57 なるほど…。
「―――っていうわけでさ。俺はどうするべきだと思う?」
昨夜からの出来事を順を追って話した。途中までは蒼井さんの反応を思い出して楽しかったけれど、今日の帰り道で彼女に断られた部分にきたところで、また落ち込んでしまった。
『話はだいたいわかったけど……、宇喜多が悩んでいる理由がわからない。いったい何を悩んでるんだ?』
「だから、二人で出かける約束を取り消すべきかって。」
『お前、行きたくないのか?』
「まさか! 行きたいよ!」
思わず声が大きくなった。
「せっかく約束したんだから、行きたいに決まってるだろ!」
『じゃあ、行って来ればいいだろう?』
「だけど、蒼井さんは本当は行きたくないかも知れないし……。」
『なんでだよ?』
「だって……断られたから。」
『宇喜多ー……。』
電話の向こうから「はぁ……」とため息が聞こえた。
『さっきの話のどこで『断られた』ってことになるんだよ?』
「え? 今日も明日も用事があるって。俺が言う前に、明日のことまで言われたんだぞ?」
『その前に、お前は誘ってないだろうが。』
「誘ったと同じだよ。」
『今日の予定を訊いただけだろ? それのどこが誘ってんだよ?』
「誘ってるだろ? これからの予定が無かったら一緒に行動するってことなんだから。」
『そんなこと一言も言ってないだろ。それは誘いじゃない。ただの暇つぶしの世間話だ。』
「そんなこと無いよ。なんてこと言うんだよ。」
あんなに思い切って言ったのに!
心臓がバクバクして、震えそうになる声を懸命に抑えていたのだ。それほど頑張ったのに。
『でも、お前は『一緒にどこかに行こう』とは言ってないんだろ?』
「それは……まあ、そうだけど。」
そんなこと、恥ずかしくて簡単に言えるわけが無いじゃないか。
「でも、きっと蒼井さんは話の流れを読んで――」
『無理だ。』
すっぱりと否定された。
『お前みたいなヤツにクソ真面目な顔で今日の予定を訊かれても、まさか誘うつもりだなんて気が付くわけが無いだろう?』
「そんなに真面目な顔なんてしてなかったよ……。」
緊張していたからもしかしたら……だけど。
『それになあ、そういう返事が返ってきたときは、『残念だなあ。美味いケーキ屋があるんだよ』くらい言ってみりゃあいいんだよ。』
「美味いケーキ屋なんて知らないよ。」
『何の店でも、べつに店じゃなくてもいいんだよ、興味がありそうなものなら。』
なるほど。さすが相河だ。
「でも、それでも断られたら?」
『相手の断り方によるな。』
「断り方?」
『そう。残念そうにしているか、あっけらかんとしているか。本当に都合が悪いだけってこともあるし、断れてほっとしているってこともある。』
確かにそうだ。
「どうやって見分ければいいのかな?」
『そんなの説明できないよ。』
相河の呆れたような声がする。
『相手の気持ちっていうのは、表情とか口調とか視線とか、全体で察するしかないんだぞ? 性格によっても違うだろうし、絶対に間違いない見分け方なんて無いよ。』
「そうなんだ……。」
思わず今度は自分がため息をついていた。
「難しいんだなあ……。」
つぶやくと、『おまえさあ』と相河もため息をついた。
『高校生のときはもっと積極的だったよなあ?』
「そうだっけ?」
『そうだよ。いつの間にか葵と仲良くなってただろうが。』
「そう言えば……。」
確かに相河や尾野を出し抜こうと努力していたかも。
「若さってすごいなあ……。」
高校生のころが遠い昔のように思える。
『俺は同い年だけど、今でも十分に若いつもりでいるがな。』
「ははは、相河は確かに若さを満喫してるって感じだな。」
『それはアレか? 俺がチャラい男に見えるって意味か?』
相河の軽い挑戦を笑って受け流す。そう見えていることは本人は承知していて、けれど実際の性格は、親切で目配りが効くしっかり者なのだ。
『まあさあ、酒の力だとは言え、せっかくデートの約束をしたんだから、とにかく行って来いよ。』
「うん……、そうだな。」
やっぱり断るなんてもったいない。
「うん。行ってくるよ。」
『そうだそうだ。しっかりしろよ。』
それに、思い出してみると、今回のは蒼井さんが俺のためにお弁当を作ってくれる話から始まった企画だ。断ったりしたら、蒼井さんの気持ちを無にすることになってしまう。
「あ、それでさあ、」
『んー?』
「出かけたときに、蒼井さんに俺の気持ちを伝えるべきだと思うか?」
『今度はそんなこと訊くのかよ? あ、でも……。』
何かあるのか?
『やめておいた方がいいな。』
「やっぱり……。」
ダメな可能性が高いから……。
『そう落ち込むなよ。葵の話を聞いた様子では、まだ早いんじゃないかと思っただけなんだから。』
「葵の話?」
『うん。宇喜多は頑張ってるみたいだけど、姫ちゃんは気付いてないみたいだって言ってたよ。』
「な、何だよ『頑張ってる』って。俺はべつに、そんなには――」
『まあ、いいからいいから。お前の頑張り具合なんかたかが知れてるよ。それに、石橋を叩いても叩いても疑いが晴れないで首ひねってる状態じゃ、カッコ良くコクれないぜ。』
「そう言われると……。」
非常に情けない。
『それにさ、相手が職場の先輩だと、俺たちみたいな新人は『仕事は半人前のくせに手だけは早い』なんて言われる可能性だってあると思うな。』
「あ……。」
『まあ、お前は仕方ないとしても、お前のミスのことで姫ちゃんが言われるかも知れないだろ? 秘密にしていても、そういうことってウワサになるし。だから、もう少し待った方がいいと思う。』
「うん、わかったよ。そうする。」
告白しなくていいなら、その方が気楽で簡単だ。
『だけど宇喜多、ちゃんと自分の位置は保っておくんだぞ?』
「位置?」
『そう。友だち以上、恋人未満ってやつ。』
「それって、どれくらいの感じ?」
『えぇ? 言葉通りだよ。普通の友だちよりも仲が良くて、でも恋人ってほどではない。』
普通の友だちよりも仲が良くて……。
「葵くらいかな?」
『はあ?!』
「だからほら、友だち以上――」
『お前と葵はただの友だちだろ。』
「え、そうかな? 俺たちかなり――」
『『俺たち』とか言うな! お前、本当はまだ葵のこと狙ってんのか?!』
「え?」
そうか。
失敗した。相河はヤキモチをやいているんだ。
「ごめん。そんなつもりで言ったんじゃないよ。ただ、葵が女子では一番仲がいいから、当てはまるなら……と思って。気持ちは友情だけだから。」
『……ならいいけど。』
誤解が解けて良かった。でも。
「だけど恋人未満って――」
『うんうん、そうだなあ。宇喜多だもんなあ。』
なんだかひどく面倒くさそうな……。
『今の状態だ。』
「え?」
『今の、お前と姫ちゃんの、そのくらいの関係。わかったか?』
「まあ……何となく……。」
これ以上は答えるのが面倒だと言われていることはわかった。
『それより、もう海には行ったのか?』
「え? 今度の連休だけど……、どうして知って、ああ、葵か。その話もしたんだなあ。」
『って言うよりも、それに関係する場所で会ったんだよ。』
「海に関係する場所? さっきは買い物って……?」
俺が答えを出せないことを確認する間をとってから、相河の声が聞こえた。
『水着だよ。』
「へ? み?」
『み、ず、ぎ。葵たちの買い物。』
「あ! 俺も買わなくちゃ!」
『お前、そっちの反応かよ?』
相河がまた呆れた様子で言った。
『二人がどんな水着を買ったのか、興味が無いのかよ?』
「あ、いや、そんなことはないけど……。」
言われてみれば、確かに気になる。もごもごと言い訳をする俺を少し笑ってから、相河が教えてくれた。
『葵が水着売り場に行ったら、姫ちゃんがぼーっとしてたんだって。』
「ぼーっと?」
『あんまりいっぱいあって、どれを買えばいいのか途方に暮れてたらしいよ。』
「そんなに……。水着を買うのも大変なんだなあ。」
俺に選びきれるだろうか。
(いや、そっちじゃなくて。)
どんな水着を選んだんだろう、だ。
『まあ、女子はなあ。それだけじゃなくて、葵の話だと、試着するのもかなり恥ずかしがっていたらしいよ。』
「は?」
恥ずかしいって? 試着って個室なのに?
(もしかしたら……。)
すごーく大胆な水着だったりして。布の面積が――。
『葵がさあ』
「えっ、あ、うん。」
まだ電話中だった! 妄想に取りつかれている場合じゃない。
『宇喜多好みの水着を勧めといたって言ってたぜ?』
「えっ? 俺……の?」
『姫ちゃんのイメージにピッタリだって。宇喜多、ビーチで鼻血出すなよ。』
「あはは、そんなことになるわけないだろ。」
蒼井さんのイメージにピッタリだと言うなら、布の面積が極小ということなどあり得ない。網とかレースとか、透けてる素材も無いだろう。だけど、俺好みの水着って……?
(真っ白の下着みたいなやつだったりして。)
思った途端、体温が上がった気がした。もしも本当にそんなのだったら……?
『あははは、まあ、鼻血は出さなくていいけどさ、ちゃんと褒めてあげるんだぞ。』
「で、でも、試着が恥ずかしいくらいだから、見られるのはもっと嫌なんじゃないか? 指摘しない方がいいんじゃないかな?」
とてもじゃないけど、じっくり見てなどいられないような気がする。
『そこはほら、女心ってやつで――』
「あ! 思い出した!」
高校の修学旅行のとき。葵にご機嫌伺いのメールをしたら、相河への愚痴が返って来て……。
『なに?』
「いや、何でもない。うん。褒めるよ。水着は褒めなくちゃいけないんだな。」
『そうだぞ。しっかりやれよ。』
「わかった。」
何がなんでも、蒼井さんの水着姿を褒めなくちゃ。今度の海の目標はそれだ!
(それにしても……。)
蒼井さんと出かけるのを断る必要は無い。
告白はしないで、今の状態を続ける。
そして、水着を褒める。
(うん。)
多少混乱はしたけれど、これからの道筋が見えてきた。相河に電話をしたのは正解だったな!




