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きっと僕は、この国難を忘れるだろう

作者: ウェルダン穂積

##まえがき##


 二〇一一年の震災とボランティア体験に基づいて執筆させていただきました。

 原稿は二〇一一年の時にほとんど出来上がっておりましたが 一番初めに付けたタイトルが本書のもので、どうしてもこれを付けることができず「瓦礫の山を飛ぶ鳥」というなんの心の喚起もないタイトルのままお蔵入りとなっておりました。今(二〇一三年)になって読み返した時、皮肉交じりに付けた素直なタイトルが自分の心の核心に迫っていたように思えました。自分に卓越した才能があるとは思いませんので感じたことだけをハッキリと言葉にしています。

 福島のボランティアでとりわけお世話になりました湯本第二中学校の校長、快く受け入れてくださりました被災地の方々、募金活動でご一緒いただいたコスプレイヤーの方、一緒に被災地に入ってくれた友人に感謝すると共に、震災を経てこの国と世界の心が優しく強くなるように願いを込めてまえがきとさせていただきます。

 

 二〇一三年十二月 ウェルダン穂積


====


バイト先でトラブルを起こして仕事をクビになった。

 インターネットの公式生放送で顔も隠さず職場の事情やギャンブルで困っている人の窮状を語った。次の日すぐに自主退職。番組そのものが業界批判と映ったことが問題であったらしい。

 悔しくて同僚の前で最後に大泣きしたが誰もなにも悪くない。風通しの悪い社会をねっとりと睨むことしかできなかった。乾ききった現代社会らしいつまらない話だ。

 ラブレターを渡した同僚の女性からの返事さえ聞けぬまま新しい生き方を探す日々が始まった。

 それが二〇一一年二月半ばの出来事。

 三十歳を過ぎた人生をしばらく見つめ直そうと家でギターを爪弾きながら思索に耽る。しばらく旅にでも出ようか。


 三月になり晴れた日にいっしょに住む母親と先祖の墓参りに行く。

 その日の午後二時四十六分に東日本大震災と呼ばれることになる地震が起きた。


 震災からまだ一月も経っていない。


「きっと僕はこの国難を忘れるだろう」


====


##一##


 三月十一日の朝。兄の所有する車を運転し母と二人で自衛隊の千葉県の習志野駐屯地近くにある墓地を訪れた。

 墓石の脇にある石碑に一九八四年没と刻まれている。

 じいちゃんは僕が六歳の頃に死んだらしい。横にはばあちゃんと思われる名前があり一九七一年没とある。

 僕が生まれるだいぶ前にばあちゃんは死んでいた。

 家にある仏壇に恋や賭け事などの都合のいいお願いをしているが、祖父母の死んだ日も、名前すらも知らなかった。


 名前の横には長い戒名が添えられている。意味を噛みしめるように読んでみれば少しは二人の人生にあやかれないだろうか。

 風に吹かれて不気味に音を立てる卒塔婆は朽ちかけていた。隣の墓にある大きく立派な石には命名前に亡くなった子供の名が刻まれている。

 墓一つに人生があり墓地という場所には連綿と続く人の想いと文化があり、今ある命の存在を浮き掘るための智恵を見た気がした。

 言葉の当て方は不相応かもしれないが「こんな便利なツールがあったのか」と蔑ろにすべきでない助力を発見した。

「ばあちゃんが死んで、それからの十三年、いったいどれほど辛い人生だったんですか。それとも幸せでしたか」

心の中でじいちゃんに言葉を投げた。

「じいちゃん。ばあちゃん。俺はここにいる母さんを幸せにしようと思います」

 夢を追い続けてもなににもなれずにくすぶり続ける。人を愛したことがあるという自負はあるが、だからといって硬質の現実を纏う人生が前に進んだわけじゃない。年老いた母と若者じゃなくなってしまった自分がのさばっている。


 母は線香をあげて墓石とその周りを水拭きしている。着きの悪いライターに苦戦しながら線香に火をつけ無造作に置いた。

 石に刻まれた戒名は二人が寄り添っているように見える。

 手を合わせる。親孝行もできない自分を女手一人で育てた母は幸せだろうか。母が幸せそうに見えたことはほとんど記憶にない。

「来てよかったね」

と同じことを何度も話す母に気のない返事で頷いた。

 来てよかったというのと、今まで大事なものを放っておいてしまったという喪失感を天秤にかけていた。自分がなにもので今をどのようにして生きるべきか、やり直せるものなら人生をやりなおして曖昧な心構えを修正したい。

 ご先祖様に申し訳ない、とは思わない。ただこれほどのバックボーンを感じて生きていればくだらない憂愁に惹かれて自分の人生を踏み出せないような愚にはならなかったはずだ。

 詮無いことを考えながら車を帰路に走らせる。


 交差点で信号待ちをする。エンジンの調子が悪いのか車体がやけに揺れている。アニメに出てくるポンコツ車のようにあまりに揺れているので人に見られるのが恥ずかしくなってきた。

「なんかやけに揺れるね」

 僕は照れ隠しするように笑った。

「真一も全然車の手入れしないんだから」

兄も僕も、モノを大事にできない。

 車体の揺れはどんどん大きくなり周りの電柱や木々も激しく揺れだす。

 地震だ。

「地震、大きい」

とパニックになりかけて車の外に出ようとする母。

「いや、待って、中にいた方がいい」

できる限り普通の声音に抑える。飛散するものから身を守るためにも車の中は安全だ、とテレビで言っていた気がする。

 激しく長い揺れは収まり辺りの建物から避難した人が出て来て興奮して騒いでいる。電線の揺れはまだ収まらずに小さく揺れ続けた。

 腕組みしながら笑い合う人たち。恐怖心よりもまだまだ好奇心の方が勝ち続けているようだ。自分もまた非日常を期待するような感覚でいた。


 しばらくしてようやく動き出した車の列。

 日常の再開。

 大きな車の販売店ではガラスが割れて展示してある高級車に破片が飛び散り呆然と人が立ち尽くしていた。それでもまだまだ世間話のひとつくらいに過ぎない。

 一九九五年の阪神淡路大震災や二〇〇四年の中越地震に比べればたいしたことはない。僕には大震災のシミュレーション番組やドラマなどで感覚を想像するしかなかった。

「へー、そうか。大地震ってこんな風に起きるんだね」

短い嘆声を繰り返す母に向けて一人でしゃべり続けた。

 カーラジオから断続的に流れる震度の大きさを告げる緊急ニュース。大地が割れ建物が次々と倒れるというイメージしているような地震ではないようだ。いつかくると言われていた大地震の実践的訓練として胸に刻んでおこう。

「このアナウンサー声が震えすぎでしょう。これじゃあ聴いてる人が怖がっちゃうよ」

 恐怖心を払い続けることがとりあえず今できるただひとつのことだ。狼狽えることが格好の悪いことだと思うプライドもあった。プライドが重きを占めているようではまだまだ本当の災害に見舞われたときに判断を誤るかもしれないと逡巡しながら運転した。


 家に着き車を停め車外に出た瞬間、もう一度激しい揺れが起きた。家の前の公園で揺れる自分の家を眺める。押しつけられるような激しい揺れだが立っていられないほどではない。小さな頃に習った震度の図には、激震では立っていることもできず、ブロック塀を崩し灯籠を倒すと書かれていたのを思いだし「灯籠なんてないよな」と意味のないことが頭を過ぎた。

 大地を引き裂くような関東大震災が起きるんだろうか。予断を許さぬ余震が続く。

 玄関の上に貼り付けてある水嶋と書かれたプラスチックの表札が斜めに傾いている。部屋はぐちゃぐちゃに物が散乱していたがパソコンの周りにアニメキャラクターの小さなフィギアが散らかり本や雑誌が折り重なって山になっているだけで台所のお皿も一枚も割れていなかった。床冷えのする古い木造だったので少し大きな地震でもあれば瓦やら天井やらどこからしら壊れるものだと覚悟していたので片づければ平気そうな被害に安堵した。

 母は早口でなにかをしゃべりながら慌てて外に出て珍しくお隣さんと話している。普段からヒステリックに家で喚き散らしているのでお隣さんは母に対してどんな感情を抱いているのか心配だったが優しそうなお隣さんは親切に話を聞いてくれているようだ。

「ほら、また揺れている」

母が大きな声で呟く。

 最初の大きな揺れが来たときに車の中で二人いっしょにいたことは幸いだった。仕事にでも行っていて母が一人家の中にいたとしたら落下物に激しく怯えパニックを起こしていたに違いない。


 テレビを点けてみると報道センターが激しく揺れている録画映像が流れていて、キャスターが声を震わせながら視聴者に注意を促している。

「避難できるように窓は開けておいてください」

「窓ガラスが割れる危険があるのでガラスのある建物には近づかないでください」

「どうか落ち着いて行動してください」

繰り返されるアナウンス。今までに防災訓練で何度聞いたくだりだろう。

 テレビに映る新橋駅前のSL広場には人が犇めいている。

「ラジオやテレビの情報を注意深く聞いて行動してください」

「お子さんがいるかたはお子さんが怖がらないように声をかけてあげてください」

「震えているお子さんがいましたら、どうか抱きしめてあげてください」

極度の緊張に冷静さを欠いたアナウンス。人の愛のようなものがこうも突然むき出しになっていることに虚を突かれたのか、涙が出た。

 いったいなにが起きたというのだろう。 


 テレビには肝心の震源地近くの映像は出ていなかった。

 電車はほとんどすべての路線が止まっていることをテレビが告げている。

 前に働かせてもらっていた居酒屋のアルバイトに今日はヘルプで呼ばれていた。きっと無断で休んでも誰も文句は言わないだろう。今は通信も混乱していて不用意に連絡することさえ躊躇われる。

『これるなら来て』

とメールが入っていたが無視した。今は母といっしょにいることが大きな使命のように感じられた。


 津波に街が飲まれたという信じられないニュースが入っていた。平らになった地のあちこちから火の手が上がっている映像。暗闇の中に炎の赤だけが煌々と色を帯びている。戦争が起きているかのような光景だった。突然すぎて深刻さを把握するまでに時間がかかる。

 こうした画は小さな頃からブラウン管の向こうで何度もみてきたはずである。それが遠い国ではなく自分の国で起きるだけでこれほどまでに心を締め付けられ特別な悲痛に襲われる。

 身勝手だ。

 阪神淡路大震災の時、二度とこの痛みを忘れまいと思い二〇〇一年アメリカの同時多発テロの時も、二〇〇四年インドネシアのスマトラ沖の津波の時も、悼み、今あるすべてを大事にしようと誓ったはずだ。今更になって狼狽えたり特別に恐怖し悲しむことは場当たり的で身勝手ではないか。冷静に状況を判断して最前を尽くすことしか今の僕には許されないはずだ。


 麻痺する交通機関と帰宅できなくなった大勢の人たちが中継されている。

 テレビは同じ情報を繰り返しラジオも緊急情報が流れ続けている中でインターネットのTwitterでは生身の各地の声が早くあがっていた。

 その中に『レイプが多発するから気をつけろ』という情報があった。

 デマだ。

 前に新聞で二〇〇五年アメリカのハリケーン「カトリーナ」の時に『黒人によるレイプ事件が多発している』という情報があった。その記事に人の怖さを思い知るように感じたが翌日にその情報がデマであったという記事が上がる。

 それこそが本当の人間の怖さであり業のようなものを見た気がした。それが印象的であり、怯えて思考を止めてしまうことがとても卑劣で醜いことのように思えた。人を悪し様に疑い正義に酔う人間こそ心に潜む悪を生むことに憤った。

 Twitter上で『ニヤついた男に「家で避難しないか」と声をかけられて怖くて逃げた』という呟きがあがりそれが拡散する。それが事実にしろ嘘にしろ誤解にしろ、人の心象がどんどん荒れてゆくのが手に取るように感じられた。

 こういう時こそ、とふざけた意見を呟くもの、本当にただふざけているもの、不安を煽るもの。僕は前向きな言葉で折れそうな心をアジテートし続けた。


 しばらくすると緊急の情報が伝わらずに押し流れてしまうのであまりに無関係な呟きはよくない、というムードが漂い始める。それとともにその緊急情報を拡散しようという善意が大きくなり少しずつバランスが変わり、なんとなく皆が危機意識と事態の深刻さを把握し始め同じ方向を向こうとしていた。

 全国のコンビニが帰宅者を支援するようにトイレを貸し出し飲食店が休まずに営業して協力している。長距離ランナーがゴールにたどり着けるように沿道から応援する人や給水地点の善意を見るようで胸が熱くなる。緊急事態を乗り越えるために社会のシステムが善意の歯車で動こうとしている。


 余震が何度も続く。母はテレビで流れる情報にうんざりし始め眠ろうと横になる。インターネットで夥しい情報の波を追える環境にいた僕はそれを追い続けると眠れなかった。

 今眠ってしまい、リアルタイムの情報を逃したら誰かの命に関わるんじゃないか。そんな鬼気迫る緊張を感じた。

 次々と都内の大きなホテルがロビーを解放し公共施設も帰宅できない人を一時受け入れ、外の寒さに負けないようにと励まし合う。

 中国の巨大なネット掲示板が日本を応援するメッセージで溢れているという中国に住む日本人からの呟きに感激したり、日本のマナーに世界が驚いているという報告に希望を抱いたりと忙しかった。

 東京タワーの先が曲がったという情報と写真が流れた。明らかにCGで合成処理でもしたかのように見える。新聞で確認したときにやっと信じるしかない事実なのだと認識する。

 なにか大きな情報が入る度に興奮した子供が学校であったことを話すように母に報告した。


===


##二##


 震災の翌日は母の勤める大型デパートは縮小営業で食品売場以外は閉まっていたので仕事休みとなった。兄貴は昨日の交通麻痺により新宿から四時間歩いて家に帰ったと連絡があった。

 被災していない僕たちにできることは、なるべく動かずにいることだったので買い物もせず車も出さず、家でじっと情報収集とネットで気休めに留まらない前向きな言葉を捻り出すことに始終した。

 親切に食べ物を振る舞ったり温かい言葉を掛け合ったりしたという小さなエピソードが次々にネットに上げられていく。感動したという言葉には胡散臭い美化も多くあったが無条件に胸が熱くなった。

『Pray for JAPAN』

シンプルで美しい言葉と共に各国の子供たちがキャンドルの前で祈る写真が添えられている。

 社会現象にまでなったタイガーマスクの慈善運動などで人々が漠然とした不安の中で善意に飢えていると指摘されていた。やはり人々が求めている最終的なものは善意なのだと心から信じることができた。

「チャンスだ」

多くの人の命が奪われたときに思うことではないかもしれないが、そう思った。


 死者、行方不明者の数字は爆発的に増えていくことは覚悟していた。中学生の時、阪神淡路大震災のニュースを朝見たときに一桁だった死者が日に日に膨れ上がっていくのを目の当たりにしたショックが蘇った。

 二〇〇四年のスマトラ沖地震の死者が二十二万人。その数字と見比べていい性質のものかはわからないが、自分の偽善が試されているような気がした。こんなときに失望したり絶望したりすることは今まで悲惨な事件を目にして感じて悼んだことが全部嘘だったことになる。


 昼頃になると福島第一原発の電気系統がやられた、という報道とともに原子炉の燃料棒が露出して放射能が漏れているのではないか、というニュースが流れる。映画やテレビでシュミレーションされたりする人類最悪のシナリオの序章の幕が上がったかのように戦慄する。近隣の住民への避難勧告が発令され煙のようなものが上がっている原子炉の建屋がテレビに映っている。会見が繰り返され少しずつ事態は悪化していき報道番組の専門家は情報の少なさにイラ立ち、濁すしかない言葉を繰り返すので不安が増していく。ネットの掲示板やTwitterでも誰もが余震に怯えて過激なデマだけじゃなく、小さな呟きひとつにも恐怖が滲んでいる。感動や興奮が本気だっただけに恐怖も直接的に伝わった。

 目が離せなかった。まるで世界の終わりがじりじり迫ってくるような感覚が全身を襲う。「ヒバク」という言葉が繰り返されると、放射能の恐怖を刷り込まれてきた世代は身の毛がよだつ。

『大丈夫だ。心をしっかり持て!被災地の人たちは俺たちの万倍の恐怖と戦っている。俺たちが弱音を吐いてどうする!』

 前向きに呟き続けた。みんな流されちゃいけない。恐怖に引かれている。がんばれ、という呟きも空しく響くだけで力がなかった。半ば憤るように前向きに呟く。小さな恐怖は被災地の人たちにまで伝播してしまう。俺たちにできる小さなことはそれを打ち消す勇気を送ることだ。百四十字の呟きひとつが命に関わることのように思うんだ。


 爆発音がしたという報道と共に骨組みが露わになった福島第一原発一号機の映像が流れる。ネット上で前向きな言葉を放っていた人まで絶句した。

 恐怖に自分の今までの言葉の真偽が試されているようで負けそうな心を押し殺す。

『少しくらいシナリオが都合の悪い方に向かったからって言葉を無くすなよおまえ等。最後の最後まで俺たちが信じた正義の味方は諦めなかっただろ、だからお前ら恐怖に引かれるな!』

 言葉から恐怖が滲んでいる無力なガンバレコールに歯噛みしながら叫ぶように呟く。

『気休めなんかじゃない言葉で立ち向かえ。こんなときにも戦える強い言葉を紡ぐために俺たちの日常はあったはずだ。シャキっとしなさいシャキっと!』

『こんなときに恐怖することなんて誰にでもできる。こんなときだからこそ真価が問われる。奮い立て!』


 被災者の無念と恐怖がどれだけか。想うと涙が出た。怒りを覚えた。こんな空気を伝播させて都合のいいときだけ弱者になる大衆を呪った。

『爺ちゃんや婆ちゃんを怖がらせちゃいけない。俺たちにできることはない、どころか俺たちが不安を作ってしまうことだってある。奮い立て、人類は無数の艱難を乗り越えて来た』

メディアが、大衆が間接的に弱者の心を追い込む常日頃の悪癖が露呈したように見えた。

『場当たり的にしか感情をコントロールできない赤ん坊かお前たちは!!!!』

『たとえ、いないいないバァーで、そのまま希望がいなくなっちまったって強い笑顔で俺たち自身が希望にならなきゃいけないんだよ!』


 これでもかという程にシナリオは都合悪く展開し連鎖する原子炉のトラブルが報道され続ける。テレビだけの情報を見ていると緊張で体調が悪くなってくる。僕は電力節約のためと呼びかけられたネット上の声にしたがいパソコンでテレビとラジオを付け、ツイッターで情報収集し続けた。

 電力消費を抑えることを呼びかけるためにアニメ「エヴァンゲリオン」の劇中の作戦名「ヤシマ作戦」が付けられてネット上に氾濫する。それが作品の公式アカウントで呼びかけられると僕を含めアニメファンは驚喜した。

 この状況を遊ぼうとする指向をうんざりしながら不謹慎という人もいる。僕の心にも迷いはあったが昨今のサブカルチャーの台頭と自由な風潮を鑑みると当然の帰結ではないだろうか。時代のものさしがいかなるものであっても人の根源はそれほど変わらない。今は人の善性を信じて使えるすべてのポジティブな力を動員すべきだと思えた。

 アニメの声優が自分の演じたキャラクターの口調でメッセージをツイートする。ウルトラマンが、仮面ライダーが公式のアカウントで子供たちに向けてツイートする。テレビでお馴染みの辛口批評家がいつもの語り口で強く応援の檄を飛ばす。大きな企業を筆頭に様々な救援物資が出発する。国中の企業、文化、すべてが同じ方向を目指している。


 戦争だ。


「オペレーショントモダチ」の作戦名で救援に向かうアメリカの空母ロナルド・レーガンに胸が熱くなった。世界中の大きな国から小さな国までが日本に応援の言葉と救援を申し出て、愛された国に生まれたことを誇りに思い震える。

 今更になって世界がひとつになろうとしている。人類が本当に戦うべき敵がなんなのか、ついに示されようとしている。激しい高揚感だった。この期に及んで些事に捕らわれた言説を弄している場合じゃない。今、放つべき言葉はなにか、今感じるべき受け取るべきメッセージはなんなのか、人類愛への歩を一気に進ませよう。

 オバマ大統領の言葉にあったように史上最強の敵と戦う戦争を僕たちは始めたんだ。この戦争では人類すべてが味方であり戦うことに躊躇いなどいらない。胸を張って心に日の丸を掲げよう。

 怪獣が出てくる特撮映画のように情熱的に世界の人がひとつの敵と戦おうとしているようだった。マンガやアニメの最終回のような展開に興奮しつつ、現場での困難に想いを馳せると胸に重石を載せられるようだった。


 テレビをつけたままいつの間にか眠っていた。緊急地震速報の音とアナウンサーの怯えで緊張する声でよく眠れず、長く寝たように思っても二時間くらいしか経っていなかった。


===


##三##


 震災から二日が経った。

 できることはないだろうか。クビになった職場と一応の勤務先である居酒屋に「できる範囲で構わないのでお願いだから電球一つだけでも節電をしてください」とメールを送ることくらいしかできなかった。

 母の勤めるデパートは昨日と同じように縮小営業をするとホームページにある。母の職場は今日も休みになるはずだ。更新日時がなくいつ更新されたかわからないページなので不確定ではあったが全店舗を調べて僕の判断で間違いない、と母には仕事を休むように伝えた。


 昼近くになり母が念のために職場に電話を入れてみる。通常通り営業をしているという。

「すみません、ホームページを見ましたら、今日も縮小営業で食品売り場以外は閉店している、とありましたもので」

と母が伝える。

 電話の向こうの上司は当たり前のように、そんなことはない、と母をあしらっているようだった。

「あ、そうでしたか。すいません」

と何度もよそ行きの高い声で謝る母。

 嘘だ。しっかり確認した。何度ホームページを見ても昨日と変わらず縮小営業と表示されている。上司は母のことを卑しい言い訳をしているやつだと見て頭ごなしに否定したのだろう。

 何度も何度もホームページの更新をクリックし続けた。

 非常時に些細なすれ違いを咎めるつもりはない。ただ職場で母がどんな風に扱われているかを垣間見たようで辛かった。

 ヒステリックで理性を欠いた言動をする母を僕はなんどもバカにしてきた。何度も何度も口喧嘩をして罵倒したこともある。

 それでも他人にこんな風にバカにされるのは許せない。

「なんだ、今日仕事行っとけばよかったよ。休みになったってやることないわよ」

ボサボサの頭で母はトイレに行く。

 悔しさと情けなさが互いに反響しあった。


 パソコンのディスプレイの前で僕は涙をこぼしていた。


 予定の空いた母と二人で駅前のスーパーまで歩いて買い物に行った。母はきっちり化粧をして僕は髭面のまま外に出る。こんなことはいつ以来だろうか。

 食料品売場の列に並び冷凍食品や生鮮食品を買い自転車の前籠に入れて押して坂を上る。車を含めて交通が大きく麻痺している上に仕事がほとんど休みになっているためか道には歩行者や自転車が多い。僕たちのように家族で仲良く買い物に来ている人もたくさんいる。震災がなければ天気の良い本当に幸せな光景。

 眼鏡をかけて髪の毛をボサボサにしたままの太った青年と優しそうな微笑みを湛えた五十歳くらいの母親らしき人が買い物袋を手に持ち歩いている。ずっと引き籠もりを続けていた息子が変わろうとしている、というようなドラマを勝手に想像した。それでもこんな機会が生んだシチュエーションには違いないと感じさせる。

 こんな特殊な状況だからこそ育まれる埋もれていた絆もある。

 愛情の見せ場が来たのだ。


===


##四##


 震災から三日目の三月十四日。昼からテレビでは会見が続き福島第一原子力発電所の三号機でも爆発が起きたということが報道されている。十二日の爆発の映像と一緒に何度も同じ映像が流れている。骨組みの見えるショッキングな原発の状況。

 携帯電話がメールを受信して音を鳴らす。緊急地震速報のような電子音に体が神経質に反応した。

 今日のバイトは休めないらしい。

 自転車で二駅先まで行けばそこから職場までの電車が本数を減らして出ていた。夕方からの居酒屋のアルバイト。今の緊迫した状況では日常が流れるということの方が現実感がない。被災地のためには「動かない」ということくらいしか今できる最良のことはないように思えた。

 パソコンにへばりついて情報を収集していた状態からだとずいぶん久しぶりに外に出る気がする。

 放射能の恐怖に外界はさらされているようで怖かった。ネット上での専門家の呼びかけもあったので急いでマスクを着け帽子を被って肌の露出を気にしながら自転車を漕いだ。粘膜を守るためにゴーグルかメガネでもしてきたかったが急いでいたので忘れていたことに舌打ちをする。

 ついさっき原発建屋の屋根が吹き飛びキノコ雲のようなものが立ち上がる瞬間をテレビで見たばかりだ。こんな状況で仕事に行くこと自体異常だとしか思えないし仕事をさせる職場に憤りさえ感じてくる。

 この服も帰ったらゴミ袋に入れなければいけないのだろうか。放射性物質のついた埃を吸い込んだとしたら内部被爆するのだろうか。


 元気に自転車を漕ぐ若者とすれ違う。中学校の校庭のバスケットコートで遊ぶ少年達。少し陽射しが強いだけで日傘をさすようなおばちゃん達でさえ笑いながら普通に歩いている。てっきり人っ子一人いないゴーストタウンになったような街を想像していた。僕一人だけ過剰に身を守ろうとしているように思えた。

 それともみんなこの国でなにが起きているのか知らないのだろうか。


 五時過ぎに職場に着くとすでに何組かお客さんが飲んでいる。いつも通りの営業。

「あれ、みなさんどんだけ暢気なんですか」

 店内にあるテレビには、さっきまで見ていたのと同じ原発の映像が流れている。それでもお客さんはいつも通りの話をしていつも通りの常連が笑顔で飲んでいる。

 ネット上と同じように地震や自衛隊の活躍、テレビでは流れていない放射能の情報について侃々諤々の議論でもしているのかと思っていた。カルチャーショックみたいなものだろうか軽い痺れを心に感じていた。

 平然として僕をバカにしようとさえしている同僚に憤りを感じた。知らないことは罪だと説教をしてどうなるというのだろう。

 次々とお客さんが飲みに現れ芸能人のゴシップのひとつくらいの扱いで地震の話題は流れてゆき、みんな自然に笑っている。店はそれなりに忙しく体を動かしていると気分転換になり心の凝りのようなものが解れていく。

 狭い休憩室に入りまかないの焼き鳥丼を食べる。余震が起きてぶら下がっている電球が揺れた。震度三くらいだろうか。そっと扉を開けて店内を覗くと誰も気がついていないのか元気な声で笑いあっている。僕も動いている時にはこれくらいの余震には気づいていなかったのだろうか。

 鈍感なのか市井の人の力強さなのかはわからない。しかしこれだけ平気な顔をしている不特定多数の暢気に出会うと大きな胸の支えがとれたようで安堵を覚えたのも確かだった。


仕事が終わり家に着くと軽く感じていた頭の違和感が急にはっきりした痛みになりそのまま寝込んだ。食中りか風邪かストレスか原因はわからなかったがとにかく割れるように頭が痛い。下痢が止まらず何度トイレに行ってもきりがない。高熱は三十九度を超えていた。腰が激しく痛むのが一番やっかいだった。横になってもどんな姿勢でも辛く寝ようにも寝れない。半分意識がある中で夢現に見覚えのある誰かに苦しめられる悪夢のようなものにうなされ続けた。

 ラジオからは夜通し被災地の現状や原発の対応が流れている。身悶えしている最中に入ってくる情報などなんの薬にもならない。日本で起きている大きなことよりも自分の身に降りかかる小さな火の粉を払うのに必死だった。悲しみも優しさも入ってくる余地のない状況で自分の苦しみだけに没入した。


 どれだけの時間が経っただろう。感覚がない。カーテンを開けると明るい。何日か経ってしまったのではないか。昏睡状態から目が覚めたように感じる。ふとんからは嫌な臭いがするし頭痛も残る。熱もまだあるようで体が火照る。

 地震もなにもかも全部夢だったんじゃないか。

 淡い期待と幼い願いを込めて携帯電話をネットに繋げると痛ましく増え続ける死者の数がニュースで流れていた。

 襖を開け居間に這うように出てみると母がテレビの前で座ってお茶を飲んでいる。

 テレビには天皇陛下が映っていた。被災地に向けて激励の言葉をかけている。天皇陛下がこんな風に直接的に国民に対して動くなんてことは語り継がれる戦争の話の中くらいしか知らない。軽い頭痛の中、現実感を掴まえるのに時差があった。

 マイクを前にして座る天皇陛下の違和感。エコポイントを目当てに母が慌てて買ったハイビジョン放送のテレビに鮮やかに大きく映っている。

 見ているだろうか、被災地で避難している高齢者は。このスペシャルなエールだけは伝わって欲しい。こんなに勇気づけられることはないだろう。


 漫画やアニメ、スポーツ界、芸能界、僧侶、閣僚、企業、市民、が総動員して「ガンバレ」と声をあげている。本当に戦争じゃないか。世界中の首脳や子供達も架空のヒーローも声を上げる人類の英知全ての共闘作戦。こんなことが起こると誰が想像していただろう。最悪のシナリオと最高のシナリオが同時進行してゆく。

 大型の電気店では店頭照明をほとんど落とし真っ暗になり、通りに面した一部のネオンで小さく「営業中」と表示していた。大阪にある名物と呼ばれるグリコのネオンが消えた写真がネットに上がる。

「私を捨て公を成す」という言葉がふさわしい英断が次々と形になって現れる。

 人間という存在が誇らしかった。


 海外から派遣された救助隊に大げさな避難勧告が通達され救援活動に支障をきたすと一気に問題は質を変えていくようだった。絵に描いたような一体感はイラつきをはらみ、矛盾を抱える文明の硬質な現実を突きつけられるようだった。美化しきれない現実を実践哲学を養う土壌として僕たちは学ばねばいけない。

 マスコミや政府、東京電力、特定の文化人への批判が繰り返される。毎日チェックしているブログでは可愛らしいアイドルが拙い言葉で名指しの批判を繰り返す。本質がこれだけ剥き出しになった事態にも人は自らを省みることはしないのだろう。本当に直接に痛まなければ人は変わらないのだろうか。

『誰かを批判している場合か。そんな心の持ちようじゃこれから先に訪れる長い戦いに勝てない。なぁ、俺たちは勝とうぜ!』

 今なら人々が焦土の中から愛を礎にして復興しようとするのではないか。今はそのチャンスなのではないか。もう、こんな機会は二度と訪れないし、訪れてはいけない。

 被災していないものは強く穏やかな精神を錬磨しなくてはいけない。過酷な状況下でも強く自分を保つことのできる哲学を社会に構築していかなくてはいけない。ネット上で行われている小競り合いを繰り返すような魂が被災地で通用するはずもない。これから迎える硬質の現実に立ち向かえる精神を持ち、屈強な魂で世界を驚かせる日本人として強く根を張り生き延びなければいけない。僕たちにできる大きな事業はきっとそんなことではないか。


===


##五##


 ボランティアに行こうにも素人にできることはなく、足手まといになるだけで動かぬことと募金をすることだけが僕たちにできることだ、と情報は言う。ガソリン不足も深刻なのでじっとしているしかなかった。すべてはプロに任せればいいのだろうか。

 近くのコンビニに行くと弁当や電池以外はたいていのものが置いてあった。レジの横にある募金箱に小銭を入れる。駅前で募金箱を持ち声を張り上げる子供達の箱のひとつひとつに小銭を入れる。文芸誌にあった銀行振込の義援金に一万円を振り込む。

 振り込み手数料が取られなかったことにホッとした。


 これでいいのだろうか。スポーツ界のスターや有名なアーティストのように何千万もの大金を寄付することもできない無力。

 ギターを掻き鳴らしてみる。

 チューニングのズレた弦は不協和音を鳴らした。


 駅前に行き人通りの多いところを見定めてアコースティックギターを抱えて元気の出そうなフォークソングを熱唱した。とにかく少しでもなにかの役に立ちたかった。

 三曲目で警察に止められた。


 家に帰ってテレビを点けると被災地を訪問した有名人に感激した被災者が涙を流していた。


 イベントは連日中止になる。

 そんな中で東静岡にあった十八メートルの等身大ガンダム立像が三月二十七日で最終日を迎える。ファンとして最終日は一日そこで過ごしたかった。こんな自粛ムードの中で行けるだろうか。その日に向けて作った安物の見窄らしいコスプレ衣装も日の目を見ることなく終わるのは嫌だった。

 電車が動くのを信じて、ギターを背負いアンプとコスプレ衣装を抱えて始発で静岡方面に向かう。

 熱海が近くなると入り組んだ海岸線と町が強い陽射しの照り返しを受け輝いていた。こんなところに住めたら素敵だ、と思う気持ちを津波に飲まれて消えた町の光景が追い越して行った。

 震災はものの見方を根底から抉り変えてしまうのだろうか。もう、素直に海を綺麗だと思うことはないのだろうか。戦争で敵国だった人たちを後々の世でも憎み続ける連鎖とはこのように心をねじ曲げることなのだろうか。

 だとしたら僕は海をみて素直に綺麗だ、と思いたい。

 Twitterで呟きながら急ぎすぎている自分を確認した。


 ガンダム立像も震災の翌日に根元から倒れたというデマが流れてネットで話題になっていた。すぐに合成写真だとわかる簡単ないたずらだったが東京タワーの先端が曲がったのが事実だったのを知った心理状態では疑うこともなく信じてしまった。疑うことのなかった日常が壊れてしまっているのだろう。

 こんな感傷はなにも救わない。簡単になにかで補填できる傷に過ぎない。被災地で失われたものはもっと取り返しのつかない犠牲なのだ。

間引き運転された電車を乗り継いで予定よりも遅れて東静岡の駅に着く。駅前にはボーイスカウトの子供たちが募金箱を持って声を枯らしていた。地元のサッカー選手やご当地キャラクターも募金箱を持って並んでいる。

 ガンダムのキャラクターにコスプレした僕は募金箱にお金をどんどん入れていくとそれだけで財布は帰りの電車賃を残すだけになってしまった。

 募金活動なんて僕が行かなくてもやっていることだった。ここでも無力になってしまった。


 しばらくすると公式の募金活動が終わり駅前が静かになった。ここぞとばかりに空き缶をくり貫いた募金箱に「被災地への募金お願いいたします」と手書きの紙を貼り付けてギターで弾き語りを始めた。

 しばらく歌っていると他にコスプレをした人たちが集まって協力してくれた。大きな募金箱を作ってきたコスプレイヤーが必死に声をあげて募金をお願いする。立ち止まる人が次々に募金してくれた。個人的に始めた募金活動をいぶかしんでいた警備員もお金を入れてくれた。

 ボーイスカウトの子供がお金を入れて「ありがとうございます」と深々とお辞儀をした。

「あ、なに。募金活動をしていることに逆にありがとう、ってことなのかな」

 優しい善意の発露に包まれた。五千円札を入れて足早に去っていく若者。手拍子をして歌をいっしょに歌ってくれる親子。

 日が暮れるまで歌い続けた。


 三万円近いお金が集まる。イベント本部の人にそれを渡した。

 僕は被災地に向けて力になれただろうか。他人の善意は手放しで喜べるのに自分の行為にはなにか偽善的なものを嗅ぎとるのはなぜなのだろう。

 募金活動をして集めた二万九千四百十七円を寄付した、それだけのことだ。情けないことを考える暇があったら前に進まなければいけない。


===


##六##


 震災から一月近く経つ。

 母が掃除をしながらラジオを聴くようになった。

 古い洋楽が流れている。

 変わったのはそれだけであるように思った。


 ネットの書き込みもひとまず落ち着きを見せる。計画停電も見送られ節電された薄暗い街も日常になりつつある。経済問題など無数の懸念が渦巻くとはいえ、そんなことは今までもずっとあり続けた。

 今までのようにくだらないことで笑い、好き嫌いをして小さなことで泣くだろう。生きる感謝を忘れて自ら命を絶ち不当な自由に迷うだろう。感情の配置を換えるだけで本質的に変わることをしないだろう。優しい人は優しく貧しい人は貧しいまま。色恋沙汰の一つの方が人は変わるのじゃないだろうか。


 中学生の時に病気で死んだクラスメイトのことをふと思い出した。小学生の時、緩やかないじめを傍観してしまった。ネットに流れる陵辱される女性の動画を見た。

 震災の日の夜、十年近く片思いをし続けてきた人に会いたくて涙が止まらなかった。メールを打っても返ってこなかった。埼玉に住んでいる彼女が震災に巻き込まれているわけがない。今までだってこんな有様で彼女の気まぐれでしか返信は来なかった。

 意味のない不安に怯えながら祈り続けた。


 僕はこの国難をきっと忘れるだろう。

 戦争だって忘れて笑ってこれたのだから。


 死者行方不明者が三万人近くになろうとしていた。同じ数の人が毎年この国で自らの命を絶っていたことを思うと、いかに僕たちはなにも感じて生きていなかったことになるのだろう。

 野菜の出荷制限が出された次の日に自殺してしまった農家の方の無念。風評被害などへの対応が直接的に被災地の人の命に関わるほどの重要なものになっている。小さな子供によるいじめくらいは覚悟をしていたが被災地から来た人への嫌がらせや拒絶まで起きるようになった。顔を見せない者による心ない酷い冗談くらいは平気で流れるようになってしまった。

 これから先の心のケアや被害などもすべて含めればネットの書き込み一つにさえ希望に繋がる知恵が必要ではないか。そんなことは自殺や鬱が社会問題になった頃から社会全体の問題であるとわかっていたはず。

 ラジオでは社会学者が情報のインフラの整備も含めてすべての人が無知ではすまされない時代が来ている、と言っていた。

 原子力発電を放棄して火力に頼ったところで深刻な二酸化炭素の問題に直面する、と専門家は言う。なにかを強引に押し進めたとしても理解のある話し合いを設けて問題を解決したものでないのならば結局歪んだ地盤の上に社会が成り立つのを助長するだけなのだろう。批判や擁護はどちらかの陣営の理屈に引きつけられて本質的な話はされない。


 震災から数日後の小学校の校庭に材木を並べたSOSで毛布千枚を希望する写真。もっともっと僕たちにはなにかができたのではないだろうか。今だって本当にSOSを発しているなにかを見落としていないだろうか。

 アメリカの同時多発テロ、ハリケーン「カトリーナ」、スマトラ沖地震。涙や祈りが嘘にならないように日々、人に優しく慈しみを持って生きていこうと誓う。簡単に人の心の痛みを背負うことはできない。それくらい子供じゃないからわかっているつもりだ。今度はこの国で身近な人たちが怯えて悲しみに暮れている。だから変われるだろうか。事件として記憶するだけで終わってしまわないだろうか。地下鉄サリン事件の時も秋葉原連続殺傷事件の時も、僕たちは本気で社会を省みただろうか。

 安全神話の崩壊、やリスク管理の問題などの情報に落とし込まれて一時の熱情に浮かされただけで忘れてゆく。

 変わりもせず、変えもできず。

 被災地に降った雪の寒さひとつもわかりもせずに。


 震災から二ヶ月が経ちゴールデンウィークを終えるとボランティアの数が急激に減ったというニュースを知る。


 居酒屋のアルバイトをすっぽかして深夜に高速道路で福島県いわき市に向かった。


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##七##


 ボランティアを受け付けている社会福祉センターには早朝から慌ただしく人が出入りしていた。すれ違う人みんなに元気よく挨拶をする。挨拶疲れしてうんざりしている人や、力なく返す人、笑顔で返してくれる人。一人で来ている僕にできることは元気に挨拶するくらいしかない。受け付け待ちしている人に話しかける。インドから来た牧師さん、福岡から夜行バスに乗り一人で来たフリーター、暇を持て余していた専業主婦の方など様々だった。

 チームを組んで被災地へ向かい泥の掻き出しと家具運び、清掃などを夕方まで行う。

 自らも被災しながらボランティアに駆けつけた地元の農家を営む女性が僕のボランティア腕章を見て言う。

「あなたはパフォーマンスができるのね」

「いや、大したもんじゃないんですよ。ただ少し歌うたいながらものまねをするくらいで」

特技に歌、モノマネ、一発ギャグと書いていた。

 少しだけ僕のストリートパフォーマンスの武勇伝と幼い夢を語らせてもらった。

「できることがあるなら、あなたはそれをやったらいい。避難所を廻ったらいいんじゃない」

 車のトランクに一応ギターを入れて来ていた。女性の話ぶりにやけに切実な響きを感じた僕は言われるままに決意した。

 一芸ボランティアの受け入れ先を探す、という行為自体は存在するらしい。問題はその受け入れ先が見つかるかどうかということで数十箇所にも点在する避難所を直接飛び込んで廻ってみるしかないようだった。

 避難所は移動の準備をしていたり全員集まる時間がまちまちだったりと受け入れは難航した。夜も遅くなってきたので大雨の中、車中泊となる。

 靴下もびしょ濡れで疲労した体を休めようにも寝むれず、浅い眠りを繰り返す。翌日も朝から避難所を廻り受け入れ先を探した。


 どこを廻っても昨日と同じで避難所を閉じるための準備でばたばたしていた。小さな避難所ばかり廻っても意味がないのだろうか。ボランティアセンターで聞いたときは「小さなところにこそ行きたいんです」と意気込んでいたが疲労も溜まり気が縮んでいた。


 十七カ所目に廻ったのは急勾配の坂の途中にある中学校だった。花壇には鮮やかなチューリップが規則正しく並ぶ。残った雨の滴が強い陽射しを照り返して美しかった。

 裏の通用口で靴を脱ぎ、通りかけたスーツの初老のおじさんに声をかける。気難しそうな顔をしたおじさんは僕を廊下の奥へ案内し校長室と書かれたプレートの掛けられた部屋をノックもせずに開けた。

「そこに座って」

 黒皮のソファーに座った僕を睨みつけたままおじさんは怒鳴り出しそうな剣幕で向かいに腰を下ろした。

「私が校長の沢田です」

理解するのに時間がかかった。


「千葉から来たボランティアで、一芸パフォーマンスの受け入れ先を探しています」

一人で車中泊をしながらボランティアをしていること。避難所を巡ったことなどを説明した。

「それで。君はお金もないのに避難所をたらい回しにされてるわけだ。そんな名札代わりに胸にガムテープを貼らされて」

「は、はい、まぁ」 

苦笑するしかなかった。

「まあ、でも避難所の方もお引っ越しで忙しかったわけで、こちらからの勝手な希望を受け入れてくれるわけもないと思います」

「それじゃ、ダメなんだよ」

間髪入れずに校長は言葉を放つ。

「避難所を廻れと言われたか。役所はそんな対応をしているのか。ちょっと待ってなさい」

部屋の奥にある校長の机の横にはノートパソコンがあり、それをいじり始めた。


 肩を小さくしてソファーに座っていると校長が戻り一枚のプリントを渡された。

「そこに今現在ある避難所の人数と場所がある」

校長は赤いサインペンでいくつかの避難所に印をつける。

「ここならね、受け入れてくれると思うから行ってみるといい」

ポケットから名刺を取り出し僕に渡す。

「私の名前を使いなさい。この校長に言われて来ました、と」

奇跡のような展開にただ目を見開く。

「私はいわき市の市民の一人として、ボランティアに来てくださったあなたにそんな対応をしたことを謝ります。そして、福島を選んでくれてありがとう」

校長は座ったまま深く頭を下げた。


「泊まるところは」「昨日なにを食べた」「風呂には入ったのか」

詰問するような強い口調だったが人情が溢れた言葉だった。

 僕の答えに呆れるように顔をしかめる校長。

「この学校に泊まりなさい」「ごはんもこの学校の避難所のご飯を食べなさい。どんなものを食べているのか、直接触れるといい」「風呂はね、駅の前に二百円で入れる銭湯があるから」

 顎が震え始め涙が流れていた。

「すいません、すいません」

しばらく泣かせてもらった。泣いちゃいけない、泣くためにきたんじゃない、と思うほど涙が溢れた。無力な僕の不安、惨めなボランティアを全身全霊で受け止め肯定されたようだった。


 学校に届けられた支援物資を避難所に車で届けながら交渉すると、二カ所が明日の一芸ボランティアを受け入れてくれた。

 校長の好意に甘えて学校のコンピューター室で一泊する。翌日の昼まで学校にある支援物資の仕分けを手伝う。

 夕方に避難所に行き備えられたマイクの前でパフォーマンスをした。コスプレをしてものまねをし、ギターでフォークソングを弾き語った。

「東京の渋谷に尾崎豊の歌碑があるんです。その壁に落書きのようにペンキで、『尾崎、福島のみんなを守ってくれ』って書いてあったんです。幼い願いですが、僕もそんな幼い想いで浅はかですが被災された方の力になりたい、そう思って来ました」

 喉が潰れるように歌う。

 避難所の子供も母親も、温かく僕を見送ってくれた。


 校長に礼をいい別れを告げる。

「水嶋君。僕はね、この震災はメッセージだと思うんですよ。ひとつになれ、という強いメッセージだと」

校長は力強く僕の両手を握りしめた。

「またいつか来てください」


 携帯の留守番電話には何度も居酒屋から金曜日の夜のシフトに入って欲しいというメッセージとメールがあった。


 車が仙台に到着したころにはすっかり夜になっていた。海岸に向かうと通行禁止の看板があったので近くのコンビニに車を泊めて真夜中の街を海岸に向かい歩く。三十分近く歩くと家並みが突然途切れてテレビで見たような瓦礫の山が続く。立てたばかりの街灯だけではこの瓦礫がどこまで続いているのかまったく見えない。金属版が軋む音が断続的に続き闇の中に誰かが蠢いているような気配がし続ける。

 パトロールしている警察に呼び止められ引き返すよう言われたので車まで戻り凍える寒さの中そのまま横になった。


 朝早く目が覚める。

 もう一度海岸に向かい歩いた。なんの価値もない行為だとわかっていても見ておかなければいけないという使命感のようなものに突き動かされた。

 瓦礫の山には夜中とは違う音があった。鳥とカエルの鳴き声。瓦礫の上を飛び交う鳥。


鳥のように軽やかな自由が、まず希望を運ぶ。なんにもできない僕はここに来た。なんの足しにもならないとしてもまず届くのは言葉だ。その言葉は希望でありたい。分けられるものなどないけど軽やかな鳥のように言葉を届けたい。

 どこまでも続く瓦礫の山を歩いていると痛むことのできない自分の心がやましく思えてくる。自分勝手な優しさの裁量で痛みを汲むだけで、人は本当に他人の痛みを痛むことなんてできない。ただの感傷にすぎない。

 海岸までたどり着く。防波堤の上に座り広がる海をしばらく眺めていると、情けなくて涙が溢れてきた。


「繋げよう、せめて自分の中で」


 近くの避難所で行われた支援物資を配るフリーマーケットのボランティアに昼過ぎまで参加させてもらう。

 急いで車を走らせたが高速道路の渋滞に巻き込まれてバイトに遅刻した。


 バイト先の先輩は今まで通りの小さなことにイラつき、今まで通りのことに無邪気に笑った。宮城出身の常連さんは募金箱の口にお札を無理矢理押し込んだ。


 震災の前に録画したテレビでは会社の社長のお爺ちゃんが熱弁していた。

「若い人には日本人としての誇りを持ってほしい。日本人は凄いということに自信を持ってほしい」


 人は痛みがなければ醒めない。醒めれば死んでいった人たちが報われるのだろうか。取り返しのつかない命にそんな問いかけは空しい。戦争に負けて戦争を放棄したように日本人は原子力発電を放棄するのだろうか。簡単に解決するものではない。

 憲法九条のように願いを込めた大きな墓標をせめて建てられないだろうか。経済活動でもなんでもいい、希望を打ち立てられないだろうか。

 墓標に刻まれる名前に想いを馳せ今ある日常を真摯に生きたい。


 あの旅でなにか大事なものを掴んでたくさんの人に繋げたい、と思っていたがそんなものは驕りだ。せめて僕自身の中で繋げたい。

 コンビニの募金箱に十円玉を一枚入れた。




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 著者プロフィール

 ウェルダン{穂積|ほづみ} 本名 {穂積 義央|ほづみ よしふみ} hozumi yoshifumi

 一九七八年十一月二十四日生まれ。千葉県船橋市出身。

 お笑いコンビ「ウェルダン」として活躍。

 千代田区のボランティア団体「アキバへ恋!」の代表としてボランティア活動に参画。

 秋葉原でアキバの赤い彗星と呼ばれるなどコスプレイヤーとしても活動している。

 

 ブログ[ポケットの中の闘争](http://ameblo.jp/welldonehozumi/)

 書籍「たかがアキバ されど秋葉原」(セルバ出版)

 Wikipedia「ウェルダン(お笑い)」

 Twitterアカウント<@welldoneh>

 最後までお読みいただきありがとうございました。本書の内容に沿う形で本書の印税は一部寄付させていただきます。

 みなさんはあの日、あの時、いかなる想いを抱きましたでしょうか。身近な人とあの時の体験を少しだけでも語りあうことから始められれば幸いです。この本のタイトルが間違いであった、と信じられるような生き方をしていこうと思います。みなさんの暮らしが希望を向いたものになりますようにご多幸をお祈りいたします。


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