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ルイ・トモ  作者: 冷や麦
8/26

懸命

 「千鳥さん!千鳥さん!」


 日雀の呼びかけに千鳥はわざとらしく聞こえない振りをする。


 「待ってください、千鳥さんってば!」

 「もうっ!!"さん"をつけるのはやめてってお願いしたよ!」


 振り向いた千鳥は日雀の顔にぐいと顔を近づけて言った。日雀は耳を紅くして思わず後ずさる。


 「だから、近いですってば…」


 千鳥と一緒に集落を出てからもう三日程経つ。最初はお互い気を使って話していたけれど、徐々に慣れ、そして暗黙の制約を千鳥があっさりと飛び越えた。


 最初に千鳥の言葉遣いが砕けたものに変わった。ですますをやめて話し始めたのだ。年相応になったと言うべきかもしれない。丁寧な言葉遣いをやめた千鳥は体の奥から弾むような元気が溢れ出る子だった。普段はこんなに明るく快活な子だったのだ。


 「どうもまだよそよそしいのよね」と言う千鳥から出された親睦度を向上させる提案は、お互いの呼び方を変えるというものだった。日雀の丁寧語が変わりそうにないことは千鳥にも想像に難くないことから、千鳥なりの妥協案と言えるだろう。


  ・日雀には「千鳥さん」ではなく「千鳥」と呼び捨てること。

  ・千鳥が日雀のことを「ひー」と呼ぶのを了承すること。


 とはいえ、女の子を呼び捨てることにまったく慣れていない日雀は、結局いつも通りの呼び方をしてしまい、ことあるごとに千鳥から怒られていた。丁度今のように。


 千鳥はその場でくるりと回り、日雀に背を向け歩き出した。日雀は落ち着きなく後を追う。


 「はい、やり直し」

 

 日雀に顔を向けずに千鳥は言った。日雀は観念し、恥ずかしそうに頭を掻きながら口を開く。


 「…ちどり…」

 

 「えー?きこえないよ!」

 「ちどり…」

 「きこえなーい」

 「ちどり!」


 日雀の少し前を歩いてた千鳥は立ち止まり、「んー?なあに?」と言いながら振り返って満足したようにくすくすと笑った。日雀は少し眉に皺を刻みながら千鳥を見つめる。


 「まったく、千鳥は意地悪ですね」

 

 日雀はそう言って苦笑いを浮かべた。

 

 「えー。これくらいのことで意地悪なんて言ってちゃ、これから大変だねえ」


 千鳥はいたずらっぽく笑い、木の枝を拾って日雀をつついた。

 

 「だって、あたしはもっともっと意地悪なんだよ」



 日中は元気になったように見える千鳥ではあるが、まだ両親を失った悲しみの中にいる。夜眠るときになると千鳥は必ず日雀の側に来て手をつなぎ、声をひそめて涙を零すのだ。身近な人間の死とはこういうものだろう。人それぞれ、癒えるまでの時間は異なるが、ただ時間が過ぎ、悲しみを自分の中で消化できるまで、この日々を繰り返すことになる。誰もが歩む道だ。


 だが、日雀はその姿を見るのが辛くて、少しでも元気付けようと夜毎千鳥が眠りにつくまで色々な話をした。自分から話をすることもあれば、千鳥からの質問に答えることもある。逆に千鳥へ質問することも。


 千鳥はもともと話をすることが得意ではない日雀が、懸命に話をする姿を見ていると楽しく、安心し、いつのまにか眠りについているのだった。


 「そういえば、ひーの父様と母様はどうしているの?」

 「父のことは知りません。ただ鷹人と呼ばれる種族だったそうです。実際に見たことはないのですが」

 「それで、ひーには羽があるのね」

 「はい。そのことで母は辛い目にあったと聞いています」

 「ひーは?」

 「え?」

 「ひーは辛い目には合わなかったの?」

 「私は、特に」


 そう言うと日雀は微笑んだ。


 (嘘だ。この人の心は深い雪下で冷たく固まってしまった石のよう。温めようとしても手が届かないほど深い。けれど、あたしがゆっくり雪から溶かしていけばいい)


 千鳥は日雀の手をぎゅっと握り、目を閉じた。日雀は千鳥の寝息が聞こえてくるまで、千鳥の頭を撫でるのだった。

 

 「おやすみ、また明日ね」

 「はい、おやすみなさい」

 

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