよ。血を分けた子供を簡単な理由で育てるのやめちゃう生き物だってこの世にはいるのに、お母さんは血を分けてないあんたを、今でも大切にしてるだろ」

「……うん……」

 彼女は笑った。色素の薄い瞳には、俺が映っている。栗色の髪をした巻き毛の男が戸惑ったように、でもどこかすっきりしたように俺を見返している。色っぽい黒髪を持つあの母とは似つかない、間違えなく母さんの子だ。

「……ねえさん」

 俺は馬鹿だなぁと思うと、自然に笑みがこぼれてくる。彼女の言う通りだ。

「なんだい」

 だから、馬鹿な俺には、きっと軽い罰がいる。目を覚ますための薬になる。

「さっきのオレンジ色した不味いジュース、余ってる分貰っていい?」






*****






 ―――子供って生き物は、やっぱり馬鹿だと思った。

 夕日は沈んだばかり。店から見える家には既に灯りが光っていた。赤っぽくも黄色っぽくも見ようによっては見える、オレンジ色の灯り。灯りの数だけ家があって、家族がいる。当たり前だけど、たぶんとても大事なことだ。

 店と家を繋ぐ扉に鍵を掛けた。店は終わり。今からは、我が家でも家族の時間が始まる。振り返って廊下の先を見ると、また灯りが見えた。居間の灯り。そこへ、向かって足を進める。大した距離ではなかった。

「おかえり」

 居間には扉は無く、廊下が終わるとすぐに広がる室内。真ん中にあった、四人掛けの食卓の椅子のひとつは既に埋まっていた。

「今帰ったとこ?夕飯すぐだし、そこで待ってて」

「わかった」

 食卓に伏せていた顔からくぐもった返事が来る。私はいつも通り、隣にある台所へ向かいながら、言った。

「どうした、疲れてそうだけど」

「それもある。超眠いの」

 台所へ入る前に、足を止めて振り返った。やっぱり伏せたままだった。

「食べてから寝るんだよ」

 適当な相槌だけが返ってきた。その、少年とも青年とも言える姿を見て、私は思うのだ。

 ―――子供って生き物は、やっぱり馬鹿だと。私が、彼を眠いだけだと理解したと思っているのだから。自分の息子の落ち込みに、気づいていないはずがないのに。







今日が誕生日の友人へ捧げます。

本当に誕生日おめでとう!




2017/09/16 キホ☆。

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