50 ◇ 乙女の買い物 ◇
「葵先輩、今日は本当に助かりました。あそこで先輩に会えなかったら、結局何も買えなかった気がします。ありがとうございました。」
梅雨が明けた日曜日の午後。横崎駅の抹茶系スイーツで有名なお店のカウンター席で、ほっとしながら葵先輩にお礼を言った。
「うん、わたしも会えて良かったよ。ああいうお店って、一人だとちょっと心細いもんね?」
白いレースのミニワンピースにショートパンツ姿の葵先輩がにこやかに答える。その可愛らしさがとてもうらやましい。
最近はわたしも服に気を遣うようにしていて、今日はベージュのサマーセーターにオレンジ色のミディアム丈のスカートをはいてきた。部屋で鏡を見たときは、これなら街中を歩いても違和感がないだろうと思った。
でも、葵先輩に会ったとき、その小さな自信はたちまち消えてしまった。とは言っても、そこで先輩に会えたことは本当に有り難かったのだけど。
「それにしても、本当にすごい偶然だよね。」
抹茶パフェを二つ注文し、さっきの買い物の話に戻る。テーブルの下には同じお店の紙袋が二つ。二人ともその店で買い物をしてきたのだ。
「水着なんて、そんなにしょっちゅう買うものじゃないのにね。」
「わたしは学校用以外を買うのは、たぶん小学生以来です。プールも海も好きじゃなかったので……。」
「あ〜、その気持ちわかるよ〜。でも、行ったら行ったで楽しいから大丈夫だよ。」
「そうですね、きっと。」
そう。わたしたちが買って来たのは水着。
杏奈さんのお誘いで海に行くことになったため、慌てて水着を買いに来た。ところが、ショッピングモールに開設している水着センターに来たものの、あまりの数と華やかさに圧倒されてしまった。しかも、どれを見ても、思っていたよりも露出する面積が大きい。こんなにあるのに自分が着られるものが無いと途方に暮れているときに、葵先輩とばったり会ったのだ。
「一緒に選んでいただけて良かったです。一人だと試着もしづらくて。」
「そうだよね。でも、姫ちゃんのは本当にかわいくて良く似合ってたよ。」
「そう言われると、逆にちょっと可愛すぎないか心配になってきちゃいます……。」
わたしが買ったのはビキニタイプのピンクの水着。厚手のしっかりした生地の無地で、ストラップは同じ布を編んだものが付いている。左のストラップの取り付け場所には布製の黄色いお花が三つついている。
最初はワンピース型にするつもりだった。でも、試着してみたら妙に艶めかしくて、二着ほど試したところであきらめた。
葵先輩と相談しながら探したのは、元気が良さそうに見えるもの。色っぽさや女の子っぽさという、男の人の視線を集める要素が無いもの。
そうしてあの何千着――もあったに違いない――の中から一つのデザインに絞り、色違いの三着を試着してようやく決めた。
試着する前は、ピンクは可愛すぎるかも、と思った。でも、色違いの白と赤の方がもっと可愛いアピール度が高くて、最後に着たピンクが一番控えめに見えた。そのころにはさんざん選んで疲れていたこともあり、葵先輩の「一番似合う」という言葉に勇気づけられてそれに決めた。でも今、落ち着いて考えてみるとやっぱりピンクは……。
「大丈夫。きれいなピンクだし、デザインもシンプルだから、可愛すぎるなんてことないよ。あのお花だって、あれくらいは付いてないと、いくらピンクでも地味すぎるよ。」
「……そうかも知れませんね。」
確かにそんな気がする。それに、本音を言えば、わたしとしては気に入っている。似合うかどうかは自信がないけれど。
「あれなら宇喜多さんも気に入るよ、絶対。」
胸がドキン、とした。選びながら何度も頭をかすめた名前が聞こえて。でも。
「あはは、葵先輩、宇喜多さんはわたしの水着なんて気にしないと思いますよ。」
「そう? 意外と好きかもよ? かなりのポーカーフェイスだけど、ちゃんと男の子だもん。」
「いいえ。そんなこと絶対に無いと思います。」
それははっきり言い切れる。宇喜多さんがそういうことを気にするはずが無い。この前の夜の公園だって、まったく危険なことなんて無かった。わたしなんか眼中にないのだ。
(なのに……。)
どうして何度も宇喜多さんのことを思い出していたの?
(ううん、そんなこと気にしても仕方ない!)
「それよりも葵先輩ですよ。あの水着姿を見たら、相河先輩はきっと気が気じゃないですよ。ほかの人に見せたくないって思うんじゃないですか?」
「うーん、そうかなあ? そんなに過激じゃないと思うけど……。」
葵先輩が選んだのは、白地にオレンジの花模様のやわらかい生地のビキニ。胸元とウエストにフリルがたっぷりついていて、試着したところを見たら、可愛いのになんとなくドキドキしてしまった。そんな葵先輩を見た相河先輩がいったいどんな反応をするのだろうと思うと、楽しくなってしまう。
そこで抹茶パフェが届き、水着の話題も一旦終了。抹茶アイスやつぶ餡や白玉がふんだんに盛られたパフェを食べながら、スイーツの情報交換で盛り上がる。
「そう言えば、高校のとき、部活の帰りにたい焼きを食べたなあ。」
葵先輩が懐かしそうに言った。
「ああ、あの住宅街にあるお店ですよね? みんな行ってるのに、なぜか誰もお店の名前を知らないところ。」
「そうそう! みんな、ただ『たい焼き食べに行こう』って言うだけなんだよね。」
「そうですそうです! わたしのときも同じでした。」
懐かしいな。文化祭の準備の帰りに大勢で寄ったっけ……。
「宇喜多さんはいつもつぶ餡だったよ。」
「ああ、似合ってますね。正統派というか。」
「だよね。ねえ、宇喜多さんはどう? 頑張ってる?」
「あ、はい。」
葵先輩、宇喜多さんのことを気に掛けてるんだ。彼氏がいても、やっぱり宇喜多さんのことを心配してるんだなあ。
「ここのところ、とても積極的なんですよ。少し困ってしまうくらいに。」
「積極的? わあ、本当? 姫ちゃんが困るほどって、どんなふうに?」
なんて嬉しそうな顔! 宇喜多さんが頑張ってることがそんなに嬉しいなんて。
「前から電話はたくさん取ってくれていたんですけど、最近は窓口が混んだときもサッと出てくれるんです。わたしの方が窓口に近い席なのに、宇喜多さんの方が動くのが早くって。」
「あ、ああ……。」
「あと、地方税法の施行令や施行規則だけじゃなくて、関係があるほかの法律も読んでるみたいで。」
「え?」
「土地の話とか相続のことをほかの人に質問をしていたりして。わたし、全然勉強が足りないなあって反省してるところなんです。」
「ああ……。」
「それに、細かいこともよく気が付いてくれて、足りないものを補充しておいてくれたり、ちょっとした用事も『あ、僕が行ってきます』とか。わたしの方が年下なのに、雑用をそんなにやってもらったら申し訳なくて。」
(ん?)
葵先輩、がっかりしてる……?
「仕事のことなのね……。」
「え……?」
「あ、いや、もしかしたら宇喜多さんにも好きなひとができたかなー、なんて。」
(あ、そういう意味か!)
「違いますよ。宇喜多さんが女の子に積極的な姿なんて想像できません。」
「だよねー……。」
がっかりしてる。でも、宇喜多さんは葵先輩が好きなんだもの。
「そう言えば、宇喜多さんが車を買ったのはご存知でした?」
「え、そうなの? ううん、知らなかった。」
葵先輩には報告していなかったのか……。
「先月の終わりごろに来たんです。紺色の小さめの車です。」
「紺か。宇喜多さんっぽいね。ねえねえ、二人で出かけた?」
「え、ええ。川浜大師にお守りをいただきに行きました。」
「本当?! 誘えたんだー、ちゃんと。良かった!」
(え……?)
今度は嬉しそう。しかもこの盛り上がり方、もしかしたら誤解しちゃってる?
「あの、違いますよ、先輩。もともとその日はテニス部の練習に乗せて行っていただくことになっていたんです。」
「え、そうなの?」
「はい。もう一人一緒に行く予定だったんですけど、その人が用事が入ったので二人で……。」
「なんだー……。」
またがっかりさせてしまった。でも、宇喜多さんにとってわたしはそういう対象ではないもの、仕方がないよ。
「あ、そう言えばね、先輩。」
葵先輩が喜びそうな話題を思い出した!
「宇喜多さんが酔っ払ったところって見たことあります?」
「宇喜多さんが? ううん、無いよ。宇喜多さんって、いくら飲んでも変わらないもの。」
「それが違うんです。酔っ払うととっても面白いんですよ!」
「え、そうなの? どんなふうに?」
良かった! 興味を持ってくれたみたい。
「やたらとご機嫌で、よそ見してて柱にぶつかっちゃったりするんですよ。」
「柱に?」
「はい。『危ない』って言おうと思ったんですけど間に合わなくて、ゴン! って。」
「本当? あの宇喜多さんが? 可笑しい!」
「ですよね? あのときは笑うよりもびっくりしましたけど。」
「そりゃそうだよね。」
「一人で帰って行くときも、後ろ姿まで楽しそうで。」
「うわー、見たかったなあ。」
「葵先輩も、次に会うときにはたくさん飲ませてみたらいいですよ。」
「うん、そうだね!」
(そう言えば……。)
あのとき、サヨナラする前にネクタイを結んでほしいって言われて……。
(あれれ?)
またドキドキしてきてしまった。
(あのときは恥ずかしかった。近くって。)
次のときはちゃんと結べるかな。……なんて、もうあんなことは無いか。
(そうだ!)
もうすぐ暑気払いだ。またたくさんお酒を勧めてみようかな?
(いいかなあ?)
この前みたいに、勧めたら勧めただけ飲んでくれるんじゃないかな。職場ではわたしが先輩だから、気を遣って断れなくて。
(それで……あれ?)
送ってもらうことを考えてるなんて、間違ってるね。




