08 ◇ 心配とお礼と ◇
(今日はびっくりしたなあ。)
夕ご飯を食べながら、今日の宇喜多さんのことを思い出した。一日中、電話に出続けた宇喜多さんのことを。
(前向きなのはいいんだけどね……。)
早く仕事を覚えようと一生懸命なのはよくわかる。それは、職場の人たちに迷惑をかけないようにという気持ちから出ているということも。新人さんらしい頑張りだと言ってしまえばそれだけのことだ。でも、その加減を知らないように見えて心配になる。
(黙っていられなかったんだよねー……。)
あんなに電話に出ているんだもの。慣れているわたしでも頭がくらくらしてしまう。だから、ちょっと電話から離さなくちゃ、と思った。
確かに、電話でしゃべり続けたくらいで具合が悪くなることなんてないだろうと思う。いろんな質問を聞くことで、早く仕事も覚えられる。
でも、あんなふうに全部の電話に出続けるなんて極端すぎる気がする。だからと思って何回かわたしも電話を取ったけれど、そのたびに申し訳なさそうな顔をするから……。
(本当に心配になるよ。)
お節介だと思わないでいてくれるといいんだけど。「真面目だからちょっと心配です」なんて言ったこと。わたしの方が年下なのに。
(でも。)
今日は間違いなく頑張り過ぎだと思う。
「ふう。」
もちろん、その気持ちはわかる。あの顔を見れば。
覚悟を決めた緊張した表情と、申し訳なさそうな表情。宇喜多さんはいつもどっちかだから。自分が一人前じゃない分、ほかのひとたちが忙しいのだと思っている。
それは事実だけど、仕方がないことだ。わたしも去年は同じ立場にいた。そして、同じように思っていた。
でも、今回、宇喜多さんが入って来てわかった。これは順番なんだって。
毎年毎年、市役所でも民間企業でも、異動がある職場ならどこにいても経験することだ。異動する側も、迎える側も。新採用じゃなくても、経験のない職場に行ったら同じこと。組織では業務は細分化されていて多種多様なのだから。
だからみんな、「お互いさま」の気持ちでフォローする。一定期間を過ぎれば通常の忙しさに戻れるとわかっているから。もちろん、それが短い方がありがたいのは当然だ。でも、無理をして精神的に不安定になったり病気になったりされたら、そっちの方が困る。
(わたしも花澤さんに心配されてたのかなあ。)
あのころは必死だった。就職そのものがつらかったし……。
(いや、過ぎたことよりも宇喜多さんだよ。)
わたしは一年たった今でも、こうやってどうにかやっているんだから。
もちろん、宇喜多さんのことはチューターの原さんがちゃんと見てあげている。でも、去年の花澤さんに比べるとだいぶ放任に感じる。宇喜多さんは真面目すぎて、息抜きをすることも思い付かないひとなのに。
しかも、わたしにまで気を遣っている。そこがまた気になってしまう。
わたしは仕事にも職場にも慣れている。仕事の量が多くても、何もかもが初めての宇喜多さんとはプレッシャーの大きさが違うのだ。それに。
(わたしの方が年下なのになあ……。)
言葉遣いとか態度とか、あんなに礼儀正しくされると戸惑ってしまう。
わたしにしてみれば、うちの職場のひとたちは全員が年上で、だからきちんと接するのは当然のこと。あとから入った宇喜多さんと宗屋さんだって、三歳も上なのだし。
なのに、宇喜多さんはあとから入ったからって、わたしに気を遣っている。それがどうにももどかしいように感じてしまう。わたしなんかに気を遣う必要はないのに。
(それに、あんまり笑わないし。)
申し訳なさそうに微笑むことはあるけど、声をあげて笑うようなことは無い。そりゃあ、仕事中は無理だと思うけど。
「ふう。」
わたしに気を遣うなんて、なんだか申し訳なくて。どうにかしてあげたい。せめてもう少しリラックスできるような何か。宗屋さんは心配しなくても大丈夫に見えるけど――。
(あ、そうか!)
朝ならいいんだ!
仕事とは関係のない時間。毎朝の始業準備。
宇喜多さんと宗屋さんと前下さんとわたし。宗屋さんと宇喜多さんは同期だし、前下さんだって――わたしは少し苦手だけど――気さくなひとだ。ここ何日か一緒に朝の準備をしてみた感じでは、雰囲気は良かった。いい感じのメンバー構成だという気がする。
(うん、そうだね。)
あの時間を気持ち良く過ごさせてあげよう。
今までは前下さんに警戒心がはたらいて、わたしの態度が硬かったと思う。でも、宇喜多さんと宗屋さんが加わってくれて、すごく気持ちが楽になった。少し前は、もう朝の準備はやめようかと考えるほどだったのに。
(ああ、そうだった。)
お願いしなくても来てくれて、本当にありがたかった。そのお礼の気持ちも込めて。
(それに……。)
宇喜多さんと宗屋さんとは仲良くできたらいいな。宗屋さんは面白そうなひとだし、宇喜多さんは学校の先輩でもある。うちの課の中では歳も一番近い。
区役所全体で見れば、同期の杏奈さんが二つ違いで、一番歳が近くて仲良くしてる。でも、職場の階が違うからなかなか会わないし、それに……。
(違い過ぎるんだよね……。)
短大を出て福祉課に配属されている北尾杏奈さんは、明るくてきれいな女の子。みんなに好かれていて、去年のお誕生日の朝は机の上にプレゼントがたくさん置いてあったそうだ。この一年のあいだに、告白されたことも一度や二度じゃない。
それらを杏奈さんは「びっくりしちゃった!」と笑いながら話してくれる。人気があることに慣れていて、特に自慢に思っていないらしい。まるで他人のうわさ話みたいに話してくれるのが面白いところだ。本人は前下さんのファンだから、ほかのひとのことはどうでもいいのかも知れない。
明るくておしゃべりが上手な杏奈さんと一緒にいるのは楽しい。でも、話している合い間にふと「きれいだな」と思ったり、声をかけてきた男のひとを簡単に追い払うのを見たりすると、わたしなんかが一緒にいていいのだろうかと思ってしまう。ぼんやりして垢抜けないわたしなんかが……って。
そういう点で、年が離れていたり、性別が違っていたりすると気が楽。違っていても当然だから。これは、就職して初めてわかったこと。そして、就職という経験の中で、一番ほっとしたこと。
(宇喜多さんの緊張も早く解けるといいね。)
とりあえずは朝。なるべくいろいろな話をして、楽しい気分にさせてあげよう。