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ルイ・トモ  作者: 冷や麦
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異獣

村を出た日雀は日の沈む方へ向かい歩きだした。この国の首都『鳥飼国』を目指して。


日雀は幼い頃、じいさまが誰かと文のやり取りをしているのを目にしたことがある。


夜、ふと日雀が目を覚ますと、揺れる蝋燭の灯がじいさまの顔をゆらゆらと照らし、じいさまはその橙色の光の中に浮かぶ記号を静かに見つめていたのだった。


紙の裏側から透けて見えるその記号は美しく、日雀の眠気をあっという間に吸い取った。


文字を読むことも書くこともできなかった日雀には、文字という美しい記号が魔法のように思えた。自分の思いを紙に埋め込み、遥か遠くまで運ぶことができる。そして自分の元にも時間と場所を超えて思いが届く。そんな情景を思い描くうちに、自分もその魔法を使ってみたいと思うようになり、じいさまに頼み込んで毎日少しずつ教えてもらうことにした。


村にはじいさま以外に文字を使える者はいなかったが、まもなくそれはふたりになった。


じいさまにはこの村の外にも世界があること、またそこに文のやり取りをするほどの仲の者がいることが不思議で、日雀は一度だけそれが誰なのか尋ねたことがある。じいさまはふふと笑い、誰だろうな?と頭を掻きながら言った。


ちらと文の宛先を見せてもらったが、まだ習っていない文字もありはっきりとはしない。ただ、この国の首都である『鳥飼国』に届く文であったことだけは理解できた。


結局、それが誰だったのか、じいさまから教えてもらえることはなかった。


日雀は特別な目的があるわけではないが、じいさまが文を届けたその場所を見てみたいとただそう思う。もしかしたら、届け先の人物にも一目会えるかもしれない。それに首都という大きな都市にも興味があった。


歩いている道は先が見えないほど遠くまで伸びている。山の向こうは霞んで見えない。振り返っても、育ってきた村はもう消えてなくなっていた。小さな村の中だけで生きてきた日雀は、今日初めて世界の広さを知った。


「ああ、広い。こんなにも広かったんですね」


日雀は手を広げ深く息を吸い込みそう呟いた。あの狭く、閉鎖的な世界が全てだった昨日までを思い、日雀は自然に笑みが零れた。


どれほど歩いただろうか。太陽は隠れ、地平線は白い光の線となっている。まもなく陸と空は溶けてひとつになる。賑やかだった蝉もいつの間にかその鳴き声を潜めていた。


今日はもうこれ以上歩くのはやめ、休むことにしよう。まだ旅は始まったばかり。焦ることもないだろう。


日雀は辺りが見張らせる小高い丘を見つけ、その上まで登り横になった。持って来ていた樹の実を頬張りながら満天の星空を見上げる。


(じいさま、世界は広いですね…)


うとうととし始めていた日雀は突如飛び起き身構えた。


(何か聞こえる。何だ、この音は。これは…鳴き声?囲まれている!)


油断した。日雀は獣に囲まれていた。


目を閉じ、神経を研ぎ澄ます。5、いや、6頭。ゆっくりと囲みを狭めている。


(異獣の群れ、か)


日雀は腰の小刀に手をやり、息を大きく吸う。


異獣は小さな群れで行動する全身に黒い毛の生えた長身で二足歩行の生物だ。知能が高く、肉食。狩りは必ず群れで行い、単独で行動することはまずない。狩りは至って単純で、獲物となるものを見つけると、群れで周囲を囲い、徐々にその環を狭めていく。そしてある一定まで距離を狭めると、四方から一斉に群れで跳びかかり、その鋭い爪で獲物を切り裂くのだ。太陽の光が苦手のため、日中は森のなかなどに身を潜めているが、太陽が沈んだ後、眠りについた動物を探してゆらゆらと移動を始める。


「キキキキキキキキ!」


日雀はとてつもなく大きく高い異質な声を上げた。その声に大気は震え、異獣は竦んで動けなくなった。自分よりも遥かに小柄な獲物が突如として威嚇の声をあげたのだ。異獣は完全に意表を突かれた。


その威嚇が終わるやいなや日雀の細い足はドンという音と共に大地を蹴った。足が跳ね上げた土が宙を舞う。


突如、日雀の背中からはその小柄な体躯よりも遥かに大きな羽根が現れ一度だけ大きく羽ばたく。風。一陣の風が一瞬のうちに辺りの空気を切り裂いた。跳ね上げられた土が地面へパラパラと落ちる中、一頭の異獣の首が宙を舞っていた。


首を無くした体はそのことに気づくことができず、二、三歩歩いた後、血しぶきをあげその場に崩れた。足は、倒れてなおも前に進もうともがいている。日雀は崩れ落ちた異獣の体の横で、刀身の黒い小刀を胸のあたりに構えて周囲に殺気を振りまいた。


(とはいえ、一斉に来られてはマズいですね…)


一頭は先手を取れたために簡単に仕留めることができたが、残りの異獣たちが普段通りに群れで狩りに来れば、日雀も無傷では済まないだろう。なんとしてもそれだけは避けたい。


異獣と日雀は、お互い動くことのできないまま沈黙した。


どれほどの時間が経過したかわからない。ほんの少しの時間かもしれないし、長い時間この場で膠着していたのかもしれない。しかし、業を煮やした異獣の群れは一度一頭が大きく鳴いた後、そのままゆっくりと歩き去っていった。


「ふう…」


日雀は大きな羽根を畳んで息を吐いた。


何も持たないよりも軽く、空気を切るように骨を断つことができるとじいさまからもらった黒い刀身の小刀は、その切れ味ゆえ一滴の血さえも付いていなかった。

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