63 ◇ 怖くて楽しい海遊び ◇
(とりあえず、宗屋さんだけでも平気になって良かった。)
宗屋さんの背中を追いかけながら思った。
(ショック療法みたいなものかな。)
まるで荷物のように肩に担がれたものね。あれで宗屋さんの背中とはしっかり親しんだ。
(なんだか大丈夫な気がしてきた。)
宗屋さんが平気なんだから、ほかの人たちだってきっと大丈夫。
「蒼ちゃ〜ん! やっと来た〜〜〜!」
「こっちこっち〜〜!」
「蒼井! 早く来いよ!」
みんなが笑顔で呼んでくれてる。
(待っててくれたんだ……。)
一人でいたいなんて思っちゃいけなかった。宗屋さんが言ったとおり、本当にわがままだった。
「お待たせしま」
(うわ、波が。)
立ち止まると、寄せてきた波があっという間にふくらはぎまで上がってきた。足元を見たら、透き通った水の中に自分の足が見える。
(気持ちいい!)
海水の冷たさも、波の力強さも、砂に足がめり込む感触も。
(やっぱり楽しいかも!)
学校のプールとは全然違う。塩素の匂いがしないし、水が動いてる。
みんなの方に走りながら波をわざとバチャバチャ跳ね飛ばしてみる。ただそれだけのことが楽しくて、ひとりでに笑い声が出てしまった。
「蒼井、ほら!」
花澤さんの威勢の良い声。顔を上げたら黄色い浮き輪が飛んできた。つかまえると、「ナイスキャッチ!」と声がかかった。
「これ、使っていいんですか?」
「おう。どうせ泳げないんだろ?」
「泳げますよ。泳げるけど、海は怖いです。」
(花澤さんも大丈夫だ。)
少し離れているせいかも知れないけど、見てもあんまり恥ずかしくない。
「蒼ちゃん、浮き輪が似合うなあ。」
「その髪形もそうだし、全体的にうん、まあ……。」
前下さんが笑い、鮫川さんはにやにやしながら言葉を濁した。
「『子どもっぽい』ってはっきり言ってもいいですよ。」
(この二人も大丈夫。)
胸の中でこっそり確認。子どもっぽく見られたことにもほっとした。
「蒼ちゃん、こっちおいでよ〜!」
杏奈さんたちはいつの間にか少し奥に進んで、胸のあたりまで海に浸っている。
「はーい!」
もらった浮き輪を頭からかぶり、腰のあたりに抱えて海へと突撃! ザブン、と寄せてきた波がしらをやり過ごし、戻る波に乗るようにそっと浮き輪を浮かべて足をあげてみた。
(うわあ! 浮いた!)
頼りなく見える浮き輪はちゃんと役目を果たしてわたしを支えてる。それを左右からしっかり抱え、半分浮かんだり飛び跳ねたりしながらビーチボールで遊んでいる杏奈さんたちの方へ。
「蒼ちゃん、行ったよ〜!」
「はーい!」
目の前に着水したビーチボールを笑いながら片手で追い払うように飛ばす。ボールは武智さんの頭を越えて飛んで行き、鮫川さんが泳いで追いかけて行った。
(良かった……。)
宗屋さん以外の男の人を見ても恥ずかしくない。自分の水着姿も気にならない。あんなに心配したりごねたりする必要なんか、全然無かったんだ。
(そう言えば、宇喜多さんはどこ?)
迎えに来てもらったのに、ちゃんとお礼を言ってない。今なら落ち着いて言えそうな気がするから……。
(あ、いた。)
杏奈さんと彩也香さんの向こう側。イルカの浮き輪を抱えた二人に水をかけられてる。肩や胸にかかった水がキラキラと光って……。
(な、なんか……やっぱり……。)
直視できない。恥ずかしい。
(どうして……?)
「姫! ほら!」
「あ。」
飛んできたビーチボールに慌てて両手を出す。ボールはうまく手に当たって杏奈さんたちの方に飛んで行った。それを宇喜多さんがジャンプしてつかまえた。
(み、見ちゃった。)
さり気なく目をそらす。
スリムな体。服を着ているときとギャップがあるわけじゃない。なのに、どうしてこんなにドキドキしちゃうんだろう。
(あ……。)
彩也香さんと内緒話をしてる。違う? にぎやかで声が聞こえにくいから顔を近づけただけ?
「蒼ちゃん!」
呼ばれてハッとした瞬間、ぽよ〜ん、と頭にビーチボールが当たって飛んで行った。
「あ、すみません!」
浮き輪の中で向きを変えて追いかけて。でも、隣にいた宗屋さんが先にボールに飛びついた。バシャン! と派手にしぶきが上がる。後ろから笑い声が聞こえる。
「姫、行くぞ!」
「え、あ。」
おろおろしているうちに、宗屋さんが投げたボールが額に当たった。
「アウト! 蒼井は外野!」
花澤さんの掛け声がきっかけになって、今度はコートの無いドッジボールが始まった。
「杏奈ちゃん、当てちゃえ!」
「鮫川さん、パスパス!」
「取った〜!!」
「わはははは!」
「きゃ〜! やめて!」
みんながボールを取ろうとし、避け、水に潜ったり転んだりしてる。ボールを追ってぶつかりそうになることも。でも。
宇喜多さんとはちっとも近くにならない。
こんなに入り乱れて騒いでいるのに、宇喜多さんとは一度も鉢合わせていない。鉢合わせどころか、視線だって合っていない気がする。
(偶然? でも……。)
不安になってしまう。今までは、前下さんがいる場所では必ず近くにいてくれたのに。今日は危険は感じないけれど。
(あんなこと言っちゃったせいかな……。)
近付いたらわたしが恥ずかしがるからと思って離れていてくれてるんだろうか。それとも、わがままだって呆れられちゃったのかな……。
(?!)
伸ばした足が何にもさわらない……?
(え、深いの? いつの間に?)
さっきまではギリギリで底に届いていたのに。確かにみんなから少し離れてる。
(やだ。怖い!)
わたしだけ流されてるの? 浮き輪から落ちちゃったらどうしよう。落ちなくても、海草が足にからまるとか、クラゲにさわっちゃうとか……。
(早く戻らなくちゃ。)
慌ててバタ足をしてみる。けれど、波のせいなのか、浮き輪が邪魔しているのか、思うように進まない。今にも何かが足にさわりそうな気がして怖い。みんなはほんの数メートル先にいるのに。
(あ。)
ボールが少し先に落ちた。それを目指して必死で足で水を蹴る。
「蒼ちゃーん! がんばれー!」
わたしが必死だとは知らない彩也香さんが手を振って応援してくれた。ほかのみんなもこっちを見てる。
(よし。あと少し。え?)
バシャッと音がして、ボールの横に花澤さんがいた。…と思ったら、「行くぞ!」と叫んでボールを向こうに投げ返した。みんなの視線もそれを追って向こうへ。
(花澤さん、助けて!)
心配させたくないから声は出せない。でも、必死なことに気付いて!
「蒼井も早く来いよ!」
振り返って言うと、花澤さんはあっという間に戻って行った。
(ああ……。)
気付いてもらえなかった。それに、これでも急いでるのに。バタ足ももう疲れちゃったのに。
(もしかして、足が届くのかな?)
花澤さんは立っていたようだったし……。
「ぶふ…っ」
浮き輪から抜けそうになった! まだダメだ!
(早く。)
どうしよう、流されたら。この浮き輪だけは絶対に離さないようにしないと。
(あ。)
今度は右側にボールが。でも、もう疲れて向かう気力が出ない。
(ああ、宇喜多さんだ……。)
笑いながら投げ返した。そのままこっちを見て。
(あれ……?)
もしかして、来てくれてる? 顔を出したまま滑らかに泳いでくる。
「もしかしたら……困ってますか?」
「はい!」
止まって尋ねた宇喜多さんに思い切り返事をして手を伸ばす。
「そこっ、足着きますかっ?」
尋ねながらバタ足を再開。宇喜多さんは何か返事をしながら、伸ばした手をつかまえてくれた。ほっとして足を着こうと――。
「がふっ?」
(まだダメだ!)
「蒼井さん!」
慌てた宇喜多さんが腕を引っ張ってる。
「ごほっ、なんで?」
叫びながら浮き輪によじ登り、宇喜多さんの腕を両手で抱えた。
(もう絶対に離さない!)
安全なところまで連れて行ってもらわなくちゃ!
「宇喜多さんは立ってるのに……。」
「これは立ち泳ぎだけど……、蒼井さん、あの――」
「垂直になって水に浮くなんて、自然界の法則的に変です!」
(え?)
ふくらはぎに何かが――。
「やだやだ! 足に何かさわった! クラゲとか変な魚かも!」
「うわ、そんなことしたら動きにく――」
「早く足が着くところに行ってください! 怖いから!」
「あぶな、ちょっと待って、わかっ、ぷは。」
「早く早く!」
「これじゃ、がほっ、泳げないって、ちょっと。」
大騒ぎなんてみっともないってわかってる。でも怖い。
「蒼井! 宇喜多を溺れさせる気か?」
「あははは! 姫〜、やっちまえ〜!」
「蒼井さん、大丈夫だから! 引っ張ってあげるから、ちゃんと浮き輪につかまって。ね?」
(浮き輪? あ。)
目の前には宇喜多さんのむき出しの肩。その肩に、まるで幽霊が憑りついたようにしがみついている自分。
「ご、ごめんなさい。」
急いで、でも宇喜多さんを離さないように気を付けながら浮き輪に戻る。そのあいだ、宇喜多さんは神妙な顔でちゃんと浮き輪を支えていてくれた。
「じゃあ、引っ張るよ。」
「はい。」
すい……っと浮き輪が動き出す。ふと思いついて、そうっと後ろ向きになってみた。力を抜くと体が浮いて、引かれていく感じにほっとした。
(さわっちゃった……。)
ぼんやりと空を見ながら思い出した。
宇喜多さんの肩と背中。
見るのも恥ずかしいと思ってたのに。さっきは海の中に何かがいそうで、恥ずかしさよりも気味悪さで夢中だったから……。
(まあ……いいよね、あれくらい。)
宇喜多さんだって気にしていないようだし。
そもそもわたしの水着姿にもあの程度の反応だったのだから。さわられたって、どうってことないに決まってる。
目を閉じると波の音を背景にみんなの楽し気な声。
(気持ちいい。)
太陽の熱。水のやわらかさ。波はゆりかごみたい。
(海にいるんだなあ……。)
職場ともテニス部とも違う。ずーっと遊んでいるだけ。それが明日も続く。
(いつもとは違う。)
違うけど、やっぱり。
宇喜多さんはピンチに助けに来てくれた。
「ここなら足が着くよ。」
宇喜多さんの声が聞こえた。
(ホントだ。もう怖くない。)
でも。
「宇喜多さん。」
後ろ向きで浮き輪につかまったまま顔だけ振り向ける。
「ん?」
「もっと。」
「え?」
「もっと引っ張って。気持ちいいんだもん。」
宇喜多さんならきっと笑ってオーケーしてくれる。
「ははっ、どうぞ、いくらでも。」
ほらね。
「ありがとう。」
宇喜多さんの笑顔がまぶしい。




