67 海! その5
夜更けの静かなリビングルーム。花澤さんとの会話の思わぬ展開に、気持ちがなんとなく落ち着かない。
「蒼井はもう俺なんかいらないんだなあ……。」
「う……、そういうわけではないと思いますけど……。」
「仕方ないよなあ、十以上も離れてるんだから。年が近いヤツと一緒にいた方が楽しいよなあ?」
「ああ、その、年齢は……関係ないんじゃないかと……。」
やっぱり当てこすりを言われているような気がする。
「ええと……。」
こうなったら本当のところを聞いてみた方がいい気がする。そうじゃないと、俺もどうしたら良いのかまったくわからない。
(そうだよ。聞いてしまおう。)
「あの。」
「ん〜?」
「花澤さん、蒼井さんのこと、待っていたんですか?」
「は? 待ってた?」
「前みたいに花澤さんのところに来ることを。」
花澤さんは笑いながら横を向いて椅子に寄りかかった。
「はは、そんなわけ無いだろう? ただ、無事でやってるか確認してただけだ。」
(要するに見てたんだ。ずっと。)
そして、あんまり来なかったことを気にしている。と言うことは。
(やっぱり待ってたんじゃないか。)
「一年で培った関係なんて、ほんの三か月程度で無くなっちゃうんだなあ……。」
(ほら。)
こんなにがっかりしている。もともと大事にしていたことは知っていたけれど。
(あのときは、俺と宗屋に「頼む」って言ってたのに……。)
離れているあいだに愛しく思う気持ちが育ったりしたのだろうか。それで今回の旅行を楽しみにしていたとか? そのうえ、あの可愛らしい水着姿を見て……。
「あ、あの……、今、ですね、」
「んー?」
気だるげな視線を向ける花澤さんに尋ねる言葉を大急ぎで探す。
「あ、蒼井さんのこと」
でも、どう訊けばいいんだろう。
「どう思ってます?」
(単刀直入だよ!)
自分でも呆れてしまう。本当に俺はど真ん中だ。いつか宗屋に言われたように。
「今……? そうだなあ……。」
(怒らなくて良かった……。)
尋ねた理由を訊き返そうともしない。ということは、俺に嫉妬など感じていない? 蒼井さんに対して恋愛感情は――。
「未来の予行練習かな。」
「え? 未来……ですか?」
予想と違う言葉が。
「ほら、娘を持った父親の。」
「娘?」
「よくあるだろう? 娘を嫁に出す父親って。あれはこういう気持ちなのかなあ……って。」
(娘……。)
「花澤さん、娘さんがいらっしゃるんでしたっけ?」
「んあ? いや、まだだ。冬に結婚するんだけどさ。」
「え? そうなんですか? それは……おめでとうございます。」
「おう、ありがとう。」
(そうか。花澤さんには結婚を約束した相手がいるのか。)
だとすると、蒼井さんのことは本当に恋愛感情じゃなく、娘のように思ってたってこと……なのか?
「おい、宇喜多。」
「え、はい。」
(あれ? なんだか……。)
花澤さんの目が据わってる気がする。
「蒼井を泣かせたら承知しないぞ。」
「え、ええ。それは……もちろん、そんなことはしません。」
そんなこと俺がするわけがない! だけど。
(そのセリフ……。)
「そうか。その言葉を信じるぞ。生涯かけて、蒼井を幸せにするんだぞ。」
言いながら、花澤さんは身を乗り出して俺の腕をつかんだ。
(すっかり入り込んじゃってる……?)
「生涯かけて」なんて、ただの職場の後輩を託す言葉じゃない。蒼井さんを大切に思っていたのは本心なのだろうけど。
(でも……。)
「いいか? わかったな?」
「は……、はい。」
なんだか神聖な気分になってきた。
「はい。約束します。」
そうだ。約束する。俺の気持ちはすでに決まっているのだから。
「蒼井さんを必ず幸せにします。」
花澤さんがニヤリと微笑んだ……と思ったら、そのままテーブルに突っ伏してしまった。
「あれ? 花澤さん? あの……、花澤さん?」
肩を揺すってみる。すると「ん……」と小さく返事をしたけれど、顔を横に向け直しただけ。
(あれれれ……。)
どうやら本当に眠ってしまったらしい。
(酔っ払ってたのか……。)
どうりで話が飛躍してたわけだ。
(ずーっと飲んでたもんなあ……。)
夕飯の時から飲み始めて、花火の時も、もちろん宴会でも。さらに、こうやって最後まで。
(まあ、夏だから風邪をひく心配は無いか。)
窓とカーテンを閉めて、タオルケットを掛けておいてあげればいいだろう。あとは酒とグラスを片付けて。
(どこまで本気だったんだろう?)
父親の気分? 俺に約束させたこと?
(よく考えたら、ずいぶん気が早いんじゃないか?)
今の蒼井さんは単に「親離れ」した段階ではないだろうか。まだ恋人も紹介されていないのに、いきなり「嫁に出す」だなんて。
やっぱりかなり酔っ払っていたに違いない。明日になれば忘れているかも知れない。
(うん。そうだな。)
……できれば、最後の俺の言葉は忘れていてほしいな。本心だけど、恥ずかしいから。
でも、淋しいというのは本当にあるのだろう。もしかしたら、俺に嫉妬も感じていたかも知れない。俺が花澤さんに嫉妬していたように。
(ねえ、蒼井さん。)
グラスを洗いながら、心の中で呼びかけてみた。
(花澤さんは、蒼井さんのことを本当に大切に思っていたんだよ。一年間、大事に育てていたんだよ。)
もちろん、蒼井さんはそれを感じ取っていたのだ。だからあんなに信頼していたのだと思う。
(今度は俺が引き継ぐよ。)
花澤さんのように育てることはできないけれど。
(一緒に歩いて行こう。ずっと。)
生涯かけて……と言ったら、微笑んで受け入れてくれるだろうか。
リビングの灯りをさらに落として廊下に出た。思い出して、ポケットからスマホを取り出す……と。
(蒼井さん……。)
メールが届いていた。
(忘れていなかったんだ。)
気持ちが通じ合っていたような気がして、胸の中が温かくなった。
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遅くにごめんなさい。
たくさん心配をおかけしてすみませんでした。お話しする時間が取れなかったので、とりあえずメールで報告します。
今日、前下さんに謝られてしまいました。わたしが前下さんを避けたがっていたことに気付いていたのです。
わたしの方が失礼な態度だったと思うし、本当に申し訳なかったと思っています。
両方で謝ってから、前下さんが思っていたことを話してくれました。花澤さんとわたしの関係をうらやましく思っていた、と。だから、転出した花澤さんの代わりになりたかったそうなのです。
でも、花澤さんは花澤さんで、前下さんは前下さんです。誰かが誰かの代わりになることはできないと思うのです。そう、前下さんにお伝えしました。
それからついでに…と言ったら変ですが、「前下さんのカッコいいところが苦手です」と、言ってしまいました。そうしたら、前下さんは爆笑して、すっかり元気になりました。そんなふうに、遠慮なく言ってほしかったと言って。
前下さんは外見のせいで、少し淋しい思いもしているようでした。そんなことまったく思ってもみなかったので、驚きました。
前下さんの気持ちがわかって、わたしも正直に話すことができて、とても気持ちが楽になりました。
宇喜多さんには本当にご心配をおかけしました。前下さんに関しては、もう大丈夫だと思います。
でも……、たぶん、まだいろいろと不安になることがあると思います。そのときはまた、よろしくお願いします。
蒼井春希
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(良かったね。)
いつの間にか微笑んでいた。
(蒼井さんの真心が通じたんだよ、きっと。)
前下さんのことであんなに悩みながらも、「悪いひとじゃない」と言い続けていた。傷付けたくないと思っていた。それが前下さんにも通じたのだろうし、たぶん、蒼井さんのそんなところも前下さんは好きだったのだと思う。
(誰かが誰かの代わりになることはできない……か。)
そのとおりだ。
俺だって花澤さんの代わりになることはできないのだ。人と人との関係は、出会った瞬間からそれぞれの中で新たに育って行くものだから。
だから、出会いの一つひとつを大切にしなくちゃならないのだと思う。
『俺の方こそ、よろしく。』
返信に記した。
できれば末永く、いつまでも。
部屋に戻って布団に入った。適度な疲労感もあって、今夜は気持ち良く眠れそう――。
(うるさいな!)
宗屋のいびきが大きすぎる!
せっかく幸せな夢が期待できそうなのに!




