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俺が真面目だとみんなは言うけれど  作者: 虹色
第五章 大事な大事な蒼井さん。
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65 ◇ 浜辺の告白 ◇


「あ、そこ、石があるよ。気を付けて。」

「はい。」


星明りの中、足元の黒い影をまたぐ。サンダル履きの足を下ろすと、ザ…、と音がする。そして、すぐ前には前下さんの後ろ姿。


(大丈夫なのかなあ……。)


一歩踏み出すごとに考えてしまう。断った方が良かったんじゃないかって。


(だけど、断れない雰囲気だったんだよね……。)


花火が終わって、片付けをしようと思っていたとき。「ちょっと下に降りてみない?」と声がかかった。見上げたら、前下さんが微笑んでいた。


これはマズい、と思った。


断る言葉を探しているうちに、前下さんはさらに「何もしないよ。少し話がしたいだけ」と言った。


そこで迷ってしまった。普段と違う、自信の無さそうな微笑みを浮かべて言われたから。


答えられないでいるうちにコテージのドアが閉まる音がして、みんなの声が途切れた。そのことがわたしに覚悟を決めさせた。いざとなったら、自分の気持ちをはっきり言おう、と。


(まあ、確かに何もされて無いけど……。)


下りの小道で「手を貸そうか」とも言われなかった。フェミニストの前下さんなら簡単にそんなことを言いそうなのに。もちろん、言われても「大丈夫です」ってお断りするけれど……。


「けっこう明るいもんだね。」


立ち止まった前下さんが海を見て言った。


「そうですね。」


適度な距離を開けて隣に立ち、わたしも同じように海と空をながめる。


(静かだ……。波の音だけ。)


ザザ……ン、ザザ……ン、と波が寄せて来る。夜の海は黒くてつやつや光っている。頭上にはガラスの粉をまいたような星空が黒い海を追いかけるように遠くまで続いている。


しばらくそのまま、並んで海を見ていた。


「なんか……ごめん。」


静かな声がした。


突然の謝罪に驚いて隣を見ると、前下さんもこちらを向いて微笑んだ。さっきのように、少し淋し気に。


「俺、迷惑だったよね? ごめんね。」


ギュッと胸をつかまれたような気がした。


「あ……、そんな…ことは……。」


後悔が押し寄せてきた。


(態度に出ちゃってたもんね……。)


申し訳ない気持ちで胸の中がいっぱいになる。


(傷付けちゃったんだ……。)


前下さんは悪くないのに。いいひとなのに。


「すみません……。」


謝らなくちゃいけないのはわたしの方だ。失礼な態度を。


「やだなあ、蒼ちゃんが謝ることないよ。俺が勝手に付きまとったんだから。あはは。」

「付きまとったなんて、そんな……。」

「いや、あれはそう言っていいと思うよ。自分でもそう思ってるし。」


そう言われても、わたしとしては肯定しづらいけれど……。


「俺さあ」という言葉に、あらためて前下さんを見上げる。


「憧れてたんだよね、花澤さんと蒼ちゃんの関係にさ。」

「花澤さんとわたし、ですか?」


前下さんは真っ直ぐに海をながめている。海と空のずっと奥を。


「蒼ちゃん、花澤さんにときどき容赦なくいろんなこと言ってただろ? それが羨ましくてさあ。」

「え……。」


そのくらいのこと、よくあるように思うけど。むしろ、わたしがそういうことをした、というのが珍しいところで。


それに、花澤さんはべつに喜んでなんかいなかった。女性の憧れの的である前下さんがそんなことを羨ましがる必要なんか無いと思うのだけど。


ぼんやり見上げているわたしを前下さんが笑った。


「俺、そういうことされたことが無かったから。」

「え、そうなんですか?」

「こう言うと自慢してるみたいに聞こえると思うけど、みんな、その……俺に気に入られようとするって言うか。」

「ああ……、そうですよね……。」


近付いてくる女の子たちのこと、ちゃんとわかってるんだ。それでも嫌な顔をしないんだから、やっぱり優しいんだね。


「でなければ、一歩引いちゃってるか。」

「ええ……。」


それはわたしのことだな……。


「気軽に馬鹿にしたりけなしたり……、そういう相手がだんだんいなくなっちゃって。俺も本音を言いにくくなって。」

「そう…ですか?」

「うん。まあ、当たり障りのない冗談なら言い合うこともあるよ。でも、基本的には何にでも同意されちゃうみたいな。もっと俺の欠点とかね、ガツンと言ってほしいな、って思うこともあるんだけど。」

「そうだったんですか……。」


なんだか孤独だなあ。誰にでも好かれている人なのに。


たぶん……特に女性は、前下さんは完璧だと思ってる人が多い。見た目も性格もそうだし、仕事やスポーツも、何をやってもよくできるから。


でも、もしかしたら、前下さんはそういう期待に応えるためにとても努力しているのかも知れない。周りの人には才能のように見えることも本当は……。


「だから、花澤さんが羨ましくて。」


海をながめる前下さんの横顔がいつもよりもやわらかく見える。少しぼんやりして、憧れとあきらめが入り混じった微笑みで。


「かなり年上の花澤さんに遠慮なくぽんぽん言ってる蒼ちゃんが、ほかの女の子たちとは全然違って見えたんだ。」

「生意気ですよね……。」


自分でも少しはわかっていた。けれど、他人からはっきり指摘されると一層申し訳なくなる。


「あははは、それはそうだけど、蒼ちゃんはちゃんと限界をわかってただろ? それにああいうのは、蒼ちゃんが花澤さんに懐いてる証拠だからね。」

「う……。」


(懐いてる……か。)


そうか。そう言われてみると、そうだったかも。自分ではきちんと距離を置いているつもりだったけど。


(甘えていたのかなあ……。)


花澤さんならこのくらいのことでは怒らない、なんて思っていた。それはわたしが花澤さんのことをよくわかっているからだと思っていた。


けれど、本当は甘えていたのかも知れない。だから花澤さんの昇任が決まったときは嬉しい半面つらくもあって、独り立ちの覚悟を固めなくちゃならなかった……。


「花澤さんが異動したら」と、前下さんが続けた。


「俺が花澤さんの代わりになろうって思ってた。蒼ちゃんなら俺の見かけのイメージを飛び越えて、本音で相手をしてくれるって思ったから。それに、花澤さんの代役を引き受けられるのは、区役所の中では俺しかいないって思ったし。でも……、ダメだったね。」


淋しそうに視線を落とす前下さん。


「蒼ちゃんが俺に馴染まないのは恥ずかしがっているからだって思おうとしたりもした。でも、心の底ではそうじゃないってことをちゃんとわかっていたんだ。蒼ちゃんは俺のことが苦手なんだよね。なのに……本当に、ごめん。」

「あ……、いいえ……。」


こんなふうに気持ちを正直に話してもらったのは初めてだ。それなら……わたしもきちんと伝えないと。


「花澤さんのことは……なんて言うか……。」


花澤さんがいなくなる前後、自分にどれほど「大丈夫」と言い聞かせたことだろう。不安と淋しさでいっぱいだったけど、花澤さんに受けた恩を返すためにしっかりと独り立ちした姿を見せようと決めて……。


「花澤さんの代わりはいらないんです。いらないって言うか、誰も代わりにはなれないんです。花澤さんは花澤さんだから。」


そう。未熟だったわたしを社会人として育ててくれたひと。尊敬する、大好きな……恩人。


わたしの言葉を聞いて、前下さんがクスリと笑った。


「花澤さんは花澤さん、そして、俺は俺……ってわけか。そりゃそうだよね。」


微かに投げやりな様子がとても悲しくなった。


「わたし」


今、言わなくちゃ、と思った。すると、不思議なことに微笑みが浮かんだ。


「前下さんはすごいなって思ってます。仕事ができて、テニスも上手で、親切で性格もいいし。本当にカッコいいです。」


わたしの褒め言葉に前下さんが目を丸くする。


「でも」


そこで思わず笑ってしまった。


「わたし、そこが苦手なんです。」


一瞬後、前下さんも笑い出した。あんまり笑うので、少し困ってしまうほど。仕方がないのでもう一言付け加えた。


「だって、あんまり完璧すぎますよ? 近寄り難いです。」

「ああ、正直に言ってくれて嬉しいよ。」


ひとしきり笑ったあと、前下さんが言った。


「そんなふうに言ってほしかったんだ。そんな顔をして。」


(「そんな顔」って……。)


「前と違いますか?」

「うん。全然違う。」


確かに今は気持ちが軽い。警戒心もほとんど消えているし。


「戻ろうか。」

「はい。」


自然と隣に並んで歩き出した。今度は会話も苦しくない。隣に並ぶことも。


「蒼井さん!」


小道にたどり着いたとき、上から声がした。あれは――。


(宇喜多さん?)


斜面を見上げると、小道を人影が走り降りて来る。


「ああ、心配させちゃったね。」


前下さんがつぶやく間にもどんどん近付いて――。


「うわっ、とっ、とっ、ととっ――」


(え? え? ひゃあ?!)


あと少しのところでバランスを崩した。


(こんなところで転んだら岩が! 血が! どうしよう?!)


「はい、ストップ。」

「わ。」


ザザッという音がして、目の前の動きが止まった。前下さんが宇喜多さんを受け止めてくれたみたい。


「どさくさに紛れて蒼ちゃんに抱き付こうなんて十年早いよ。」

「えっ?!」

「抱き?! い、いいいいいえ、そんな!」

「それとも狙いは俺かな?」

「えぇっ?!」


前下さんにすがりつくような態勢だった宇喜多さんが慌てて飛びのいた。その勢いで、今度はしりもちをついて。


「くくっ。あっははははは!」


その慌てぶりに前下さんが豪快に笑い出した。本当に楽しそうに。それを聞いたらわたしも気持ちが晴ればれとして、口が勝手に動いてしまった。


「宇喜多さんて周りに女性の気配が無いと思ったら、実は男性がお好みだったんですね?」

「あ、蒼井さん?!」

「大丈夫です。わたし、そういうところは気にしませんから。もしも宇喜多さんが心が女性だったとしても……もしかしたら、その方が仲良くできそうな気がします。」

「い、いえ、あの」

「俺も宇喜多くんなら真剣に考えてみるよ。」

「ああ、けっこうお似合いかも知れませんね。」

「だよなあ?」

「ああ、いえ、そんな……。」


宇喜多さんをからかいながら、コテージまでの小道を楽しく歩いた。心配してくれた宇喜多さんに心の中でたくさん感謝をして。


(あとでちゃんと説明しなくちゃ。)


心配をかけたお詫びを言って、それからたくさんお礼も言おう。







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