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俺が真面目だとみんなは言うけれど  作者: 虹色
第一章 社会人になりました。
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07 予想とは違う…。


不慣れながらも日々は進んでいく。


担当の仕事以外にも細かいことがいろいろある。それらを教わるにあたり、蒼井さんにもらった用語の解説メモはものすごく役に立っている。やっぱり真面目に取り組むことは無駄ではないのだ。


配属されて三日目には窓口の練習があった。


原さんが窓口当番だったその日、俺も首から「研修中」の札を下げて一緒に座っていた。予想していたよりもいろいろな用件で人が来ることに驚いた。間違えて来る人もいれば、自分の用件がよくわからないまま来る人もいる。そういうお客様に、原さんは丁寧にいろいろな案内をしていた。区役所がサービス業だという意味が少しわかった。


四日目の今日は、電話に出てみる決心をした。


今日、蒼井さんは特に忙しそうだ。俺と一緒にやる仕事のほかに、一人の担当業務の締め切りが近付いているのだ。俺がまだ役に立たないので、二人でやる仕事も彼女の負担が大きくなっている。せめて電話くらいは俺が出て、少しでも蒼井さん――だけじゃないけど――の負担を減らしてあげたい。きのう、窓口の練習をしたので、少しは話の流れがわかるようにもなったし。


……と思ったけれど、なかなか手が出せない。手元の仕事をやるのに夢中になっていると、電話の音に素早い反応ができないのだ。……というのは言い訳で、本当は気後れの方が大きな原因かも。


ようやく三度目に右手を伸ばしたけれど、蒼井さんの方が早かった。でも、俺の気持ちは伝わったらしい。電話を切ってから、「次は出てみますか?」とやさしく訊いてくれた。それを聞いた原さんも、「取ったらフォローするから」と請け合ってくれた。


そうなったら、今度は目の前の仕事に集中できなくなった。今にも電話が鳴るのではないかと身構えてしまう。片方しかできないなんて、本当に情けない。


プルルルルル……。


(来た!)


原さんと蒼井さんの視線が集まる。二度目のコール音に入るときに向かい側からも視線が来て、大急ぎで受話器を取った。


「か、かもめ区役所税務課、……宇喜多です。」


いつの間にか立ち上がっていた。視界の左右に、俺を励ますようにうなずいている原さんと蒼井さんが見える。向かいの先輩たちは静かに仕事に戻った。


『ああ、ちょっと教えてほしいんですけど。』


(まず、どの税金のことか訊く。それから端末機で確認する。)


手順を思い出しながら「はい。」と答える。そのとき、右手に受話器を持っていることに気付いた。


(逆だ、逆!)


受話器を右耳に当てたまま、大急ぎで左手に持ちかえる。空いた右手でシャーペンをつかむ。


(さあ来い!)


『かもめ区役所ってどうやって行くんですか?』


(え!?)


その質問は予想外だった!


「ち、ちょ、少々お待ちください。」


保留ボタンを探す心の余裕が無い。大慌てで送話口を押さえて原さんと蒼井さんを見ると、二人ともじっと俺を見ている。


「あの、どうやって来ればいいかって訊かれてるんですけど……。」


蒼井さんはサッと何かに手を伸ばした。原さんが「まず、かもめ駅の近くだって言って。それから車で来るのか、歩きか訊いて」と言った。聞きながら、夢中でうなずく。


「お待たせいたしました。かもめ駅の近くなんですけど……、お、お車で、いらっしゃいますか?」


落ち着こうと椅子に腰かけているあいだに、机に地図が置かれた。蒼井さんが案内用の周辺地図を出してくれたのだ。


『あ、いいえ、かもめ駅から歩いて行きます。』

「かもめ駅から歩きですね?」


復唱すると、ほぼ同時に蒼井さんが地図上のかもめ駅を指差してくれた。原さんが小声で「東口だよ」と教えてくれる。


「まず、駅では東口に出てください。」

『東口ですね?』

「はい。それから……」


地図を見ながら、自分が朝に歩いてくる道を思い浮かべる。


「駅から出たら、ロータリーをまっすぐ抜けてください。そのまま歩くと大きな道路にぶつかります。」


自分の指で地図の道をたどって確認。交差点には信号のマークと「かもめ駅入口」と書いてある。道路には「国道○号」と。


「交差点の名前は『かもめ駅入口』です。そこを左にまがって、二つ目の信号の向かい……右手に、かもめ区役所があります。」


隣から蒼井さんが区役所の横をトントンとそっとたたく。


(ん? ああ!)


「ええと、隣に消防署があります。」

『ああ、それならすぐにわかりそう。東口に出て、大きな道路を左ね? どうもありがとう。』

「あ、いいえ、ええと」


(こういうとき、何て言うんだっけ?!)


焦っていて思い出せない。でも、何か言わないと。


「あの、お気を付けていらしてください。」

『え、ああ、ありがとう。じゃあどうも。』

「しつれい、いたします。」


言いながら勝手に頭が下がる。


(終わった〜。)


ほっとしてため息が出た。額と首が汗だくだ。


「ありがとうございました。」


ハンカチで顔を拭きながら、助けてくれた原さんと蒼井さんにまずはお礼を。


「いいえ。『お気を付けていらしてください』っていいですね。」

「年配のひとには言ってあげてもいいかもね。」


蒼井さんと原さんが和やかにうなずき合っている。褒められているようだけど、今はそれに反応する余裕が無い。でも、まずは無事に終了というところか。


プルルルルル……。


二人が「どうする?」というように俺を見る。


「出ます。」


こうなったら、勢いに乗ってどんどん出よう。


「はい。かもめ区役所税務課、宇喜多です。」


(よし!)


さっきよりも間違いなく落ち着いている。


『あ、土地の税金のね、ほらあれ、払う紙がなくなっちゃったんだけど、どうすればいいのかしら?』


年配の女性の声。納付書の再発行だ。きのう、窓口でやった。これなら俺にもできる!


「納付書……納める紙は、もう一度お作りしてお送りできますよ。」


声に余裕が出ていることが自分でもわかる。蒼井さんは安心した様子で自分の仕事に戻った。


「まずは確認いたしますので、お名前とご住所を教えてください。」

『名前はねえ、ハシモト△△コ。で、住所は葉空市かもめ区……』


メモも素早く書けた。「少々お待ちください」と保留ボタンを押し、原さんとの間にある端末機に入力。


「あれ?」


出て来ない。もう一度。やっぱり赤い字で『該当ありません』。焦る。


「出ない?」


原さんもメモを一緒に確認。


「土地の所有者かどうか確認してみて。」

「はい。」


なるほど。家族の持ち物かも知れない。


「お待たせいたしました。土地の持ち主のかたはハシモト△△コ様でお間違いありませんか?」

『ええ、そうですよ。毎年、あたしの名前で送られて来るんだから。』

「そうですか。申し訳ありません、もう少々、お待ちください。」


ドキドキしてきた。見つからなかったらどうするんだろう?


保留にしようとしたとき、検索を続けていた原さんが「どこの土地か訊いてみて」と言った。


(そうか!)


土地の税金は土地の所在地の市町村が管轄だから……。


「あのう、失礼ですが、その土地は葉空市内の土地ですか?」

『いいえ、北海道の。』


(北海道!?)


「北海道……ですか?」

『ええ、そうよ。』


(良かった〜。検索しても出て来ないわけだ。)


『ほら、父の土地を相続してねぇ、もうずいぶん経つんだけどねぇ。』

「はあ、そうでしたか。」


原さんも話の流れでわかったらしい。俺にうなずくと、自分の仕事に戻った。


「申し訳ないのですが、北海道の土地ですと、こちらではなくて、北海道の市役所が担当になるのですが。」

『あら? あたし、どこに電話してるのかしら?』

「あ、かもめ区役所です。」

『あらまあ、それじゃあしょうがないわねぇ。ごめんなさいねぇ。ええと、北海道に電話をしなくちゃならないわけね? 電話番号、わかるかしら……?』


最後は独り言のようだけど、調べてあげるべきだろうか。パソコンで検索すれば見つかるだろうけれど……。


「探してみましょうか」と言おうとしたとき、声が聞こえた。


『あ、去年のがあったわ。ああ、お問い合わせ先、これね。ここに連絡すればいいのね。』

「そうですね。おそらく納付書を再発行していただけると思いますよ。」

『ええ、そうね。はいはい、どうもありがとう。お世話かけましたねぇ。どうもね。』

「いいえ、失礼いたします。」


相手の切る音が聞こえたとき、安堵感で全身の力が抜けた。


「疲れた〜〜〜〜。」


思わず声が出てしまった。


「お疲れさま。」


(しまった!)


原さんの声で我に返った。


(仕事を中断して手伝ってもらってるのに!)


「いいえ、大丈夫です。ありがとうございました。」


早く一人前にならなくちゃ。原さんにも蒼井さんにも申し訳ない。


そのあともとにかく「習うより慣れろ」の決意で電話を取り続けた。その甲斐あって、午後にはもう呼び出し音だけでは緊張することはなくなった。原さんと蒼井さんも、俺が何かを尋ねるまでは仕事の手を止めなくなった。


「ちょっと売店に行きますけど、何か買ってきましょうか?」


蒼井さんが立ち上がってみんなに声をかけた。時計を見ると、午後四時を過ぎたところ。


「あ、じゃあ、オレンジジュース。」

「カフェオレがいいな。」

「冷たいお茶。」


みんなの注文をメモに書いてから、蒼井さんは俺ににっこり笑いかけた。


「あ、僕はいいで――」

「宇喜多さんも一緒に行きましょう?」


(あ……。)


「疲れちゃったでしょう? ちょっと歩きましょう。」

「そうだよ、行っておいで。」


原さんも言葉を添えてくれた。


「あ、はい。すみません。」


断るのは申し訳ない。それに、確かに疲れている。


急いで小銭入れを持って立ち上がる。蒼井さんは「階段でいいですか?」と言いながら先に立って下りて行く。


(いいひとだなあ……。)


しみじみと有り難く思った。


(俺、すごく恵まれてる。)


蒼井さんも原さんも、仕事も心もサポートしてくれている。


(先輩たちのためにもしっかりやらなくちゃ。)


気持ちをしっかりと引き締めた。そのとき。


「あんまり焦らなくていいんですよ。宇喜多さん、真面目だからちょっと心配です。」


振り向いた蒼井さんのやさしい言葉と幼い笑顔が心に沁みた。







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