45 ◇ やさしい宇喜多さん ◇
(大丈夫……なのかな?)
夜の公園に二人で……なんて。
疑うのは失礼だとは思う。宇喜多さんが親切なことは十分にわかっているし。
けど……。
(さっきのこともあるし……。)
思い出したらまた胸が痛いくらいにドキドキする。この公園って、こっち側は植え込みの陰で見通しが悪い。さっきよりも本気で抱き寄せられたりしたら……。
(うわわ。)
またほっぺが熱くなってきた。ここの街灯は暗いから、顔の赤さなんてわからないよね?
(でも……。)
見上げると、宇喜多さんはあごに指を当てて、真剣に考え込んでいるみたい。眉間にしわを寄せて。真面目な顔をして。
(……だよね。)
やっぱり疑ったら悪い。あんなに考え込んでくれてるんだもの。そんなことを考えるなんて、図々しいにも程がある。自分にそれほどの魅力があるわけが無いのに。
「ええと、」
宇喜多さんが改まった表情でわたしを見る。
「はい。」
わたしも気を引き締めて宇喜多さんを見上げて。
「電車の時間を変えるのは気が進まないんだよね?」
「はい。一緒になって二週間でそんなことをされたら、避けられているって感じると思うんです。それは前下さんじゃなくても傷付きそうだから……。」
「うん、そうだね。」
最後の手段としてはそれも仕方ないかも、とは思うけれど……。
「朝のほんの少しの時間だけなのに、こんなに気にする方が大袈裟なんでしょうか……。」
「そんなこと無いよ。」
街灯の頼りない明るさの中、宇喜多さんの穏やかな声と微笑みがわたしを励ましてくれる。
「大学時代に『同じ空間にいるのもイヤ』なんていうのを聞いたことがあるよ。それに、『顔も見たくない』って言葉もあるじゃない。」
「ああ……、そうですね。」
だとすると、わたしの「苦手」はそれほど重症ではないのかも知れない。
「やっぱり俺が時間を変えようかな。」
「え……?」
反射的に見上げると、宇喜多さんがにっこりと微笑んだ。
「俺が蒼井さんと同じ電車で通勤すればいいんじゃないかと思って。」
言われた途端、車内の景色が浮かんできた。
つり革につかまっている通勤客に囲まれて、小声でおしゃべりをしている宇喜多さんとわたし。途中の駅で押されたわたしを「大丈夫?」と気遣ってくれたり……。
「でも、それは申し訳ないです。」
わたしの勝手な悩みのために何かをしてもらうなんて。
「宇喜多さんの生活リズムを変えてもらうほど重大な事件っていうわけじゃありませんから。わたしが自分の気持ちを整理してどうにかすればたぶん――」
「ああ、俺のことは気にしなくていいよ。今までよりも遅い時間にするんだから、楽になるわけだし。」
「でも、宗屋さんが……。」
「朝、一人になっちゃうってこと? あはは、二人一緒じゃなきゃ嫌だなんて、この歳になったら言わないよ。」
「それは……そうですね……。」
中学生や高校生じゃないのだから当然か。それに、宗屋さんだって出勤時間を変えることができないわけじゃない。
「でも……」
「まだ何か気になる?」
尋ねながら、宇喜多さんがわたしの顔をのぞき込むように首をかしげる。
「あの……、誤解されちゃったり……とか……。」
申し訳なくて、ちゃんと顔を見ることができない。わたしとの関係を疑われるなんて、その可能性を考えるだけでも、とても申し訳ない。宇喜多さんみたいに良い大学を出た将来有望なひとと学歴も取り柄も無いわたしなんかを結びつけるなんて。
「あ、あの、前下さんが誤解して、宇喜多さんに何か言ったり……とか、そんなことになったら……。」
「ああ。それは心配ないんじゃないかな。」
ギュッ……と胸が痛んだ。
「前下さんはそういうひとじゃないと思うよ。」
「そう……ですね。」
「うん。他人を恨んだり……その、ヤキモチ…やいて何かするなんてことは無いと思うな。」
「ええ。はい。」
宇喜多さんはきっと、誤解されること自体が無いと思ってるんだ。宇喜多さんとわたしではレベルが違い過ぎるから……。
「それに、疑われないように、俺が何かもっともらしい理由を考えるよ。だから心配しないで。ね?」
確かに宇喜多さんなら上手に言い訳を考えてくれそう。それにこんなに熱心に言ってくれるのだし……。
(やさしいなあ……。)
わたしなんかのために、ここまで考えてくれるなんて。
「はい。」
宇喜多さんの言葉なら信じられる。信じたい。それくらいしか、わたしにできることは無いから。
(嬉しそうな顔……。)
信じれば喜んでくれるなら、これからも信じることで恩返しができる……かな。
(でも……。)
少しだけ……なんだか……。
(ん?)
なんか……荷物が少ない気がする。
「あ! 傘!」
「え? あ!」
二人とも持っていない。慌てて顔を見合わせる。
「さっきの。」
「ベンチだ。」
同時に言葉を発して、思わず視線をそらしてしまった。さっきのあれが甦って、またしても恥ずかしくなってしまって。
「ええと、取りに、行こうか。」
「ええ。はい。」
歩き出しながらちらりと宇喜多さんを見る。宇喜多さんはまっすぐ前を向いて、無言で無表情。
やっぱりさっきのことを気にしているのだろうか? ちょっと気まずくなっちゃうかな。
(いや、ここで踏ん張らなくちゃ。)
わたしが気にしてるから宇喜多さんが困ってるんだ。わたしが気にしてないって態度で示せば、宇喜多さんも困ったりしないはずだ。
「気持ちが軽くなりました。」
明るい口調で話しかけると、宇喜多さんが表情を緩めてこちらを向いた。その顔に思いっきりにっこりして。
「宇喜多さんに相談すれば、どんなことでも解決できそうですね。」
少し冗談めかして言ってみる。すると宇喜多さんもにっこりした。
「これからも相談に乗るからね。遠慮しなくていいよ。あ、ただし、お金の相談以外で。」
「ああ、車を買いましたもんね。」
「そうそう。…いや、でも、蒼井さんの相談なら、お金の相談でもなんとかするよ。」
「わあ、ホントですか? すごい。」
「うん、だからその……相談窓口は俺一か所にしぼってくれればいいな、と。」
「あ、ワンストップサービスですね! さすが優秀な区役所職員!」
「いや、そういうわけではなくて……。」
冗談半分の掛け合いをしながらスーパーに戻ると、傘はちゃんとベンチにあった。ほっとして傘を取りながら、浮かんでくるベンチでの出来事を頭から追い払う。
「けっこう遅くなっちゃったね。」
今度は言葉少なになった帰り道。宇喜多さんがぽつりと言った。
「すみません、お世話をおかけして……。」
わたしを送ったあと、宇喜多さんの家までは十五分くらいかかると聞いている。
「そんなこと無いよ。蒼井さんの役に立てるならいいんだ。」
「ありがとうございます。」
こんなわたしのために……。
「お兄さんみたいな先輩って……」
気付いたら言葉が出ていた。
「宇喜多さんみたいなひとのことを言うのかな……って。」
「え?」
驚いて見開かれた瞳に焦ってしまう。
「あ、ええと、すごく親切な先輩っていう意味で……、その、とっても頼りになる先輩、みたいな?」
「俺の……こと?」
「ええと、はい。すみません。」
「いや全然……謝らなくていいけど。」
笑顔になってくれた。いつかも「頼りにしてほしい」って言ってくれてたのは本当の気持ちだったの……かも。
(ん?)
突然、真面目な顔に……。
「それ……、ほかの男には言っちゃダメだよ?」
「あ、それは、はい。」
「勘違いされたら困るからね。」
「え、ええ。わかりました。」
「まあ、俺は大丈夫だから。」
「あ、はい。」
それはわかる。真面目な宇喜多さんは軽々しく勘違いなんかしないよね。
――でも、少し嬉しそう?
喜んでもらえて良かったな……。




