79 ◇ 白瀬さん…? ◇
「あ、わたし、お酒は……。」
向かいの席からビールを注いでくれようとした白瀬さんに「すみません」と頭を下げた。
花火の終了後、駅の近くのビルに入っている中華料理店で食事をすることになった。花火帰りのお客でどこも混んでいたけれど、四人用のテーブルをつなげてもらい、ちょうど八人が座れた。
「はい、蒼井さんはこっちね。」
「ありがとうございます。」
白瀬さんの隣から宇喜多さんが烏龍茶を差し出してくれた。
「アルコール、ダメなんですか?」
「ええ、まあ……。」
「蒼ちゃんはまだ未成年だからね〜?」
わたしの代わりに彩也香さんが説明してくれた。
「未成年なんですか? ……ってことは、高卒?」
白瀬さんがきれいな眉をひそめる。
「はい。」
「偉いですねえ。あたし、その年で働く覚悟なんてできてませんでしたよ?」
「ああ、まあ……、仕方が無かったので……。」
笑顔を取り繕いながら、胃のあたりがもぞもぞする。この話題は早く終わってほしい。
「じゃあ、とりあえず乾杯しよう! かんぱーい!」
「お疲れさまー!」
「花火綺麗だった〜!」
「お腹空いた〜!」
ちょうど良く会話が途切れてほっとした。
(ああ、気持ちがいいな。)
冷たい烏龍茶が体の熱を冷ましてくれる。外はやっぱり蒸し暑かった。
「食べようぜ!」
「小皿欲しい人〜?」
クラゲのサラダ、鶏肉とカシューナッツの炒め物、春巻き、大根もち。九時をまわってみんなお腹が空いているから、次々に出て来るお料理があっという間に消えていく。
「ビール、二本追加で!」
「やっぱりチャーハン食べたいです。」
「エビチリ、まだ取ってない人?」
「ねえねえ、デザート頼む?」
さっきの花火の感想よりも、目の前の食事の方が優先だ。
「あ、どうぞ。」
白瀬さんのグラスが空だったので、ビール瓶を取って声を掛けた。なんとなく、白瀬さんが静かなように見えてもいて。新人さんだから遠慮しているのだろうか。
白瀬さんは一瞬、驚いたようだったけれど、すぐに笑顔でグラスを持ち上げてくれた。
「ここ、お料理が来るのが早いですね。」
注ぎながら、就職してから身につけたコミュニケーションの方法を使ってみる。人見知りで会話があまり上手くないわたしでもできる「話題の提供」。たいてい相手は何か返してくれるし、話好きな人はそこからどんどんしゃべってくれる。宴会や初対面の人と話すときにとても便利だ。
「ほんとに。お腹が空いている身にはありがたいですよね。」
スムーズに言葉を返してくれたのでほっとした。そのまま、ビールを飲む白瀬さんのカッコよさに思わず見惚れた。きめの細かい肌と長いまつげが潔いショートカットとシンプルなシャツに上品な女らしさをプラスしていてとても素敵。まるで化粧品のモデルさんみたい。
彩也香さんが福祉課の暑気払いで料理が少なかったことを思い出して話してくれて、白瀬さんも控えめに同意して笑った。
「食べるものが無いからお酒が進んじゃってね。」
「そうでした。最後の方では寝ている人もいましたよね?」
「そうそう。まあ、盛り上がった人もいたけど。」
そこで白瀬さんがわたしを見た。
「お酒が飲めないとつまらなくないですか?」
「あ、いいえ、そんなことないですよ。」
こういう質問はよくされる。答えもいつも同じだ。
「お酒を飲まなくても、宴会は楽しいです。」
「アルコールは飲めない人もいるしね。」
彩也香さんがエビチリを取り分けながら付け加えてくれた。
「そうですね。それに、飲まない分は食べてますから。」
「あ、そう言えば蒼ちゃん、たいていお箸持ってるよね?」
「あはは、そうなんです〜。」
コーンスープが目の前に運ばれてきた。白瀬さんが素早くおたまを取って取り分け始める。年が下のわたしがやろうと思ったのだけれど……。
「高卒の方ってめずらしいですよね?」
小さい器にコーンスープを分けながら白瀬さんが言った。
「同期でもあまり聞かなかったし、配属されてからも初めてな気がします。」
またこの話題。でも、こんな場所で嫌な顔はできない。それに、取り分け役を年上の白瀬さんがやってくれていることで肩身が狭い。
「ええ……、確かに少ないです。区役所にも何人かはいますけど……。」
「あたしの高校の友だちもほとんどが進学だったと思います。就職って聞かなかったなあ。」
「そうですよね……。」
(わたしだって大学に行きたかったけど……。)
「蒼井さんは優秀なんだよ。俺なんか到底追い付けないくらい。」
(宇喜多さん!)
斜向かいからにこにこして麻婆豆腐の小皿を渡してくれた。
「辛いから少なめでいい?」
「あ、はい! ありがとうございます!」
「元藤さんは辛いもの好きでしたよね? 白瀬さんは? 大丈夫?」
二人の前にも宇喜多さんは次々に小皿を置き、今度はビールを注ごうとビンを持ち上げた。
(もしかして、聞こえていたのかな……?)
それで間に入ってくれた? わたしが大学に行きたかったことを知っているから……。
「宇喜多さんは蒼井さんと同じ職場?」
白瀬さんが宇喜多さんに尋ねている。
「そうだよ、隣で仕事してる。努力家だし、市民応対も完璧で、俺の目標なんだよ。」
「やだ! そんなことないですよ!」
宇喜多さん、いくら何でもほめ過ぎだ!
「わたし、一般常識も全然足りなくて、本当に申し訳ないんです。必死で勉強しても、みなさんに教わることばっかりで。」
「蒼井さんみたいに可愛いひとなら、みんな親切に教えてくれるでしょう?」
(え……?)
今の言い方、なんだか……。
「足りない部分も大目に見てもらえますものね。いいですよね。」
「ええ……、まあ……。」
(これ、どう受け取ればいいの……?)
笑顔だけど……本心? 当てこすり?
確かに大目に見てもらってるところはあるからなあ……。
「姫! ちゃんと食ってるか?」
宗屋さんの声がした。視線を移すと、箸を持ち上げて合図してくれた。
「あ、はい。大丈夫です。ちゃんと食べてます。」
「おう。飲み物は? まだあるか?」
「はい。」
まだ半分ほど残っている烏龍茶のピッチャーを指差すと宗屋さんがうなずいた。その隣から杏奈さんが楽しそうに手を振ってくれた。
「姫なんて呼ばれてるんですね。」
向かい側から白瀬さんの声。
「あ、はい。」
なぜだか背筋が伸びてしまう。べつに取り調べを受けているわけじゃないのに。
「宗屋がふざけて付けたんだよね?」
「はい。」
宇喜多さんが話に入ってくれた。それだけでこんなにほっとしてる。
「ああ、そうなんですか。すごく仲が良さそう。」
「ええ、親切にしてもらってます。お兄さんみたいに叱ってくれることもあるし――」
言いながら、宇喜多さんと目が合った。今度は自然と笑顔になる。
「宇喜多さんにもすごくお世話になってます。」
「いえいえ、全然。」
お互いにふざけ半分にお辞儀をし、顔を上げたところで同時に笑う。
「本当に可愛がられてるんですね。」
(え?)
白瀬さんの声にドキッとした。表情はやさしげだけど……。
「年が若いと得ですね。うらやましいな。」
「え、そんな……」
またしても、違和感のある言いまわし。
(もしかしたら、わたし、嫌われてる?)
でも、初対面なのに。嫌われる理由なんて無いはず。これが白瀬さんの普通の話し方なのかな。
(よし。話題を変えよう!)
白瀬さんが興味を持つのが確実の話題……となると、宇喜多さんかな。同期だしね。
「今日は宇喜多さんが大活躍だったんですよ。」
「宇喜多さんが? お仕事でですか?」
少し驚いた表情。でも、この反応ならOKだ!
「はい。区内に詐欺の電話がかかっていて、被害をどうにかして防げないかって考えて。」
「いや違うよ、蒼井さん。考えたのは俺じゃなくて原さんだよ?」
「車のことを思い付いたのは原さんですけど、最初に『何かしたい』って言ったのは宇喜多さんじゃないですか。」
「まあ、それは……。」
「ですよね? それが無ければ、みんな気にしてても、きっと何もできなかったと思います。」
「うん、そうね。」
白瀬さんがうなずいてくれた。それに勇気を得て、白瀬さんに向かって話を続ける。
「宇喜多さんは、自分が現地に行ってもいいってすぐに言ったんです。市民の安全を優先する気持ちって、市役所の職員としてすごく大事ですよね。行動力も。」
白瀬さんは何度もうなずきながら聞いてくれている。
「そういう気持ちや覚悟をちゃんと行動に移せるって、すごいと思います。本当に尊敬します。」
これは真面目に本心だ。わたしは未だに覚悟ができていない部分が多いから。
確信を持って言い切ると、白瀬さんが真剣に「本当にそうね」とうなずいた。その隣で宇喜多さんが呆気にとられた顔でこちらを見ている。お世辞だと思っているのだろうか。
「本当ですよ?」
笑顔でそう伝えると、宇喜多さんは少し照れながら「ありがとう」と言ってくれた。
お店から駅まで歩くとき、杏奈さんにこっそり尋ねられた。
「白瀬さんに嫌味言われなかった?」
「え?」
「可愛いからひいきされてる、みたいなこと。」
「あ。」
肯定はしなかったけれど、杏奈さんには伝わったみたい。白瀬さんと同じ課の杏奈さんは、普段から言われているのかも知れない。
「白瀬さん、いろいろあってさぁ、難しいひとなんだ。あんまり気にしないでね。」
「うん……、でも、白瀬さんの方がわたしより綺麗だよ? なのに、どうしてあんなこと言うのかなあ?」
「まあ、見た目の評価はひとそれぞれだからねえ。」
それよりも学歴のことを言われたのがこたえた。本当のことだから仕方がないけれど……。
(でも、宇喜多さんが助けてくれたから。)
あの心遣いが嬉しかった。
(今日も一緒に帰れるかな。)
短い時間でも、ふたりでお話しできると思うと嬉しい。




