無題、卒業式後の教室にて
「私、そろそろ帰りたいんだけど」
今日は自分の受け持つ学年の卒業式、高校の三年間を終えた、三百人近くの若者が、各々の道に羽ばたいた。
……のだが、私はどういう事か、クラスのとある問題児に絡まれてしまっていた。
「全く……匙沼は打ち上げとか、行かないの?」
匙沼 月雄、一見眼鏡の真面目委員長のような子だけれど、一年間一緒にいて未だに理解出来ない、問題児だ。
成績は外見通り……というのも差別的で教師としてはいけないのかもしれないが、まさに天才と言ったところだが、特定の友達と連む所を見たことがなく、かと言ってボッチというわけでもない。
ノーサイドのような生徒だった。
「別に、クラスメイトとか名前すら覚えてないし」
「……もう卒業式終わったよ?」
「あ、先生の名前なら覚えてる。茅根 恵梨だろ?」
「教師に『だろ?』とか言わない……って、もう生徒じゃないんだった……」
「そう、先生ももう先生じゃない。今からは恵梨と呼ぼう」
「それはやめてください」
人のペースを崩すのが得意で、会話をすると自分のペースにすぐ引き込んでしまう。
いつもそうだ。
だから私は、匙沼をまともに叱れた事がなく、生徒指導も結局雑談にされて終わっていた。
聞くところによると、彼は推薦を貰った大学の面接ですら、こんな調子だったらしい(なのに受かったのだから不思議だ)。
「それで恵梨、今日ここに俺がいる理由は何でしょう」
急にクイズ形式にされてしまった。
いや、知らないよと言いたくなる。みんな帰ったと思って教室に行ったら、匙沼は当たり前のように教卓に座っていたのだから。
まるで友達を待つかのように、それがあたかも普通と言った表情で、教卓の上から私に「遅い」と言い放ったくらいなのだから。
「卒業したら私をいじめられなくなるから、いじめ納め? とか?」
「俺は一度として恵梨をいじめてなんかないよ」
「どの口が言うか」
「俺がしてるのはあれだ……小学生が好きな子にちょっかい出しちゃう感じの」
「結局最低じゃない!」
「あぁ、最低だよ」
悪びれもせずに、ニコニコと口角を上げて笑う。
「それで、答えは?」
「え? 何の?」
「匙沼が教室にいるわけよ、それ以外に何があるの」
「あぁ、それの事か、てっきりもう終わったのかと思ってたぜ。俺がここにいる理由なんて簡単だろ、恵梨に告白するためさ」
サラリと、トンデモ発言を繰り出した。
その言葉があまりに自然過ぎて、私は最初ついていくことが出来なかった。数秒のタイムラグの後、言葉の意味を考えてやっと、まともな言葉が口から出た。
「馬鹿じゃないの」
「恋心は俺でも馬鹿に出来ないよ」
「いや、今は茶化す場面じゃなから、茶化されても対応出来ないから……え、待って私教師……じゃない! あぁもう!!」
「いい大人が頭を抱えて叫ばないの、子供みたいだぜ」
告白したのにも関わらず、照れる素振りもなく、むしろ衒うように教卓に座って私の顔を見てニコニコとしている。
どんだけ人をからかうのが好きなのよ……ん? もしかして今私、からかわれてるのか? 俗に言う嘘告ってやつなのか?
「なんか疑い始めてるみたいだけど、俺は本気だからね」
「口に出す前に可能性を否定しないで!!」
私が返答に困っていると、匙沼は教卓から降りて私の方に詰め寄ってきた。
口は笑っているが、目がマジだ。
「あの……返事は……ちょっと待って欲しいなぁって……一応ほら、今日までは私も匙沼の担任だし……」
「迷うって事は嫌じゃないってことだぜ、決まりだな。でも恵梨の言うことも一理あるから、今日は何もせずに帰ってやんよ」
私の頬をつねって、そのまま匙沼は教室を出ようとした。
「帰る前に、せめて連絡先くらい教えてよ匙沼」
最後くらい、私からも動揺させてやろうと呼び止めると匙沼は振り返っていつものように笑い、
「俺はとっくに登録してるよ、連絡してくるのを楽しみにしててね」
と、帰って行った。