89 ◇ スクーリング一日目の夜 ◇
月曜日。スクーリングの一日目が終わった。
とりあえず、どうにかなりそうかな、と思う。
人見知りのわたしには、スクーリングは少し荷が重い。勉強のことよりも、知らない人ばかりの中で長時間過ごさなくちゃならないことが。
教室では、初対面でもすぐに周囲にとけ込めるひとは少なくないし、勉強会やSNSなどですでに仲良くなっているグループもある。大学の通信教育課程は年齢の幅は広いけれど、教室の雰囲気は普通の学校とさほど変わらないのだ。
中にはコミュニケーションの実践などと言って、周囲の人たちと話すことを強制する授業もある。去年は「○分以内に○人以上から、○個以上の情報を聞き出す」という課題で苦しい思いをした。
ある日は、次々に指定される人数でグループを作らされたあと、先生が<余ってしまった人>の行動のタイプを分類し、解説した。わたしは当然、その<余ってしまった>一人であり――しかも、一度ではない――、それを聞きながら、さらし者にされたような、いたたまれない気分になった。
体育でチームを作ったり試合をしたりするのも苦手だ。他人と慣れるのに時間がかかるから。
でも、あれから一年経った今、思う。「だから何?」と。
初対面の相手とうまくコミュニケーションが取れないからといって、それは悪いことなのか。人はあらゆる場所で、誰とでも話ができなくてはいけないのか。
今のわたしは、それは違うと思う。
なぜなら、少なくともわたしは、人見知りのせいで仕事に支障をきたしたりはしていないから。
わたしの人見知りは、「学校」という場所ではかなり突出していると思う。周囲を見回しても、自分ほど友だちが少ない生徒はいなかった。中学と高校で優等生扱いされていたのも、それが原因なのだ。周囲からは親しみにくいと思われ、自分では劣等感を抱えていた。
そんな状態だったわたしだけれど、仕事では窓口や電話できちんと対応ができている。相手は当然、見ず知らずの人たちだ。それに、職場のひとたちともきちんとコミュニケーションが取れている。また、なぜか通りすがりの人に道を尋ねられることが多い。
これらの場面の違いは何か。
それは用件の有無、つまり、必要性や目的だ。
授業で相手の情報を聞き出すのは、それが課題だからだ。その人と仲良くなりたいからではない。指定された人数でグループを作るときは、人数さえそろえば誰でもかまわないし、すぐに解散だ。つまり、その次の目的が無い。
学校で友だちを作るのも、ただ「一人になりたくない」という理由では、用件があるとは言えない。
それらの場面でものを言うのは「積極性」や「要領の良さ」だ。わたしに足りないのはそれだ。
でも、仕事では、常に用件が存在する。
市民は目的があって来庁したり、電話をかけてきたりする。わたしは要望を正確に聞きとって対処する。応じられない場合には精一杯説明する。分かりにくい制度を分かりやすく説明する工夫も必要だし、税金を払いたくない人に払うように話をすることもある。
職場の人たちとも、必要なことをきちんと伝えあうことができる。
こういうときには、ある程度の「積極性」は発揮できる。必要最低限ではあるけれど。
そして、わたしの仕事では「積極性」よりも「正確に聞き、判断し、伝える」ことが重要だと思う。それもコミュニケーション力の一部だ。職場ではそれを通して信頼関係も築いた。信頼関係が築ければ、たいていのひととは仲良くできる。逆に、仕事で信頼されないと、仲良くしてもらえない。
要するに、「積極性」や「要領の良さ」が足りなくても、社会の一員として十分にやっていけるということだ。それに、鈴穂みたいな長く付き合えるお友だちもいる。
……なんていうのは、ただの強がりか負け惜しみ? でも、こんな理屈を思い付くようになった分だけ、去年よりもおとなになっているのではないかな。
というわけで、今年のスクーリングは少し開き直れている。会話や笑い声のあがる休み時間も、一人で過ごす覚悟ができている。だって、知らない人と知り合いになる勇気を出すよりも、一人の方が気楽だと気付いたから。それに、わたしのスクーリングはこの一週間で終わりなのだから。
もしかしたら、先週のクラス会に出たのが良かったのかも知れない。就職したことをみんなに話したということで、壁を一つ乗り越えたような気もするし。
(自信がついたのかな?)
自信……とはちょっと違うかな。「案ずるより産むが易し」みたいな感じ? 度胸、かな。
(就職してからいろいろ経験をしたものね。)
それらがわたしを強くしてくれている。
そういうふうにお尻を叩いてくれたのは花澤さんだ。そして今は、宇喜多さんと宗屋さんが支えてくれている。わたしにとっては、人生の恩人とも言える人たちだ。
(とは言っても、偏ってるけど。)
足りない「積極性」を放置して開き直っているわけだから。でも、ストレスを減らすという点から見れば、これは前進だ。
(さて、今何時?)
八時五十二分、か。
宇喜多さんが電話をくれるまで、あと八分。お昼にメールが来て、『九時ごろに』と書いてあった。時間が決まっていれば用事を済ませることができるし、覚悟もできる。
(うー…、ドキドキする。)
落ち着くのは無理みたい。
宇喜多さんと電話で話すのは今日が二度目。仕事とテニス部でほぼ毎日会うから、今までは電話の必要が無かった。
それが、おととい、思いがけず電話をもらって。
(あと七分。)
ちゃんと帰れたか心配してくれていた。それほど遅い時間では無かったのだけど。
もしかしたら、心配する癖がついちゃったのかな。だとしたら、これからも夜に集まりがあるときは、帰りに連絡した方がいいのかな。
沙織に言われたことや樫森くんのことで少し落ち込んでいたけれど、宇喜多さんと話したら、それらは隅っこに押しやられてしまった。だって、
(あと六分。)
宇喜多さんがなんだか……ふざけるから。「彼氏のふりをしてあげる」なんて。
そんなことを言われたら、甘えたくなってしまって困る。一緒に歩くときに肩が触れ合うくらい近付くとか、真面目な顔をしているときに笑わせてみるとか。浮かれてはしゃぐなんてわたしらしくないのに、海に行ってから、「このくらいなら」なんて考えてしまう。
(あと五分。)
電話のときの宇喜多さん……、いつもと少し違った。お酒をたくさん飲んだときと似てた気がする。
許婚って言われたのも久しぶりだった。もう忘れているのかと思ってた。
あれは冗談だって分かっているけど、言われるとつい、ドキドキしてしまう。何百分の一でもいいから、「それでもいいな」って思ってくれていたら……って。
(あと四分。)
そうか。
電話って、二人きり、なんだ。
離れた場所にいるけれど、ほかには誰もいなくて。
でも、今週の電話はお仕事の様子を教えてもらうだけだ。何か困ったり、急ぎの仕事が来ていないか――。
(あ。)
スマホの画面に名前が。そして、振動。
(来た……。)
宇喜多雷斗さん。名前だけで、一層ドキドキしてきてしまった。
「はい。蒼井です。」
『ああ、宇喜多です。こんばんは。』
「あ、こんばんは。」
好きなひとがわたしのために時間を割いてくれている。なんて幸せなことなんだろう。
『ねえ、蒼井さん。今日、びっくりしちゃったよ。』
「何かあったんですか?」
『電話でね、役所のお盆休みはいつかって訊かれたんだよ。それも二回も!』
「ああ。うふふ、去年もありましたよ。わたしもびっくりしました。」
『だよね? 公務員にはお盆休みなんか無いのに……。』
「わたしたちにはそれが普通ですけど、お休みすることが普通の人たちも多いですから。」
『そうだけどね……。』
こんな他愛のない話も楽しい。
『仕事の方は問題ないよ。お客さんも少ないし。』
「そうですか。それなら良かったです。」
用事は終わり。もう電話も終わりか……。
『蒼井さんの方はどうだった? スクーリングってどんな感じ?』
(え?)
「あ、ええと」
学校の話? まだ話していてもいい?
「あ、ええと、朝、コンビニでびっくりしました。」
『コンビニ?』
「はい。駅前のコンビニが通学時間でものすごく混んでいたんですけど、レジの店員さんが三人ともとっても早かったんですよ。見たことが無いほど。」
『あはは、わかるわかる! うちの大学の近くもそうだったよ。そう言えばこの辺では、あんなに早いのは見ないなあ。』
「わたしには絶対に務まらないと思いました。だから、絶対に市役所を辞めないようにしようって。」
『思いがけないところで決心したんだね。』
「資格も何も無いから、今の仕事にしがみついているしかないんです。」
軽く答えたけれど、これは普段から思っていることだ。今の仕事を失ったら、わたしを正社員として雇ってくれるところなど無いだろう。実家を頼れないわたしは、それでは生活できなくなってしまう。それこそがわたしが一番恐れていることだ。
『そう? 蒼井さんならどんな仕事でもすぐにこなせそうだけどね。授業はどう?』
「階段教室が冷房で寒くて。」
『ああ、前の方に座ったのかな? 冷気が溜まるんだよね。』
「そうなんです。最初は良かったんですけど、だんだん体が冷えてきて……。」
こんなふうに話していると、会いたくなってしまう。時間と手間をかけてもらっているのだから、声だけでも十分だと思わなくちゃいけないのに。
(だけど……。)
やっぱり会いたいよ。




