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俺が真面目だとみんなは言うけれど  作者: 虹色
第一章 社会人になりました。
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05 ◇ 新人さんたち ◇

今回は蒼井さんの回です。

サブタイトルを「◇」ではさんだ回は蒼井さんのおはなしです。


(宇喜多さんは何時ごろ来るかなあ。)


朝の電車の中でぼんやりと考える。かもめ駅の階段近くの車両はそれほど混んでいないのがありがたい。


始業時間は八時半。わたしは八時過ぎには出勤して、カウンターの拭き掃除や電気ポットのセット、始業の準備などをすることにしている。


これはべつに新人に割り振られた役割ではない。ただ、圧倒的に年下のわたしとしては、先輩方と同じ時間に出勤することが後ろめたい気がして落ち着かなかった。だから早めに着くようにして、余った時間にやれることをやることにしただけ。


すると、隣の課税係の一年先輩の前下さんが同じようにやり始めた。課税係は去年は新人が入らず、その時点では前下さんが一番年下だったから、年齢的に見れば、その気の遣い方は普通だ。


だけど。


わたしは前下さんが苦手だ。それで困っている。


前下さんは、日に焼けて精悍な感じの男の人だ。大卒で一年先輩だから、わたしよりも五歳年上。少し癖のある髪があごのとがった顔に似合っていて、聡明そうな切れ長の目が笑うとやさしそうになって王子様みたい……と、前下さんファンのひとたちは言っている。仕事もきちんとこなしているし、職場の人間関係も悪くない。とても良いひとだ。


そんな前下さんの何が苦手なのかと言うと……態度だ。わたしに対する態度。


意地悪をされているわけじゃない。どちらかと言うと、その逆。つまり……、親切、と言うか……。


はっきり言ってしまうと、たいへん嬉しそうなのだ。わたしといるときの様子が。


カウンターを拭きながら笑顔でいろいろ話しかけてくれるのだけれど、なんだかとても困ってしまう。何かを期待されているような気がして。ほかの職員がいないところで二人きりでいるのは居心地が悪い。宴会で隣になったときも。花澤さんが異動することが決まってから、ますます張り切ってしまっているし。


「ふぅ。」


ため息が出てしまう。


べつに、触ってきたりするわけではない。そういうセクハラとは違う。本人は純粋な気持ちなのだと思う。


そうであっても、困っている気持ちは事実。前下さんが先輩で、同じ職場だと思うと失礼なことはできない。そもそも変なひとではないのだし。


ただ、わたしの気持ちを勘違いされると困るので、余計なことを答えないようにしている。それと、むやみに近付かないように。


……などということを毎日考えているおかげで、今ではこの朝のひとときが、仕事以上に緊張する時間になってしまった。


(宇喜多さんが来てくれたらいいんだけど……。)


祈りたいほどそう思う。でも、そんなことは言えない。きのうの宴会でも言うチャンスはあったけれど。


朝の準備は本来の仕事とは別物。そして、新人がやると決まっているわけじゃない。わたしが勝手に始めたこと。やめたって誰も文句は言わないし、事実、わたしがいない日は誰かがやっている。


でも、このタイミングでやめたら、宇喜多さんが来たからやめるみたいに見えてしまう。真面目そうな宇喜多さんのことだから、誰かがちらりとでもそんな話をしたら、やらなくちゃならないと思うに違いない。


それは宇喜多さんに悪い。勤務時間よりも早く来ることを強制するようなことになったら。


(あと一か月くらいしたらやめようかな。)


かもめ駅で電車から降りながら思った。


(でも、やめられないかな……。)


こんなに前下さんに気を遣わなくちゃならないのはおかしいんじゃないかな?




(あれ? 声がする。)


階段で四階に近付くと、男の人の声が聞こえてきた。誰かが話している声。


(良かった! 誰か来てるんだ!)


きっと新しく来た誰かだ。これで前下さんと二人きりにならなくて済む。


四階に着いて目に入ったのは、カウンターを拭いている宇喜多さんと宗屋さん。二人とも上着を脱いでワイシャツの袖をめくり、まっすぐ長いカウンターの向こうとこちらで話しながら雑巾を持った手をうごかしている。


「おはようございます。」


ほっとして、心からの笑顔であいさつすることができた。


「あ、蒼井さん。おはようございます。」

「おはようございます。」


二人も笑顔で応えてくれた。


「お二人とも早いですね。」

「きのう、うちの係長から聞いたんです。朝は前下さんと蒼井さんが掃除してくれてるって。」


きびきびと答えてくれたのは宗屋さん。体格が良くてスポーツ刈りで、目の印象が強いので、少し怖そうだと思った新人さん。でも、きのうの宴会で話してみたら、気さくで面白いひとだった。


「先輩に掃除をやらせて新人の俺たちがのんびりしてるわけにはいきませんからね。な、宇喜多?」

「僕はもともと八時ごろには来るつもりだったよ。」


宇喜多さんは穏やかに言い返している。


「これからは俺たちがやりますから、蒼井さんも急いで来なくても大丈夫ですよ。」

「あ、でも、新人の仕事だって決まっているわけじゃないんですよ? そんなに頑張らなくても……。」


とてもありがたいと思っているのに、こんな言い方しかできない。他人の厚意を素直に受け取れない自分がときどき嫌になる。けれど、誰かに任せて自分が楽をするということがわたしにはできない。どうしても罪悪感を抱いてしまうのだ。


「そうですか? でも、人数が多い方が便利ですよね?」

「あ、はい! それはもう助かります。」


反射的に答えながら「そうか」と思った。やめずに一緒にやれば良いのだ。一緒にやるなら、あれこれ気にしないで済む。


荷物を置いて戻り、給湯器のスイッチを入れ、電気ポットにお湯を入れる。宇喜多さんと宗屋さんも給湯室にやって来たので、お湯の準備と退庁時の防火確認の説明をした。途中で前下さんが来たけれど、給湯室がいっぱいになっているのを見ると、「ここは任せたよ」とにこやかに戻って行ったのでほっとした。


「きのうの二次会はどうでした?」

「ああ、盛り上がりましたよ。十人ちょっといたっけ?」

「うん、確か十二人だったよ。」


いつもより早く仕事が済み、給湯室前で三人でおしゃべり。きのうまでは考えもしなかった就業前のリラックスタイム。今までは絶対に避けていた場面だけど、この二人が相手なら何も問題は無い。


「カラオケですよね? お二人も歌ったんですか?」


質問したら、途端に宗屋さんが笑い出した。


「あはははは! 蒼井さん、こいつ、何歌ったと思います? 今、思い出しても笑える!」


そう言って、また笑う。言われた宇喜多さんは不本意そうに顔をしかめた。


(宇喜多さんが歌ってウケる歌……?)


あらためて宇喜多さんを見てみる。


新人さんらしくパリッとしたワイシャツにネクタイは青の無地。チャコールグレーのスラックスにはピシッと折り目がついている。髪の毛は簡単に横で分けてあるだけ。落ち着いた黒い瞳と生真面目な顔つき。「真面目」とか「礼儀正しい」という言葉が似合う。周囲に明るさを発散するタイプではなく、相手を受け止めて安心感を与える雰囲気。


(ああ、そうだ。)


いかにも九重高校の卒業生っていう感じがする。伝統のあるあの学校独特の雰囲気、それが宇喜多さんにはある。だからわたしには馴染み深い感じがするのだろう。もちろん、あの学校にもチャラい生徒はいたけれど。


「うーん、アイドルの歌ですか? 振り付きとかで。」

「振り付き? 振りがついてれば、逆にあんなにウケませんでしたよ、あはは!」


答えを聞いて、宗屋さんはますます笑ってしまった。それを見ると、宇喜多さんがぼそりと言った。


「仕方ないんですよ。カラオケは初めてだったんですから。」

「初めてだったんですか?」

「はい。」


真面目な顔で宇喜多さんがうなずいた。


「大学時代は避けてきましたから。」


宇喜多さんの雰囲気ならそれも納得だ。


「でも、就職したら職場のコミュニケーションの一環として必要だと思ったので、何曲か歌えるようにしてきたんです。」

「わあ、さすがですね。」


やっぱり真面目なひとらしい。


「でも、その前に何を選んだらいいのかわからないから、友人にアドバイスをもらったんです。場の雰囲気を壊さない、盛り上がる歌って。」

「なるほど。」


本当に真面目なひとだ。


「それを歌ったら、予想と違う盛り上がりかたで……。」


語尾が消えてしまった。よほど不本意だったに違いない。


「宇喜多、お前ねえ、あの歌を直立不動で歌ったらウケるに決まってるだろ!?」


そう言って、宗屋さんがまた「くくくく……」と笑う。


「何を歌ったんですか?」


でも、宇喜多さんはさり気なく目をそらした。宗屋さんに視線を移すと、宗屋さんはちらりと宇喜多さんに目くばせをしてから小声で教えてくれた。


「『 ultra soul 』ですよ。B'zの。」

「ああ!」


確かに「盛り上がる」という点では間違っていないんじゃないだろうか。でも直立不動で? ちょっと不思議かも。


「頑張りましたねえ。あの曲、難しそうですもんね?」

「まあ、猛練習はしましたけどね。」


硬い表情で宇喜多さんが答えた。


(こんな感じで練習したのかなあ……。)


それを思ったら笑い出しそうになった。よく考えると、宇喜多さんがカラオケを歌うというそのこと自体も見る価値がある気がする。


「あの衝撃で宇喜多は先輩たちに受け入れてもらえたんだからいいじゃないか。あははは!」

「まあ……、そうかも知れないけど……。」


二人の会話に納得した。確かに、真面目な外見の宇喜多さんが真面目な歌を歌っても面白くない。


「あいつ、わざとだな……。」


宇喜多さんが悔しそうにつぶやいている。


「そのお友だち、宇喜多さんのことをよく分かってるんですね。」


きっと、本当に宇喜多さんと仲良しなんだろうな。お互いの機嫌を損ねても友情が壊れないくらいに。そうじゃなければ、そんな選曲はできないと思う。







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