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俺が真面目だとみんなは言うけれど  作者: 虹色
第四章 なんだか気になります…。
51/156

51 期待しても?


七月に入り、梅雨が明けた金曜日、税務課の暑気払いが開かれた。


横崎駅前のビルにある串焼きが美味しいと評判の店。落ち着いた宴会場は二十階という高さからの眺めもなかなか綺麗で、学生時代の宴会とは雰囲気がまったく違う。その違いに久しぶりに「もう学生じゃないのだ」という言葉が頭に浮かんだ。


こんな場所でそんなことを思うのは、普段の緊張感が足りない証拠かも知れない。仕事に慣れてきたせいでたるんでいるのかも。そう気付いたからには、しっかりと兜の緒を締め直さないと。


とは言え。


宴会の席で仕事のことを考えるのは無粋というものだ。


「じゃあ、今度はこれですよー。」


隣に座った蒼井さんが笑顔で酒を注いでくれる今はなおさら!


「ふ。」


思わず笑いがもれてしまった。


今日の蒼井さんは、最初に一通りあいさつに回ったあとは、ずっと俺につきっきりでお酌をしてくれているのだ。とても楽しそうに!


「何か変でした?」


笑ってしまったことに気付いたらしい。不思議そうな顔で蒼井さんが俺に尋ねる。


「いいえ。じゃあ、いただきます。」

「はい、どうぞ。」


この店は各地の地酒をそろえているのが自慢のようで、飲み放題メニューの中にそれらが説明付きで並んでいる。蒼井さんはそれを次々に俺に飲ませて、説明文を見て銘柄を当てさせている。今のこれで五つ目だ。


「あ、これは辛口ですね。」


考えながら地酒のリストを取り上げると、隣から蒼井さんものぞき込んできた。その近さに体がむずむずする。


(こうやって肩を寄せ合っていられるなんて。)


今までの俺の努力が実ったということじゃないだろうか。宗屋が言うような <危険な男> にはどうしてもなれなかったけれど。


毎朝、電車で一緒だとは言え、通勤電車の中で危険だなんて痴漢以外にないだろう。それに、かもめ駅からは前下さんもいる。


でも、積極的なアピールは試みた。俺が仕事を頑張っているという点を。<仕事ができる男> というのはまだ無理だけど、とにかく前向きに取り組んでいることは確かだ。


(まあ、蒼井さんにとっては、俺は単に前下さん対策かもしれないけど……。)


この店に来るときも蒼井さんは前下さんにつかまらないように、職場を出るときから俺と宗屋と一緒だった。そのまま席もまとまって決めた。税務課では俺たち三人が仲が良いことは知られているので特に詮索されることも無い。


(でも。)


もし、前下さん対策だとしても、こんなに一緒にいる必要は無いのではないだろうか。


だって、今日の前下さんは、女性三人に囲まれて身動きが取れない状態だ。あれを抜け出して蒼井さんのところに来るようなことを、あの前下さんはしないだろう。だから、蒼井さんは安心して自由にしていていいはずだ。


なのに、こうやって俺の隣に腰を落ち着けている。楽しそうに!


「うーん、そうですね、これじゃないですか? 鏡池。」

「わあ、また当たりです! すごいですね! じゃあ、次のを頼みますから、これは飲んじゃってください。」


楽しそうに蒼井さんが差し出す冷酒の入ったガラスの徳利。それを拒否するつもりなどもちろん無い。


「ああ、そんなにギリギリまで注がなくても。」

「でも、そんな小さいもので飲むんですから、いっぱい注がないと終わらないじゃないですか。」

「ははは、そうですけど。そういえば、蒼井さんは飲めない分は食べないと。あ、ほら、新しい串焼きが来ましたよ。はい、どうぞ。」

「ありがとうございます♪ 今度は何かな? 豚肉?」


興味深げに手に持った串を観察する様子も無邪気でかわいらしい。


(この状況は想像以上だ。)


彼女との距離を縮めるために、このチャンスを利用しない手はない。


だって、仕事中はすぐ隣にいても、個人的なことを考えているわけにはいかない。朝だって、他人に聞かれても困らない話しかできない。せっかくのテニスの行き帰りも、なかなか次の一歩を踏み出せないでいる。


一方の蒼井さんはと言えば……、これが実は悩みの種で。


とにかくかわいいのだ! ものすごく! 前よりもずっと!


しかも、それが隣の席にいるわけで!


俺が自覚したせいだけじゃないと思う。本当に彼女の態度が変わっている。たぶん、俺が「お兄さんみたいな先輩」だから。


もちろん、彼女の仕事ぶりは変わらない。机に向かう姿は凛々しく、窓口ではさわやかで親切、同僚には礼儀正しく。俺はどの蒼井さんも素敵だと思うし、尊敬もしている。


でも。その合い間に。


楽しいときに投げかけて来る視線とか。小さく肩をすくめるしぐさとか。不満なときに唇をとがらせたり。面白い失敗で笑いが止まらなくなったり。そうやって無邪気に俺の心をかき乱す。


「うん、美味しい。あ、お猪口がからっぽになってますね。さあどうぞ♪」

「ありがとうございます。」


だから、このチャンスを絶対に逃すわけにはいかない。かき乱されるばかりだった心を満足させるために、今日は行動に出なくては!


(いや。もしかしたら。)


これは蒼井さんからのメッセージなのではないだろうか。自分を……その……。


(誘惑してほしい、とか?)


「ぐふっ。こほっ。」

「だ、大丈夫ですか?」


変なことを考えながら酒を飲んだせいでむせてしまった。慌てて口の中の酒を飲み込みながら、ガラスのお猪口をテーブルに戻す。


「けほん、すみませ、ん、ごほっ、失礼しました。」


吹き出さずにすんで良かった。蒼井さんの前でそんなことになったら、俺はもう立ち直れない気がする。


(でも……。)


次の酒を選んでいる蒼井さんをこっそりと観察する。


前髪の下の大きな目。ふっくらした頬と小さな耳。透き通ったガラス玉のピンで留まっている髪。白いシャツの襟の中に消えていくほっそりした首。周囲のことなど何も耳に入っていないような真剣な表情。


(もしかしたら、本当にそうなのでは……?)


蒼井さんは俺に期待しているんじゃないだろうか。まあその、誘惑……とまではいかなくても、自分のことを好きになってほしい、とか。だとしたら。


(うわあ……。)


かわいい。その表現方法がかわいい。酒の銘柄を当てさせるなんていう理由を作って隣にくっついているなんて。


――と、背筋を伸ばした彼女が楽しそうにこちらを向いた。


「宇喜多さん、もう酔いました?」

「え? いいえ。」

「じゃあ、次のを試しても大丈夫ですか?」

「あはは、いいですよ。」

「じゃあ、頼んできます。」


パタパタと歩いて行く後ろ姿を見送り、何かつまもうとテーブルに向き直る……と。


「よう。」

「あ、宗屋。」


向かいの席で頬杖をついた宗屋がまっすぐに俺を見ていた。


「思い出した?」

「べつに忘れてないよ。」


忘れてないけど考えていなかったので、少し悪かったなと思う。お詫びの意味も込めて残っていた酒を注いでやる。それを宗屋は無表情に受けて、また俺を見た。


「楽しいか?」

「まあね。ここの酒、美味いから。」


本音など絶対に吐くものか。


「ふっ……。」


片方の口の端を上げて宗屋が笑う。俺の心を見透かすように。それから身を乗り出してきた。


「首尾はどうだ?」


小声で尋ねられ、俺も身を乗り出して答える。


「いい感じ。」


こう答えても差し支えないだろう。すると宗屋が目をきらりとさせた。


「どんな話をしたんだ?」


(どんな話?)


ニヤニヤしている宗屋を前に、今までのことをたどってみる。


「酒の銘柄当て。」

「……は?」

「蒼井さんが頼んだ酒を俺が飲んで、どの酒か当てるんだよ。今のこれで五つ目。」


説明しながら、宗屋の表情が驚きから呆れ顔に変わっていくのがわかった。


「それだけか? コクったり、それらしいことを言ったりしなかったのか?」


あくまでも小声だけど、口調が激しい。


「ここで? 無理だよ。」

「じゃあ、送って行く約束くらいはしたんだろうな?」

「それは帰りに言えば――」

「違う! こういう席でこっそり言うことに意味があるんだ! 俺がせっかく長い時間、二人きりにしてやったのに! 銘柄当てクイズだと? まったく。」


イライラした宗屋がおしぼりでテーブルをたたく。


「いや、だけど。」


そんなことを言われても、ほかの人がいる宴会の部屋でそんなことできない。一緒に酒のリストをのぞき込むだけでも気恥ずかしいのに。


「あ、宗屋さん! 戻られたんですね!」

「姫〜、ただいま〜♪」

「おかえりなさ〜い♪」


明るい声と一緒に、黒いお盆を持った蒼井さんが戻って来た。お盆の上には氷の入った器にガラスの徳利が二本ずつ入ったものが三つ。


(え? 六本?)


一度に頼む量としては多すぎないだろうか? まあ、今は宗屋がいるし、俺も飲めないわけじゃないけど……。


「宗屋さんも日本酒大丈夫ですよね? 足りるかなあ?」


蒼井さんが楽し気に徳利の入った器をテーブルに並べて行く。


「今度は三種類を二本ずつもらってきました。あと課長が……あ、来ました。課長、宗屋さんの隣にどうぞ。」

「ありがとう。お邪魔させてね。」


にこやかに課長が現れた。Vネックのサマーセーターに紺のスカート姿の塩盛課長が宗屋の隣に優雅に座る。


「あ、課長。」

「あ、あ、どうも。」

「塩盛課長が利き酒は得意なんですって♪」


慌てて座り直す俺たちに、蒼井さんが楽しそうに説明する。


(なるほど。)


徳利六本のわけはこれだったのだ。それにしても多いと思うけど。


「宇喜多さん、五連勝ですって? 楽しみだわ〜。」

「いえ、それほどでもないですよ。課長はお酒は日本酒ですか?」

「そうねえ、日本酒を飲む機会が多いのよねえ。」


当たり障りのない話を始めた俺たちの前で、蒼井さんが一番端にある徳利の酒を三つのお猪口に……?


(あれ?)


お猪口は二つ、一つはグラスだ。しかも、あんなになみなみと。


(まさか……。)


嫌な予感がする。


「はい、それではまず一つ目です。どんな味でしょう?」


にこにこと、蒼井さんがお猪口を課長と宗屋の前に置いた。そして、グラスを俺の前に。


「わははは、なんだよそれ! 罰ゲームか?!」


笑い出した宗屋に、蒼井さんは逆に驚いたような顔をした。


「え? 違います。宇喜多さんは小さいお猪口じゃ足りないんじゃないかと思って。」

「そう言えば、宇喜多さんは強いって聞いたわよ。」

「いえ、そんな、普通ですよ。」


不安半分でグラスに口を付ける。


(あ、おいしい。)


消えていく味と微かに残る香りに次の一口を誘われる。


「これ美味しいわね。」

「ええ、本当に。」

「姫、リストちょうだい。」

「あ、はいはい、どうぞ。」


酒の説明を読んでああだこうだと言い合っている俺たちの横で、蒼井さんは満足そうに串に刺したアスパラをかじっている。その様子は少しも残念そうじゃなくて……。


(俺と二人だけでいたいわけじゃなかったのか……。)


心の中でため息をついた。







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